宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

ビッパサナ瞑想合宿から1ヶ月

2015-05-31 12:51:41 | 瞑想にまつわる能書き
さて、5月も終わる。
瞑想合宿から1ヶ月経過。



↑ 宿泊部屋から見た、瞑想ホールの建物。
屋根は、駐車場のもの。これと連なって、瞑想ホール。というわけで、部屋から30秒で瞑想ホールへ。


毎日散歩した中庭。 男女別にきっちり区分されており、女性はこの中庭。男性は、上の部分。
案外、幸福な気分にさせてくれた、静かな庭。




デーツの木が元気に育って、いい感じ。








隣のファームから、黒ヤギさんも遊びに来た。




毎朝、こうして掲示板を覗く。
これだけが、合宿中に目にする文字wwwww





うわさのイケメンと私の食事メイト、クリスチーナ。





早朝の瞑想は、ほぼ日課になっている。
お通じのためのミューズリー朝食も続いている。
瞑想合宿のあと、朝食以外は食べなくなった。 大量のミューズリーを摂取してるせいか(笑)
お腹が空かない。ので、食べる理由がないのだ。


何かが変わったかどうか、は比較対象が無いのでわからない。
ただ、急に就職活動が活発になったのは、確かだ。
大富豪の料理人の仕事は、内定を書面で受け取っているので、確定。
条件もなかなか。


なのに。
さらにいい条件の話が舞い込んできたりして。悩むところである。
チコ母は、事務職の仕事に戻るな、と強引。
F&Bの友人は、「そりゃあー、奴隷の仕事だ!」と断言し、他のオプションを探してくれたり。


私はアルメニアに戻って、荷物をまとめなくちゃいけない。
しかし、まとめた荷物をどこに送る?
仕事が決まらないと、どうにもならなかったりして。
荷物も、いっぱいあるしなあ。

瞑想合宿の雑念は、ほとんどが引越し関連であった。
考えるだけで疲れる引越し(涙)


しかし。
これだ~! という仕事が、特に無い。それが、こうして迷いを引き寄せているのだ。
いずれにしろ、何かに決まりそうではある。





奴隷と思えば、奴隷。クリエイティブと思えば、そうなる。かな?

2015-05-20 12:58:43 | 瞑想にまつわる能書き
苦節7ヶ月(涙)
やっと無職のプレッシャーから解放される運びとなった。


熱心に求職活動をしていたわけでもない。
ネットで応募していただけ、である。
どうやら、この都市は口コミでの仕事の斡旋が、案外、多いらしい。

潜在的な転職希望者は、とても多い。住民の殆どが、海外からのいわゆる出稼ぎ、
なので、ちょっとでもいい給料へ、みんなせっせと転職しちゃうのだ。
お金を稼ぎに来てるんで、アタリマエといえば当り前。

人間関係のネットワークが無いに等しい私としては、慌ててもしょうがないので
せっせとネットの転職斡旋業者のサイトにアプライしていた。
で。
全然、反応無かったんだよねー。 3月のこの仕事の面接依頼が来るまで。


不思議なもので。
この面接が舞い込んでから、急にいくつかの仕事のオファーが舞い込んできた。
11月の末から4月までの5ヶ月、なんの動きも無かったのに、である。
波、ってやつがあるんだな、と思いました。


先日。
二度目の実技面接を終え、海苔巻きの出来にケチをつけられる(笑)
まあね、確かに。完璧ではないし、裏まきなので、切り方も難しいずら。
面接官のエライいおじさんに、

次回は、社長に対して料理を作ってもらいます。あなたは、ちょっと手が遅い。
社長の場合、時間厳守が基本なので、次回は、全部、家で作ってきてちょうだい。
海苔巻きも作って持ってきて、ココで切ってちょうだい。
ソースもぜーんぶ、作ってきてね。
ココでは、あっためるのとステーキ焼くだけにして。
コンテナ(入れ物)が無いなら買ってね。お金の事は一切、考えないように。

と言われたのだ。
手が遅い、ってあーた。 野菜をぶつ切りにして鍋に放り込んでグツグツ、という
料理じゃないんですけど、私の場合。
ソースだって、玉ねぎを45分以上炒めて、それから、それから、なのよ。
キューブも出来合いソースも一切使わないんですけど?
まったく。 失礼しちゃうううう。

2回目の実技面接の際、キッチンヘルパーのインド人に言われた。
「あんた、採用されるよ。」
私「なんでー?」
「2回料理を作りに来た応募者はいなかったから。みんな1回だけだった。」
私「誰が来たのー?」
「インド人2人、カレーを作ってた。そしてフィリピン人も来た。」
私「ふーーーん」


2回目の実技面接には海苔巻きがあって。シドロモドロ(涙)
他はよかったけど、海苔巻き、もーちょっときれいにできないの?
細部にこだわって、パーフェクトなものを生産するのが日本人の特技でなかったっけ?
とかインド人に言われちゃってさ。
まあ確かに。素晴らしい海苔巻きでも何でもなかった。美味しいんだけどね。


2回目の実技は木曜だった。
金曜、土曜の週末をはさんで、社長に対する料理実技面接は、翌週になる、と言われていた。
日曜(週の最初)に日程を連絡する、と言われた。
金曜は、それなりに海苔巻きを練習し、社長実技面接に「すし屋で出てくる
海老のダシの味噌汁」用に、海老の殻でダシとって、冷凍したりしていた。
クーラーボックスって、低温をキープできないんで、結構、痛んじゃうのだ。

そして。
またも、日本人の本職の和食の人に、無理をお願いして個人レッスンを設定して
いただいた。それが土曜日。
土曜日の午後にレッスンを受ける。
相変わらず、達人の技は凄いし、知識も経験も、素晴らしすぎ。包丁さばきなんて、
私が料理の仕事してるのが、恥ずかしかったっす。比較になりません。

日曜は、オマーンへ国境越えて、すぐUターンする「ビザトリップ」の予定が入っていた。
朝7時のバスで家を出て、どっかのモールで集合。バス会社の手配したミニバスでオマーンへ。
まあ、9時出発、午後2時には戻ってこれるのですが。
かったるいビザトリップから戻ったら、歯医者の予約。
で、私は歯医者に向かって地下鉄の人であった。

そこへ面接してる会社の採用担当から電話。
「えー。急ですけど、明日、朝7時に当社のキッチンに来てください。社長は昨夜、
ロンドンから戻り、週末に米国へ発ちますので、明日しか時間がありません。」

ええええ?
そんな急に言われても。
明日の朝6時に家を出ないと、7時に到着できない。
で。
買い物も相当あるし、全部作ってこいって言われてるし。
もう、午後3時じゃん???

慌ててチコ母に連絡し、時間があるか確認した。
一度家に戻って、買い物リスト作らないと買い物にもいけない。
スープ3種、メイン3種、海苔巻き2種、デザート。
私の料理は、見た目を重視してるので(笑)飾りつけに気を使ってまして。
よって、食材も相当、多いんですな。


慌てて戻って、リスト作って、チコ母と高級スーパーへ。
いいものを使え!と言われてるし。
海老なんか、自分用には間違っても買わないような金額。
私は通常、1キロ1500円くらいの海老買ってるけど(安いほうです)、高級スーパーは
ブラックタイガーのでかいのが、キロ6000円(爆)
そういう感じでお買い物して、レジでびっくり! お買い上げ500ドル超え。
そんな所持金持ってるはずもなく、チコ母に借金しました。
(材料費は会社に請求できます)

買い物終えて家に戻ったら、もう6時過ぎ。。。。。


それから、怒涛の料理つくり。
あれもこれも。
野菜切らなきゃ。
スープの浮き身も。
サラダの野菜を洗って冷やして。
あれもこれも。

12時を廻っても、まだ、きのこスープしかできていない。
夜10時ころ、足りない食材を買いに、近所のスーパーに徒歩で行ったが、工事中で
往復に1時間以上かかったりもして。

あれもこれも。
寿司つくんらなくちゃ。一番最後に作ろう。
なんて考えながら、いろいろ作成。
前回の実技面接のため家で練習した際に作ったカレーペーストがあった。
ラッキー。これ使っちゃおう。

足が疲れてきたら、寝転がって足を上げてぶらぶら。数分の運動で、確実に
足が軽くなる。

午前3時。炊飯器にスイッチ。
ご飯が炊けるまでに、寿司用の卵焼きつくろーっと。
きゅうりも切らなくっちゃ。

なぜか、ご飯は素早く炊けて。まあ、すし飯だけ作っておこう。
時間の経過が以上に早い。
海苔巻き作成は、午前4時半を過ぎていた。

だんだんあせってきて、海苔巻きがテキトーになってしまった。
海苔巻き用のエビフライ。もちろん、自分で作ったけど、海老がでかすぎ(笑)

もう、どうでもいいような気分で海苔巻きをつくる。
ああ、ここでストップ。シャワーしなくちゃ。 午前5時半。
よかった。
夕方にアイロンがけしといて。

さっさと支度が終わるころ、迎えのタクシー到着。
朝のコーヒー飲む時間もなく、チコ母に見送られてタクシー。
忘れ物は無いよね?、まあ、あってももうしょうがないわい。



そして、会社のキッチン。
全部作成済みなので、する事がない。なぜ、7時に来い、なんて言うかな?
なんてことをブツブツ考え、運んできた料理を鍋に移したりしていた。
キッチンの火力はプレート。熱くなるのに30分以上かかるので、最初に
火を入れて、大なべを乗せていた。 ふつう、レストランのキッチンって、1個は
大なべにお湯がグラグラしてるもんじゃなかった?
監視?要員の会社の人が、「これは何だ?」と聞いてきた。
ので、「コマーシャルキッチン(業務用キッチン)では、こうして湯を沸かしてる」
と教えてあげた。


試食会は、1時半開始。時間厳守、だそうだ。
時間が迫る頃、ほとんど準備完了。サラダは器に盛り付け終了し、ラップして
冷蔵庫で待機。
スープ3種も火入れ済。付けあわせ各種もスタンバイOK。
あとはステーキ焼いて、海老を焼くだけ。



私の「千切りサラダ」は、にんじん、きゅうり、大根を千切りにして、ひじきも混ぜて
中華ドレッシングであえただけ。
これが、非常に評判が良い。誰でも作れるもんで、料理というほどのものでもないが。
ドレッシングは、もちろん自家製。
私の実技の監督官が、残りをガツガツ食べていたwww うまい、うまい、と。

社長に対する試食でも、このサラダだけは、社長兄弟とも皿を下げずにテーブルにキープ。
ずっと食べていました。
ほほぅー、こういうメリハリのある味がお好きね。

なんつうか。
典型的な和食、はダシと素材の調和から構成されてるような気がする。 食感とか。
インドカレーは、基本、グツグツ煮込むので、スパイスの魔法(爆)が主なセンセーション。
和食にある食感のバラエティは、ないと思うのだ。
和食は、しっとり、カリカリ、ねっとり、さっぱり、ほっこり、しゃっきり?、とろとろ、と
いう感じで、食感が豊富、でございます。

