放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

角館ー花巻紀行(台温泉 中嶋旅館2)

2018年12月31日 01時46分10秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 贅沢な材を用いて、御殿のような建物を建てようとすれば、それは広い広間や、長い廊下のような空間を演出しようとするだろう。そうすれば、風通しの良い、垢抜けた、それでいて簡素な― 材の存在感を際立たせるために ―美しい建造物がそこにはある筈だ。
 しかし台温泉は山の中である。どの建物も岩山の傾斜を利用して建てられている。平地を確保しづらいのだろう。中嶋旅館も他のお宿と同様に岩肌に沿うようにして建てられた四階建ての建物である。築80年以上経っている、かな? その構造は平屋でないから相当フクザツである。はっきり言えば階段だらけ。しかも階段は複数あり、中には中3階へと至る階段が独自にあったりする。その眺めは、垢抜けているとは言い難いが、それでも岩手の花巻らしいというか、湯治場らしいレトロな懐かしさが味わえる。ここもきっとザシキワラシがいるかもしれない。
 そのレトロな階段をトントン降りて、浴室へ向かう。浴室は渡り廊下のようなところをどんどん下に降りてゆくところにある。この浴室もかなり独特。地底を刳(えぐ)るように掘り下げた底が温泉槽になっている。刳った底だから浴槽も深い。立ったまま入る。お子様要注意。酔った人も要注意。

 夏の温泉だから男たちはあまり長湯しなかったが(女性はそうでもない)、冬ならば温泉もご馳走である。で、食べるご馳走がこのあと絢爛豪華に展開することになる。
 すごいんだコレがまた。
 なんと隣のお広間に御膳を用意してもらった。お広間貸し切り。凄すぎ。

 鮎おいしかった。頭から背骨も尻尾もバリバリ食べた。ビールと合いすぎるっ!

 ごちそうさまでした。
 雨が降り止まない。でもなんだかこのまま寝てしまうのも勿体無い気がして少しだけ館内を散歩。


 我々が泊まる階の上にもう一つ部屋がある。最上階の特別室「翁(おきな)」だ。
 覗けるものなら覗いてみたかったが、階段から上はなぜか明かりが点いていない。事実上の立入禁止。
 なんか階段を上がってゆくと、その無礼を「翁」の主(ヌシ)が許さないような気がして、下から覗くだけで諦めた。

 

 今日もたくさん移動した。雫石から花巻をぐるぐる。特に羅須地人協会は文芸学部の長男にとっては感慨深いところであったようだ。
 あしたも多分ぐるぐる。だからゆっくり休んでおかなきゃ。オヤスミ。


角館ー花巻紀行(台温泉 中嶋旅館)

2018年12月29日 01時58分29秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 道を間違えて、右の方へ行ってしまったはずなのに、なぜ本日のお宿に到着できたのか、しばらく解らなかった。てっきり山中で立ち往生しちゃうかと思っていたのに・・・。この謎は、あとで分かった。要するに一本道なのだ。花巻温泉郷から伸びる山道は、Y字に分かれているが、それはどちらから行ってももう一方の道にたどり着くだけ。台温泉をぐるりと回る輪のような道なのだ。

 雨がひどくなってきた。
 この日も昨日と同じ。夕方になってから本降りになった。


 中嶋旅館前で路駐して荷物をおろす。旅館の人も手伝いに出てきてくれた。あんまり広い道ではないので路駐していて不安。荷物をおろしてから旅館脇の駐車場へ車を廻す。雨はかなり大粒で、車のドアを開けただけで流れ込んできそう。しまった。カサはトランクルームだ。
 決心して飛び出す。とたんにシャワーのように雫を浴びる。トランクルームからカサを取り出してやっとさす。カサなしでどこへもいけないようだ。っても隣の建物なんだけどね。

 雨だったのでゆっくり建物の外観を眺める余裕がない。急いで玄関に飛び込む。

 玄関から中をみて驚いた。

 こりゃすげー。

 口で行っても伝わりにくいので、画像をどうぞ。

 

