放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

鳥取➖松江➖出雲の旅#5(20191102グー無しジャンケン)

2019年12月30日 02時00分26秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 出雲市駅に着いた頃はもうすっかり日も落ちていた。
 今更ながら時刻表を見ると、ほんのちょっとの差でもう後続の特急列車が出雲市駅に到着する。この特急、松江の発車時間は先発より20分も遅いくせに到着は5分くらいしか違わない。判っていればもう少し宍道湖を眺める時間が作れたかもしれない。ちょっと勿体なかったか。でも旅先で後悔と迷いは少ないほうがいい。考えるのやーめたっ。
 このままビジネスホテルに直行。カードキーを受け取り、部屋へ上がる。
 今日もお夕飯は居酒屋です。

 出雲市の街へ。ぐるりと廻ってお目当ての居酒屋さんに到着。
 魚料理がメインのチェーン店。戸をガラリと開けると、昨日とは違い、派手目の店内。予約していたのですぐ個室に通された。

 今日もビールは割愛して日本酒。二合ばかりの冷酒をコップに注いで飲もうと注文したけどイマイチ伝わっていないようだ。大丈夫か?もうコップだったら何でもいいよ。
 魚食べたい。焼き魚がいいかな。と思ったら、
 「今日、鯛の解体ショーやりますよ」と店員さん。
 た、鯛?また随分とかわいいサイズの解体ショーだね。

 隣の個室がやけに騒がしい。ただ呑んで騒いでいるだけに聞こえない。テレビ点けてる?居酒屋なのに?
 ああ、今日はラグビーワールドカップ2019の決勝戦だ。

 今年はすっかりラグビー「にわかファン」だった。
 おもしろかった。感動した。
 それが今日終わってしまう。
 さっき頼んだ焼き魚(ノドグロ)が来た。お酒もきた。何コレ、「もっきり」じゃん!やっぱり伝わっていなかったみたい。まあ飲も飲も。
 すっかりノドグロ気に入ってしまった。
 白身魚だからサバほど脂がキツくないし、かといって魚の味はしっかりしている。
 なんか山陰地方にきてから肉ほとんど食べていない。魚肉ばかり。だけど全然飽きない。
 ご飯おいしい。お酒おいしい。お魚おいしい。来てよかった。

 「まもなく解体ショーはじまります」
 せっかく店員さんに誘われたからね、そっち行きますか。

 のそのそと個室を出て広いところに行く。
 僕たちを含め四組くらいのお客さんが台の上の大きな俎板囲む。俎板の上には、ガーゼにくるまれたものが乗っかっている。結構デカい?

 ガーゼを取ると、そこには大きな鯛が載っていた。デカいなぁ。魚屋さんでこんなのよぅ見んで。
 「8キロ超えの鯛です。ふつう養殖やと2キロ超えたら水揚げしてしまうんで。こんなんは養殖あらしません。漁師さんの網にかかった紛れもない天然モノですワ。」
 顔ゴツい。ヒレでかい。高級魚というよりギャングフィッシュちゃうか。
 島根の沖合では隣国の漁船も来ている。日本の漁師さん、よくこんな大物を持ってきてくれたと感謝すべきなんだろう。

 「では解体ショー始めます。」
 板前サン、柳包丁を取り出し、鯛のエラからずぶりと突き刺して捌き始めた。
 首の付根に包丁を廻し、脛骨を切り離す。これでお頭部分が切り離された。このお頭を唇から包丁を差し込み、キレイに真っ二つにする。
 次に身を中骨からキレイに剥がす。正確には包丁を水平にして中骨ギリギリのところを切り分けているのだけれど、まるで剥がすように正確に分けられてゆく。こうしてお頭二つ、身も二つの合計4つに切り分けられた。
 「さあ、こちらを皆さんでジャンケンして分けてもらいます。1番2番さんにはカマ焼きを。3番4番さんには身をお造りにします。」
 あ、そういうこと?
 「どっちジャンケンする?」
 とBELAちゃん。
 「キミ行きなよ。」
 「えー、負けたらイヤだー。」
 「大丈夫」
 勝つ気なら、大丈夫。逆なら難しいけど。
 4組からそれぞれ一人ずつ、4人が輪になる。
 「どうしよどうしよ。どうしたらいい?」
  絶対グー出しちゃダメだよ。
 「え、なんでなんで?」
 「それではいーですかー? ジャーンケン、ポイ!」
 BELAちゃんチョキだしたから三つ巴になり、アイコでショ!
 ・・・ほら勝った。
 ありがたい事に皆さんがグー出してくれて、パー出したBELAちゃんが一人勝ち抜けした。
 ね、グー出さなければ勝てるでしょ。

