放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

鳥取➖松江➖出雲の旅#4(20191102民藝)

2019年11月27日 02時06分57秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 日付が変わって11月2日(土)朝
 朝風呂浴びようかとも思ったが、今日もそんなに時間に余裕がない。
 ある程度荷物をまとめてから早めにバイキング朝食へ向かう。
 昨日から気がついていたが、ここは外国からの滞在客が多い。特にアジア系、アフリカ系。バイキング朝食ならいろいろあるから食べるものに困ることはないのだろう。多分・・・。
 さあ、て、何を食べよう。見渡すとバイキングで好物なウインナーやスクランブルエッグがない。これはちょっとショック。その代わりサバの切り身(焼)、煮物、豆など、かなり純和風がなものが揃っている。さっきの外国人、食べられるものあるだろうか? ああサバの切り身がおいしい。なんか鳥取来てから何食べてもおいしいなぁ。京都、姫路、出雲などの交差点である鳥取には、美味しいものが沢山留まり豊富な食文化が生まれたのだろう。ここは豊かだ。
食後にコーヒーを飲み、ごちそうさまをした。

 程なくチェックアウト。でも鳥取でまだ寄るところがあるので大きな荷物は預かって貰うことにした。
 移動途中、鳥取城を拝む。山全体を幾重にも郭(くるわ)がとぐろを巻いている。まるで中世の山城。積層型の連郭城塞である。
 仙台城もなかなかの山城であるが、鳥取城は標高も規模もまるで違う。ここも和製マチュピチュの一つだね。

 ビジネスホテルに荷物を取りに戻るまえに、ちょっと寄り道をした。
 
 「鳥取民藝美術館」と併設する「たくみ工芸店」。
 民藝美術館の脇には、何やら八角柱の不思議な建物が。入り口には鉄柵があり中は薄暗いが、どうもお地蔵さんが安置されているように見える。それもかなりの数。
 なんだろ、これ。
 脇の看板には「童子地蔵堂」と書いてあった。
 子供の墓として作られたものだというが、無縁仏になり鳥取周辺に放棄されていたという。
 ちょっと異様な雰囲気だが、きっとこれは良いことなのだろう。野晒しの仏様を保養しつつ供養しているのだから。
 で、民藝美術館へ目を遣ると、まず階段に目が行く。ざっと十段はある。しかもけっこう急な勾配でないかい? 
 少し風化した石段に歳月を感じる。たどり着いた扉は木組みの引き戸。
 レールの上をきしむ音、そこへかすかに塩ビ材質のよじれる音と、嵌めガラスが鳴る音が交じる。
 それは幼い頃そこら辺でよく聞いていた音。サッシ戸では絶対出ない音。

 「吉田璋也」(1898-1972)という、医師にして民藝運動家という文化人が主宰となり建てられた。やはり若い頃に柳宗悦、河井寛次郎と親交があった。現在の建物は鳥取大火の後、昭和32年(1957)に改築されたもの。石倉造り。やや風化した花崗岩の肌がいい感じ。
 中に入ると重厚な箪笥。まるで刀箪笥のよう。そして年季を感じさせる棚がずらりと並んでいて、さまざまな器を並べている。半世紀くらい時間を遡ったような錯覚をおぼえた。

