福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

リユース(Reuse)

2008年02月26日 | Weblog


寒い日が続きますね・・・。

本日はリユース(Reuse)をテーマに・・・・・。

工場のシャッターが壊れました・・・。

父が「これじゃあ 相撲取りでも 持ち上げられんぞ!」と急に重くなったシャッターの

修理を命じました。

28年前に取り付けたシャッターですから まあ、良くぞ長持ちしてくれました。

足場を組み 3.8m高さのシャッターボックスをはぐり 中の構造を把握・・・。

(※巻いたバネを触ってはいけません かなりの負荷が架っています)

アナログ社会の作品だからこそ 修理ができましたが、最近のシャッターであれば

直せなかったかも 知れません。シャフトと巻き取りバネの部分にグリスをべったり塗り

つけ 真ん中のバネ(この部品の役割には迷いました)のストッパーを調整して完了!

「まだまだ、頑張って欲しい 今後とも宜しく!」と心の底で祈念するのでした。

話は変り・・・。

この前、うちの母が 「サイドボードで良いのがあるから 叔父にもらいに行こう」と

言いました。「それで、貰って何処に置くの?」と聞くと、私の家に貰えと言う

ではありませんか。品物を知る私は、「いや、うちは要らないよ。あげな(あんな)ごっ

ついサイドボードは 重量がかかるから・・・母さんが貰えば?」と返しましたが、父が

趣味に合わず反対しているとの事・・・。「それじゃあ 要らないって言えば?」と

言うと 母が、目をうるうるさせながら「叔父さんは、片身としてあげたいみたいよ!

人の気持ちを踏みにじるもんじゃないって!」と尋常ならずの素振り・・・。

(これはただ事ではないっ!そっ!そんなに、体調が悪いのかっ!近くに住みながら、

顔も出さずに何たる不肖の甥だ!俺は!)と自分を責めながら、

慌てつつ、トラックに乗って今わの際である 叔父の元へ・・・。

「おじさーん!おじさーん!」 奥から「おおう!どうした?」と叔父の声......

男泣きしながら「片身に、サイドボードくれるんだろう?取りに来たよ!ひーん(涙)」

「誰が!?誰の片身って!?妙な事言うなあ!」

と訝しがる叔父。(ありゃ?こりゃ!いつもの 叔父だ! 元気も良い!)

私:「否、その・・・おじさんが・・・。」

叔父「俺!?俺は まだ 死なんよ!孫も生まれたばかりやのに!」とご立腹だ!


「とにかく、サイドボードいるんだったら持って行ってくれ、邪魔になるから・・・。」

サイドボードを積んで実家へ立ち寄り 母へ仔細を糾すと 母は笑い転げるばかり。

叔父は物を大切にする人で 良い物しか買わない性分・・・勿体無い精神の母は 

「捨てるのは勿体無い!」と居ても立ってもおられなかったのだろう・・・。

そいでもって、我が事務所にゃ 重厚で馬鹿デカイ、ミスマッチの高級サイドボードが

どおおん!と場所を占領するのでありました・・・。

六法全書でも置いた方が合っているかも(汗)



正義の人

2008年02月09日 | Weblog



新しい年を迎え さあ頑張ろうと思った矢先、米国発のサブプライムローンのとばっちり

を受け 株価急落という冷や水を被ってしまった日本・・・・。肩透かしを食ったような

気になり 気がなえそうになりました・・・・。戦争などに加勢するから 日本一国、

総罰を喰らったのです。まさか 軍需特需を中てこんでいた人はいないでしょうね・・。

悪銭身につかずですよ・・・・。

株の出来高で景気を判断する事が 世の中のテーゼになっておりますが

本当にそうでしょうか・・・?