 裏を返せば、みなさんが潜在的に遠慮したということなのだ。
 突然鯛の解体ショーに集められた。まぁ見るだけ付き合いましょかという心持ち。
 え、捌いた部位を呉れる? どうしよう。別に無理にほしいわけでもないんだけどな・・・。
 っていう心理が皆さんにグーを出させてしまう。遠慮しつつ出す手はグーなのだ。
 もちろんジャンケンだから時の運。チョキ出す人もパー出す人もいないとは断言できない。
 けれどグーを出す確率はこの場合有意に高い。
 
 というわけで、鯛のカマ(頭)焼きゲット!
 やっぱりデカいな!

 

 というわけで早速箸をつける。
 テレビではラグビーワールドカップにおいて南アフリカが優勝した旨伝えていた。おめでとー。

 まず頬っぺたの肉。
 おおー醤油いらないくらい味が濃い。
 それから首の肉、目の周りの肉。おいしー。
 焼き加減もちょうどいい。中まで火が通っているのに肉汁がいっぱい残っている。
 とにかくバラす。バラす。バラしまくって本当に骨だけにした。
 日本海サイコー。大和堆サイコー。鯛もサイコー。

 本当に山陰来てから三食とも海産物ばかり食べている。塩分は多めだけど、幸せも多め。
 いやぁ。食べた食べた。さて、明日はもう仙台。


鳥取➖松江➖出雲の旅#4(20191102神々の黄昏)

2019年12月19日 02時06分26秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 月照寺の山門を出る。
 もう随分と日が翳ってきていた。
 やがて宍道湖の向こうに日が沈む。「神々の黄昏」が始まっていた。
 北欧神話のラグナ・レクと違い、神々は滅びない。宇宙樹も枯れない。宍道湖の向こうに夕日が沈む。宍道湖の向こうには出雲大社。祀神は大国主命。根の堅州国(死者の国)の王でもある。その出雲大社に向かって夕日が神々しく沈んでゆくのである。日没と日の出を入滅と再生になぞらえるという意味ではラグナ・レクと根源は近しいものがあるかも。25年前の今ころ、僕たちは宍道湖の岸辺にいた。そこで4枚の写真を撮った。一枚目は二人で宍道湖に向かい座っているところを背後からタイマーセットして撮った。二枚目もほぼ同じポーズ。三枚目で振り返り、四枚目は誰もいない宍道湖を撮った。もう少し茜色であったならば、かなりいい感じの夕湘景だったと想う。
 松江市内にはいくつか「神々の黄昏」を拝めるポイントというのがあって、今回狙っていたのが島根県立美術館の庭園だった。また時刻とポイントさえ合えば、JR山陰本線からも拝めるのではないか、などど考えていたが、現在居るところはそのどちらでもない。月照寺の山門だ。

 どうやって戻ろう? ってかどっちに行くの?

 いろいろ迷って、JR松江駅に戻ることにした。エキナカで和菓子も買いたいし、そもそも今日は夕方6時過ぎにはJR出雲市駅ちかくのお宿に入っていなければならない。
 循環バスだと到着時間が読めないからやっぱりタクシーを呼ぶことにした。
 ところが・・・。
 なかなか来ない。そのうち循環バスが一本通過していった。なんかこういうのって妙にアセる。
 どんどん日が翳ってきたぞ。そんなに日没早いの?
 ってかもっと空が夕日の染まってもいいはず・・・、はず。
 はず? あ、タクシーきた。

 どうも空の様子がおかしい。
 日が翳っているのは、曇ってきたんでないかい?
 宍道湖を渡る橋の上から西の空を見る。雲多いな。お日様すっかり隠れている。
 太陽の下半分が雲から覗いていて、まるで漏れているかのような日照がぼんやりと雲に滲んでいる。光が弱くて空がぜんぜん茜色に染まっていない。これはキビしいぞ。

