宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

ヴィッパサナー瞑想に参加するぞ!

2015-03-26 13:45:33 | 瞑想にまつわる能書き
ヴィッパサナー瞑想。
昔から知っていた。この国で開催されるのも、知っていた。
これ、沈黙瞑想。10日間、合宿で無言の行をするのである。
料金は無料。お布施での運営なんだそうだ。

今まで行かなかった理由は、10日間、音信不通になれなかった、からである。
今思えば、たいしたことないモノに囚われていて、10日間の音信不通が決断できなかった。

2月のヴィッパサナー瞑想にチコ母が参加した。
戻ってきてチコ母の感想は、
「今まで経験してきたワークショップやいろんなもの、ヴィッパサナー瞑想に比較したら
幼稚園みたいなものだわ。」
チコ母は、マジメな人物なので、戻ってから早朝の瞑想を日課に。そのため、睡眠時間を早めたくらい。
以前はダラダラと午前様だったけど、瞑想以降、10時には寝るようになった。

私はヒマなので、チコ母の「お抱え料理人」をしている。居候だし、なんかしないとねえ。
チコ母は、酸っぱいものが苦手なので、漬物や酢の物、レモンで和えたものとかを好まない。
私はこういった酸っぱいものが、常備おかずになるしで、好きなんだけど。
チコ母の嗜好に合わせて、かつ、自分で作りたいものを作っているwwwww
よって、肉料理、工場生産食品(加工食品)は、醤油や油程度しか使用しない。
ときおり、鮭とイワシ(私の好物)が食卓に上がる程度。
卵信者の私は、チコ母が半熟卵好きな事もあって、毎日、ランチには半熟卵を提供。
淡白源は、たまご。

そして、最近凝ってる大豆料理。
アルメニアで大豆がゲットできなくて、大豆料理ができなかったため、怒涛のように大豆料理。
豆乳を作成し、チコ母の好物という「花豆腐」ってヤツの作成に成功。
にがり、がゲットできないので、豆腐作成は諦めていたのだが、ひょっこり行った
高級オーガニックスーパー(どえらく高い)の日本食コーナーに、味噌の隣にひっそり置いて
あったのだ!


塩みたいなニガリ。水で溶いて使用するけど、濃度がわかんなくて、何度もトライした。
ニガリが固まるのは、75度が適温らしいけど、モノを買わない「断捨離」の達人のチコ母に
「料理用温度計?あーた、昔の人は温度計なんか使わないで豆腐作ってたわよ。なくても出来る!」
とあっさり購入を断られたのである。

確かに。
温度計なくても、何とか豆腐花ができるようになった。
豆乳で飲んだり、豆腐花を作ったりしてるので、まだ、豆腐作成までいたっていないwwww
まあ、作成には器が必要なのかな、とも思ったりして。木製の水が抜けるやつで重しができるやつね。


毎回、500gの大豆で豆乳作成するのだけど、副産物の「おから」が大量にできちゃう。
私はおから大好きで、毎日ご飯代わりに「卯の花」を食していたら。。。。
おからは、不溶性食物繊維とかで、私の腸内で固まってしまって(爆)
私は大変な目に遭い、臨死体験、みたいな思いをしたのである。
それに懲りて、その後は、おからでケーキ作ったり、クッキー作ったりして、あまり大量に食べない
ようにしている。


こんな食生活をしていたら、チコ母いわく、体調がとても良くなって、元気が出たそうだ。
うーん。
私は卵での良質な蛋白質摂取と、加工食品無し、が効果があったのかな、と思ったりしている。

私は料理好きだが、一方で、太陽凝視も続けていて、不食に近づきたいと真剣に思っている(笑)
太陽凝視をしてると、普段、見えないものが見えるとか!(爆) ← マジで楽しみにしている。