 白無垢材それも柾目のいいところをふんだんに使っている。ところどころ材が入り組んでいて、丸木をそのまま使っていたり、黒光りする希少材木も(もしかして埋れ木か?)ある。階段もすごい。肉厚の手すり。擬宝珠つきの欄干。
 宮大工が高級木材をこれでもかとばかりに駆使して、贅沢に贅沢に造った建造物であることがよくわかる。
 圧倒されすぎてため息しか出てこない。

 案内されたのは3階の「蓬莱」というお部屋。
 入り口の引き戸がまた・・・、なんとも。これは「雪紋」だろうか。
 中に入ると、八畳敷の座敷とその奥にも一室。広い。四人で泊まるには贅沢すぎる。
 欄間には透かし彫りの彫刻。奥の部屋はなんと漆喰を彫刻のように盛り上げた青海波模様。これ気仙大工の「鏝絵」とよばれる技法じゃないかしら。
 奥の一室は東と南にに広い窓を備えているから建物を上から展望するためのものだろう。あいにくの雨だが・・・。
  
 はた、と気づき、座敷の中央で正座する。みんなも並んで正座した。
 「一晩ご厄介になります。よろしくお願いします。」
 部屋の「主(ヌシ)」へご挨拶。これが僕らの儀式なのだ。


角館-花巻紀行(県道にて2)

2018年12月25日 23時01分48秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 宮沢賢治が羅須地人協会を創設し願ったことは、ただ純粋に職業・産業の貴賤を取り払い、ほんとうの尊厳と自由と芸術文化の奔流を世の隅々まで流し込むことであったと思いたい。けれどその活動は思いのほか短く。女性問題や地域の誤解と本人の得病によって断絶せざるを得なかった。賢治亡きあと、その願いはその後の経済至上主義の中でどんどん閉塞し、窒息してゆく。しかし災害や何かのきっかけで、僕たちは誰かのことを想い、その尊厳と自由を応援したいと願うことがある。誰でもふとしたことで身勝手から一転して他者を慮るようになる。そういうところまで僕らは「尊厳」というものを理解できている。その瞬間、賢治の願いはささやかに結実している。確かに結実しているんだと思う。

 その賢治の願いと活動を記憶する建物「羅須地人協会館」。いまは花巻農業高校の一角にある。ここはかつて賢治が教鞭を執った花巻農学校の後身である。

 ここへ来るのはこれが2回め。待ち構えたように雨は小降りになる。
 初回は1995年。間もなく賢治生誕100年になるという祝祭の前年だったと思う。
 ここへは電車で来て、タクシーで廻った。たしか胡四王山の施設をすべて見て回って、羅須地人協会の建物を外から眺め、最後に墓所を参拝して駅へ戻ったと思う。今となっては、どんなコースで巡ったのか、よく思い出せない。
 
 ここは県立高校だけど、羅須地人協会を訪れる人のために駐車場が用意されている。岩手県って、なんて親切。で案内板を読むと、当然のことながら公開時間はとっくに終了。そりゃそーだ。しかも今日は日曜日。延長はありえない(平日もダメでしょフツー)。未練たらしく建物周辺をウロウロしたが、何も収穫はなく、結局そのまま退散するしかなかった。

 で、また移動。

 空港滑走路の下をくぐり(すべてナビの指示です)、市街地を西へ突っ切る。山沿いの県道に出たら、花巻温泉郷は意外と近かった。目指す台温泉はこの奥。
 温泉街を抜けたら急に人気のない山道になる。付き合ってくれるのは電柱を渡り歩く電線だけ。Y字路に差し掛かったとき、左折するべきところを右に行ってしまい、さらに寂しい道になる。どうしよう、コレどこかでやり直す? 決心がつかないまま走らせていると、正面にトンネルが見えてきた。車一台分の小さな小さなトンネル。まるで坑道のよう。対向車来たら間違いなく接触する。雨はとうとう本降りになった。山肌を流れ下る泥水が怖い。トンネルの向こうはカーブの続く下り坂。と、そのさきに廃墟となったお宿が見えてきた。渡り廊下橋を潜る。と、その先に、お迎え提灯を掲げた古そうなお宿があった。あ、ここだ。今日お世話になる「中嶋旅館」。