本当の景気判断とは 「人々が安心して生活する事が出来る社会を構築できたか否か」

庶民である私たちが、不安だと思えば 当然の如く、景気は悪くなります。

大企業優遇の政治をやったとしても 庶民が消費活動を止めてしまえば 

当然、大企業といえど 潰れるしかないのですから・・・。

この間、叔父から「もっと 経済を勉強しろ!」と一喝されました・・・・。

私の様な無知無学な人間でも この程度の事はわかります。

スタッグフレーション等(物価上昇と、景気が減退が同時に起こること) 

想像もしない事が起こりました。

過去に国家破産したトルコやアルゼンチンがスタグフレーションの状態だったそうです。

庶民をないがしろにした 政治が招いた結果だと是非、反省していただきたい。

各党、民主主義なのか資本主義なのか紛らわしさを止めなければ 

有権者は迷うばかりです。

大体、権力の覇者はこの「紛らわしさ」を利用するのに長けた人種なのであります。

これを「魔は紛然として競い起こる」と仏法で説くそうですが・・・。

私の大好きな僧侶に「日蓮上人」という方がおられます。

(お前みたいな 浅識無学の人間が偉そうに・・・。)と思われる方もいらっしゃると

思いますが。それは ホレ!私のような者でも 平等に発言を許されるのが 

民主主義であり ブログの世界・・・。

恐悦至極・・・。たかが 看板屋の独り言ですから 言いたい事を言わせて下さい。

私一人が呟いたとて 世間にゃ芥子粒程も影響しません・・・。

さて、鎌倉時代におられた、日蓮上人は他宗を否定した僧侶と誤解されがちです。

所以は如何ん(それは 何故か?)

当時の鎌倉幕府は高僧達(偉い坊さん達)が宗教を利用し国家権力に取り入っている

状態でした。庶民には「仏に功徳をもらえ」と言いつつ、自分達は 幕閣に取り入り  

暴利を貪っておりました。 庶民は疫病、飢きん、災害、重税に苦しめられ、死んだ人間

を食っていたと言う説もあります。(搾取されてた所なんて 今とそっくり!)

そこで、国を憂い庶民を愛し 命がけで立ち上がったのが日蓮上人です。

まあ、鎌倉時代のヒーローですね、大好きです。戦国時代にも この方を超える

猛将は居りません・・・・。武装集団から襲撃され 太刀を浴びせられる中 逃げる事も

なく 返って、弟子をかばい 数珠で刀を祓い眉間に刀傷まで負っています。

当時、封建社会において 幕府に意見などすれば 即刻死罪でありましたが、

立正安国論をもって 幕府を痛烈に批判しました。判りやすく譬えるならば

武装した ヒトラーに 丸腰で「お前は 間違っている!」と怒鳴りつける位

凄い事だと思っています。幕府は権威を重んじ 人の命などなんとも思っていなかった

のですから・・・。

これは 勇気がいったことでしょう!私が思うに 本来の「出家」とは 剃髪する事が

それではなく 悪しき権力と戦うとき 丸腰で戦う気概がなければ 到底無理だという

決意の深さを意味していたのではないでしょうか・・・。

そもそも、「出家」とは 世俗との関わりを断てという事じゃなく いざと言うときは 

身を犠牲にしても 庶民を守りぬけとの意味だったのではないかと思います。

そう 考える方が お釈迦様の教えとして理解できますね。

それこそが 仏道修行ってやつです。

これで 仏法と社会と庶民がリンクできたと言えるでしょう。

そして 日蓮流に言えば

「妻子・眷属を顧みず・・・。」妻帯して子供が居たのでは 妻子を想うがあまり

「命掛けで権力を相手にする事はできない」という日蓮上人の並々ならぬ決意だった

のでは なかったかと想われ いつも涙で目頭が熱くなります。

(現実、竜の口という処刑場で 当に、首を刎ねられる寸前まで行っています。)