 民藝運動がどのようなものなのか、現在の感覚でこれを説明するのは難しい。簡単に言ってしまえば芸術家の美ではなく、日常にある美を再発見しようというもの。
 手作りの日用雑貨ならではの実用性・機能美・そしてささやかな装飾美。それが「民藝」。一部の芸術家ではなく、技術力のある職人ならば幅広く生み出すことができるもの。これがモノづくりに対する誇りを呼び起こし、民藝はいよいよデザイン性、整合性において進化し続けた。
 大量生産とバブル崩壊によって、モノづくりに対するモラルとクオリティは貧しさの一途だが、それゆえに「民藝」という考え方は古き良き日本のノスタルジーすら背負ってしまった。「民藝」の持つ重厚さのようなものが、次第にとても得難いものとなってゆき、今では美術館か高級デパートでしか見られない。そう。結局「民藝」は骨董美術品になってしまった。濱田さんの器、芹沢さんの染め物、もう手に触れることも使いこなすことも許されない。「民藝運動」を知る上で重要な資料であると同時に、これらはもう現役の「民藝品」ではない。きっと「民藝」は、次々と新しい作家さんたちによって継承されながら生み出されてゆく瑞々しい日用雑貨にことを言うのではないだろうか。願わくば、材質を天才的に活かしつつ、飽きさせないデザイン性を保ちながら、人々の手に手に渡りながら愛玩されるもの。またはそういうモノづくりの運動であってほしい。
 隣の「たくみ工芸店」でいろいろ作家さんの作品を見て回り、BELAちゃんは和紙雛などお土産に数点買った。


鳥取➖松江➖出雲の旅#2(20191101大浴槽は大事)

2019年11月20日 00時20分14秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 鳥取に着いてから、まだご飯を食べていない!

 こんだけ食べてまだ食べるんかい!と言わんでほしい。さんざん地元のお酒を呑んで、魚食べて、郷土料理を食べて、それでご飯だけ食べへんいうのは無礼やと思う。
 そもそも、お昼は羽田空港でソバ。だからぜんぜんお米食うてない。

 ちら、と店内を見渡すと、お品書きに「へしこの出汁茶漬け」とある。
 お店の人に「『へしこ』て何ですか」と訊くと、「サバです」と返ってきた。
 「あ、じゃあ、へしこのお茶漬けください」
 「はい」
 実はこれには若干の説明が必要だ。
 訊いた当初は「へしこ=サバ」という理解をしたが、これは間違い。サバをヌカ漬けにしたものを「さばへしこ」と言うらしい。さぞやご飯の大親友なのだろう。
 
 いつのまにか隣で呑んでいた土木関係のおっちゃん二人組は帰ってしまった。ぱぱっと呑んで、すぅっと帰る。関西弁やったけど何や「ちゃきちゃき」しとったな。

 へしこの茶漬け、きたでぇ。ご親切にも小鉢をつけて取り分けられるようにしてくれはった。
 お米がおいしい。やっぱり「へしこ」がよく合う。へしこ一切れで何杯でもいけそう。ホンマご飯の大親友や。
 一気に食べた。おでんもお魚もお酒も完食・完飲。
 うわぁお腹きっつい(あ、こりゃ東北弁かな)。
 「ごちそうさまでした。」
 まるで井○五郎が二人来たみたい。

 お宿に戻ってお風呂に入ることにした。大浴場が待っている。
 やはり大浴場は欠かせないだろう。無いと泣きそうになる。客室のユニットバスではシャワーくらいしか使えない。お湯を張ってもせいぜいお腹が浸るくらい。
 一昨年、大浴場ナシのホテルに6日間カンヅメになった。あれも11月だった。11月といえば温かいものが恋しい頃。それなのにお腹までしか湯に浸せない。ユニットバス内でしんしんと冷えてゆく背中。あれは泣いた。と言うか哭いた。以後、ビジネスホテルと言えども大浴場は絶対欲しいと思うようになった。あとランドリーも外せない。

 大浴場はジャグジーまでついていて豪華。最近のビジネスホテルって何てゼータクなんだ。
 身体を洗ってからお湯の中へ。首まで浸かり思う存分足を伸ばす。あ゛ー・・・思わず声が出る。
 一階のロビーでマンガ本を貸し出していたので一冊借りてくる。明日の朝食バイキングが楽しみ。

 鳥取の夜はとても静か。ビジネスホテルだからだろうか、夜遅く騒ぐ人もいない。
 今日はとても素敵な出会いがいっぱいあった。生きている人にも、そうでない人にも、とても良くしてもらえた。
 明日は松江へ行く。いい出会いがあるといいな。



鳥取➖松江➖出雲の旅#2(20191101ノドグロ)