チコ母が瞑想合宿から戻ってきたときに、共通の知人の名をあげて、「次はあの人行かせたら?」と
提案したら、チコ母「あなたが行きなさい。」と。
まあ、肩身の狭い居候ライフなので、素直に従いました。


いちおう、書類選考みたいのがあって、さらに、電話でのインタビューもあった。
んで、先日、ヴィッパサナー瞑想参加確定の知らせを受けたのだ。


うむむ。
私はヨガの「はすの花」のポーズができない。股関節が固いのだ。
片方の足だけ乗せる、簡易はすの花ポーズもあるが、やはりヒザが床に着かないので、
不安定。
ヴィッパサナー瞑想は、日々、瞑想しかしない。毎日、10時間ほど。
長時間の瞑想を乗り切るには、姿勢が大切と思うのよね~。
ので、4月の瞑想会まで、どうにかならんかい、と思いつつ、毎朝早起きして、ストレッチを
開始した。
ヒザをぎゅぎゅーーと床に押し付けるものの、びくともしない(涙)
一応、はすの花ポーズができない人用にクッションとか用意されてるらしいけど、
あれはあれで、バチっと安定感を保つには、なかなかポジションが決まらないもので。。。。


ヴィッパサナー瞑想をしたから、といって仕事が見つかるわけでもなく、たぶん、何も
変わらないだろうけど。
ヒマな毎日なので、丁度いいかwwwwと思ったのでございます。


予定としては、瞑想会終了後、アルメニアに戻るのだけど。
その前に、先の事の予定が立って欲しいですなあ~。

たぶん。
どうにかなるのよ。


通り過ぎる景色を眺めるような日々

2015-03-18 10:40:40 | 瞑想にまつわる能書き
いやあ、早いもので5ヶ月? 
ココは季節感が物凄く少ないので、春が来た!という気配を感じない。
ああ、暑くなってきたな、という感じ。

アルメニアの慟哭の日々wwwwを思い出すこともなく。
燃え尽きたような経験だったせいか、思い残す事は、なんにもない。
達成できなかったこと(商売上)は、数え切れないほどある。

手にしたこと、体験した事は、素晴らしいことばかりで、全く後悔していない。
むしろ、あの環境で、よくも3年近く、持ちこたえたものだと思う。

仕事を辞めた後、なんか燃え尽き症候群みたいな感じだった。
落ち込んでもいないし、元気ではあるけど、「ヤル気」が微塵も残ってなかった。
可能性とか
希望とか、前進するために必要な脳内産物wwwが、消滅していたのである。


そんな状態での聖書学習。
しかし、疑い深い私は、一気に妄信的な信者になる事もなかった。
ホントは、この「妄信的」さに憧れたりして。
そういう風に何でもいいから信じる事ができたら、人生、ハッピーだよな、と思う。
聖書をボチボチ学習する中で、私が一番「なーるほど」と思うのが、
Faith
ってヤツである。


信仰心、みたいなもの。
100%信じきること。
迷いの無い信心。
そういう感じかな。

私は脳内雑音が激しいため、無心に信じたりできないんだなあ。
アルメニアでの食堂経営は、
果たしてコレでいいのか?という限りない自問自答に明け暮れていたけど、
毎日営業しなくっちゃ、という責務があって、とりあえず店を開けていたのである。
そうか。
営業しなくっちゃ、という「妄信」があったか。 
あれも妄信、かも知れない。

でもな。最終的にこんなに消耗した事を考えると、やっぱ、ココロの思う方向、ではなかった
のかも知れない、とも思ったり。


ヒマなので、そういった事を考えながら、相変わらず、誰にも会わない日々なのである。
誰にも会わないけど、居候先のチコ母とは毎日、食事を共にしている。
ヒマに任せて、渾身の手つくりベジ料理である。
私は極端な性格で、時々負けず嫌いになるので、今、豆乳ヨーグルト作成にムキになっている。
豆乳作成そのものは、単純作業である。
が。
一度に大量の大豆を使用した&鍋がその量に対応できなかったため、
レシピに書いてあるように「15分煮る」をしなかったんである。
鍋が大きくなかったんで、沸騰すると吹き零れるので、ま、いっか、ってんで煮込まなかった。
すると
作成した豆乳が、すぐ固まっちゃうんである。

