放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

コロナに罹った

2024年01月10日 10時05分39秒 | 肝苦りぃさ
具合が悪くなり診療所へ行くと、医者から新型コロナ陽性であると告げられた。

この感染症は4年前と比べると弱毒化が進み第5類感染症相当に移行している。けど防疫はしなければならない。僕は寝室隔離が決まった。

隔離を恨む話しをするつもりはない。
家族の適切かつ迅速な感染対策に驚き、感謝し、並以上の負担に申し訳なく思っていている。
常時換気、ペーパータオル設置、アルコールスプレー配置。
僕は寝室とトイレの往来だけ。あとは上げ膳据え膳、着替えの用意、シーツ、カバーの交換。病院並の対応である。
家族の予定もみんなキャンセル。
ここまでしてもらって家族に感染させるわけにはいかない。
腹括って療養生活に入った。

ノドの痛みは1日目で引いた。けど眉間のムカムカと頭痛がひどい。あとしつこい微熱。
眉間のムカムカと頭痛と微熱のせいで眼球から後頭部へクギ2本刺さっているみたいな不快感。
3日目に寝ていられなくなり、布団に座り込んだ。

寝室にはラジオはあるけどテレビはない。
あっても眉間のムカムカで見ていられない。
字も読む気になれない。
触るもの全てに菌を残留させてしまうから触ろうとも思わない。
なにもすることが無いまま座っているだけ。
なんとなく能登地震(2024/1/1発災)の被災地のことを思った。

あちらが大変な状況なのは言うまでもない。
きっと多くの方が寒くてテレビもないところで安否の判らない人を想いながらじっと座っているのだろう。
それはこんな風なのだろうか。
(あちらの感染状況が心配です)
目を閉じると耳ばかり澄んで、やたら外の音が気になる。
考え事ばかりしてしまうのは、時間が有り余っているから。
でも考え事にはやがて妄想がまじり、答えの出ないメビウスループができるだけ。
余計に疲れて落ちこむ。
思考が明るく正常化するには誰かに声を掛けてもらえる必要がある。

ウクライナでもガザでも今この瞬間に呆然と座り込んで、今いない人のことを想う人がいるのだろう。
まるで何かに閉じ込められたように、そこから抜け出せない。
時間の経過を待つしか無い。

かつて新型コロナに罹った家族が地域に住めなくなり引っ越しを余儀なくされた事案があった。
責められて自死した人もいた。
治療に当たった医師の子が保育所から拒まれる話も聞いた。
今のコロナ株とは毒性が違うのかもしれないが、あの時傷ついた人たちに、今の僕はなんて言ったらいいのだろう。
無知とは恥ずかしいこと。
今すでに危機や恐怖と併存していることを知らない愚かさ・・・
災害や戦災、感染症。
それだけではない。
もしも今、家族が急変し、認知症や感情障害になったとしたらどうなるか。
家族が突然暴れ、または目を離すと何をするかわからないようになったら。
その日から危機や恐怖と同居していることになる。
実際それに耐えながら暮らしている人は少なくはない。
そんな人たちには、近所にコロナ患者がいることなぞ恐怖のうちには入らないだろう。

現世(うつしよ)は苦界にて浄土にあらず。
それは壊れやすく、長持ちしない生命だから。
それこそが唯一の平等性だと気がついているくせに目を背ける指導者たちはなんて罪深いんだろう。

日常生活から離れ、想いは遠くを彷徨う。


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