私が思うに、カレーを主食のインド近隣のみなさまは、こういった食感が、そんなに発達して
いない気がする。ので、そうめん、とかざるそば、ってパンチが足りないので人気がない。
のどごし、の意味がわからないのでしょう。
そういう私も、ざるそばの美味しさ、わかんないんだけどさ(笑)


そして、頼まれもしないのに、デザートも持参。社長面接、ですから。頑張ってみようかと。
持参したのは、私が20年くらいまえにテキトーに編み出した「マンゴームース」。
これがねえ、めちゃうま。自画自賛しますけど、誰に出しても絶賛でございます。
今はマンゴーのシーズン。
インド人で、マンゴー嫌いなんて存在しないのだ。
インドのスイーツ、ってのはオーブン使わない。 上げる、煮る、混ぜる、のみ。
スパイシーな食事のあとのデザートは、甘さの絶頂、という感じで甘い。
私はまったく美味しいと思わないが、インド人は、みんなスイート大好き。

インドのスイーツの主役は、粉と乳製品とナッツ。フレッシュフルーツは使わない。
ドライフルーツが時折、登場するのみ。
そこへ、「マンゴームース」で、ホームランを狙いましたよ、わたしゃ(笑)


私は、いかんせん、社会人生活が長いため、仕事となると、どーしても戦略的になって
しまいます。最期のマンゴームースが印象的であれば、たぶん、このプレゼンは成功。
なので、お菓子は作らなくていい、と言われてたのにもかかわらず、持参したのだ。

私のマンゴームースは、マンゴパルプ、というマンゴーをすりおろした、というか潰した
ペースト状のもの(缶詰で販売されております。インド人用スーパーでしかゲットできません)
に、生クリーム、ゼラチンを混ぜてミキサーでガーっと一発。
料理、というか混ぜるだけ、なんであある。
他の友人が、「ムース、ちゅうかパナコッタでないか?」と言っていたが。

このマンゴーパルプが、素晴らしい。インドマンゴの王様、アルフォンソ、を使用。
生で美味しいマンゴを、そのまま、皮むいて潰しただけ。
生クリームは、ミキサーで攪拌した際に、空気の穴、エアリーな感じと、スムースな口あたり
のため。
ゼラチンは固めるため、でござんす。


試食面接が終了したあと、そのまま社長室に連れ去られる。
「美味しかったです。ありがとう。採用が決定しました。」と社長から直接伝えられました。
その後、あなたは輝かしい履歴書をお持ちだ。なぜ、180度違う料理の世界に進むのか、という
質問を受けた。



私はずっとフォーブスのTOP500の会社、日本でも名だたる企業に勤務してきました。
そこで優秀な社員のみなさんから、多くの事を学びました。世界のトップランナーである
日本企業に勤務し、その優秀な社員を生み出す社風に触れることができたのは、光栄である
と思っています。

人生の残り時間が少なくなったと思った際、自分の人生はこれでいいのか、と自問自答しました。
そして、子供の頃から好きだった料理の世界を、最後のキャリアにしよう、そう思ったのです。
幸いにも、高級レストラン(でもなかったけどwww)でコンサルタントの仕事を請け、また、
アルメニアでレストランの経営を3年経験できました。

そこで、なぜレストラン経営を辞めたか、と質問された。


3年頑張りました。しかし、アルメニアの経済情勢は一向に改善せず、悪化する一方でした。
中期(2年から3年)の展望も極めてネガティブで、残念ながら撤退を決めました。



そして、その後、採用担当者から書面にて、正式に採用内定、を受け取ったのである。


この仕事、住み込みなんだよねー。
もう、奴隷、という単語が頭から離れなくて(爆)
友人にも奴隷、奴隷って言ってる自分。

ちなみに、この会社、インドの「岩崎家」。三菱商事みたいな大貿易会社。
会社創立は、東インド会社(笑)時代にさかのぼる。創業200年、というかんじ。
インド最大の、食品貿易会社。
今年の初めの、オバマ大統領のインド訪問の際も、政治家に混じって、オバマ大統領を
迎えうけた人々に入っている。


でもな、ある意味、実力で勝ち取った仕事、である。
飲食業界の友人も、「自信を持ちなはれ。あなたの料理は最高に美味しいから。それに
料理以外のマネジメントも素晴らしいからさ。だいじょーぶ。」というけど。

私の中で100%の「やっほー!」ではないのだ。
奴隷、ドレイ。
この単語が脳裏にこびりついているのである。








ビッパサナ瞑想 第7日目~10日(最終日)

2015-05-16 09:50:22 | 瞑想にまつわる能書き
おお! 5月も中ばを過ぎたじゃなーい?
昨日は、チコ母友人夫妻が、アブダビからやってきた。 奥さんのほうが、チコ母と
瞑想合宿で同室だった人。マレーシア系のアメリカ人である。というか、マレーシア人。
米国に留学して、就職、で国籍取得した人。 チコ母にものすごくなついている(爆)
チコ母もそれを承知して、微妙にはぐらかしている。チコ母は、そういう「間」のとり方をする。
ので、ほんとうに関心が無い人は、どんどん離れていくwwwww いいんだか、悪いんだか、私には
わからんばい。

その人には、瞑想合宿後、はじめて会った。
開口一番、「あー!痩せたー!で、何かが変わったわ!」と言われた。
何も変わって無いよ、と素っ気なく答える私。 何も変わってないのは、事実である。

この客人相手に、海苔巻きを作る。 美味しいけど、見た目がチョッと(涙)
私は「裏まき」ってヤツを名人から学んで作成して、実技でも裏まきを作ったのだが。
海苔が巻いてないので、どうしても最初の包丁入れた際に、米粒が浮くわけよ!

寿司マスターに学んで、やっぱり!押し付けて米粒が潰れた海苔巻きは作れないのだ、と
いうと「両方作って味比べをしよう。」となった。
押し付けて固くなった海苔巻き、それを友人は「こっちの方が、嚙み応えがあっていいわ!」

・・・・・・・・・・・

その後、スッパリと海苔巻きが切れない私を見て、チコ母がトライしたいという。
とんでもなくギュウギュウと寿司米を押し付けていた。でも、海苔巻き(海苔が外側)を
巻いてたけど、やっぱ、切れないねえ~。 柳葉使っても、そんなにホイホイ切れないのだ。
海苔巻きと瞑想は、奥が深いのだ(笑)

その後、客人もトライしたいという。
もう、とんでもなくグチャグチャで、海苔巻きの神様の怒りを買いそうwwwww
みなさん、見た目簡単な海苔巻き。自作してみて、この困難さを理解した模様。


明日。 寿司マスターに、再度、強引なお願いをして、海苔巻きの個人レッスンである。
なんとか、見た目が「おおお!」って程度までにはいかないとねえ。


インド人はみんなカレー作れるし、毎日カレー食べてるけど。
日本人は毎日、寿司なんか食べないんだよー。
それに握り寿司とかは、すし屋で食べるのが一般的なのよー。
とグチりながらの海苔巻き練習。 なんか、フツウの太巻きの方が、きれいに作れるなあ。。




7日目

1週間経過。瞑想合宿中は、自身の変化も何も感じなかった。寝落ちも相変わらず多かったし、瞑想を楽しむ気分も浮かばなかった。ブレイクのたびに、自分の座椅子と、たくさんのクッションをああでもない、こうでもない、と置き換えていた。
こうして満足に瞑想もできずに全日程が終わったら、結構、残念かも知れない、とか思うようになった(笑)

一方で、休憩時間に庭を歩きながら、奇妙な満足感に満たされたりしていた。毎晩楽しみにしていたゴエンカ師匠の講話を聞きながら、「ん?私の進んでる方向って、案外、正しいかも?」とか思うようになったりすて。
ゴエンカ師匠は、やたらと「悲惨な人生」という表現を使用していたが、私は、確かに人生は手ごわい部分もあるけど、それが人生であって、苦しみでさえ、人生のデキゴトもひとつと思えるようになっていたので、「そんなに悲惨?そうも思わないけど?」とか思った。ゴエンカ師匠は、瞑想テクニックを身につけて、悲惨な人生から脱出せよ、と繰り返し語っていたのである。

苦しみはノーサンキューだけど、人生、甘い蜜オンリーつうのも何か足りないような(笑)苦しみもあってこそ、人生なんではないかと思う自分に多少、驚きもしたりして。
あらー、自分ったら、苦労好き?(笑)或いは、苦労が多くて苦労慣れした?いやいや、この瞑想の主題は、そういった観念を解放することにあるのだ。苦労でも悩みでも、ヨロコビでさえ解放してしまえ!と。幸福、という状況があれば、そこに留まりたいと言う執着が発生する。人生は変化の連続であり、生まれては消える宿命に満ちている。幸福でさえ、短い命で消えていくものなのだ。そこにしがみつくと、執着が生まれ苦悩が発生すると。


ある日、私は先生(瞑想の際に前に座っている人。当然、ゴエンカ師匠ではない)に質問してみた。
「日々の瞑想で、体感を解放する事を実践しております。このテクニックは、今はカラダの表面に感じるセンセーションを感じ、観察することをしていますが、当然、ココロの感情にも対応しますよね?」
先生「その通りです。」
「では、5感で感じる全て、幸福までも解放した場合、何が残るのでしょうか?私はなんつうか、全てを解放してしまうと、生きる意欲さえ解放してしまうような不安があるのですが。」
先生「純粋性、が残ります。」


ああー。そうだ、そうであった。純粋性(ピュアネス、と言っていた)。確かに。人間のエゴで計り知れない何か、そういうのを持っていたんだっけ。感じたことないけど(笑)この日々のざわつき、湧き出る感情を解放していかないと、そこに辿り着けない、つうことをお釈迦様は教えたかったのかも。

瞑想に成功したとは全く思っていないが、こうした刺激の無い環境の中で、確かに自分のゴチャゴチャとした雑然とした脳内を確認するには、良い機会だった。

同時に、昔、ずっとトラウマだった出来事が、人生シドロモドロしながら進んでるうちに、結構、納得できて、もはや、トラウマでなくなった事を改めて確認した。
そのせいか、10日間の瞑想中、昔の自分の記憶が殆ど出てこなかった。多くの人は、過去の記憶がいっぱい出てきた、というが。私の場合、過去の傷が傷ではなくなったか、あまりに頑丈な自己防衛本能が働いて、出てこなかったか(爆)だと思うが、たぶん、前者だと思う。なぜなら、私は苦悩の原点と思っていた家庭環境にも、いつの間にか感謝するようになったし、イバラの道(笑)を乗り越えてきた自分も、偉い!と思うし。

両親に至っては、既に他界してしまったせいか、感謝の気持ちしかもうない。最近、FaceBook経由で、大昔の友人たちと交流がある。驚くことに、私の世代だと殆どの人が「認知症」の両親の介護に追われている。人によっては、仕事も辞めて、介護中心の生活をしている。

