放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

鳥取➖松江➖出雲の旅#6(20191103出雲そばと四手拍)

2020年01月12日 20時44分26秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 2019年11月3日(日曜日)出雲のビジネスホテルにて起床。
 今日も晴れ。三日間天気には恵まれた。
 ホテルの朝食といえばバイキング。でもこれが一番地方の特色が出るということを今回の旅で知った。
 1階に降りると、食堂とロビーを一体化させたバイキング食堂が展開されていた。
 今日は何にしようか、おっと出雲そばだ。
 これはうれしい。昨日はソバ食べていないから、ここで食べないとこのまま仙台行って泣くところだった。
 
 まず温かいソバを一杯。天かすとネギを乗せて七味をパラリ。
 ははは、バイキングとは思えないほど本格的。
 出雲の郷土料理だろうか、煮物や煮魚がいっぱいある。今日は焼きサバ。
 気の所為か日本海のサバは脂キツくない。いや青身魚の脂キツいやつも好きなんだけど、今日のサバはすごく上品。
 なんでだろ。餌が違うの?
 それにしても山陰来てからホントにお肉食べていない。もっぱらサカナだけ。
 でもソバもっと食べたい。
 今度は冷たいの。丸い器にソバ盛って、そこへ直接ツユを入れる。今度は大根おろしを乗せてみた。
 いいねぇ、コレ。ホントにバイキング?

 やはり地方のビジネスホテルが地方色をしっかり押し出しているのって、大事なことかもしれない。
 宿泊客は夫婦も多かったけど、稼ぎにきた感じの人、または出張という雰囲気の人が確実にいた。今日どの都市に出向したか、昨日はどこか、覚えきれないスケジュールで仕事をしている人もいるかもしれない。そんな時に、朝、地方色豊かな郷土料理に出会えれば、それは小さな思い出になるだろう。日本全国のビジネスホテル、どこ行ったって同じモンしか出されない、というのでは悲しすぎる。朝からソバ食えるのはソバ好きにとったら幸せの一言。なんか論点ズレたな・・・。そろそろご馳走さましようか。


 数十分後、僕たちはJR出雲市駅前にいた。正面には大社造りを模した大屋根が大きく構えている。
 出雲空港行きのバス停留所をさがしつつ、すこしブラついてみる。
 JR出雲市駅前は寒かった。少し湿度のある風。秋用のコートでは少し足りないくらい。
 駅の脇の小さなアーケードでおばちゃんたちが朝市の支度をしている。アジ、サバ、そしてノドグロ。一夜干しがどんどん並べられてゆく。しかも安くない? これお目当てにきてもいいくらい。
 「おっとその前に、出雲大社の方角は?」
 「えーと、あ、地図だとこの方角かな。」
 駅前の案内表示板を見て大体の方角を割り出す。
 「こっちね。」
 「そうそう。」
 僕たちは二人揃って、大社の方角に四回お辞儀をして四回柏手を打った。「四手拍(しではく)」という。出雲の参拝作法だ。
 コイツら、何をしているんだ、と往来する人々が怪訝そうにこちらを見ていた。
 何を隠そう、ここまで来ていながら出雲大社にお参りする時間がない。結婚25周年の報告をすべきところだが、できない。バチ当たりもいいところだ。
 10:25に仙台空港行きの飛行機が出雲空港から出る。それを逃すと、もう今日の仙台便はない。
 ちゃんとお参りして出雲から羽田に行けばいいじゃん、そこからゆっくり帰ればいいじゃん、という考え方もしてみたが、2泊3日も子供たちに家の留守番をさせている。そろそろ罪悪感でおヘソのあたりがぞわぞわしてくる。罪悪感って、こじれると食事の味もわからなくなるし、どんな絶景にも感動しなくなる。
 そうなる前に仙台帰ろ、と僕が訴え、BELAちゃんも承諾してくれた。
 切ないことを言えば、仙台便をもう一便増やしてほしい。そりゃちゃんと出雲大社を参拝してから帰りたかったもの。

 午前9:00。バスが来た。「出雲縁結び空港行き」と書いてある。数人、ほんの数人だけが乗り込んだ。みんなこの時間だと仙台かしら?
 これが出雲の見納め。次は十年後かしら。そのころ元気に歩き回れるだろうか。
 
 バスはしばらく歴史の趣ある市街地を走り、それから郊外に出た。ほどなく大きな橋を渡る。橋の欄干に「斐伊川」と書かれている。そうか、ここがヤマタノオロチ伝説の川だ。確かに赤っぽい。緋色の川。川岸の泥まで赤い。やはり鉄分が多いのだろうか。川岸のアシが薙ぎ倒されている。すこし荒れている感じ。いまも雨が降ると暴れる川なのだろうか。須佐之男命や大國主命(別名・葦原醜男)は、治水でもって暴れ川を制した強力な統治者だったのだろう。この川と川岸の赤い泥こそが、昔も今も変わらない出雲の原風景のような気がした。
 
 出雲空港が見えてきた。もう旅も終わりである。
 詳しくは書かなかったが、素敵な出会いがいっぱいあった。勉強になったし、いろいろな繋がりが見えてきた。東北が東北だけで成り立っていないことも、少し実感できた。
 あと一週間、時間を貰えれば、行きたいところはいっぱいあった。そのまま山口の萩まで足を延ばしてみたかった。
 すべては、もっといっぱい仕事をして、その責務が終わるまでお預けということか。
 
 忘れていた。このあと、地べたを這うものの憂鬱が待っているんだった。