最初、全然理由がわからず、アチコチのレシピを検索してひらめいたのである。
煮込みが足らんのでは?と。
で、2回に分けて煮込みを実施してみたら、ちゃーんと豆乳が出来て、豆乳花、という
にがりで固める柔らかい豆腐みたいのも完成したのである。


そして大量に発生する副産物「おから」
私は大好きなんだけど、食べても食べても追いつかない。
ので、おからお菓子作りも毎日のように実施している。
クッキーにするのが、私は一番好きです。



こういう何も目的を持った行動をせず、就職活動といってもネットのみ。
とくに人脈(無いけど)を操ってどうのこうの、もせず。
いやー、いったい、この先、どうなるんでしょうか?
という疑問はもちろん、ある。
しかし、焦りや焦燥感があまりない。

どうにかなるでしょ。

という、根拠の無い実感がある。
そして、聖書の学習で学んだFaithの出番である。
進むべき方向に、ちゃんと進んでいる。私はそう思っている。
毎日、チコたんとお話しながら。
チコたんは、つぶらな瞳で私を見つめている。


そんな静かな生活の中、時折、チコ母を訪ねてくる人がいる。
チコ母は、殆どの人間関係をシャットダウンしちゃったので、訪問してくる人は
ほんのわずか。
広大な邸宅に、住み込みメイド、2匹の犬、猫1匹で静かに暮らしているのだが。

先日、チコ母が参加したビッパサナ瞑想(10日間の沈黙瞑想会)で一緒だった女性が
最近、良く訪問してくる。
米国の大学でPh.D取得し、立派なコンサル企業に勤務し、6桁(数千万円)の収入を
ゲットし、ついでに米国籍も取得した、という「一体、何がご不満ですのん?」という女性。
御主人もハーバードかどっかでPh.Dを取得し、この国の政府関連に勤務、という
キャリアとしては申し分の無い、しかも(一度会ったが)ジェントルマンで頭の良さが
にじみ出るような男性。
奥さんの花ちゃん(そういう名前なのだ。華人である)は、旦那の仕事のため、仕事を
辞めて、この国にやってきた。
そして、初めての「専業主婦」体験。(花ちゃんたちは子供がいない)

この専業主婦、が花ちゃんの自尊心、自信とかを粉々に打ち砕いたみたいだ。
XX企業のコンサル、収入は数千万円、という「肩書き」を失った花ちゃんは、そのまま、
自己アイディンティも見失ってしまったのである。
無理も無い、と思う。

お金はいっぱいあるみたいなので(笑)花ちゃんは、手当たり次第に、各種のセミナーや
ワークショップに参加している。
先月、ビッパサナ瞑想に参加したと思ったら、先週は、「インナーチャイルドワークショップ」に
参加していた。
「んもーね、華人、つうのがイヤでイヤで。マレーシアの華人、サイテー!」と吠えていた(笑)

私は、人をなだめる事がへたくそなので、
「いやー、花ちゃん。そういう自分の出自とか、今の自分が変えられないもんに大して怒っても
無駄ちゃう? 私も日本人でヨカッタ!とかビザ関連でしか思わないけど(笑。事実)
しょうがないじゃん、これ。こういうのは怒りの対象になんないよ。受け入れるしか道は無いと
思うがのぅ。変えられないものは、さっさと諦めて、受け入れちゃうけど、私は。」
チコ母は、ニコニコ笑って吠えまくる花ちゃんを見ていた。チコ母もマレーシア国籍である。