友人Bもその一人。今は、物価の安いタイで、オーストリアから母親を連れてきて同居している、日々の世話はタイ人のヘルパーがしているそうだ。母親は、時間の概念さえ忘れ、過去も殆ど記憶にないし、自分がオーストリアを離れてタイにいるのも理解していないそうだ。
友人Bは、「今の母親は、私が記憶している母親とは別人。」と言っている。厳しい母親だったそうだが、今は「しあわせな老女」らしい。何も記憶が無くて、心配事も無いから。


私の両親は、相次いで他界。認知症になることもなかったし、私たちきょうだいの犠牲(という表現は正しくないかもしれないが)は最小限であったし。いわゆる「他人に迷惑をかけない」という、特に父親の口癖だった、がそれを実行した最期であったのだ。

私が親孝行をできたか、とかはまた別問題で(笑)古いタイプの家庭だったので、ありがとう、だとか愛してるとか、言葉に出すことははばかれたが(笑)私の感謝の気持ちは、きっと、両親に届いていると思っている。

たぶん、そういう「役割」だったんだと思う。私の両親は、それをキッチリと演じきったと思っている。私たち子供たちは、それぞれに違った受け止め方をしている。こういう話はなんかタブーなのできょうだい間でしたことはないが。私に限っては、「家庭」という人間にとって最初の人間関係で、かつ、最小限の人間社会が消して甘いものでなく、強さや忍耐を強いられた状況であったことが、今の自分の根底を成していると思っている。環境がある程度までは、人をつくるのだ。


私は自分に対して、相当に批判的で、それゆえ絶対的な自信に欠け、ヒトサマに何かを求めるような人生であった。足りない何かをヒトサマに埋めてもらわないと、自分では埋められないと思っていたのだ。だから、結婚願望が強かったのだね。
もう、そんなことはどうでもいいや、一人でも全然困ってないしな、と思うようになった頃、私の「絶対的自信の欠乏症」が癒されたのかも知れない。案外、満足してるよな、とか、頑張ってきたよなー、とか、かつてなかった感想を自分自身に対して感じる様になったのだ。

無駄な抵抗をさんざん継続してきて、力尽きたのか(笑)、ああ、こういう人生のシナリオだったんだな、と「客観視」できるようになってから、いろんなものが、どうでも良くなっている。いい感じで、「どーでもいいや」なんである。



8日目
この日、私の瞑想合宿のいっちばんの日。毎日、10時間近く瞑想しようとしながら瞑想できていない。もう8日目じゃないか。このままじゃ、なんかサビシイつうか、何しにココまできたのよ?居眠りしに来たのー? という焦りにも似た感情が沸いて来た。

そして、瞑想できない理由は「姿勢」が原因ではないか?と思い、座椅子を取っ払ってみた。座椅子を使用していたので、たくさんの座布団を使用していたが、それも取っ払ってみた。



えええーーー?



もちろん、ロータスポーズには遠く及ばないが、座布団、座椅子のサポート無しの方が、全然、背骨がまっすぐになるじゃん?それに、思った以上に、楽々座っていられるし。
なんてこった! 私、座れるじゃん????

もうー。もっと早く、できれば、最初の日からこうしておけばヨカッタ。あああああ。
驚いた。ちゃんと座れた。背中もまっすぐ。座椅子が無くて寄りかかれないと、居眠りしない、というかできない。まさか自分が座れるなんて? ああ、私はいつものように自分を過小評価していたか?どーせ私はできないんだからさ、って。
まあ、毎日10時間も座って8日も経てば、ある程度、筋肉も緩んだのかもしれない。



こうして画期的な発見?によって、私は1枚、1枚座布団を解放?し、最終日には薄い座布団1枚で瞑想していた。
小さなサポート座布団だけはとっておこうと思ったが、ちょっとしたサポートでも、数分後には不快になる。バランスが取れなくなる。が、最初、多少痛くても、サポート無しで座っていると、カラダが勝手にバランスを取ってくれるのだ。
知らなかった。カラダってこんなにカシコイなんて!

座る姿勢は画期的に向上したものの、相変わらずの妄想三昧。でもね、いいの。こうして座れる事が発見できただけで大違い。 私が瞑想に積極的になれなかった理由は、カラダが固くて座れなかったから、なのだ。ちゃんと座れるようになった今、瞑想をしない理由は無くなった、のである。


合宿も残すとこ数日、と思うと、なんか全てが愛おしく思えてきた。この朝食のミューズリーとオールブラン、街に戻っても継続しよう。毎朝、トイレに通える幸せ、は計り知れない(笑)バナナものっけてね。
私は無職だし(涙)友人もいないので、合宿後にあれしよう、これしよう、とかは全く無い。まあ、おきてくる出来事を観察していく、そんな感じかな。



9日目(この夜に会話が解禁になります。)
この日、ゴエンカ師匠から、瞑想の最後にする慈悲の瞑想、を学ぶ。これはね、私は部ずいぶん前から「お祈り」として実践してるんずらね。

なんだー!わたし、とっくに実践してるがね!と得意満面になっちゃったね(笑)慈悲の瞑想は、「生きとし生けるもの全て」に対する祈り、なんである。私は相当前からこの祈りを祈りの最期に実践している。
チャリティに偽善を感じ、ボランティアに自己中心的な人のエゴをみるような私が、慈悲、ですよ(笑) もちろん、形式的に、言葉だけで祈っていたに過ぎない。と思っていたら。


ゴエンカ師匠の話を聞きながら思った。私は人を恨まないし、心底、怒る事も全く無い。最期に怒ったのは、政府系を退職した時(爆) あれはねー。今でも搾取、詐欺、税金の無駄使い、犯罪、と思うけど。義憤にかられた、というヤツ。
最近、離れていった友人のことも、恨んでもいないし、怒ってもいないし、嫌いでもない。そういう展開だった、という事だけである。人間関係で全く悩まなくなった。もちろん、考えさせられる事はあり、自分の至らなさを感じる事は多いけど。
で、思った。


口先だけ、と思っていた「慈悲の祈り」が、私の中に、なんと、慈悲のココロを育てたんではないか?と。まあ、何年もかかったけどね(笑)


私がこの瞑想合宿で得たものは、こういった感じで「私の選んできた道は、意外に正しかったじゃん?」というヤツです。なんか、ほっとして、かつ、うれしい!

この日、朝の瞑想、朝食。朝食後の瞑想、が最期の沈黙の時間で、瞑想後に会話が解禁になります!
瞑想ホールを出た途端、みんな一気に喋りだす。 私は朝食、ランチといつも隣に座っていたクリスチ-ナに最初に挨拶をする。ランチの時間も忘れて、みんなあちこちでしゃべりまくり。が、私はあまり会話しようとも思わず、寄ってきた人に瞑想の感想なんかを聞いてみた。

私が聞いた全員が、あの朝の奇妙な発声のチャントが気持ちワル~!つうのに深く同意していた。私同様、チャントが開始されると瞑想ホールから逃げ出した、という人もいた。
会話が解禁になり、ほぼ全員が挨拶を交わし、感想を言い合うのだが。思ったねえ~。10日間も毎日顔を合わせ、会話しないけど、その人の着てるもの、髪型、肌の色、体型、年齢等、「見える範囲」を材料に、人物像を勝手に作ってるんだなあ、と。

10日間、顔を付き合わせた後に会話すると、全員の印象がことごとく違った。見た目アグレッシブなのに、会話すると静かな人。逆に静かな印象を与えてるけど、会話になると非常におちゃらけ、な印象の人。この「会話してからの印象の違い」も、全員が同意していた(笑)言葉を交わしての印象というものも、案外、いい加減なんだなと思うのであった。



10日間の沈黙の後の会話、は案外、エネルギーを使うのものらしく、結構、くたびれて部屋に戻ると、同室女子2名がいた。 話すと疲れるよね、と同意しながら、今度は3人でおしゃべり。 インド人女子で未婚なので、結婚の話とか、いろいろな世間話。瞑想中に思ったこととかをシェアしたのであった。
この日、瞑想は通常通り。9時に最期の瞑想が終わると、消灯時間を過ぎても同室女子3人でおしゃべり。飼ってるペットの話とか、旅行の話とか、いわゆる雑談。

携帯電話も返却してもらった。 私は特に電話する相手もいないので、もっぱら携帯で写真撮影していた。



10日目

さて、遂に最終日。
10日間の休暇で旅行、なんて刺激まみれのせいか、あっという間に終わるけど。この刺激の無い、隔離された環境での10日間は、非常に長く感じた。

最終日は朝食の後、解散。
ある意味、刑務所の生活のような10日間(笑)コントロールされた世界からの解放は、ほんとうに「シャバに戻る」という気分だった。



昼前にチコ母宅に戻る。ざっと感想を話す。何か目新しい発見とかは無かったけど、お通じが毎朝ある快感を学んだこと。毎日座って、あれこれしてたら、柔軟性がついたこと。なんと、座って静止する事ができるようになったこと、を伝えた。
チコ母は、毎日料理を作っていた私の不在で、食べ物のレベルが急に落ちてしまったことをぼやいていた(笑)
瞑想合宿から戻り、通常の暮らしに戻ってからの数日間、私はこの数日間が、一番、合宿効果を感じた。
通常の暮らし、いつもの刺激、いつもの私の反応。それを「あ、反応してるぞ。」と客観視できる自分の存在に気がついた、という感じ。


瞑想合宿の是非を聞かれたら、私はお勧めなんかしない(爆)
イイとか悪いとか、そんな判断は無いし、行きたかったら、行けばいいし、関心が無かったら、行く必要は全くない。 私はチコ母を含めて3人、瞑想合宿に参加した人を知ってる。チコ母は、瞑想合宿から戻って、しばらくは、その影響の濃い行動をしていたが、3ヶ月経過した今、瞑想を日課に取り入れた程度で、後はあまり変化は無い。私の目に見える変化は無い。
他の2名は、共にラティノで、一人は交流が深かった時期に瞑想に参加してたので、私は彼女が戻ってすぐに会って、感想を聞いたのだ。彼女は「毎食のカレーがまずい」「インド人が同室でいやだった」とか、そういう感想しか言わなかったのだ。その後の彼女も、まったく行く前と変わってなかったし。もう一人は、マルガリータの大親友の男性なんだけど、まったく、変化なんか無かった(爆)私とはそんなに親しくないからか、と思ってたけど。

ゴエンカ師匠は、何度も語っていた。瞑想体験を他人と比較するな、と。確かに。これは、ほんとうに個人的なもので良い、悪いの世界ではないのだ。

瞑想合宿中、私のエゴは何本のバナナを食うべきか、とか、アルメニアの引越し作業のこととか、なんか、どうでもいいことばかりに私の気を持っていこうとしていた。後は、しょっちゅう気にしていた「座り方」。なんとか瞑想に集中しないように、考え事、座り方(全然心地良くなかったので)とかに、気を逸らしていたように思う。

なので、正直、瞑想で「いま」を体験できたか、というと、残念ながら私はできていないと思う。10日間、延べ100時間近い瞑想をしても、私は「いま」を実感する事は出来なかったんである。でも、それもソレ。「いま」は体験できなかったけど、「いま」の体験を阻止しようというエゴの動きは、よーく分かったかwwww それでよしとしよう。