角館ー花巻紀行(県道にて)

2018年12月17日 01時30分21秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 すこしくぐもったような汽笛がどこからともなく聞こえてくる。
 たちまち辺りは旅路を急ぐ人々の足音や咳払い、物売りやら発車のお鈴を鳴らす音に包まれたような錯覚に陥る。
 中央花巻駅に纏いつくように集まるレールから、それぞれ目的地へと軌道は伸びている。そのうちの一つのレールが、ジオラマボードを突き抜けてまっすぐ伸びている。レールはその向こうで左に折れていて先が見えない。
 くぐもった汽笛はこの向こうからなっているようだ。やがて車両が姿を現した。軽便鉄道だ。
 この軽便鉄道は機関車の向きが面白い。通常とは逆向きに連結されているのだ。
 よくWEBで「岩手 軽便鉄道」と検索するとこの逆向きに連結された機関車の写真を見ることができる。
 逆向き連結について少し調べたが、なかなか「これ」という情報が出てこない。おそらく急峻でカーブの多い峠道を登るための連結方法なのだろうけれど、詳しくはわからない。現在では立派なSLがJR花巻駅から出ているが、やはり軽便鉄道とは違うよな・・・と少し旅愁に駆られた。
 ジオラマの軽便鉄道はすうっと駅舎に寄り添うと、しばらくして、また軌道を戻っていった。これが本日最後の運行だった。ジオラマは再び凍りついたように静かになる。

 時間を見るともう夕方5時近い。お宿に行かなきゃ。エントランスに戻ると、そこから雨に濡れた連絡道が見えた。宮沢賢治童話村へと向かう道だ。明日、また来ようか。次男に尋ねると、じっと道の先を見つめながら小さく頷いた。

 みんなで雨のなか小走りに飛び出す。駐車場までけっこうあるよ。ってそっち行っちゃだめっ。スズメバチっ。しかしみんなお構いなし。木の下をくぐり藪を蹴って最短距離を走る。野生児かっ。

 結構濡れながら車に到着。
 本降りになっちゃったねぇ。ここからお宿までどのくらい?
 タオルで髪の毛を拭きながらシートベルトをする。暗くなる前に宿に着きたい。
 スマホのナビを頼る。とりあえず北に進むらしい。国道456号線を北上。東北道と並走しつつ、まずは県道214号との交差点を目指す。
 交差点につくまでにちょこっとウンチク。
 花巻の温泉エリアは花巻温泉郷エリアと南花巻温泉郷エリアの2つに区別される。本当はもっとたくさんあるけれど、花巻電鉄が2つのエリアにそれぞれ軌道を敷いていたので、この2つに大別していいんだろう。
 どちらも市街地から西に見える北上山地にあり、それぞれのエリアが複数の源泉を持っている。掘って探した源泉なのか、断層の裂け目から源泉が湧いたのか、よくわからないが、一つの温泉地に一つのお宿というのが意外に多い。とくに南花巻温泉郷に多い。有名な大沢温泉も代表的な一温泉一宿。

 交差点についた。ここで左折。今度は県道224号線との交差点を目指す。その先には花巻空港があるはずだ。
 このあたりは見通しのよい田園風景が広がっている。あいにくの雨で、見渡す限り田んぼはぎんどろ色の鈍い光を放つ。猛暑なのでこの雨は天佑というべきか。

 で、ウンチクの続き。
 2つに大別される温泉郷のうち、花巻温泉郷の最も奥にあるのが本日お目当ての台温泉。
 おそらく山深く分け入れば、もっと源泉がいっぱいあるのだろう。しかしここが車で行ける限界であり、お宿もここまでしかない。ここは「台焼」と呼ばれる陶磁器の産地でもある。台焼にお目にかかれるかはわからないが、宮大工の粋を集めた旅館を満喫する楽しみが待っている。

 県道はいつの間にか花巻空港に近づいていた。
 ん、「羅須地人協会」?
 