2019年11月12日 02時30分19秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 実は今回の旅はBELAちゃんの仕事がメイン。
 「結婚25周年旅行中!(はあとまーく)」と叫ぶ前に、鳥取に行かなきゃならない事情があったのだ。
 それゆえに旅行の計画は全てが急で、BELAちゃんは泊まる宿の確保にも空路便の確保にも苦労をした。
 ここ「鳥取砂丘コナン空港」でも、観光設備を愛でる余裕なんぞあろうはずもなく(喫茶ポワロにも寄らず、物陰に潜む怪盗キッドにも気づかず)、ただひたすら発車を呼びかけている鳥取駅行の循環バスに飛び乗った。
 
 ・・・。なワケで。
 ここから先の行程については、僕らの勝手では済まないので伏せておく。諸事すませて鳥取駅前のお宿に辿りついた時にはもうすっかり日が暮れていた。
 本日のお泊りはビジネスホテル。ただし大浴場あり。ここ大事なポイント。
 BELAちゃんが苦労して大浴場のあるビジネスホテルを捜してくれたのだ。
 とりあえず、カードキーを受け取り、客室へ。荷物を置いたらすぐに街へ出た。今日はお店を予約しているのだ。
 
 鳥取駅前で明日乗る列車の時間を確認。乗車券を買い求めに「みどりの窓口」へ。いろいろ仙台にいてもJR西日本の特急券が買える予約アプリがあるのは案内ポスターで分かったけど、せっかく窓口来ているんだから、直接訊いて買えばいいということに。で、二日間乗り放題乗車券を買えば、特急の自由席にも乗れておトクだと教えてもらった。さすが「みどりの窓口」。予約サイトだけの情報じゃあ分からないことって結構あるよね。

 明日の切符も買えて安心した。ご飯食べにいこっ。
 鳥取駅前は繁華街の様相はしっかりとあるものの、せかせかしていなくてイイ。人通りはあるのだが、どこかゆったりしているから雑踏にイライラしなくて済む。
 お店はちょっと迷ったけど、すぐに分かった。さっぱりとしたお店。居酒屋だが、郷土料理もある。こういうお店は好き。
 お通しを頂いて、地酒飲み比べ、刺し身盛り合わせ、郷土料理盛り合わせを注文。荒っぽい注文だったけど、これが美味しかった。
 刺し身を口にすれば、旨くてふ、ふ、ふ、と笑みが漏れる。
 郷土料理のらっきょう、ホタルイカなど、これまた、ふ、ふ、ふ。
 地酒を含み、また刺し身で、ふ、ふ、ふ。しばらくお互いニヤニヤしながら箸を動かしていた。不気味だったかも?

 僕らも魚が美味いと言われる県から来たのだが、山陰の近海魚も美味いと思った。魚が美味いということは、お酒も美味しく呑めるということ。日置桜、鷹勇、諏訪泉に辨天娘。出羽上越下越の地酒は硬度があるが、同じ日本海でも山陰の地酒はそれほど硬度を感じない。フォッサマグナを境にして、水の味が違うのではないかというのが個人的な見解だが、これはこれで呑みやすい。自然と箸もお皿に伸びてゆく
 ところが一つだけ困ったことがある。
 箸を運べば運ぶほどお皿の上が寂しくなってゆくのである。これはどうしたことだろう。

 隣の席にもお客さんが座った。土木関係者のようだ。飯場の話をしている。

 さて、と。お皿の上がどんどん寂しくなってくる。おでん行っとこか。あれ、本日の焼き魚はノドグロか。
 さっそく、おでんとノドグロを注文。お酒も日置桜を追加。と思ったらもう在庫がカラのようで、鷹勇にする。