ちなみに、毎朝食、ミューズリー、ランチはヨーグルトの10日間(間食ゼロです)で、結構、痩せたみたいで、みんなからそう言われたので、そうなんでしょう。これも、瞑想合宿の効果、かも知れない。

結論。
ビックリするような事は何もなかった。10日間の「全ての刺激からの隔離」は、場合によっては、素晴らしい結果を生み出すかも知れない。私は何も期待しないで合宿に参加したけど。それなり、ではある。毎日の瞑想を寝落ちしないで継続していれば、確かに、何らかの意識の革命は起こるだろう。

瞑想、とは素晴らしいストレッチ、であり、かつ、非常に活動的な行為である、という事を認識した出来事、でござんした。


おしまい。





海苔巻きが人生を左右する(涙)

2015-05-15 09:01:16 | 瞑想にまつわる能書き
人生には何が起きるかワカラナイ。
まさか、この年になって、今までと全く違った職種で働くことになろうとは、
予想もつかなんだ。

今、私の将来を決定するのは


海苔巻き


なんである。
海苔巻きは美味しいし、好きだ。 いい米も手に入らず、鮮度の良い材料も無い。
ので、海苔巻き無くたって、他に美味しいもんがあるので、私は海苔巻き分野?には
進出しなかった。
が。
たまに日本人主婦が、材料を工夫して作成した海苔巻きを頂くと、それなりに美味しい。
それでも、自分で作ってみようとは思わなかった。

昔。
海苔巻きに挑戦したことはある。が、最期の切る段階で失敗。
ドイツ製の包丁はあったけど海苔巻きを切れるほど、切れ味が良くなくて、切った
断面がギザギザなんである。
それ以降、手巻き寿司は何度も作ったけど(切らなくていいから)

アルメニアの料理店を営んでた頃、数回、特別メニュで海苔巻き出したけど、日本製の
包丁があったので、そこそこ切れたけど、巻き方に難ありで、イマイチ。
家庭の主婦の方が、よっぽど上手。
この辺が、日本食の奥の深さ、である。
イタリアンとかフレンチなら、レシピを見れば、それなりに満足するものは作れる。
日本食も、煮たり炒めたりするものはどうにかなるけど、「技術」を必要とする寿司
一般は、そうもいかない。

それに、寿司の関しては日本で経験してきた「アタリマエの寿司」が根深くインプット
してあり、そこらへんのなんちゃって日本食屋で目にする、ご飯が餅状態にまで
圧縮された寿司、なんて論外で、寿司といえば、あの暖簾をくぐってカウンターで
頂く「寿司」が寿司なんである。
シロウトの私には、無理無理。


自業自得と言いましょうか。
私は現在、面接が最終段階まで来ている。
策略家の私(笑)は、面接に向かった会社の受付のパキスタン人に、お調子者を装って
笑顔で「どういう人が今までに面接に来たか。」と探りを入れてあり、競争相手の概要を
把握し、こりゃー、どう考えたって、私がダントツ一位でしょう(爆)と、自分の優位
さを確認した。

今は料理の実演段階、である。 企業の「研究キッチン」というキッチンでの調理。
道具があるようでないキッチン。会社の施設なんでしょうがない。
実演は、準備を入れて5時間。 8品目を作るのだが、私は出来合いのキューブやソース
を使わず、一から何でも作るので時間がかかる。
まず最初は、鶏を1羽解体し、その骨でストックをとるとこから始まる。
そして野菜をカットして準備に入る。野菜をカットする段階で出る野菜クズは、全部、
この鶏ストックの鍋に放り込む。
そしてグツグツ煮込めば、素晴らしいストックができるし、台所にごみも出ない。
きゅうりのきれっぱしや人参のはしっこ、レタスの外側の葉っぱまで全部、ストックに
放り込むのだ。


自業自得なのは、メニュ。
スープ、前菜、メイン、を各々2品ずつ、という指示があるのみで、後は内容は自由。
よって自分でメニュを作った。
これを2回、実演するのです。

採用する相手は、私に日本食を期待していた。それは話を聞けば、良く分かる。
この辺でも日本食は大ブーム。 ロンドンを拠点にした高級日本食レストランとかが
軒並み進出している。
寿司をメニュに入れれば、どんどんオーダーが出るので、中華料理屋でも寿司を出す
ような寿司・日本食ブーム。
かといって、寿司とはいっても生の魚を食べるまでには至らず、せいぜいサーモンと
ツナ程度である。
よって、寿司=海苔巻き、なんでございます。

寿司ブームは、日本人が考えもしないようなビックリ寿司を生み出した。
海苔巻きを切る前の長い状態でテンプラにしてしまうとか! 揚げた後に切るのね。
茹でた人参が彩りで入ってるのは、もはやフツウ。
クリームチーズ、牛肉のシチュー(肉のみ)、切って並べた海苔巻きの上に、山の
ようなマヨネーズ、或いは照り焼きソースがかかったものとか。

そして主流は「裏まき」というご飯が外側のアレです。


メニュを提出した際に、日本食が無かったため(笑)なんか、入れろと言われて。
味噌汁を入れたwwwwら、メインで入れろと。
で、チキンの野菜巻きを入れていた。
私の提出したメニュはOKが出て、私は練習を開始していた。

というのも、ネットで作れそうなもんをピックアップして試作メニュを作ったので
作った事ない料理が多かったのである(笑)
家庭料理というより、高級レストラン風の「見せる料理」の方向を選んだのだ。
なぜなら、料理のポーションは小さめに、と言われていたから。
審査員はインド人(爆)なので、しゃれた洋風料理は、きっと良くわかんないだろー、
という読みがあった。

私のこの読みは大当たり!
チキンのポワレ、パッションフルーツソース、なんてのは、必ず美味しいのだが、
インド人は、パッションフルーツとバルサミコ酢のリダクション(煮詰めた)ソース
なんて食った事ないのだ。
って、私も食った事ないのだが(爆)

チコ母とその友人をテスターとして試作廃止。
チキンのポワレ、もネットで検索して、冷たい油から焼く、焼く際に上に重しと
してフライパンの小さいのを乗っけて、平たく焼く、とかね。
やってみたら、皮パリパリでいい感じ。
成功、成功。 ソースも甘酸っぱくて美味しい。このソース、隠し味に蜂蜜を入れる
ので、奥深い味わいになる。


チコ母に、チキンロールって何?と聞かれ、照り焼きチキンの中に野菜が入ってるもの
と言ったら、「つまんないじゃない、それ」。
確かに。
しょうもないかも。 
で、幸いにメニュには詳しい説明してなかったので、照り焼きチキンロール、は
照り焼きチキンの海苔巻きであある、と相成ったのである。

これが自業自得(涙)


私自身は、日本の米を滅多に食べないので、たまに食べると粘り気多いので、お腹の
底にくっつくような感じがして、量が食べれない。
実際、今の段階では、もう散々、海苔巻きを試作しているので、私はシャリの味見は
するけど、完成品を食べれない。
もう、海苔巻きを体が拒否しているんである。

もったいない教のチコ母、食べもんを粗末にしない人であるが、そのチコ母でさえ、
「もう、寿司はいい。あと数年は食べたくない。美味しいけど重たい」とな。


他の料理に関しては、どうにか誤魔化せる。いやごまかしでなく、応用ができる。
それは、幾多の料理番組で蓄積してきた知識である。
昨日も実演の際、イタリアン・ステーキ(タリアータ、という単なるステーキ)の
付け合せに、「カリフラワーのピューレ」を作っていた。
私の実技の監視人?みたいな人が、周りをうろついている。
会社の研究キッチンのシェフらしい。
アボカドのサルサを作っていた。それを一目みて、そのシェフのレベルが分かる。
なんだ、この程度か、と思った傲慢な私(笑)


カリフラワーピュレの味見をしたシェフが、何か足りないといいやがったwwwww
そして、そいつは、「酢か、トマトケチャップを足したらどうだ?」と抜かしやがった。
「No Way!」私の咄嗟の回答。 とんでもない、つうの。
結局、私はレモン・ゼスト(レモンの皮をおろしたもの)を足してみた。いい感じに仕上がった。
それを見ていたシェフ、黙って味見をして、黙って去っていった。
ふっふふ。


ちなみに、最近の高級料理の付け合せのトレンドは、ピュレ。材料は主に、
カリフラワー
ビーツルート
人参
セロリアック
ターニップス
ときどき、かぼちゃ
である。

あと一番最近の人気は「ポップコーン」であるのよ。
ポップコーンを荒めに砕いて、ナッツみたいにしてガーニッシュとして使うとか
スープの浮き身にするのだ。
インド人の審査員に「ポップコーン」は時期早々と思い、使用は見合わせた。


パルメザン・クリスプ、も「これは何だ?」と聞いてきた。
「てめえ、見たことねえのかよ!」と言いたい気持ちを抑えて
「パルメザン・クリスプでございます。イタリアン・ステーキの付け合せです。」
ふふふふふ。


1回目の実技は、時間かかったけど、まあまあ成功。
2回目の実技に、「海苔巻き」がある。
私が日本人で、料理人(とは自分では思ってないけどね。)として応募する以上、
日本食を期待されてしまうのだ。

寿司職人は、日本では職人として長い年月の修行を必要とする技術職であり、私は
そういった経験を積んでないこと、はもちろん説明した。
得意分野は?と聞かれて、イタリアン、或いは西洋料理と中華、と答えた。
それでも! 日本人なんだから、何か寿司をつくってみんかい! というプレッシャーを
ひしひし感じたのだ。


海苔巻きの日々が開始された。
ネットで情報を探し、裏まきにも挑戦したが、あえなく失敗。切れない、のだ。
チコ母の友人、リッツ・カールトンの管理職だった人は非常に的確な批評をくれる。
その人に「私日本人じゃないから良くわかんないけど、これ、ダメなんじゃないの?」と。
はい。
自分でもそう思います(涙)

チコ母と映画を見に行ったら、映画館の隣のフードコートに寿司カウンターがあった。
フィリピン人が海苔巻き(裏まき)を作っていた。
つぶさに観察。
やっぱり、ご飯を押し付けている。そりゃあ、ぎゅうぎゅうと押し付けてる。
聞けば、米はフランス経由で入手していると(フランスの寿司チェーンなんである)
すっ、すっ、と海苔巻きを切っていたが、柳葉包丁を使っていた。
日本人の知人にも、柳葉包丁が必要なんじゃないか?と言われた。

焦ってる私は、翌日、柳葉包丁を買いに出かけ、ついにゲットし、そこで売っていた
コシヒカリもゲットした。ものすごく高かった(涙)

柳葉包丁とコシヒカリで、さらに海苔巻き実演。
美味しい、と言われて、たくさん並べた海苔巻きはなくなったけど、やっぱり、


「ちょっと違うと思うなぁ。」


と。
私もそう思う。
そこからケンケン、ガクガクの論議に入る。
どうしても米を押しつぶしたくない伝統派の私とwwwww
そんな伝統は対日本人のみに考えろ。私たち非日本人は、米が潰れててもぜんぜんOK!
しかし!
日本の寿司職人は、米を潰さずに巻いて、すっきり切ってる。寿司とはそういうもの
なのよー!とあくまで米を潰すことに反論する私。

そこでチコ母の一声。
「日本人の職人に習いに行け!今すぐ電話しろ!」


私は一人だけ寿司マスターの日本人を知っている。
大昔、マルガリータが勤務していた会員製クラブの日本食屋を仕切っていた。
マルガリータを訪問して紹介してもらった。
素晴らしい人であった。

3月に、寿司マスターの奥さんにバッタリ会って、近々、会いましょうという流れに
なり、一度一緒にランチしたのである。
今はフリーで仕事をしてるようだ。相変わらず、素晴らしい人でござんした。

というわけで、忙しいマスターに泣きついて、海苔巻きのクラッシュ・コースを
開催してもらった。
いやー。凄い、凄い。
私の「海苔巻きという暗闇」に、一筋の希望の光が仕込んだ感じ。
コシヒカリを炊いてたけど、少量でフツウの鍋では難しいとのこと。
最低でも4カップだそうだ。
そして米を炊くのは、冷水から、だそうで。
いやー、知らなかった。
簡単なようで、奥の深寿司の世界。

海苔巻きプライベートレッスンから戻り、早速、作成。
いやー、全然違う。
切るのが難しくて断念していた裏まきが、出来た!

