2006年3月12日(第2日曜日)、地元・勝幡神社春季大祭「オコワ祭り」に出かけました。(勝幡はショバタと読みます。)織田信長が生まれたのが勝幡城だったという話がこのあたりにはあり、この神社も白山社であったのが大正7年の神社合祀の際に現在の名前になったようです。
このオコワ祭り、町内の回覧板で「天下の奇祭」などとかかれていたこともあって、いつも気になっていました。ですが神事の後の子ども神輿(獅子)に付き添うために、駐在員宅前にいなくてはならないこともあって、これまでオコワ祭りそのものに出かける機会を失っていました。また、これまで博論があったために渡来人伝説の研究に集中せざるをえない状況もありました。ようやく大きなテーマに絞るだけでなく、自分の興味に合わせて行動することが可能となってきたこともあり、この春、やっとこのオコワ祭りに出かけることができました。
さて、このオコワ祭りは、宿元で準備された檜の樽に詰められたオコワを縄で編みこんで縛ったものを勝幡神社まで行列を組んで練り歩き、神社での神事を終えると、その樽に詰められて縄で縛られたオコワを大きな石にたたきつけ、樽が割れて中から餅になってしまったオコワが飛び出すと、周りにいた人たちがその餅に突進し餅と割れた檜の木を取り合うというものです。私もその中にはいって、すっかり餅になったオコワをいただきました。簡単に説明するなら、杵を持って餅をつくのではなく、臼を持って餅をついているような状況?驚くほどにすっかり「餅」でした。
調べ始めてみると、どうやらこのような祭りは他の土地でも行われていたり行われていたようで、報告もまだそれほどないようで、面白そうな気がします。祭りにいらしていた市の教育委員会の方がいろいろとご教示くださいました。
よく知っているようで全く知らなかった地元の組織や祭りのこと、これからは少しずつ調べていこうかと思います。
オコワ祭りの関係者のみなさま、今日はお世話になりありがとうございました。ワタルやサホの友たちのおじいちゃんもいらしたことでしょう。これからも親子でよろしくお願いします。
このオコワ祭り、町内の回覧板で「天下の奇祭」などとかかれていたこともあって、いつも気になっていました。ですが神事の後の子ども神輿(獅子)に付き添うために、駐在員宅前にいなくてはならないこともあって、これまでオコワ祭りそのものに出かける機会を失っていました。また、これまで博論があったために渡来人伝説の研究に集中せざるをえない状況もありました。ようやく大きなテーマに絞るだけでなく、自分の興味に合わせて行動することが可能となってきたこともあり、この春、やっとこのオコワ祭りに出かけることができました。
さて、このオコワ祭りは、宿元で準備された檜の樽に詰められたオコワを縄で編みこんで縛ったものを勝幡神社まで行列を組んで練り歩き、神社での神事を終えると、その樽に詰められて縄で縛られたオコワを大きな石にたたきつけ、樽が割れて中から餅になってしまったオコワが飛び出すと、周りにいた人たちがその餅に突進し餅と割れた檜の木を取り合うというものです。私もその中にはいって、すっかり餅になったオコワをいただきました。簡単に説明するなら、杵を持って餅をつくのではなく、臼を持って餅をついているような状況?驚くほどにすっかり「餅」でした。
調べ始めてみると、どうやらこのような祭りは他の土地でも行われていたり行われていたようで、報告もまだそれほどないようで、面白そうな気がします。祭りにいらしていた市の教育委員会の方がいろいろとご教示くださいました。
よく知っているようで全く知らなかった地元の組織や祭りのこと、これからは少しずつ調べていこうかと思います。
オコワ祭りの関係者のみなさま、今日はお世話になりありがとうございました。ワタルやサホの友たちのおじいちゃんもいらしたことでしょう。これからも親子でよろしくお願いします。
写真にシホさん写ってるかもと思って見たけど見あたりませんでした
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