 あ、花巻農学校だ。


角館ー花巻紀行(博物館のジオラマ)

2018年12月06日 00時15分50秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 宮沢賢治童話村に到着。 
 雨はだんだん強くなってきていた。
  どうする・・・? ここで相談タイム。
  明日また来ようか?雨の中歩くのはしんどいし。そのかわり隣の花巻市博物館に寄ろうか。
   大丈夫?もう閉館時間じゃない?
 時刻はまもなく夕方の4時。

   ちょこっと行ってみよう。駆け足で見れるかな。

 急ぎ車を博物館に寄せる。しかし駐車場は空いていない。
 家族みんなを建物近くで降ろして、雨の中再び車を童話村駐車場へ持ってゆく。
 車を降りて急いで博物館への坂を登る。傘はナシ。

 賢治の愛した胡四王山はすっかり雨音につつまれていた。雫がねっとりと肌に貼り付く。まるで梅雨のような湿気。
 それでも気温は23°くらい。今年(2018)の夏は、災害レベルの猛暑だったが、このときは信じられないくらいに気温が低かった。

 植え込みの生い茂る中を突っ切ろうとしたら「スズメバチ注意!」の看板。
 看板だけでビビるな、と独り言。でも強がっている場合じゃないので植え込みからやや離れた道を遠回り。

 建物に入るとさすがに髪がびっしょり。面倒くさがって傘ナシで歩くからいけない。これだから男は・・・。
 でも閉館時間にはやや間があったようだ。良かった。
 
 エントランスを入るとワイドスクリーンがお出迎え。展示物の広報用らしい。特別展「写真家が捉えた昭和の子ども」。土門拳か。お、なんだ軽便鉄道のジオラマがあるの?  
 さすがに花巻市の博物館ともなるとテーマは宮沢賢治だけというわけにはいかない。地質、古代生物、植生分布、考古民族、飢饉のこと、和賀氏、稗貫氏、そして南部氏のこと。そして遠野や宮古へのアクセス、つまり賢治が「化物丁場」と呼んだ難所をどのようにして克服してきたのか、壮大な歴史がここに詰まっている。そしてやっと花巻の偉人を紹介するパネルにたどりつく。
 先程の軽便鉄道のジオラマはこの先にあった。そういえば、さっき展示を見ていた時にどこかで汽笛のような音を聞いたが・・・?  
 「はい、さきほど実演しました。」
 あ、やっぱり。で次はいつ?
 「あと20分くらいですかね」
 えーっ。閉館しちゃうよ!
 「はい、最後の実演になります」
 うわー、そう来たか。今日はここまでか。しゃーない、最後の実演を待とう。

 ジオラマをよく見ると、当時の花巻駅を中心に、いろいろな系統の路線があったことがわかる。軽便鉄道の軌道は仙人沢方面から大きくカーブを描いて乗り入れている。さらに花巻と温泉地とをつなぐ路線。そういえば確かに花巻は温泉が多い。おそらく岩手火山帯と、火山帯と連動して隆起した断層崖が花巻の西にはずらりと並んでいるのだろう。花巻温泉のみならず、台温泉、金矢温泉、松倉温泉、志戸平温泉、渡り温泉に大沢温泉。鉛温泉など。温泉天国だ。さっき「西花巻」と書かれた停車駅表示版があった。西花巻駅は、花巻電鉄が花巻温泉郷系統と鉛温泉系統と分岐するところ。なんとここからレールの幅が違っていたという。鉛温泉系統は最もレールの幅が狭く、走る車両もまるで馬蝗のように細長かった。それで「馬ヅラ電車」と呼ばれたらしい。表示版もホンモノでしょうね。「銀河鉄道」を担ぎ出すまでもなく、花巻は鉄道ファンの聖地なのだ。
 
 博物館の職員さんがひょいっと覗いた。あ、そろそろですか? 軽便鉄道の出発時刻。
 「はい。まもなく」
 楽しみ。