 松江駅に着くと、すぐにエキナカで松江の和菓子を爆買いしてJR山陰本線に飛び乗った。せめて移動しながら「神々の黄昏」を拝みたい。
 25年前、僕たちは5時頃まで松江に居て、それから一畑電鉄で出雲に行った。一畑電鉄は宍道湖の北側を回るので当然夕日は拝めない。山陰本線ならば宍道湖の南側なので運が良ければ夕湘景が拝めるだろうか。
 ところが、宍道湖がよく見える側の席には座れなかった。そんでもって意外と混んでいて、ゆっくり景色を拝める状況にない。折角在来線を選んだのに・・・。こんなことならもう少し松江にいて特急に乗ればよかった。
 相変わらず雲が厚い。夕日はまるで雑炊に沈む玉子のよう。白身が邪魔で輪郭さえよくわからない。ほんの少しだけ夕日が湖面を照らしていたが、やけに遠く感じられた。
 こりゃやられたね。まいったまいった。


鳥取➖松江➖出雲の旅#4(20191102贔屓は引き倒してはダメ,ってなんのこっちゃ)

2019年12月10日 23時27分21秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 ビジネスホテルに戻り、預かってもらっていた荷物を受け取る。もう鳥取を離れる時刻が迫っていた。
 昨日買った二日間周遊券は、JR山陰本線の特急(自由席)でも在来線でも乗り降り自由な切符。今日の予定は、松江で途中下車し、その後出雲市まで行こうというもの。昨日「みどりの窓口」で教えてもらった周遊券のお陰で随分資金が浮いた。
 もう午後1時はとっくに過ぎた。松江に着く頃はもう夕暮れだろう。だから鳥取駅で駅弁を買うことにした。山陰鳥取といえば「かにめし」が全国的に有名だが、あらかた売り切れでお目にかかれず、「かに寿司」のほうを選択した。BELAちゃんは「かに幕の内」。
 急いでプラットホームに上がる。すると、お客さんが一箇所に集まっている。なんでここだけ?
 ぶら下がっている車両番号などの札をよく見ると、山陰本線の特急車両が2両編成となっている。しかも1両目は指定席、2両目が自由席だ。で、そこにお客さんの列ができている。半信半疑で列の後ろに並んだ。気のせいか、お客さんの半分はやはり半信半疑な顔している。ま、ここが始発だからね。席にあぶれることも無いでしょう。とりあえず人の居るところが無難かな。そういうふうに札に書いてあるんだし。

 列車が来た。「スーパーおき」。ホントに2両編成。

何だか、かわいい。
 取り急ぎ自由席を確保する。どの席も進行方向を向いている。お、車両にトイレも付いている。確かに特急列車だね。
 おそらく、ローカル線っぽい特急列車というコンセプトではないだろうか。同様に2両編成の観光特急「天地(あめつち)」も向こうに停車していた。こちらは少し神がかったコンセプト? こういう列車に周遊券で乗れるというのだから、お得感はしっかりある。お得感は旅を楽しくする。
 2両編成は乗客数から割り出した車両数なのかとも思ったが、それだけではないだろう。高齢者の足代わりという典型的なローカル線とはちがい、学生さんが一定以上乗っている。子供連れの女性もいる。要するにそこそこ賑やかなのだ。けっして寂れていない。

 僕たちは早々に駅弁を平らげて、窓の景色に見入っていた。
 海が見える。日本海だ。
 真冬の日本海とちがい、それほど荒れていないように見える。小さな漁村、寿司屋の看板、山を差し挟んで、次の瞬間また海原が広がる。遠くの岬、松林。ふと鳥取で出会った人の言葉が蘇る。
 - 昔、ここが日本のオモテでした。玄関でした。-
 秋津島で小さなクニが出来つつあった頃、大陸では魏の司馬懿仲達が遼東半島の大虐殺を行っていた。
 大陸の凄まじい強欲と殺気を恐れた小さなクニたちは連合国家を作ることを思い立つ。鳥取は大陸の殺気に晒されやすいので、王たちは瀬戸内海の最奥である難波、そして大和盆地へ拠点を移し始める・・・。
 ・・・ってな感じで妄想するのにぴったりなのが日本海の海原と青い空。
 少し眠くなってきた。