花ちゃんは、10歳のわがまま娘みたいな感じ。
チコ母も私も辿ってきた道を、今、花ちゃんは壁にボコボコぶつかりながら手探りで進んでる
感じ。
花ちゃんは、怖いもの無しで人生を進んできたヒトみたいなので、なんか説得力がある。
チコ母の旅行のワードローブを勝手に全部取り替えていた。私は相手の主張を尊重しちゃうので
全く説得できないのだが、花ちゃんは、相手の嗜好なんか無関係に「コレ!コレが旬だす!」
とか言って、チコ母を圧倒していた。
チコ母は、今までにない組み合わせをスーツケースに詰め込んで、昨夜、KLに向かったのである。


不思議なもので、人生につまずいてる風でも、他人の事は良く理解できちゃうので、
花ちゃんに、「XXXさん(私)名詞つくんなきゃ。その際には、ゼッタイ、漢字入れるんだよ!
日本人、つうのを前面に押し出しちゃうんだよ!来週のアートフェスティバルで名詞配るよ!」

え?アートフェスティバルで、名詞? え? プライベート・シェフ? マクロビ???

花ちゃんは、「いいの!細かい事は。アートに興味持つ層と食にこだわる層は合致するよ!
マクロビは日本が発祥なんで、調べられるでしょ?」

確かに。
こういう会話は、チコ母と私の間では起きないので、花ちゃんという新風に、私もなんか面食らって
いたりする。

でもな。花ちゃん。 結婚生活の継続に関する結論は、今は出さない方がいいと、私は思うよ。
したい事を探して、実施してるうちに、答えはたぶん、出てくると思うぞ。



ガン告知の日、なぜかハレルヤを口ずさんだ、という話。

2015-03-03 10:25:37 | 瞑想にまつわる能書き
3月になり、相変わらずの状況に、時折、気分がダラーーーン、と急降下する。
そういう際は、チコたんを抱っこして散歩。
キッチンでケーキを焼く。ケーキを焼こうとすると、引退した焼き菓子の大家、チコ母が
出てきて、あれこれ指導がうるさくて(笑)、作りたいものが作れない。
チコ母、コントロールフリークなんである。
が、わたくしは居候の身。「ははぁ、さようでございますか。」と指導を受け入れるしか
無いっすなあ~。
ので、チコ母がヨガ教室に行ってる間に、サササッとケーキ焼いたりしている。


聖書の学習会。学習、つうても専門家が混じってるわけではないので、聖書を音読して
感想を語り合う会。ので、あまり深みには入らない(笑) 私的には、ちょうどいいのだ。
学習内容は、先週から「Romans」日本語では、ローマ信徒への手紙、ですか。
聖パウロが、ローマの信徒へしたためた手紙集、である。
パウロは英語ではポール、ですね。この人、元々、ユダヤ教の法律学者で非常に優秀だった
そうで。法律学者、つまりユダヤ教の教義に関する専門家だったわけです。

当時、新興宗教だったキリスト教を、ポールは徹底的に弾圧していくのですが。
もともと非常に優秀なポール、キリスト教を弾圧しながらも、その内容に惹かれていくわけです。
で、有名な「ダマスカスのデキゴト(パウロの改心)」と相成るわけで。
その後、非常に熱心に精力的に不況活動を続けていくわけです。
幾度の弾劾に会い、投獄されても、パウロの情熱は少しもひるまなかったようです。
宗教、ですねえ~。

私は、こういう熱狂、パッション、信仰に憧れる。そうなってみたいといつも思う。
その対象が異性であったり、仕事であったり、宗教以外のものに熱狂してみようとトライしたが、
飽きちゃう(爆)というか、そもそも、そういったものは、信仰や熱狂の対象にならないのだ。

盲目的になってみたい。
盲目的、とは外側からの視点で、盲目になってる人は、盲目だとは感じないだろうし、ずっと盲目だったら、
それはそれでOKである。要は、ハッピーならどうでもいいのだwwww