そして翌日。例のチコ母の友人も試食にやってきた。
「うん!凄い進歩!」
そう。
最初がひどかったので、レッスン後の進歩は目覚しい。
が。
やっぱり、スパッと切れてないよ。


レッスン後、3日目が実演。
それなりに練習はしたけど。炊飯器も日本人の知人から借りた。
温度調節で会社のキッチンで鍋で炊くのは難しいと判断。


昨日が、実技2回目。メニュは異なるもの。
しかし。
結構、料理の準備に時間がかかった。会社のキッチンでは衛生上、手袋着用が
義務付けられている。
私の手は小さく、手袋はLLサイズのみ。 指先から余った手袋の指が3センチも
垂れてる状態。これで千切りは困難。余った手袋の指先を切ってしまうのだ。

というわけで、海苔巻きを作成する頃は、時間が押してしまって焦りまくり。
照り焼きチキンは断念して、野菜とスモークサーモン巻き。
たくさん作って、見た目のいいのを提出しようと思ってたけど、そんな余裕無し。
で作ったそばから切って提出。


その後の講評で、他は問題なし。でも海苔巻きはもっときれいにできないのか?
とか言われちゃったね(涙)
インド人に海苔巻きで指摘を受ける、って結構、ミジメかも(涙)
おまけに、そこらへんの安いなんちゃって日本食すし屋を引き合いに出されてさあ。

こういう人に、米が潰れてるか、米粒が形状を残しているか、とか説明しても無駄。
来週、会社のオーナーが試食をするという。
たぶん、基本的にはOKで、よっぽど酷い結果でなければ、オーナーはYesなんだろう。
そんな気がした。

でも、試作メニュに海苔巻きが入っていた(号泣)
オーナーは、海苔巻きが好きなんだって。
でも、生魚は一切、だめ!と。

インド人のシェフ親分に、何度も「海苔巻きをきれいに作ってね。」と念を
押される。

ああ。

海苔巻きが私の今後を左右する。。。


大丈夫だ。
宇宙が「海苔巻き名人」を送ってくれたように、次回も、きっと。
なんだかんだで、うまく行くのだ。
でも。
練習はするよ。 私もチコ母も、もう海苔巻きは食い飽きたけど。
きょうは、チコ母を訪ねて人が来る、ってんで、「よーし! 海苔巻き食わせよう!」
なんである。





それは全て、予定されてたのか?

2015-05-13 16:10:33 | 瞑想にまつわる能書き
ブィッパサナ瞑想合宿。
なかなかに、良く出来たプログラムである。なにしろ「無料」なので、なんであれ、
文句は言えないwwww まず、こういうとこで、エゴが無力化する。

瞑想合宿の最期に、世界中にある瞑想合宿施設の紹介があるのだが、これが凄い。
欧州、豪州、北米、タイ、日本、インド、ネパール、ミャンマー…。至るところに存在する。
そして、その施設は、立派、なんである。
参加者のインド人が、インドの施設がキレイで高級風なのに驚いた、と言っていた。
全世界の点在する施設のどれもが、無料でボランティアによって運営されている。
北米なんて施設がでかいので、収容能力200人、とか。
10日間の宿泊、食事、散歩する広い庭、男女別、はどこでも共通。
「施し」というか「喜捨」お布施の類は、なにやら人を惹きつける何かがあるのか。


私の参加した瞑想合宿は、インド人ボランティアによって運営されている。
当地のインド人企業家の3名が、ほぼ全ての経費を寄付してるのだそうだ。
ベジタリアンのカレー、といっても、50人x10日間の食費、瞑想用座布団カバーのランドリー代、
宿泊施設は、合宿中は貸切ってしまうので、その費用。

インド人の参加者が多く、英語が得意でない人のため、掲示板は全て英語とヒンディー語。
ヒンディー語、インド人ボランティア、そんな様子なのでございます。
インド人、というのは、いずれの宗教に属していようと、基本、信仰心が厚い感じがする。
精神的なものへの尊敬みたいなものが、社会に根ざしているように感じる。

ゴエンカ師匠は、なんでも「神聖化」して、お香を焚いたり、花輪を飾って「神聖化」して
しまうインド人の習性を何度もおちょくっていたけど(笑)
私はそういう信仰心の篤いとこ、好きだけど。


さて、瞑想合宿の参加が認可されると(インド人の同室女性いわく、インド人はいくらでも
インドに帰れば合宿施設があるので、外国人(非インド人)を優先します、と言われたそうだ)
合宿先(ドバイから車で2時間弱、その他の公共交通機関は無い)までの往復の足の確保を
聞かれる。
また、車を出す人は、他の人を同乗させることが可能か、も聞かれる。
先に参加したチコ母は、3人の参加者を乗せていった。
私は運転しないので、誰かに乗せてもらいたい旨をお願いしておいた。


合宿の直前に、やっと連絡がきた。携帯番号と名前だけ。詳細は、本人同士で決定せよ、とのこと。
私を乗っけてくれるのは、インド人の銀行員。 北インド出身の32歳、だそうだ。
なんとなく、遊び人風(笑)なかなかに美形(笑)インド人にありがちな、押しの強さというか
しゃべり好きというか。場の中心になりがたる、つうか。その一方で、チラホラと暗い部分が
見え隠れもした。
心が定まっていない、そんな感じ。
合宿先までの道中、もうひとりの同乗者、定年引退したインド人おじさん、
と雑談しながら、お互いの意見交換なんかをしていた。

私は運転手のラフルに、なぜ参加したのか、と聞いた。彼いわく、銀行では顧客に投資のアドバイス
してるそうで、自分も投資してみたら、大失敗したそうで。
もともとは料理人を目指したけど、社会的な地位の低さ、給料の安さで、大学入りなおして銀行に
就職したといっていた。
多額の負債を抱えて、人生に立ち往生したのかな、と思った。
まあ、インド人のことだし、それも作り話かもしんないしねー、とか思ったりしながら合宿先に
向かった。
彼から、「あなたはなぜ参加したの?」と聞かれた。
私の場合、深い意味は全くなく、居候先のチコ母に「強く」薦められ、居候という身分からNoとも
言えずに、参加申し込んだ、のが実際なんである。
まあ、テキトーに、以前から興味があって、ちょうど友人も参加してよかった、つうんで、無職だし
参加を決めた、と説明した。


瞑想合宿では、男女がキッパリと区別されるので、その後、ラフルを見かけることも、あまりなかった。
合宿の最後に、再度、交通手段を聞かれた。
確か、チコ母が迎えに来るとか言ってたけど、私は合宿直前までアブダビで仕事していて、チコ母と話す
ヒマもなく合宿参加してしまい、確約は取っていなかった。
迎えに来てくれたら嬉しいけど、まー、期待しないでおこう、と。ので、乗せてくれる人がいれば、
誰でもOKと返事をしておいた。

結果、来るときと同じ3人でドバイへ戻ることになった。


瞑想合宿が終わった途端、参加者は堰を切ったように人と会話しだす。
私は最近は、静かな暮らしをしていて、人ともあまり会わないし、ネットワークを開拓しようとか
これっぽちも思っていないので、瞑想終えても、終えなくても、あまり変わり映えがしなかった(笑)
自分を印象つけようと躍起になってるように見える人々を観察する、という、ちょっとイヤミとも
思えるポジションが、私である。

みんなさかんに電話番号を交換していたが、私は具体的な用件がないと電話しないのでwwww多分、
参加者の人に対して具体的な用事が発生する事はないので、誰にも電話番号を聞かなかった。
同室の人だけ、なんか礼儀みたいな感じで番号を聞いたけど。
それでも、たぶん、この合宿で10日間の寝食をともにした50人と、再会する事は無いと思った。

ゴエンカ師匠の言うとおり、全てはやってきて、去っていく理、なんである。


さて、帰りの車の中で、ラルフに瞑想の感想を聞く。
ラルフは、来る時よりさらに饒舌になっていたけど、話が面白かったので、私はあれこれ質問しな
がら、ラルフの感想を聞いていた。
これがね、イイこと言うんだよね、ラルフ(笑) 内容は忘れたけど(爆)
参加者が瞑想のテクニックに関して良く話していたが、彼は、「テクニックなんか二の次。瞑想の
エッセンスがたいせつ!」と力説。


息子のいる彼、今回の瞑想合宿で習った「解放」は、たとえば、息子に対して、ここの学校がいい、
こういう職業に就け、とか言うのを一切止める、それが解放なんだと思うと。
息子だし、そりゃ、エンジニアや医者になって欲しいけど、それは親のエゴ。息子を信頼して、愛が
あれば、息子にいちいち指図する必要はないんだ。
僕は実生活に戻ったら、最高の父親になるんだ。テクニックなんか、なんぼのもんじゃい!と。


饒舌なラルフは、どんどん話が深化していく。
「見知らぬ人(私のこと)にこんな話していいかどうか、判断が鈍くなってる。」と前置きして、
ラルフは、彼自身の混み入った私生活事情を話してくれた。


ゴエンカ師匠は、その講話の中で、間接的にではあるが、「瞑想のご利益」を語っていた。
引き寄せ法則好きな人wwwなら、すぐにソレと分かりますね。私わかりましたから(笑)
引き寄せ話では、古典?というか、基本というか、「分かってるけど、実行できません。」という。
『心を柔らかく、平和に愛に満ちた状態に保てば、自分の周りには、平和で愛に満ちたものが
引き寄せられてきます。よって、心の持ち方に気をつけましょう!』というアレだ。
ゴエンカ師匠流では、まず、モノゴトが起きる前に体が変化を察知して体感となります。
その体感を観察しましょう。判断せずに観察し、見つめましょう。そうすると、本来の自分で無い
もの(でも自分の一部と思っていた)は、消えていきます。誕生し消えていくのがオキテなのです。
これを繰り返していけば、本来の純真な心を保てます。
純真な心とは、豊かさ、愛、平和に満ちたものなのです。」