 今日はお宿を出雲市に取っている。しかし、その前に松江にちょっと寄りたい。
 松江は25年前の旅でも、とても印象深い地だった。
 松江藩第7代目藩主・松平治郷公(不昧公=茶道不昧流祖)によって松江はお茶処となった。お茶といえば菓子。そう和菓子。
 そして宍道湖七珍と小泉八雲。
 そして25年前に見た宍道湖の夕日。このときは夕日が傾いたぐらいで一畑電鉄に乗って出雲へ移動してしまったので、まあ不完全といったところか。
 今回は島根県立美術館の庭から宍道湖に映える夕日を見てみたい。という計画であった。当初はね。

 松江駅に着く頃にはもう午後の3時を廻っていた。11月ともなれば夕暮れは釣瓶落しの如く、である。のんびりしていられない。
 当初は大急ぎで和菓子屋さんを巡ろうと思ったが、当たり前だけど時間が足りない。
 でも、エキナカの売り場がすごく充実していて助かった。知っている和菓子屋さんはほぼ揃っているし、宍道湖の水産物もたくさんある。じゃあ、美術館に行った後にお土産屋さんを攻めようか。 
 すると、BELAちゃん「月照寺に行きたい」。
 「月照寺?」
 「うん、美術館も行きたいけど、月照寺。大事な処だから。」
 月照寺かぁ。時間は出来たのは確かだけど、夕暮れには松江駅に戻りたい。微妙だぞ。
 「松江にはお城とか小泉八雲旧居とか寄りたいとこたくさんあるけど、やっぱり月照寺。どこか1箇所しか寄れないなら他は考えられない。」
 わかった。思い切ってタクシーを拾おう。これしかないよね。
 
 月照寺の山門に着いた時には、何となく日も陰り、あたりに人影はなかった。
 お参り前に庫裡へ。時間ギリギリだったけどお抹茶をお願いした。
 座敷に上がると先客がいた。僕はお構いなしに縁側へ向かう。ここなら庭園が見渡せる。
 「ちょっとちょっと」
 BELAちゃんに袖を引かれた。「だめでしょココは。ちゃんと毛氈の上に座らなきゃ。」
 そお?10年前に子どもたちと来た時には縁側OKだったよ。
 「あれはまだ暑い頃で、涼めるように配慮してもらったんでしょっ」
 ずるずると後ろに引っ張られた。
 お菓子が運ばれてきた。「路芝」だ。青々とした色彩が季節的には合っていないが、それでも月照寺といえば風月堂の「路芝」。
 ひさしぶり。この素朴な甘さがいい。そしてお薄(抹茶)。ああ松江に来たな、と思えるのが月照寺でお茶をいただく瞬間だ。BELAちゃんがここへ来たかったのも頷ける。
 何を隠そう、ここは松江藩主家の墓所である。実は鳥取でも鳥取藩主家の墓所に伺っていた。鳥取藩主・池田家の墓所は山沿いにありながら、日当たりがよくさっぱりしていた。いっぽう松江藩主・松平家の墓所はすこし鬱としている。こころなしか地面も多分に水分を含んでいる。まるで水脈の上に立っているような感覚。鳥取藩主墓所を山のお宮になぞらえるならば、松江藩主墓所は水のお宮だろうか。
 月照寺には不思議なものがある。それは墓所の奥のほう、古びた門を潜った先の左手にある。巨木が脚をむくむくと広げている間に巨大な亀(のような怪物)が。これまた巨大な石碑を背負っている。松江藩六代藩主を寿ぐ寿蔵碑である。俗に「月照寺の大亀」と呼ばれ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン1850-1904)の妻セツがこの大亀を、夜な夜な街に出て人を食う怪物として語った逸話がある。
 大亀そのまんまであるが実は亀ではない。龍の子供だという。名を「贔屓(ひき)」という。詳しい説話はインターネットに散見できたが、長くなるので省略する。
 実は鳥取藩主の墓所では、墓石全てがこの寿蔵碑のように贔屓サンの背に竿石を立てている。こういう石碑を亀趺とも言う。鳥取藩と松江藩。隣の藩同士、共通する何かがあったのだろうか。ナゾは深い・・・。