水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・606」

2022-08-31 21:12:44 | Weblog



ある気功師・212

異性だけではない。
他人から評価されたい、という気持ちもほとんど無い。
自分でも自分の事など理解できないのだ。
それなのに自分を評価して、というのはアホなの?
だから自分をアピールするのは理解できない。

そもそも自分に内容が無いからアピールに走る。
そして、凄い、と評価されたい。
どう考えても、アホでしょ。
自分を大きく見せても、裸になれば大差ないのだ。
肩書を幾重にしても、裸は変わらない。

ヤクザ、政治家、詐欺師、タレント等。
これらは内容が無くても、外見で仕事の糧としている。
だから外見アピールは仕事でもあるのだ。
そうでないなら、自分の無能さを強調する事になる。
まぁ、自由というのは出来る限り緩やかがいい。
だがら、日本の未来を嘆いても、まぁ、いいか。
私よりはマトモかもしれないし・・・


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「迷想中・迷走中・605」

2022-08-30 21:54:30 | Weblog



ある気功師・211

気功に出会う前に夢現の状態にあった。
その時覚えたのが幾つかの経。
その中の一つに般若心経がある。
ただ覚えただけでなく、書けた。
つまり、写経が出来た。

自慢じゃないが、私は字が下手だ。
私の家族は故母も兄姉も皆字が上手い。
私だけが特別だった。
ただ下手でなく、独特の下手さだった。

とはいえ、私は劣等感など持たない性格だ。
色男でもなく、力もなく、金も無い。
ついでに、コンプレックスも無い。
それは子供の頃から思春期も同じだった。
特に異性にモテたい、という気持ちは理解できない。


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「迷想中・迷走中・604」

2022-08-29 21:15:52 | Weblog



ある気功師・210

この年7月に治療院への改装は完成した。
生駒研修所や山崎の施設の仕組みを取り入れた。
床下に氣入れした水晶を入れた。
もちろん生駒や山崎のように数トンも用意できない。
ほんの少し、300個くらいだ。

ここに居るだけで自動的に気功を浴びられる仕組み。
僅かずつでも病が軽減する仕組み。
同時にその病の氣が外に出ないように結界もする。
方法は同じだ。
氣入れした水晶を使った。

四角だけでなく、床の隅にピラミッド状の水晶。
その上の壁に吊り下げ用の水晶。
天井にピラミッドを備え付け、その中に水晶。
その他に、至るところに小物に入れた水晶やトルマリン。
もちろん、全て氣入れをたっぷりした。
トンは無理だが、100キロはあったろう。


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「迷想中・迷走中・603」

2022-08-28 20:26:05 | Weblog



ある気功師・209

気功師になって、私はどんどん貧乏になった。
治療院を立ち上げ、プロになっても貧しかった。
治療してお金を戴くのは、いろいろあったが納得した。
だが、儲けることは出来ない。
治療師でいる限り、私は貧乏だと悟った。

清い事を守ったから貧乏ではない。
私は清い事を目指さなかった。
清くなろうとするのを拒否した。
下品のまま自然体でいようとした。
それが気功師の体質を続ける事だと知っていたから。

私が経済的に豊かになる能力があれば問題ない。
だが、たまたま気功できる体質ではあるが、他の能力はない。
努力するのも苦手だし、根性とは相性が悪い。
清貧ではなく、アホ貧だ。
それでも氣を商売には出来ない。
いわゆる・・・貧乏くじを引いたわけだ・・・


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「迷想中・迷走中・602」

2022-08-27 20:56:46 | Weblog



ある気功師・208

今の社会はアピールして金を得る仕組みだ。
ある意味社会をリードする政治家。
一流の会社、二流の会社、三流の会社。
その他、モロモロの産業。
皆、自分をアピールして商売(政治家も)をする。

だが、金を得る仕事が全てではない。
金を得ようとすると仕事にならない世界もある。
その一つが生命を扱う仕事だ。
それをライフワークにすると、一生貧乏だ・・・

よく勘違いされるのが清貧。
清貧じゃないのだ。
金儲けの能力が低いのだ。
私だって貧乏なんてもう飽きた・・・
金持ちになりたい。
だが、仕方ないじゃない。
そういう風に流れてしまったのだ・・・


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「迷想中・迷走中・601」

2022-08-26 21:12:16 | Weblog



ある気功師・207

故師匠はさりげなく、幾つもの注意を話してくれた。
それは気功師だけでなく、人の見方も同じだった。
自分の格好、外見をアピールするようになったら注意。
実力が無い人はアピールしたがる。
奇抜な格好や言行に自分を主張する。

