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仕事の記録 AktioNote 山極壽一さん 総合地球環境学研究所所長〈インタビュー〉コロナ禍は人間らしさの源泉である 「共鳴」を妨げる | 総合地球環境学研究所 山極壽一所長 Part1

2022年05月10日 10時41分09秒 | Works
 
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仕事の記録 AktioNote 山極壽一さん 総合地球環境学研究所所長〈インタビュー〉コロナ禍は人間らしさの源泉である 「共鳴」を妨げる | 総合地球環境学研究所 山極壽一所長 Part1

池谷恵司
 

 

元京都大学学長で、ゴリラ学者の権威、山極壽一さんに、どうしてもコロナ禍のことを聞きたいと思って企画したインタビューでしたが、非常に実り多く、たくさんお話しいただいた内容がどれも素晴らしかったので3回にわたってのインタビューとなりました。今回はパート1で、まずはずばり、コロナ禍の影響についてうかがいました。
なんとなく、テレワーク、インターネット、などの電子デバイスでステイホームのネガティブ面を補償しつつ、逆にプラス面もある、と考えていましたが、ゴリラ学者から見れば、我々が想定しているよりも遥かに悪影響の大きい、禍々しい事態であるようです(しかも今も続いてます。今後も続くかもしれません)。
というのも、とにかく「場を共有する」ということが我々人類にとって最も重要であって、それは感染症のリスクとイコールなわけです。
たとえばともに食事をする、ということは、相手への絶対的な信頼を示す。だからともに食事をすることは、家族や恋人、そして友情を育む基本なわけです。
なぜそうか。それは食事とは「毒殺」というもっとも容易な殺人方法が起こりうる場だから。もっと遡って言えば、食事とは争いの元凶であり、人間以外の動物が食事を共にすることはほとんどない。ゴリラなどの類人猿に「おねだり行動」をすると食べ物を分けてもらえることはあるが、人間のように、わざわざ食べ物をほかの人がいるところに持って来て、一緒に食べる、という行動をする動物はいないようです。
こうした場の共有から、共鳴が生まれ、やがて思いやりながら協業するという人間ならではの所為が生まれてくる、ということをわかりやすくお話しいただきました。
ぜひごらんください。

総合地球環境学研究所所長〈インタビュー〉コロナ禍は人間らしさの源泉である 「共鳴」を妨げる | 総合地球環境学研究所 山極壽一所長 Part1

コロナ禍の非接触・リモートによって、何百万年もかけて培った「共鳴力」が発揮できなくなっている

――このコロナ禍で人間は右往左往しているわけですが、ゴリラから見たら、この状況はどのように見えるのでしょうか。

人間の一番大事なことを忘れちゃっていることをおかしく思うだろうね。あのね、人間は同調や共感がすごくできる存在なんですよ。人間はすぐに真似ができるでしょう? 実は人間以外は真似ってできないんですよ。だから「猿真似」は間違い。猿にも、チンパンジーにも、ゴリラにも真似はできません。
真似というものは体の同調です。あるいは共鳴と言ってもいい。集団でダンスを踊りますよね。これができるのは人間だけです。この体の同調、共鳴する体が「心を一つにする」という作用を持つ。だから人間は一人ではできないことを、みんなで力を合わせてやることができる。この力を発達させることで人間の社会は強くなったんです。

――共鳴、あるいは共感が人間らしさを育んだということでしょうか。

「共感」には段階があるんです。まず「エンパシー」。これは共感で相手の気持ちを知ることを意味します。これは猿でもできる。1990年代に猿の脳に電極を刺し、仲間の猿の行動を見ていると、それと脳の同じ部分が発火をすることが分かった。これを「ミラー・ニューロン」と言います。
次は「シンパシー」、同情です。共感と同情というのは違うんです。共感は単に相手の気持ちを知ることです。そこからさらに「相手を助けたい」と思わないと同情にはならない。それには相手が置かれている状況を理解しなければいけない。その認知能力が必要なんです。猿にはこれがありませんが、類人猿にはこれができる。階段を落ちそうになっている子どもがいれば、それを察知して手を差し伸べて抱き上げてやる。類人猿にはこれができます。
そして、人間はもう一段階上です。「Compassion(コンパッション)」という英語があります。これをうまく言い当てている日本語がないんだけど、これは「一人ではなくてみんなで同じ方向を向いて誰かを助けたい、何か状況を改善したいと思って協力する気持ち」のことです。これは同情の上に、さらに「みんなが同じ目的のために一緒に行動する」という気持ちがなければできない。だから認知能力をもう一段上げないとできない。この能力は人間だけしかありません。人間がこの「共鳴力」を獲得したからこそ、社会をつくり上げることができました。この「共鳴力」の基礎になるものが体の共鳴なんです。そしてほかの人間と一緒にいないと、対面していないと体の共鳴なんてできないです。

https://note.aktio.co.jp/education/20220510-1133.html