ううむ。そう来たかWWWW
私はポノポノもコンセプトは一緒ね、と思った。全てをありがとう、ごめんなさい、愛してます、
許してください、という言葉で浄化していくのだ。
浄化を続けていけば、やがて純粋?な自分だけが残る、と。

ゴエンカ師匠は、「瞑想せよ!そうすれば奇跡が起きるよ!」と挑発?してる気がする。
奇跡、ねえ~。ゴエンカ師匠は、「宇宙の原理は、かくもシンプル」とおっしゃってました。


さて、ラルフ。なんか陰のある印象が見え隠れしていたが、その原因は「家庭不和」だった模様。
恋愛結婚で結婚した奥さんとの関係が最悪になり、4か月前に奥さんは子供を連れて、家を出た
そうだ。
既に弁護士を介しての離婚調停も始まりつつあるそうで。
ラルフは瞑想合宿の毎日の瞑想の中で、いかに自分が奥さんを傷つけ、奥さんの人格を否定し、
全てを自分の思い通りにコントロールしたかっただけの、浅はかな人間なのか、思い知ったそうだ。
かつて奥さんに浴びせた罵声を、ことごとく思いだしたそうだ。
何度も瞑想中に涙が出た、と言っていた。

自分が奥さんの立場だったら。許すも許さないも無い、と。問答無用で離婚だと。
奥さんの愛らしい部分を全く無視し、自分の事だけ優先し、奥さんどころか、奥さんの家族にまで
罵声を浴びせ、さんざん傷つけてきたそうだ。

奥さんが家を出てからの4か月、ことあるごとに電話しては、戻って欲しいと懇願したそうだが、
奥さんの心が変わる事はなく、静かに離婚の手続きが進行していったそうだ。

そういえば、瞑想合宿に向かう道中、ラルフは電話で誰かと話していた。電話のあとに、
奥さんが(その時は別居中とも、関係が悪化している事実も話さなかったから、普通の夫婦の
会話と思っていた)、「あなたは10日間もたないわ。途中で逃げ帰るわ。あなたはそんな人よ。」
と言われたと、憤慨していた。俺の何がわかるってんだ?とラルフはまくし立てていたのである。
私はインド人によくある、仲の良い家族のからかい合いかと思っていた。


ラルフいわく、6日目にツライ気分がバクハツしそうになって、退場しようと思ったそうだ。
瞑想の先生に「帰ります!」と報告にいってなだめられたそうだ。
瞑想なんかしてても、人生の解決にはならない!と思ったそうだ。

毎晩のゴエンカ師匠の講話DVDを聞いて、ラルフは自分の非を認めるようになったそうだ。
それまでは、理解しない妻が悪い、妻が考え方を変えるべきなんだ。俺が正しい方向を
教えてやる、そう思っていた。だから、言う事を聞かない奥さんをさんざん非難し、バカに
したそうだ。
その気分の大転換が起きたころ、ラルフの奥さんは、もう一度やり直すためラルフの元に戻る
ことを決意していたそうだ。


8日目から、ラルフは眠れなくなり、実生活に戻ったら、奥さんに詫びよう、受け入れてもらえ
なくても詫びよう、そんな事を考えていたそうだ。
瞑想合宿中は、外部とのコンタクトが一切禁止されているので、ラルフは奥さんの気持ちが
大変化したことを10日目まで知らなかったそうだ。

帰りの車中で、ラルフはずっと夫婦関係の話をしていた。
細かいことは忘れたが、確かに、ゴエンカ師匠の言う「奇跡」かも知れないね、と話した。

車を降りるときに、私はラルフに、「すぐには電話しない。でも必ずいつか電話する。あなたと
奥さんの物語の続きが知りたいから。」と言った。
まだ電話していないけど。きっと、うまくやっていると思う。


もし、チコ母が迎えに来ていたら、私はこのラルフのお話を聞けなかった。
思い通りにことが運ばなくても、別にOKなんだな、としみじみ。
ゴエンカ師匠の言うように、執着をっすべからく手放す、これに尽きるってことよね。


ラルフは、言う。
「この瞑想に参加した人全員が、何かしらの問題を抱えていて、その解決策を見出そうと
合宿に参加したんだと俺は断言する。そうでもなければ、10日間も遮断された生活をしよう
なんて人はいない。」と。
だから、最初に「特に深い理由は無い」と言った私に、ホントの理由を聞いてきた。

いやあー。無いんだよね、特に。
瞑想自体は、うまく出来なかったし、そんなに凄いとは思わないけど、あなたのような人に
出合って、話が聞けたことが、最大の収穫と思う。

私はマジメにそう思ったのである。
このラルフとの出会いも、私が予定したわけでも画策したわけでもない。
「やってきた」のである。


そう。
人生は取りにいく必要は、あまりない。だいたい、やって来る、のだ。






ヴィッパサナー瞑想合宿!4日目~6日目

2015-05-12 01:42:07 | 瞑想にまつわる能書き
瞑想三昧の10日間を終えて、はや、2週間。
毎朝食してるミューズリーが瞑想合宿の名残り。瞑想は毎日してるけど。
瞑想、というかストレッチかもwwww 足の組み換えで忙しいのだ。

合宿中、ゴエンカ師匠が、瞑想合宿を「大手術」と表現していたが。
確かに、合宿で学んだ指示に素直に従い、瞑想を日課にし、常に自分を客観視できていれば、
そら、合宿は大手術であろう。 合宿後の日々の暮らしは、随分変わると思う。
が。
合宿終了後、実生活に戻ると、思考も元に戻って、元の木阿弥、となるのかも知れない。


合宿中のゴエンカ師匠のDVD講話を楽しく聴いていたけど、新しいもんは特になかったwwww
既に知ってることばかり。
それでも、ゴエンカ師匠は話術が上手で、思わず引き込まれてしまう。
ゴエンカ師匠の強力マグネットのようなキャラ、そして聴く人を魅了する話術。
私のマインドで散らかっていたアレコレが、ぎゅっとくっついたような気がした。

合宿中、結構、退屈していたので(笑)けしてヒトサマに合宿参加はお勧めしないぞ、とか
思っていた。
それは今でも変わらない。
10日間は、とても長い。私のように瞑想ができない人には苦行である。

ただ、世間から、人間関係から、外界から、プッツリと関係が切れる時間、というのは貴重。
生きてることって、たくさんの騒音にさらされ、あらゆる刺激にまみれ、そしてそれに反応
している、という事が良く分かる。

私はひねくれ者なので、ゴエンカ師匠が何度も繰り返していた「ミゼラブルな人生から脱出」
をしなくても、別にいいんじゃないか、と思う。

ミゼラブル、と判断するのは誰?
ミゼラブルがその人にとって必要なのかもしれないし。
甘いだけの人生は無い。
というか、もともと無味なのかもしれない。
ミゼラブルであってもなくても、人生で起きたデキゴトは、なんであれ、楽しい一面もある。

人生はゴブラン織りだから。彩が多いほど、味わい深いのではないか。
ミゼラブルを乗り越えた先に見える景色、が結構、素敵だったりもするし。



4日目
瞑想三昧の日々の行動も定着し、ペースが掴めた感じ。昨日あたりから、瞑想の途中で抜け出す人が続出。慣れてきて、気が緩んできた、つう事か?

私も初日は殆ど寝てたし、2日目以降は、バナナを何本食おうか、ってな事を延々と妄想しているし、緊張感は、もう無い。
この保養地、ヒジョーにみすぼらしいのだがwwww庭だけは、緑が多く、ナツメヤシの木が大きく茂って、風が通りぬけ、最高の場所、なのである。

朝の4時半からの謹行、そして合間の短い休憩時間は、殆どの人が庭をうろついていた。 ココは場所的に相当田舎なわけで、隣は農場(といっても小さい)らしく、早朝には、牛舎の香りが漂うのであった。放し飼いの黒ヤギさんも庭にやってきたりして。


50人ほどの瞑想キャンプ参加者は、黙々と瞑想に励んでおり、無言。その人間たちを囲む自然は素晴らしく、野鳥や動物たちが庭を訪問し、黙々と無言行を続ける人たちを和ませてくれた。
後で参加者と話したが、この10日間、一切の記録も禁止、当然携帯も無し。カレンダーも無い。掲示板みたいのがあって、連絡事項が書いてあるが、それも Day4、 Day5という日付のみ。なので、指を折りながら、今日は何曜日?と数える始末。外界でのデキゴトは一切、やってこないし、本当に隔離された10日間であった。


毎晩のゴエンカ師匠の語りみたいのが、唯一、情報源(笑) 思い切り洗脳される環境なわけだ。毎晩の語りは、日毎に変わり、これはこれで良く練られた瞑想プログラムなので、参加者の状態を良く把握しているので、ドツボを突くゴエンカ師匠の語りに、何なく引き込まれるのである。

が。

煩悩まみれの雑念だらけの私には、案外、洗脳度合いも浅くwwwほぼ同意してはいるが、「それはちっと納得できません、お師匠様」という事もたびたびあった。

この瞑想プログラムの中で、いっちばん耐え切れなかったのが、早朝瞑想の際の、ゴエンカ師匠の「パーリー語によるチャント」である。これも後で参加者に聞いたが、みな一様に「アレは耐え難い」と言っていた。

だいたい、5時半あたりからチャントが流れ、45分も続く。瞑想会場は、ある意味、純粋な場が確立しているし、瞑想者たちは外界から遮断され、刺激も全く無く、無防備な状態にいるため、感情が沸き起こると、拡大しやすいような気がした。まあ、普段でも、ある考え、例えば「ああ、イヤ」とか思って、そればかり考えていると、イヤな感情はとんでもなく拡大成長するもんである。


ゴエンカ師匠のチャントもしかり。うげげげ、と思った途端、不快感はうなぎ登り。しかも、静寂な瞑想会場での音響を通した「音」である。ビッパサナ瞑想では、「体感にフォーカスせよ、それをただ観察せよ」と繰り返し教えるが、なんか部分的な体感なら、観察もできるけど、スピーカーからの「音」は観察のしようが無い。瞑想ホール自体に響き渡っているのだ。
なんだろー、あれ。なんで、あんなに不快なのか。 

瞑想(妄想中)にしばし考えた。チャントといっても、ゴエンカ師匠が独自に鷹揚をつけて、妙な発声までして、奇妙でしかないチャント。確か、日本に「詩吟」つうのがあったような気がするが、あれに近い感じかな。
私は先生との面談(先生というか瞑想中に祭壇(?)の上に座ってる人。質疑応答に答えてくれる。)時に、「あのチャントだかバジャンだか、あれはナンでしょうか?意味は全くわからないし、音響が大きいので瞑想の妨げになりますが。」と聞いたほど。
先生のお答えは、「パーリー語は仏陀が使用していた言葉です。 グルジ(ゴエンカ師匠のこと)は、みなさんにそのバイブレーションをお伝えしています。」と。
想定通りの回答ざんした。



