自転車が見つかった・・・
盗人(ぬすっと)に持って行かれて丁度 一週間目・・・
路上に乗り捨てられていた 我が子の自転車・・・
名前と電話番号を書いていたので 発見してくださった方から
直接、電話を頂いた。
防犯届けをしていたので 取りに行くわけにもいかず
警察に通報してもらった。
推察した通り 名前を消せず前輪の泥除けカバーが蹴っ飛ばされ
凹んでいた・・・(場所によっては半世紀消えないペンキで書いたの
だぞ それに念がこもっている そう簡単に消えるもんか!www)
荷台が少し、よがんでいたので 恐らくもう一人
居たのだろう。 中学生位の餓鬼の卵が盗人の正体だと見ている。
発見の場所も 想定していた距離の範囲だったが方向が違っていた。
ひょっとしたら 我が家の前を通ったのではと、残念で成らない。
本来 指紋採取でもして 盗人を探し出し
刑法で裁けないので 民事でやろうと思ったが、
警察の方に「お気持ちはお察ししますが・・・」と遮られた。
確かに・・・
私が個人的に 指紋採取しても 照合するデーターという物が
無いと 見つけようが無いのだ。
私:「照合は自分でやりますから 見せてちょんまげ・・・」
警官:「だめです!」
つまり自転車泥棒と云うのは 事件性の無い軽犯罪と云う訳だ。
何かスッキリしない・・・
幼少の頃 私は母の財布から10円玉を盗んで駄菓子屋に
行ったのを見つかって こっ酷い目に遭わされた事がある。
あの時、盗みはイカヌという事を徹底的に叩き込まれたのだ。
父の着物の帯で 鴨居につながれた時、己の惨めな姿を通して
恥というものを知ったのだ。
母:「盗むくらいなら 物乞いになれっ!」
母の叱責は厳しかったのを今でも覚えている。
だから今、自分の理性を自由にコントロールできるのかも知れない。
犯罪の芽は小さいうちに刈り取る必要があるのではないだろうか。
それとも、自転車はあの時の10円玉より価値が下がったのか?
恐らく 現代は、正義感の強い警察官の方達が麻痺するくらい
犯罪だらけになってしまったのだろう・・・
人間にとっての「勝利の人生」とは 自分以外の他人(家族も含め)
に悲しい想いや不幸な想いをさせない事だと思っている。
この餓鬼が支配する世の中で 盗まず 騙さず 誠実に生きて
逝く事の難しさ・・・
世知辛い世で 重き荷をしょいながら 常に人間としての真価が
問われているのだと自分に言い聞かせている。
これは 自分の価値観だが 宗教がどうぢゃ こうぢゃ 思想が
どうぢゃ 言う事よりも
庶民の底流を生きている 私の最低限の誓いなのだ・・・
君よ偸盗(ちゅうとう)する事なかれ!
笑われるかも知れないが 故に「自転車泥棒」は許さない・・・
PS 昔、若かりし頃 自衛隊のスカウトの方に入隊を断ったが
「君は警察官向きだ 絶対になった方が良い」と
誘いを受けた事があった。
今にして思えば 残念無念でならぬのです。