放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

3.11だけではないだろう?

2019年03月17日 02時51分16秒 | 東日本大震災

 この日を思い出したくないという人がいる。
 この日を忘れたくないという人もいる。

 東日本大震災は広範囲に被災した災害だったけど、みんな同じ体験をしたわけではない。
 そして心の傷を癒やす方法なんてどこにもない。

 毎年やってくる3.11だけど、その日だけが鎮魂ではないだろう。
 たとえば8年前の今日は、発生から〇〇日が経っていて、まだ食料を求めて雪舞う空の下、袋をぶら下げて行列に並んでいた。水道は止まり、電気もつかない。ガスも出ない。そしてラジオの電波はしきりに福島第一原発のニュースと政府広告機構のCMを交互に流していた。
 8年前の今は何していたかと考えれば、今日が3.11でなくても毎日が鎮魂で、深刻な物資不足を耐えた自身を労うべきなんだと思えてくる。

 自分はどこか震災の日を神聖視しているところがある。
 おそらく執拗なフラッシュバックを軽減するために心のどこかを加工したのだろう。
 とても辛い記憶がいつのまにか眩しいような思い出に置き換わる、ということが僕には時々ある。心の安定を図るため、脳内に何か緩和物質が出るのか。あの日のことを思うとき、心の中に鎮魂の聖堂のようなものが出現する。その瞬間だけ、人間が嫌いで怖くて仕方がない僕でも、誰かと手を繋げるような気がする。その瞬間だけ、鎮魂を言葉にしても誰も笑わない、ように思える。

 この不思議な聖堂は他の人にもあるのだろうか。
 
 恐ろしい浪に呑まれていったはずの死者が、さっぱりとした顔で立っているのを想像できるような
 見つからない人が、手を振るのが見えるような
 焼かれた人も、潰された人も、ちぎれた人も、みんなみんな完全に癒えて笑っているような
 そして生き延びた僕らを祝福し、励まし、生きていることが罪ではないとおしえてくれるような
 「待っているよ」と言い残して光の向こうへ消えてゆくような・・・
   
 そんな聖堂をいつもこころに置いておきたい。   
 
 生きているつらさは、誰かの分も担っているから
 「こんなことになるならば、もう少し優しくしておけばよかった」
 「もう少し話を聞いておけばよかった」
 「もう少しわがまま言っておけばよかった」

 別れたからこそ生まれてきた感情がある。
 これは聖堂から出しておいて、日常生活のよく目につくところに置いておくことにしよう。



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