正しき事(権力者にとって不都合な事)を言えば 当然の如く 迫害を受けるのは必定。

他宗教にも もちろん立派な方達がおられますが・・・・。

宗祖は自分と心同じゅうする弟子達を大勢排出し 皆が平等で暮らす安穏な世を創りた

かったのではないでしょうか。一生成仏という目的も大切ですが 庶民を救えなけれ

ば成仏(仏性を開く)したとは言えず 仏としての崇高なる行動が娑婆世界で具現化され

なければ有名無実の絵空事の仏となってしまいます。だから、教えを受ける人達が 

道理に暗く「政治を監視」する事を止めてしまえば 師の御志に報いた事にはなら無いと

想います。(政治のこたあ なあんも 判りましぇんばい 議員さんに任せとります)

じゃあ 話になりません。悪政に対し 仏弟子が現実から目を背けて 黙して居るようで

は 未来永劫、臆病者の謗りを受けるでしょう。

己自ら、衆愚政治のけん引に一役、買っているのに気づかず 自分を疑う事が

出来ないのであれば正常とは言えないですね。


なぜ日蓮上人は「当時の念仏宗」を批判したのか・・・。それは この世を捨てて あの

世で楽に暮らそうという仏法の本義とは あいかけ離れた「世捨て思想」が広まったから

ではなかったかと推測します。

幕府側の高僧も この世を諦めさせる為に言ったとは 思いませんが、

庶民の底流を知らぬまま 上っ面、通り一遍だけの説教が招いた悲劇だったのかも

知れません。結果的には 自殺者も多かったのではないでしょうか。

その昔、マリーアントワネットが貧困でパンを買えない民衆に向って 「パンが食べれな

いなら お菓子を食べればいいのに・・・」と言って民衆の怒りを買ったそうですが

今の日本にも居ますね、こう言う人達・・・・。格差社会であれば ありうる話です。

現在も自殺が多い社会ですが・・・・。酷似しております。

まあ、庶民の心をわからない お金持ちが仏のふりをしてのさばって居ったのですから 

庶民が希望を無くすのは当然です。増してや、貧乏人から金を取り上げる事に心を痛めて

いないのですから・・・・。

仏門に帰依した人間であれば 庶民側に立ち 弱者救済を掲げ 人間の生命を脅かす

悪魔のような権力者と丸腰で戦うのが筋でしょう。

仏の様な人間は 誰の目から見ても 仏であり誰が見ても疑いようがないでしょうね 

つまり、わかりやすく 紛らわしくないという事です。

釈尊の教えを そのまま実行した人こそ 日蓮上人その人ではなかったでしょうか・・。

今回は 長々と熱くなってしまいましたが、宗教そのものがカルト扱いされるのは

一番 大切な教義が 宗教屋によって 金儲けや権力闘争に利用され、

肝心である 仏教精神が矮小化され正しく受け継がれないからだと思います。

言動が不一致で自分達だけが正しいなんて言っているのは タダの排他主義です。

商売やりたきゃ、他でやってください。仏法は 人間皆平等を説いた教えであり

「選民主義」じゃありません。真っ白な 美しい法を穏没させちゃ駄目ですね。

歴史を学べば 日蓮上人以外にも、立派な方達もいらっしゃるみたいですが

各々の宗祖の心を感じ 生活に生かせて行けば 世の中が少しは明るくなる

のかなと思います。

まあ、資本主義社会で仏を探す事自体無理なのかも知れませんね・・。

なんてったって 金、金、権力、権力 なのですから・・・。

ひょっとして 彼等の崇拝する仏とは 金と権力じゃあないのかな・・・。

なんでも、諸悪の根源である 第六天の魔王を崇拝すれば 金持ちにしてくれるそうな

そして 挙句の果ては 戦争で地獄行き・・・・・・おしまい。

追伸 一部の人間が金持ちになったからって 正当化しちゃ駄目です。

それじゃあ まるで、東京だけ良くなって 景気回復したと吹聴して回っている

インチキ政権と一緒ですからね・・・。