そういう盲目的な深い信仰を、英語でFaithというのか。
日本語訳は、信仰心。信じる? なんか違うんだよな。FaithはやはりFaith、でしょう。


ローマ信徒への手紙、の最初に「Faith」について書かれた章がありんす。
その辺を、聖書学習会の主婦とお勉強しているとこなのですが。
会員の一人に、乳がんで手術をして、放射線治療が残すところ1回、という人がいます。
その人が、
「あまり他言していないの。理解する人は少ないから。」と前置きして、経験談を語ってくれた。


2年前、乳がんの疑いがあり、生体検査の結果を御主人と病院に聞きに行った。
朝の10時。 その病院は、繁華街に面しており、駐車場が見つからない地域で有名なとこ。
(病院専用の駐車場は無い。病院は雑居ビルの低層階にある)
奇跡の如く駐車場が見つかったそうだ。時間通りに受付に行ったものの、担当医が急用で不在との
ことで、家で連絡待ちとなったそう。

彼女は家に戻る。押しつぶされそうな不安。しかし、気を取り直して、洗濯を始めたそうだ。
洗い終わった洗濯物を、乾燥機に突っ込みながら、なぜか歌いたくなったそうだ。
彼女は滅多に鼻歌なんか歌わないそうで。そんな彼女が、唐突に歌を歌う。歌った歌は
「ハレルヤ」
そして、しっかりと声が聞こえたそうだ。

「何が起ころうとも、貴方は大丈夫だ。安心しなさい。」

乾燥機に洗濯物を突っ込む作業中。 しばらく唖然としたそうだ。そして、妙な安心感に包まれた、と。
その後、病院からの病理検査の報告も忘れてしまうくらい、日常のイロイロをフツウにしたいたそうだ。
そして、午後7時頃、担当の女医から電話があったと。
電話口ですすり泣く女医。ああ、ポジティブだったんだな、と淡々とした気持ちで受け止めたそうだ。
私は大丈夫だから、と泣き続ける女医を励ましたそうだ。
そして、手術、放射線治療、と治療が進んでいる。結果は、良好だと言っていた。


そんな話を聞いた後に、ローマ人への手紙を各自音読する。そして感想を語り合うのだ。
私は信者ではないのでwwwwあまり話さないけど。
ローマ人への手紙の中に、アブラハムのくだりがある。
人はひとりとして、完璧なものはおらず、また、全ての人が罪を背負っているものである、と。
んで、キリスト教的に、信じるものは救われる、みたいな事が書いてあるんだけど。

アブラハムは子供が欲しかったが、子宝に恵まれずに100歳になる。妻のサラは85歳くらい?
でも、神を信じる、Faithを持つアブラハムには、子供が出来るのだ。
聖書の中で、処女懐胎と同じくらい「まじですかー?」の逸話である。
その奇跡の子供、イサク、を神は「いけにえ」に捧げよ、とアブラハムに伝える。

Faith,とは何か。
それをこの会員のハレルヤとアブラハムの逸話と、拾い読み中の聖書と、
しょうもない雑学とが渾然となって、


そうだったのかー!


と相成った。
簡単なことだ。
私の中にも、探せばある(笑)探し方が間違ってたのか。 機が熟してなかったのか。
こういうのは瞬間で押し寄せるものである。
ああ、確かに。今の私の存在って、

私の祈りの結果そのもの。

だと実感したのだ。
それ以外、考えられない。
Faith、ってヤツである。

そうか。
インプットを変えれば、自ずとアウトプットも変わるって事だ。
ま、インプットしたもの=アウトプット、なんだしさ。


という短絡的な水平思想の私は、Faithをインプットしようではないか、と。
もう、盲目的でも妄信でも何でもイイ(笑)
私がソレを望むなら、ソレはそソレでOkなんである。
そして、それが、たぶん、唯一の道かも知れないんである。