 おでん来た来た。大根軟らかそう。おでんで正解。二人で手際よく二等分して口へと運ぶ。そこへノドグロが運ばれてきた。
 大きめのアジと同じくらいのサイズ。でも焼き魚を箸でつつくと雪のような白身である。とても上品な味。高級魚だと聞いていたが納得。
 東北地方の沿岸部でも「どんこ(エゾアイナメ)」という白身魚がいるが、こちらは見た目はともかく、味は上品と言える。でも姿があまり上品ではないので姿焼きにはなりにくい。ノドグロは姿焼きOKだから、こっちのほうが有利かな。
 美味しいお魚は、首の付根の肉がごちそう。それから頬の肉、目玉の周りのゼラチン。怖がらずに召し上がれ。よく動かす部位の肉は発達しているからなのか確かに美味い。頭骨も完全に分解してキレイに食べた。

 ここではた、と気がついた。
 鳥取でまだご飯、食べていない。


鳥取➖松江➖出雲の旅#1(20191101鳥取砂丘コナン空港)

2019年11月09日 00時51分04秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 空から見ると、鳥取砂丘はこんなにも小さかった。
 機内のアナウンスでは東西16kmとのことであったが、とてもそんなに大きいとは思えない。
 防砂林を展開して砂が広がらないようにしているのかもしれない。
 機体はどんどん高度を下げて砂丘の向こうへ移動してゆく。この先に鳥取砂丘コナン空港がある。

 鳥取は仙台と直接のアクセス便がない。僕たちは仙台から新幹線で東京へと出てきて、羽田空港から鳥取へと向かったのだ。日にちは2019年すなわち令和元年の11月1日。他の地域では神無月(旧暦)だが、山陰とくに出雲地方に近づくと「神在月」と呼び習わす。
 思えば25年前の今頃、やはり僕たちは鳥取空港(旧称)に降り立っていた。羽田からはなんとレシプロ(プロペラ)機のフライト。途中エアポケットの恐怖にも遭遇した。手の平は冷や汗でべっとり。首尾よく着陸してタラップを降り、アスファルトの上を歩きはじめて、何気に膝に力が入らないのがわかった。その時改めて陸にへばりつく生き物の在り様を思い知った。つまり、「もう落ちない」ということがこんなに幸せなことなんだと初めて知ったのだ。
 実にこれが25年前の山陰旅行の皮切りであった。山陰旅行は、僕らの新婚旅行だった。迂闊にも神無月に神前結婚なんぞ企画したために、その後、わざわざ神在月たる出雲大社へと結婚の報告を奏上しに罷り越した。しかしあの時、鳥取に着いて最初にやったのは、砂丘でラクダに乗ることであった。真っ先に出雲の大社にて四手拍を打つべきところを、まずラクダで砂丘を逍遥し、記念撮影をした。バカバカしく聞こえるかもしれないが、それが一生忘れえぬ旅のはじまりであった。
 奇しくもあれから25年。不思議な縁でふたたび山陰の旅がはじまろうとしていた。

 「鳥取砂丘コナン空港」と名称が変わったのは、いつからなのだろう。飛行機が車輪を出して、滑走路がどんどん近づいてくるのを機内から眺めつつ、ぼんやりと考えていた。もちろん考えたって手元に情報はない。通信機器も入電できないし、添乗員さんに訊ける話でもない。ただ、飛行機が高度を下げるたびにひどく揺れたり上下にすぅっと振れたりすると、内臓の血流が逆流しそうになる(飛行機の操縦で一番難しいのは離陸よりも着陸だそうだ)。つまり今、なにか気を紛らわせるものが必要なのだ。つらつら考えているうちに、ゴツンと足下に衝撃があたり、次に機首がガクンと下がり、エンジンの物凄い轟音とともに前方に向かって身体が引っ張られた。
 そうだった。鳥取の空港では必ず逆噴射がある。
 窓の外では翼のエアブレーキが全開になっているのが見える。わかりやすく言うと、滑走路が短いから飛行機は着陸と同時に急ブレーキをかけないとオーバーランしてしまうのだ。
 とりあえず無事到着。あらためて我ら陸にへばりつく生き物の歓喜の歌を聴いた気がした。