この気功では厳しい病が激変する事が多い。
それを特にアピールするようになると、気功は減退する。
私は凄い。
この気功なら大丈夫。
そんな事を言いだしたら、もう辞めた方がいい。
そんな言い方は、普通の商売のやり方だからだ。

世の中の99.99パーセントは解らない。
病も解らない。
回復の仕組みも解らない。
どうなるか、なんて解らない。
それでも依頼してくれるなら一緒にやってみましょう。
(肩の)力は抜いて、氣は付けて。


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「迷想中・迷走中・600」

2022-08-25 21:08:37 | Weblog



ある気功師・206

第一回の生駒で気功師になってから28年目の今。
まだ生き残っているのは、私がいいかげんだからだ。
生真面目だったら、10年も持たずに死んでいただろう。
あるいは、医療気功は出来ない身体になっていただろう。
実際、私の知っている真面目な気功師達は消えている。

ある意味、故師匠の言いつけを守った。
この気功は自分のものではない。
勘違いしてはだめだ。
病が治せても、自分がしているのではない。
自分が立派になったわけではない。

私は常々、自分を根性無しのいいかげん者と公言している。
アホでスケベなオッサンだと正直に言っている。
謙遜ではなく、そう言う方が楽だからだ。
その正直の褒美として、守られていたようだ。
氣は自分のモノではないが、病の氣を受けるのは自分だ。


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「迷想中・迷走中・599」

2022-08-24 21:12:32 | Weblog



ある気功師・205

生駒でも方向としては精神の浄化を勧めていた。
病によっては必要な場合も多いと思っていた。
だが、28年も過ぎた今は浄化とは違うと思っている。
そもそも人は精神の浄化を目指す立場ではないと思っている。
そんな事より、精神の解放、自由だろう。
その方が病の回復は早い。

汚れとか浄化とかを精神に紐付けしない方がいい。
立派な言葉、耳に心地よい言葉、正しい言葉。
そういうのを殊更言う人は信用できない。
宗教家、詐欺師、政治家、時にはヤクザも使う。
上手い話しや正しい話はアヤシイのだ。

私は生命の活性を目的にしている。
それで病なら回復、身体なら健康。
その生命は精神の正しさなんて求めない。
それどころか、時には邪魔になる。
生命はもっと自由を求めている。
人の心、精神はいいかげんでいいのだ。


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「迷想中・迷走中・598」

2022-08-23 22:20:49 | Weblog



ある気功師・204

心身が不調でも気功するのに関係ない。
例え自分の生命力が衰えていても「この氣」は衰えない。
自分は病院のベッドの上で気功する。
依頼者は自分よりずっと元気。
それでも依頼者の不調は軽減、あるいは消滅できる。

身体だけじゃない。
心、精神が綺麗でないと綺麗な氣が出ない、と思われている。
そして、精神を精進する事が大切だ、なんていう。
いわゆる中国気功なら、そうかもしれない。
だが、この気功は関係ない。
自分の氣ではないのだ。

むしろ、自分の精神を浄化する事に固執するとマイナスになる。
やがて、自分の氣を出してしまうからだ。
すると氣は下がってしまう。
低くなってしまう。
人間とは単位の違う氣なのに、自分の氣を入れてしまうからだ。


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「迷想中・迷走中・597」

2022-08-22 21:49:08 | Weblog



ある気功師・203

故師匠が活動再開してから消えるまでの半年。
特に重要な話をしていただいた。
倒れて当初の入院生活。
すぐ近くの病院から知り合いの病院に秘密転院した。
秘密にしないと日本全国から押し寄せるからだ。

とにかく人を惹きつける能力もある故師匠だ。
用もないのに看護師達がやたらに部屋に来る。
医療関係者なら特に興味深々だろう。
やがて、その看護師達が自分の不調を訴える。
過酷な労働の看護師達はとても心身を酷使しているのだ。
そして、それを癒し回復する機会は少ない。

普段この「氣」は自身の内部から起こるものではない。
自分の氣ではない。
人以外のもっと単位の大きいどこからかのものだ。
例えば遥か宇宙からということだが、証明は出来ない。
つまり、自身が病の中、医療気功が出来るか、ということだ。

故師匠が倒れて、とても重要な証明となった。
これも必要必然ということなのだろうか。
実際は何も問題なかった。
故師匠の説明通りだったのだ。
自分の身体が不都合でも、「氣」は何一つ変わらなかった。
これが一般的な中国気功との違いだ。


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