滋賀県 建築家 / 建築設計事務所イデアルの小さな独り言

建築家・清水精二のブログ、何でもあり独り言集・・・。

唐崎の松

2018年07月29日 | 独り言

昨日(いや今日かな)の夜中は、すごい風でした。この辺り(大津市)は、台風の被害もなくて良かったです・・・。昨日は、お袋を連れて唐崎神社の「みたらし祭」に行って来ました。毎年7月28日、29日に行われる「みたらし祭」は夏の身体健康を祈願するお祭りで、手筒花火の奉納などさまざな神事・行事が催されるそうです。私は、昨年からお参りするようになって、今年で2回目なので神事・行事についてあまり詳しくありませんが、昨日は台風のため幾つかの行事が中止になったようです。一昨年までは、親父が車でお袋を「みたらし祭」に連れて行っていたようなのですが、親父も歳なので運転免許を返して車にはもう乗っていない(高齢者の運転は危険ですからね・・)という事情で、私が昨年から車でお袋を「みたらし祭」に連れて行っているという次第です・・。

 

唐崎神社には、近江八景「唐崎の夜雨(やう)」で知られる「唐崎の松」があります。(と言っても・・私は近江八景について詳しくないのですが・・)、画像は、現在の霊松で三代目に当たります。記録の上では初代の松は天正元年(1573)に大風によって倒れ、二代目は天正19年(1591)当時の大津城主であった新庄直頼等によって植えらたそうです。 その後、植栽から約140年が経った享保19年(1734)に発行された『近江輿地志略(おうみよちしりゃく)』には、「樹高はそれほど高くなく、枝葉が四方に繁り七間四方(12.6m×12.6m)の大きさで雨宿りが出来る。姿形がまことに均整がとれて美しい」と書かれていて、とりわけ巨大ということではなかったようです。

しかし、それから約100年後に描かれた浮世絵「唐崎夜雨図」では枝が琵琶湖まで達し、同時期の版画にも枝が東西54m・南北68.4mという注記があり、かなりの大きさになっていたことを窺わせています。さらに、明治初期(『近江輿地志略』から130年後)の由緒書には、高さ27m、幹廻り11m、枝東西72m・南北86mと記録されていて、途方もない大きさの霊松が存在していたようです。(その頃の写真が長崎大学附属図書館に所蔵されています)、この巨大な霊松は大正10年に枯れ、移霊祭を斎行して三代目として現在の霊松に引き継がれたそうです。その三代目霊松も、昨年枝張りの半分が一気に枯れため切り取られ、残る半分の延命治療を続けているそうです。すでに三代目霊松から種を取った次代の松も育成中とのことですが、延命治療にベストを尽くしているところだそうです。

それにしても、高さ27m、幹廻り11m、枝東西72m・南北86mもある巨大な霊松の実物を見てみたかったものです・・。残念なことに大正10年に枯れてしまったそうですが、もし枯れずに現存していたら、昨年初めてお袋を連れて訪れた・・というような事にはなっていなかったのでしょうね。もっと早くに訪れて(子供の頃にでも見に行って)、「大津(唐崎)には途方もない大きな松があるんや・・」ときっと自慢していたのでしょうから・・・。

 

 

 

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