この日。ビッパサナ瞑想がついに伝授されます!とか。結構、期待してみたら、なんか大きな肩透かし(笑) えー。こんだけ?3日間も鼻に意識を持って行ったのは「感覚」を研ぎ覚ますためだった模様。なんつうか、ガッチン、ガッチンと鉄を打って、精度を高めるような感じ。その高まった感覚(意識というか)を道具に、フォーカスする面積を拡大し、カラダの各所をスキャンし状態を観察し、眺める、というヤツ。

まずは頭頂からはじめて、意識をツールにして、体全部の体感を感じる、というヤツ。技術的には、鼻の下よかずっと楽に感じた。ヨガってた私は、体を意識するのは結構すんなりとできた。でも、あんまし面白くもなかった(笑)


ゴエンカ師匠いわく、
長年、蓄積されたネガティブな感情が、カラダの表面に出てきます。観察しましょう。観察することによって、ネガティブな感情、癖などが根底から消滅します。
だそうで。

まあ、そういうこともあるかも知れないかな、と思いつつ、相変わらず瞑想できず、妄想ばかりを展開していた。
気のせいか、ゴエンカ師匠の例の不気味なチャントも音量がでかくなったような気がする。


5日目
ちょうど折り返し点。3日間も鼻の下に集中、は長すぎやしないか。と批判的に思いつつ、3日間あっても瞑想すらできずに、当然、体感も感じなかったわけで、3日間は、瞑想できずモゾモゾと足を組み替え、居眠りを続けるには長い、という事か。

外界からシャットアウトされてる、という疎外感は無い。会話は一切しないが、50人が同時に滞在し、瞑想し、食事を共にしているのだ。孤独感も疎外感も感じない。いつもの生活では、ゴエンカ師匠の言う「リアクション」を累々と積み上げる生活をしてるわけで、この瞑想合宿は、その蓄積行為が無い。

アクションは瞑想、食事、庭の散歩、寝る、だけなんである。刺激が少ない分、時折、脳が退化していくような感覚を感じた。
というか、現実に気がついた?(笑) 
妄想満開の私は、しょーもない事を思い出して笑ったり、ずっといじくりまわして思考したりしていた。建設的なことなんか何も考えられなくなって、悶々と洗濯物のことを考えたりしていたのだ。


経験者談を読んだら、過去の記憶がありありと蘇った、とか、感謝の気持ちが沸いて泣き出したとかあったけど、私はそういうのが無かったなあ。
バナナ何本食おうか、とか洗濯いつしようか、とか、くだらない冗談とか、そういう妄想ばっかし。


多少は、私自身のエゴが「今にとどまる」ことに抵抗して瞑想できないのかな、とか思ったけど、考えてもわかんないので考えない事にした。


食事も、朝食で食べるもの、ランチ、夕方のブレイクで食べるもの、と固定化してきて、瞑想合宿にもすっかり慣れた感じ。
参加者も、ランチの後の瞑想とか、早朝の瞑想とか、中座しちゃう人が出てきた。おお、慣れが出てきて、気が緩んできたか、という感じ。



6日目記憶に無い。
退屈だな、と思い始めた頃か。自分は他人には薦めないなー、とか考えて
いちおう、指導された通りに瞑想には励んでみたけど、雑念は消えないねぇー。
消そうとしても溢れる雑念は止まる事を知らない。ので、雑念の内容を考察してみた。

だいたいが、最近、現状のデキゴトをもとにしたもので、良く聞く、過去の出来事とか、精神的なトラウマが表出してくるとか聞くが、まったく、無かった。
それもエゴの仕業かもしんないけど(笑)ゴエンカ師匠の話を聞いて、「おお!わたしゃもう、それ実践してますけども。」という事が多かった。まさかの私に、慈悲のココロが芽生えていた?(笑)


ゴエンカ師匠の話に、「6感(味覚、視覚、触覚、聴覚、嗅覚、そして感覚)というヤツが執着を生産します。気持ちがいい、はこの6感を通して呼び起こされるからです。美味しいからもっと食べたい、気持ちいいからもっと欲しい、独占したい、と。執着とは、その行為がその人を傷つける結果になるもの、とゴエンカ師匠は言っていた。

いわく、エゴ基本の考え方、たとえば、もっと欲しい(のに、現状無い。無い!欠乏感が芽生えるという事)自分が優位に立ちたい、(他人と比較して一喜一憂するとか)という、満足感を外側に求めるもの、物質を保有することによって満たそうとすること、は結果として、自分の本質から視線を逸らしてしまい、満足感を「求めて」永遠の放浪が続いてしまう、という事だそうで。


私はゴエンカ師匠の話を聞いていて、アルメニアで凍える季節、外はマイナス20℃、部屋には一切の暖房器具が無い暮らしをしてて、諸般の事情で「水シャワー」を継続していたことを思い出した。

そう。五感の感覚を超越したのだ(笑)ま、結果的にそうなっただけであるが。確かに冷たい、寒い、だから苦しいという発想は芽生えなかった。なぜなら、「冷たい」と感じなかったから。冷たさにフォーカスしなかったから、と思う。
そうか、あれは修行だったのか!なんて単純に嬉しくなってしまった。

瞑想は相変わらず。埋もれていた感情が、体感となって体に表れるのをただ観察する、のが趣旨だったが、これといった感覚を感じなかった(涙)かといって、できない自分を責めもせず、そういうもんか、と思って淡々と日々が続いていった。

ビッパサナ瞑想合宿(?)参加してみた。第一日目~三日目

2015-05-10 22:46:50 | 瞑想にまつわる能書き
ビッパサナ瞑想。
既に、過ぎ去りし日の記憶と化しているかのようではあるが、瞑想はとりあえず日課に。
合宿では4時起床、9時半就寝という規則正しい生活だったけど、実生活ではそうもいかず。
起床は5時。
起きてすぐに瞑想。瞑想というか妄想wwww リビングの庭に面した窓を全開にして座る。
庭からの風が気持ち良い。
相変わらず、足を組み替えたり、伸ばしたりしていて、集中してないけど。
夜明け前の時間は、なんか濃厚で新鮮。
この時間、鳥のさえずりがとてもにぎやか。
太陽が昇ると、鳥たちはどこかへ出かけt、とたんに静かになる。
なるほど、この時間帯が、いちばんエネルギーが濃いかもしれない。

その後、ミューズリー朝食も継続中。
瞑想実施と、ミューズリー朝食が主だった変化である(笑)
って、何しに行ったのやら。

瞑想合宿中は、実はあんまり感動もしなかったけど。
フツウの生活に戻ってからのほうが、合宿生活の意味、意義やらを実感したのだ。

戻ってきてすぐ、記憶が鮮明なうちに記録をとってみた。
日付の概念が合宿中は無くなるので、これは記憶がすぐ風化しちゃうなと思ったのだ。


これは、あくまで私の個人的な偏見に満ちた感想なので、瞑想合宿に参加検討してる人は
参考にしないように(爆)
合宿場所も、アラブ首長国連邦のRas Al Khaimaという砂漠の奥だし。



ビッパサナ瞑想会
1日目前日までの疲れのため、ほぼ、寝落ち。
座布団大1個と中1個がセットになったものが配布される。どうにも落ち着かず、午後の時点で座椅子を所望。座椅子をゲットし、座布団大1、中2個、小4個を駆使し、とりあえず心地よく座れるポジションを設定。
この時点で、「私は固い。カラダが固い。」という妄想に取り付かれていたのに気がつかない。
ほぼ根落ちして、時折目覚めて、インストラクションに耳を傾ける。いわく、鼻空と上唇を結んだ三角地帯にフォーカスせよ、と。フォーカスすると、なんらかのセンセーションを感じる、と。センセーション、体感である。体感があれば、ただ、観察せよ、と。観察することにより、体感は消失する、と。
トライしてみたものの、鼻空を吸気が行き来するのは感じるけど、上唇の小さな面積部分は、何も感じない。
感じるまで、瞑想してフォーカス、しろと。これが、簡単なようでそうでもない。瞬時にして寝落ち。しかし、良く寝た(笑)


60分、90分の瞑想の合間に休憩。5分の休憩でも、みな、部屋に戻って、ベッドの上でしばしの爆睡。無言の行のため、同室の他の2名の娘さんとは、コミュニケーション全く無し。眠くてそれどころではない感じ。
朝食。トースト、ミューズリー、バナナ、りんご。歯の治療中である私はりんごはパス。変わりにバナナを2本wwww 久しぶりに食ったバナナは美味しかった。
トーストも思わず食べてみたが、自分はあまりトースト好きではない事に食べながら気がつき、明日からトーストはパス、と。


ランチはインド野菜カレー。美味しかった。チコ母から聞いていたチャパティ(インドのお焼きのような薄いパン)もトライ。これも食べながら、そういえば、自分はチャパティを全く好まないんだった、と気がつく。静かに瞑想三昧だと、こういったイベントに眼が輝く(笑)しかし、ココに落とし穴があるんでは、とか午後の瞑想で思う。ええ、食いすぎで、午後の瞑想は、さらに爆睡。時々、目を覚まし、イカン、イカン、瞑想しなくっちゃ、と思いつつ、明日から炭水化物を控えよう、と食事計画を立てる。

朝食は、トースト無しで、ミューズリー(日替わりでオールブランかミューズリー)にバナナ2本。ランチはヨーグルト。5時の軽食はバナナと紅茶のみ、と心に決める。
そんな事を考えた程度で、後は爆睡していたと思う。ゴエンカ師匠が、鼻空と上唇の三角地点にフォーカスせよ、と繰り返すのを、寝ぼけながら聞いていた。


毎晩8時に、ゴエンカ師匠のDVD学習。これが、後日から楽しみになるが、第一日目は、ほぼ寝落ち。
いわく、センセーション、体感は観察すれば、消えていく、と。何も判断せず、現象を現象として客観視せよ、ちゅうような事を言っていた。
午後9時半。1日のプログラムが終了。ベッドの上でコロッと寝る。同室の女性2名は、いびきもかかず、変な癖もなく(笑)まことに快適であった。



2日目。
午前4時起床。 事前の取り決めで、私は朝一でシャワーを使うことにしたので、毎朝、起きて速攻でシャワー。午前4時半から最初の瞑想が開始。水をたくさん飲んで瞑想ホールへ。

この日も、ほぼ、寝ていたような気がする。とめどなく沸き起こる雑念に取り付かれ、はっ!と気がつくまで、マインドの上映するしょうもない物語に見入ってしまう。チコ母も言っていたし、多くの人が、過去の出来事、幼少のデキゴト、はたまた過去生まで登場するらしいが、私はそういうのはほぼ無かった。 エレバンからの引越しのことや、少し前にギクシャクして、ほうってある人間関係とか、そういう主題の妄想が主であった。はっ!と気がついて、「こんな妄想いらんがな。」と打ち消す。10日間、これの繰り返し。

