滋賀県 建築家 / 建築設計事務所イデアルの小さな独り言

建築家・清水精二のブログ、何でもあり独り言集・・・。

2024(令和6)年の新紙幣、新1000円札は北里柴三郎です

2020年05月31日 | 独り言

雨の日が続きそうですね。今日、四国地方が梅雨入りしたそうです。もうしばらくすると近畿地方も梅雨入りするのかな・・・。画像は、我が家に咲いているフウリンソウ(風鈴草)です。鐘の形をした花が横向き、もしくは上向きに咲いています。花姿から別名ツリガネソウ(釣鐘草)とも呼ばれています。花姿は確かに風鈴や釣鐘に似ていますが、どちらも本来の姿は下向きですから、私としては下向きに咲いてくれると風鈴草や釣鐘草という名前がしっくりくるんですけどね。ちなみに、画像の風鈴草は青紫色ですが、我が家にはピンク色の風鈴草も咲いています。

 

という事で、新1000円札のお話というか肖像画になる北里柴三郎のお話です。2024(令和6)年に新紙幣が発行されます。新1000円札の肖像画には、医学者・細菌学者の北里柴三郎が選ばれました。破傷風やペストの研究に取り組み、また慶應義塾大学医学部の創設などに尽力した人物です。破傷風は、かつて発症すると致命率60~90%と言われるほど恐ろしい病気だったようです。

当時、破傷風は細菌由来の病気であることは分かっていたものの、その原因菌を科学的に特定することは不可能だとされていたそうです。しかし、北里柴三郎は、培養装置などの器具がない中で独自の発想で開発し、不可能を可能にしたのです。「研究だけをやっていたのではダメだ。それをどうやって世の中に役立てるかを考えよ。」という信念に基づいて、治療法の開発に取り組んだ結果、血清療法という予防にも有効な手法を確立させたのです。血清療法は、ジフテリアなどの他の病気に対しても有効だったので、現在でも使用されている破傷風やジフテリアのワクチンも、血清療法をもとに開発されたものだそうです。また、数百年の間、大量の死者を出し続けていたペストの原因菌を発見し、その防御の道筋をつけたのも北里柴三郎でした。

現在、人類が直面している新型コロナウィルスの脅威に対しても、北里柴三郎のような志を持った多くの研究者によって、ワクチンや治療方法が開発されることで、一日でも早くコロナ前の日常が戻ってくるように願うばかりです・・・。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きくなった松の木

2020年05月03日 | 季節の花

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、例年とは様変わりしたゴールデンウィークになっていますね。私はゴールデンウィーク中、ずっと籠もって仕事をしていることが多いので、例年と変わらない連休を過ごしています。それでも例年に比べれば人との接触を少なくしたり、花粉の季節でもマスクをしない私が出掛けるときはマスクをしたりと・・いつも通りではありません。

マスクの話をすると、使い捨ての紙マスクをすると息苦しくて鬱陶しいので、私は花粉症ですが花粉の季節でもマスクをしません。でも先日、ネットで購入した布製のフィルターマスクは、息苦しくなくてメガネも曇らないので気に入っています。(マスク嫌いの私ですが、自分が感染しているかも知れないという気持ちで行動しないといけませんからね・・。)

 

画像は、我が家に咲いているサクラソウです。2年前にも我が家のサクラソウを紹介しましたが、その年は淡いピンク色の花でした。今年は、濃いピンク色と白色のサクラソウが咲いています。(とは言っても、画像は2週間ぐらい前に撮ったもので・・今は最盛期を少し過ぎてますけどね)、私としては、白色のサクラソウが可愛くて気に入っています。もう少しの間は、頑張って咲いていてくれるでしょう・・。

 

前置きが長くなりましたが、松の木のお話です。画像は、我が家の庭にある松の木です。実は、この松の木・・私が小学校1~2年生の頃に下校の際、寄り道をして山から引っこ抜いてきて庭に植えたものなのです。この松の木が生えていた場所は、大津商業高校の裏側で、今は大津市歴史博物館が建っているあたりかな・・。引っこ抜いて庭に植えたときは、10センチぐらいの背丈のメチャクチャ小さい松の木でした。確か5本ぐらい植えたうちの生き残りで、他の松の木が早々と枯れてしまう中、この松の木だけは何故かスクスクと育ちました。

ただ、庭に植える松の木としては、大したことのない松の木だったのでしょうね。(まぁ、私が勝手に山から抜いてきた松の木ですから・・)、その後、親父が我が家を建て替えるときに庭も新しく造園したワケですが、その際、親父は植木屋さんに「こんな松の木いらんし、捨てとくで。」と言われたらしいです。でも、親父は「この松の木は、息子が植えた木やさかいに残しとったてくれ。」と植木屋さんに頼んだことから、このときも・・この松の木は生き残りました。

それからも、この松の木は庭の手入れに来る植木屋さんに「しょうもない松の木」やなと思われながら、それなりに見栄えするように剪定してもらい、ここ数年は親父が趣味で剪定をしてくれています。私が山から引っこ抜いてきてから45年ほど経ちますが、10センチぐらいだった背丈は今では2メートル少しあります。今となっては、私の分身のように思える松の木ですが、私よりずっと長生きするのでしょう。

ちなみに、この松の木の種類は・・というと、私は「黒松」かなと思っているのですが、このことについては、植木屋さんも親父も明確に答えてくれませんでした。何故でしょうか、ひょっとして新種?、それとも答える価値もないと思われているのかな・・・。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする