福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

学びの為の人生

2024年04月05日 | Weblog

妻の言葉にハッとさせられた・・・

普段、この世は修行だと言う俺に 「修行、修行って 世の中 もっと大変な苦労している人達が居るのに

これ以上 修行って・・・それで 苦労している人達の気持ちが 軽くなると思っている?」と・・・

私「それぢゃ~学びで、どう?」

妻「そう それでいい・・・なんか パパの解釈では人生が 苦しくて辛い 我慢教になっている」

私「いい事言うねェ 貴女」と感心してしまった。

 

考えてみれば 私の好きな 日蓮上人も親鸞聖人も 苦しんでいる人達の心を軽くしてあげたかったのでは

ないかと・・・それが 後世の弟子達の都合で オカシナ解釈がまかり通り 余計に対立を煽ってしまったように思う。

 

戦いとか 修行とかいう解釈は 例えば 人々の生活を豊かにするために 悪しき権力と 戦い続ける人には

しっくり来る言葉だが それは使命の問題であって それ以外の方達には 当てはまらない事なのだと思う。

それを ごっちゃにしてしまうから 宗教の対立が起こるのだと思う。

「宿業」って言葉は呪縛の言葉だ 「学び」と言い変える事で 皆が奴隷にされず 前向きになれる筈だ。

おまけに 「戦い」とか「闘争」という言葉を信者に押し付けて 他宗批判で囲い込み 自分らだけが良い思いをしているだけに想う・・・

だから いつまで経っても 願いが叶わないのだ。つまり 全てを吸い取られているって事 感謝する対象が違うってえの!

第一、教主も 自分を崇拝せよとは これっぽっちも言っていないwwww

自分を敬えとか 言うやつは 偽物だべwwwwwそりゃ~仏のふりをする 地獄界のチャンピオン提婆達多だよ

 

とある洗脳カルト集団に「霊なんて 軽い幼稚な発想だ」と言われるかも知れないが

とある 霊能者の先生とお話をしていると やっぱ 学びの方が正しいのだと思わずにはいられない。

この先生はとても 信頼できる方で 私の家系を 素早く見抜かれた・・・そして 全てが ギョッとする程 正しいのである。

「位の高い 武士の家系ですよね・・・武士とはいっても 人を殺さなかったから あなたが殺されていない・・・

死にかけた事は4度あるかもしれないけど 人を殺していないから 殺されなかったでしょう・・・

もし 殺されていたら もう それでチャラ・・・そんなものですよ」と・・・あまり詳しく書けないが

僕のご先祖様は 郷土史に残る 全然 威張っていない上級武士だ。僕ぁ~幕末期が好きなので

そちらの時代にも縁があるそうだ(あ~やっぱりなと深く頷いてしまったが その部分は詳しく語っては下さらなんだ

どうせ 大した事してないんだろうなぁ~ ま、人を殺めなかった事はさてよし)

刀を持ってないか聞かれたが 代々伝わる 名刀は戦後、とある博物館に酒代と引き換えに取られていると聞いている・・・

父達は悔しかっていたが あれはあれで正しかったんだなぁ~ 

 

人は生まれ変わっちゃ死に これを何度も繰り返し 魂の位を上げる迄 前世から引き継いだ 課題を学んで

逝くのだと・・・

だから 人生ってのは 現世に生まれて なんらかの苦労している方達も 高い位に行くための学び

ちゅう事は この世に生まれてこられただけで 人生を全うする事 その事がチャンスなのだという事になる。

そこには絶望はない筈なのだと・・・たとえ 今、辛い想いをしている方達が居たとしたら 希望を失うなと

いう事なのだろう。

 

私自身 取るに足らぬ ちっぽけな存在だが 別に 偉そうな事を言うつもりはないが

一応、法華経に縁した身で 末席を汚す存在だが これで 一人でも 賛同者が現れ 気持ちが軽くなるのであれば

ちったぁ~成仏に近づくのかも知れない・・・

こんな 呟きは 恐れ多くて 皆、ビビってしまい 口にすることが出来ないだろう

ま~凡人の戯言だと 一笑されてもかまないがwwww

 

ps 僕ぁ~別に こんな事を呟いたからと言って お布施は入ってこないwwww

   とある洗脳宗教の先輩が言った「君について行く人が何人いるかな?」ってwww

   裏切りの消費税批判をした時もそうだ「立候補でもするつもりか?」

   コテコテの全体主義組織の中で そりゃ~誰が見ても反乱分子が支援されることはない

   「何を言っているんだ この人達?」と呆れてしまった こんな考え方になるって事は

   一度 自分自身を疑ったほうが良いだろう・・・良い人なんだろうけど 残念至極