朝食。
予定通り、ミューズリーにバナナ。なんかお腹が空いて、3本目のバナナに手を出そうか相当迷った。この日の瞑想では、結構、バナナを2本にするか3本にするか考えていた(爆)閉ざされた環境で、外界と遮断されてるため、そういうしょうも無いことを、延々思考していた。マインド、ってやつは(笑)
で、逡巡した末、3本目には手を出さなかった。


そして。今回の10日間の瞑想合宿の成果として、自分的にトップ2のひとつが、「お通じ」(爆) 私は便秘がちな人なので、この合宿中の快便ぶりには驚いた。とても気持ちがイイじゃないか!こんな快適さを受け取っていなかったなんて。人生、損していたように思った。爽快ぶりに、とても幸福な気分になれた(爆)


ランチはヨーグルト。味見程度にカレーを一口程度。 朝、ガッツリ食べているので、お腹は空かない。口が卑しい自分だけど、満腹で寝落ちしたくないのと、朝のトイレ爽快感が励みになり、他のおかず(というかカレー)に、心が揺らがなかった。


瞑想は相変わらず。次々と湧き上がる妄想にまみれる。フォーカスなんか全然できない。上唇?って?全く感覚が無く、時折、指で上唇を触って存在を確認したくらい。


座布団各サイズを駆使して、すわり心地を追及したといっても、それはそれ。寝落ちしてない時って、しょっちゅう、ゴソゴソと足を組んだり、外したり、位置をずらしたりしていた。これ、結果的にストレッチになった模様。
こうして、非常に俗的な思考にまみれつつ、寝落ちを繰り返しながら、瞑想の日は続く。

3日目。
朝食が一番の楽しみになる。ミューズリー、オールブランの日替わり。それに、バナナを輪切りにして載せ、牛乳ひたひたにして、ふやかして食する。案外、美味い。この日、思い切って、3本目のバナナを食する。ちなみに、この辺のバナナ、小ぶりね(笑)

バナナを食しながら、こんなことに人目を気にしていた自分が、アホかと思えてきた。食べたかったら、何本も食べればいいのだ。そう思ったら、なんか安らいだ気分になった。

鼻空のあたりの3角形に意識は全く行かず。確かに、それらしき感覚は無きにしも非ずだが、確信できない。相変わらず思考は忙しく妄想を正産し続けている。脈絡の無い妄想。気がついては、鼻の三角形に意識を連れ戻す、の繰り返し。

毎日の規則正しい瞑想スケジュールにも慣れた。短い休憩時間、みんなノソノソと庭を歩いている。ちなみに男女はきっちり区画されている。男性は20名近く。2人のアラブ人以外は、みんなインド人。その中に、画期的な美形インド人がいた。カナダに住んでるという女性と一緒。後で、妹と判明。あまりの美形ぶりに、なんか僥倖であるとさえ思えた。後で聞いた女性全員が同意wwww 一緒に写真撮る人続出でした。目の保養。


つづく…

天の恵み、ってやつかいのぅ~

2015-05-05 10:48:02 | 瞑想にまつわる能書き
昨夜、8時。
昼から試作の練習を続けて、ヘトヘト。
それでも、海苔巻き、中華の酸っぱいスープ、が作れてなかった。
私は海苔巻き、そんなに得意でもない、つうか。自分の海苔巻きに満足した事がない。


チコ母にお願いして、試食会用の食材を買出しに車を出してもらうことになった。
私は朝、髪を部分染めしたまま、洗っていないwwww  時間が無かったのだ。
購入したシェフ・コートのアイロンがけもしなくちゃ、
試作メニュの完成予想図を作って、ガーニッシュを頭に入れておかなくちゃ、

ガスパチョが、どうも味が薄いので、トマトジュースで風味を強化しようと、トマトジュース
を買った。ガスパチョを作りながらジュースを投入。少し入れたとこで、ちょっとジュースの
味見をしておこうと飲んでみたら…。


イチゴジュースだった!
めがねしてなくて、図柄だけで買ってしまった。ふつう、イチゴジュースの図柄って、イチゴの
断面になってないか? このジュースはイチゴの全体図で、ぼんやり見ると、トマトに見えるのだ。
幸いに少ししか入れてなった。
チコ母は、わからないというけど、繊細な舌の私には、安物のイチゴフレーバーがほんのり感じる。

私の練習作品を試食に来た友人が、トマトジュースを買ってきてくれたので、ガスパチョももう
1回つくらなくちゃ。


買い物もしなくちゃ、
もう、午後8時。
明日は午前6時のピックアップ。
あああー。


という矢先に電話。
急な予定が入ったため、試作会を木曜に変更して欲しい、と。



これは天の助けか(涙)


朝からテンぱって、アップアップしてた私を、犬のペニーたんが、心配そうに見ている。
犬にもわかる私のナーバスさ。
そんな状況での、2日遅延! なんという幸運。
もう、ほっとし過ぎて、そのまま、チコ母とビールを飲みに行ったのでした。


きょうと明日、気を引き締めて練習しましょう。
きょうは、海苔巻き。完璧にしたいもんですね。



料理の神様、よろしく頼みます(涙)

2015-05-04 09:52:24 | 瞑想にまつわる能書き
明日。
面接の一環で、料理の実演である。
素直に「最大限の努力」を発揮しよう、って考えればいいものを。
私のジャッジメンタルな左脳が、あれこれと考えるわけよ。
で。
なんだか、良くわからん展開になってしまった。
シンプルに、なんであっても、自分の最高、を発揮すればいいだけ、なんだよね。


料理の実技でダメになったら、それはチョビッと恥ずかしいけどさ(笑)
この辺で、ありそうでない、ちゃんとした「プライベートシェフ」の募集があったのだ。
ちょっとしたお金持ちは、住み込みのコックがいる。安い給料である。
ハウスメイドの料理版、ってな感じ。

募集要項に「女性」とあったので、これはイスラム教家族に間違いない、と思った。
案の定、その通り。
インド人の企業家の自宅のシェフ。
面接で聞いたとこによると、

ー家族は子供2人、両親の4人。が、上の子は米国留学中。よって、通常3人家族。
ーサーバントの構成は
   ・メイド6人
   ・庭師 3人
   ・運転手 7人
   ・キッチンヘルパー 2人
   ・↑をまとめるマネージャー1人
だそうだ。
え? 家族3人で?

毎晩、パーティでもして人を呼んでるのかと聞けば、「殆ど無い。年間4回程度。」
子供は学校に行ってるので、ランチはマダムのみ。

ネットでこの企業家をぐぐってみたら。なんとGCC(中東湾岸)のインド人の中で第二位の富豪。
2013年の個人資産が40億円(4ビリオンUS$)だそうだ。


ココで私の左脳は、計算不能状態に(爆)
そういう富豪のプライベートは知らないし、だいたい、住み込みのサーバントの数が
家族の7倍じゃん?(笑)どうなってるの?

インド人ではあるが、海外が長いのでカレーばかりは食べないそうで。
なんでもOKだそうで。


面接に行った際、受付のパキスタン人に、「ねえ、面接、何人くらい来た?国籍は?」
と探りを入れて、フィリピン人、ネパール人が面接に来た、と情報をゲット。
この時点で、私は「コレは私に決まるな。」と思ったのだ。ふてぶてしくも(笑)

この国でキッチンで働く人は、低所得者層。
たぶん、欧州に行ったり、ココのファインダイニングで食事したりしてないはず。
富豪家族が求めるものを、一番持ってるのは私、なのだ(笑)
しかも私は高齢なので、結婚とか何だとかの私生活の活動も無いwwwwので、静かに
仕事に没頭しますがね。


これが、ビバリーヒルズとかなら、なんとなく想像つくんだけど。
ドバイのインド人、イスラム教徒の富豪。もちろん、料理に酒は使用しない、という
家族の嗜好が、まったく、想像つかないのだ。
私が見てきたインド人は、みんなカレーが主食だったしwwww


チコ母に、「あーた、なんで使用人の数ばかり気にするの?料理さえちゃんと作れば
いいじゃないの。」と諭される。
私の左脳はね、状況を把握しようと躍起なのよ。
今までの経験値が、なんだか通用しない現状みたいで、計測不能状態に陥っていて
不安なわけよ。


こうして。
意味の無い条件付け、思い込み、から、またも一歩、抜け出そうとしているのかな。
グルグル思考したあげく、もう、いいや。出来る限りがんばろー。という気分になった。
実演は明日。
家を早朝6時に食材持ってでかけるという。
私はまだ練習の試作もしていない。メニュ提出したのにさあ。
試作メニュに、かっこつけて、フレンチだのイタリアンだの入れてしまいまして(笑)
自分の首を絞める結果になるか、あるいは、料理の神様が微笑んでくれるか。
まあ。
どっちに転んでも、人生は続いていくわけで。
この稀な経験を、しっかり楽しんでおこう、という感じでございます。

さてと。
お買い物に行ってこよ。

5月! はぇーー。時は流れ、全ては変貌していく。

2015-05-01 08:12:46 | 瞑想にまつわる能書き
10日間の瞑想合宿を終える。
その前も、その後も、なぜか用事が重なって、時間が無い。
昨日もバスと船wwwを乗り継いで歯医者。
2時間近い治療で疲労困憊、その後、速攻で長距離バスで隣の首長国へ。
面接、である(笑)

これがねー。港の中に本社があって。もうショボイのなんのって。
会社の玄関のすぐ脇に船が停泊しているほど、港の中。
周りはショボイ倉庫街。ドバイではないので、華やかさ、近代さに欠ける。

しかし。
英語のコトワザに「本の内容はカバーではわからんばい(本のカバーから、本の内容は推察できない)」
つうのがありますが、この会社、みかけの大ショボさに反して、5,000人の従業員を抱える大企業、
なんであるね。
5,000人は、この国の規模から行ったら大企業なんだわね。
取り扱い商品は、「食品」そのラインアップが凄い。
なにから何まで取り扱っている。
私もこの会社の商品を何度も購入している。
全てはブランド化してるので、会社の名前がわからんけど、この国に住んでる人なら、この会社の
製品を必ず購入している。


で。
まあ、よくわかんない面接だけど、数日後に私が料理を試作するというテストをすると言われた。
会社はショボイ外見で、インド人企業(笑)なので、けっこう、タカをくくっていたわけですが。
ブリーフィングを聞いて、「げげげ。練習しなくっちゃ!」思うほどと、要求度が高かった。
で、シェフ・コートという、あの白いユニフォームを持って来い、つうじゃん。
私、持って無いんだな、それ。どっかでゲットしなくちゃ。
で、高級イタリアンとかのメニュも検討しなくちゃ。


マルガリタにシェフコートの件で、久しぶりに電話したら、「わたし、遂にこの国を出る。
18年、良く頑張った。もう、疲れたわ。」という衝撃のニュース。
同い年なので、年齢的なもの、人生への落胆、叶わなかった夢、、、、わかる気がする。
彼女の決断。これから起きるであろう変化、幸運を祈ろうではないか。


瞑想合宿で、ゴエンカ師匠は繰り返していた。
全ては変化していく。
生まれては、死んでいく。
それが自然の摂理である、と。

確かに。