宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

ガン告知の日、なぜかハレルヤを口ずさんだ、という話。

2015-03-03 10:25:37 | 瞑想にまつわる能書き
3月になり、相変わらずの状況に、時折、気分がダラーーーン、と急降下する。
そういう際は、チコたんを抱っこして散歩。
キッチンでケーキを焼く。ケーキを焼こうとすると、引退した焼き菓子の大家、チコ母が
出てきて、あれこれ指導がうるさくて(笑)、作りたいものが作れない。
チコ母、コントロールフリークなんである。
が、わたくしは居候の身。「ははぁ、さようでございますか。」と指導を受け入れるしか
無いっすなあ~。
ので、チコ母がヨガ教室に行ってる間に、サササッとケーキ焼いたりしている。


聖書の学習会。学習、つうても専門家が混じってるわけではないので、聖書を音読して
感想を語り合う会。ので、あまり深みには入らない(笑) 私的には、ちょうどいいのだ。
学習内容は、先週から「Romans」日本語では、ローマ信徒への手紙、ですか。
聖パウロが、ローマの信徒へしたためた手紙集、である。
パウロは英語ではポール、ですね。この人、元々、ユダヤ教の法律学者で非常に優秀だった
そうで。法律学者、つまりユダヤ教の教義に関する専門家だったわけです。

当時、新興宗教だったキリスト教を、ポールは徹底的に弾圧していくのですが。
もともと非常に優秀なポール、キリスト教を弾圧しながらも、その内容に惹かれていくわけです。
で、有名な「ダマスカスのデキゴト(パウロの改心)」と相成るわけで。
その後、非常に熱心に精力的に不況活動を続けていくわけです。
幾度の弾劾に会い、投獄されても、パウロの情熱は少しもひるまなかったようです。
宗教、ですねえ~。

私は、こういう熱狂、パッション、信仰に憧れる。そうなってみたいといつも思う。
その対象が異性であったり、仕事であったり、宗教以外のものに熱狂してみようとトライしたが、
飽きちゃう(爆)というか、そもそも、そういったものは、信仰や熱狂の対象にならないのだ。

盲目的になってみたい。
盲目的、とは外側からの視点で、盲目になってる人は、盲目だとは感じないだろうし、ずっと盲目だったら、
それはそれでOKである。要は、ハッピーならどうでもいいのだwwww

そういう盲目的な深い信仰を、英語でFaithというのか。
日本語訳は、信仰心。信じる? なんか違うんだよな。FaithはやはりFaith、でしょう。


ローマ信徒への手紙、の最初に「Faith」について書かれた章がありんす。
その辺を、聖書学習会の主婦とお勉強しているとこなのですが。
会員の一人に、乳がんで手術をして、放射線治療が残すところ1回、という人がいます。
その人が、
「あまり他言していないの。理解する人は少ないから。」と前置きして、経験談を語ってくれた。


2年前、乳がんの疑いがあり、生体検査の結果を御主人と病院に聞きに行った。
朝の10時。 その病院は、繁華街に面しており、駐車場が見つからない地域で有名なとこ。
(病院専用の駐車場は無い。病院は雑居ビルの低層階にある)
奇跡の如く駐車場が見つかったそうだ。時間通りに受付に行ったものの、担当医が急用で不在との
ことで、家で連絡待ちとなったそう。

彼女は家に戻る。押しつぶされそうな不安。しかし、気を取り直して、洗濯を始めたそうだ。
洗い終わった洗濯物を、乾燥機に突っ込みながら、なぜか歌いたくなったそうだ。
彼女は滅多に鼻歌なんか歌わないそうで。そんな彼女が、唐突に歌を歌う。歌った歌は
「ハレルヤ」
そして、しっかりと声が聞こえたそうだ。

「何が起ころうとも、貴方は大丈夫だ。安心しなさい。」

乾燥機に洗濯物を突っ込む作業中。 しばらく唖然としたそうだ。そして、妙な安心感に包まれた、と。
その後、病院からの病理検査の報告も忘れてしまうくらい、日常のイロイロをフツウにしたいたそうだ。
そして、午後7時頃、担当の女医から電話があったと。
電話口ですすり泣く女医。ああ、ポジティブだったんだな、と淡々とした気持ちで受け止めたそうだ。
私は大丈夫だから、と泣き続ける女医を励ましたそうだ。
そして、手術、放射線治療、と治療が進んでいる。結果は、良好だと言っていた。


そんな話を聞いた後に、ローマ人への手紙を各自音読する。そして感想を語り合うのだ。
私は信者ではないのでwwwwあまり話さないけど。
ローマ人への手紙の中に、アブラハムのくだりがある。
人はひとりとして、完璧なものはおらず、また、全ての人が罪を背負っているものである、と。
んで、キリスト教的に、信じるものは救われる、みたいな事が書いてあるんだけど。

アブラハムは子供が欲しかったが、子宝に恵まれずに100歳になる。妻のサラは85歳くらい?
でも、神を信じる、Faithを持つアブラハムには、子供が出来るのだ。
聖書の中で、処女懐胎と同じくらい「まじですかー?」の逸話である。
その奇跡の子供、イサク、を神は「いけにえ」に捧げよ、とアブラハムに伝える。

Faith,とは何か。
それをこの会員のハレルヤとアブラハムの逸話と、拾い読み中の聖書と、
しょうもない雑学とが渾然となって、


そうだったのかー!


と相成った。
簡単なことだ。
私の中にも、探せばある(笑)探し方が間違ってたのか。 機が熟してなかったのか。
こういうのは瞬間で押し寄せるものである。
ああ、確かに。今の私の存在って、

私の祈りの結果そのもの。

だと実感したのだ。
それ以外、考えられない。
Faith、ってヤツである。

そうか。
インプットを変えれば、自ずとアウトプットも変わるって事だ。
ま、インプットしたもの=アウトプット、なんだしさ。


という短絡的な水平思想の私は、Faithをインプットしようではないか、と。
もう、盲目的でも妄信でも何でもイイ(笑)
私がソレを望むなら、ソレはそソレでOkなんである。
そして、それが、たぶん、唯一の道かも知れないんである。



ってな話を、聖書の学習会から帰って、嬉々としてチコ母に報告。
チコ母いわく、
「んじゃあ、アナタ、神がチコをいけにえにせよ、といえばアナタはチコを捧げるの?」
私「もっちろん! それが神の指示ならば、喜んで従います。での、アナタ(チコ母)の
指示だったら、ゼッタイ、従いません。」
二人で大笑い。










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