ってな話を、聖書の学習会から帰って、嬉々としてチコ母に報告。
チコ母いわく、
「んじゃあ、アナタ、神がチコをいけにえにせよ、といえばアナタはチコを捧げるの?」
私「もっちろん! それが神の指示ならば、喜んで従います。での、アナタ(チコ母)の
指示だったら、ゼッタイ、従いません。」
二人で大笑い。










そして、3月。早いもんよのぅ

2015-03-01 15:40:32 | 瞑想にまつわる能書き
あれ?っと思ったら、3月になっている。
なんだかなぁ、である。
うわーん、仕事も見つからないよん(涙)しょうがないけど。
年齢の壁はヒジョーに厚いのである。
私が採用担当でも、たぶん、書類選考でボツにしちゃうもんなぁ。

と、ネガネガしていても、しょうがないのである。



昨日、The Best extotic marigold hotel、を見た。2回目。
これって、英国作成のインドを舞台にした映画。
お年寄り、といっても、さまざま。 旦那さんを亡くしたばかりの未亡人(あのOO7の
女ボス役のJudi Denchが演じてました)、定年を迎える公務員夫妻、離婚後、最後に
花を咲かせようと、マハラジャ狙いの女性、ずっと独身で働いていた女性、最高裁の
裁判官で実はゲイの男性、など、バラエティ豊かな面々が、インドはラジャスタンで
偶然、一緒になる物語なんである。

最高裁の判事だったおっさん、子供の頃、インドに家族で駐留してた頃に知り合い、
恋に落ちた男性wwwに、最後に会おうと旅に出た。
毎日せっせと昔の恋人を探して、やっと見つけて。。。。
未亡人、定年した公務員の御主人と一緒に、かつての恋人を訪ねるのである。

最初、奥さんがドアを開ける。元判事が名を名乗ると、インド人の奥さんは静かに
「あなたが誰だか知っています。」と。
そして、何十年の年月を経て、二人は再会し、ハグするんだけど。泣けるよねぇ。
んもう、スタートレックにも出演してる、Hugh Dikson、さすが。

インド人は見合い結婚したのだけど、奥さんには全てを話してヒミツは無いのだ、と。
そういうのが、なんか定年を迎えた公務員夫妻のお互いを理解できてないのと、対比
されて、また、それはそれでいい感じ。

元判事は、結局、再会の後に心臓発作で亡くなるのだ。で、思い出の湖のほとりで
荼毘に臥されるのです。かつての恋人の読経が響く中で。
元判事は、インド再訪してから、未亡人や他の人に堂々と、自分はゲイ、と公言していた。
英国で現役の頃は、もちろん、ひた隠しにしていた。

未亡人に、若かりし頃、最初にインド人の恋人と一夜を共にしたのが、その湖のほとり。
二人で夕陽を眺めたあと、朝まで一緒にいたのだそうだ。それが生涯、忘れられない夜に
なったんだと。
その思い出の湖での葬儀。 ジーンとくるよねえ。


偶然に一緒になった英国人たちが宿泊するのが、マリーゴールド・ホテル。
ずっとお客もなく、ホテル中、ホコリだらけだった。
インド人の若いマネージャーが、ひさしぶりの宿泊客に大興奮するんだけど、この青年が
「ある、ある、あるーー!」って感じでインド人を好演してるのだ。
明るくて
大げさで
ウソっぽさ丸出しで
憎めない、という。


ホテルを売却するという母親の申し出に、インド人青年は、詭弁の限りを尽くして抵抗。
(これもインド人らしいのだ)
その中に、

“Everything will be alright in the end so if it is not alright it is not the end.”

つうセリフがありまして。
大意は、「最後には全て善し、である。善し、でなければ終わってないという事である。」かな。
なんか、ナルホドな、って思うのでありました。

思わず自分に当てはめて。ううむ。 Alrightではないから、終わってない、つう事か、と。