平成26年11月13日訪問
近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城で、この中で国宝に指定されているのは松本、犬山、彦根、姫路のわずか4城です。
※平成27年(2015)7月8日に新たに松江城が国宝に指定されたので、現在は5城になっています。
彦根城天守
かねてより国宝に指定されている城(天守)はすべて見たいと考えていました。すでに犬山、松本の2城を見たので、残りは彦根と姫路の2城です。私たちの今回の旅では、京都の観光もさることながら、お隣の県の滋賀県にある彦根城の見学は最大の目的です。
そんなことで京都から7時1分のJR京都線の新快速に乗り、彦根城のある彦根へと向かいました。(所要54分)
途中、山科、大津、石山、草津、近江八幡などゆっくり見て回りたい地名が次から次へと出てきます。
ちなみに今回は彦根から京都に戻る途中に、近江八幡で下車して市内散策と近江牛を食べることを予定しました。
列車は7時55分に彦根駅に到着しました。地方都市といった小ぢんまりとした印象の駅前です。駅前のロータリーには彦根藩初代藩主の井伊直政公の騎馬像が置かれており、さすが彦根藩35万石の雄藩を標榜しているといった感じです。
とはいえ現在の彦根城下はそれほど発展しているとは思えないのですが、駅前からほぼ一直線の道筋はこれから向かうお城へと延びています。それらしい商店や居酒屋などは駅前のほんの一区画に集中しているだけで、これを過ぎると道筋は閑散となり、右手に彦根市役所が現れます。
駅からおよそ530mほどの距離を歩くと、T字路となる護国神社前の信号交差点にさしかかります。ここまでくるとお城は目と鼻の先です。この信号交差点で左折すると、右手に彦根観光センターと大型バス専用の駐車場が現れます。
彦根城マップ
さあ!ここから登城とまいりましょう。
お城へとつづく一直線の道筋の左側は掘割(中堀)になっていて、その堀に沿って美しい松並木がつづきます。この松並木は「いろは松」と呼ばれています。かつて47本あったことからこう名付けられたといいますが、現在は34本が残っています。中堀の向こうに長くつづく石垣と若干色づいた木々の葉が美しい光景を描き出しています。
さて、この彦根城ですが現在の場所に築城されたのは井伊家二代藩主である直継公の時代の慶長11年(1606)の頃です。これ以降、彦根藩は藩主が入れ替わることなく、幕末まで17人の藩主が彦根藩を治めていました。
そんな藩主の中で、とりわけ歴史に名を残したのが御存じ16代藩主の井伊直弼でしょう。
嘉永3年(1850)、直弼は兄直亮の死去によりはからずも藩主となった。そして13代将軍徳川家定の将軍継嗣問題で南紀派に属し、一橋慶喜ら一橋派と対立し、家茂の14代将軍就任に多大なる貢献をしたのです。
そして安政5年(1858)に大老に就き、勅許を得ず日米修好通商条約に調印してしまいす。これを口実として詰問に出た旧一橋派要人を隠居させ、併せて言論人への死罪等を含む安政の大獄といわれる強権の発動を行ったことは世に知られています。その結果、攘夷派からの反発を招き、万延元年(1860)に桜田門外で水戸藩脱藩浪士たちに暗殺されたのです。
良くも悪くも幕末の歴史の一頁を飾った井伊家(直弼)ですが、彦根ではまさしく名君としていまでも慕われているようです。
中堀にて
左側の中堀が途切れるあたりが、かつて城門があった佐和口です。ここからは二の丸佐和口多門櫓を間近に見ることができます。
佐和口多門櫓
そして右手には中堀と長く続く白壁と石垣が美しい多門櫓を見ることができます。
佐和口の城門を入ると、左右に石垣がつづき、すぐ右手にもう一つの櫓が現れます。
道筋はこの先でT字路となり、内堀へとでてきます。T字路を左折すると、左側はかつての馬屋の建物です。私たちが訪れた時は修復中で建物の全貌を見ることができませんでした。
さあ!お城の表門橋に到着しました。
表門橋付近で
表門橋にて
表門橋の上から
表門橋を渡ると広場が現れ、これを進むと左手に管理事務所があります。ここで入場料を支払います。
表門橋を渡ったところ
それでは天守へと向かうことにします。
天守への道筋はすぐになだらかな坂道になります。これが表門山道と呼ばれているものです。彦根城は山城なので、天守は彦根山のてっぺんに置かれています。このため天守への道のりは当然坂道、石段がつづくことになります。
表門山道にて
私たちは朝一番の登城なので、観光客はほとんどいません。独り占めといったところです。晩秋の朝、快晴の下ですが空気が冷たく感じます。
そんな坂道を進んで行くと、木々の間から一つの櫓が見えてきます。
櫓
櫓
さらに坂道を登っていくと、橋が架けられた櫓が現れます。この橋は非常時には落とし橋になるものですが、この橋を中心にして左右対称に櫓がつけられています。まるで天秤のような形をしていることで「天秤櫓」と呼ばれています。
天秤櫓前にて
天秤櫓
天秤櫓前にて
天秤櫓をくぐり、次の坂道を登っていくと左手に鐘楼堂が現れます。「時報鐘(じほうしょう)」と呼ばれるもので、今でも定時に鐘がつかれ、「日本の音風景百選」に選ばれています。
時報鐘
この鐘は幕末の頃の12代藩主であった直亮の時に、より美しい音色にしようと鋳造の折、大量の小判が投入されたと言われています。
さあ!天守にいたる最後の坂道をのぼると、太鼓門櫓です。
太鼓門櫓
太鼓門櫓をくぐると、いよいよ正面に美しい天守が現れます。
彦根城天守
彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正な佇まいを見せます。逆に南、北の面はどっしりと幅が広く安定した面もちです。また、一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。
本丸跡にて
本丸跡にて
彦根城天守
彦根城天守
それでは国宝天守へと入ります。平日の朝早い時間帯ということもあり、ここまでの道筋を辿ってきても誰一人あいません。
ということは天守も独り占めということになります。
入口で靴を脱いで天守内部へと進みます。天守内も晩秋の空気に満ちて、ひやっとしています。スリッパもないので床の冷たさが足元から伝わってきます。
いつも思うのですが、これまで多くの復元天守に登ってきましたが、そのほとんどは靴を脱ぐことなく内部を観覧することができました。というのも復元ですから内部は現代の建築工法で出来上がっているので、木材を多用することはありません。
そのため天守を支える太い柱や梁などは復元天守では見ることができません。
しかしこれまで見てきた犬山、松本の城はオリジナルのままの天守であることから、その内部は当然のことながら各層の床は木材であり、柱や梁は当時のままの太い木材が残っています。
そんな創建時の姿を残す国宝天守のよさは、使われている木材の古さと温かみではないでしょうか。
そしてかつて兵どもが甲冑を見に纏い、急こう配の階段を上り下りをした時代に思いをめぐらすことができるのが国宝天守なのです。
天守最上階にて
天守最上階からは35万石の藩主が眺めたであろう同じ景色が眼下に広がります。晩秋の青空の下、遠く琵琶湖の湖面が一望できます。
天守からの眺め
天守からの眺め
琵琶湖から吹き込む晩秋の冷気を肌で感じながら、最後に「ひこにゃん」と記念撮影をして、後ろ髪を引かれる思いで下城することにしました。
ひこにゃんと
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近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城で、この中で国宝に指定されているのは松本、犬山、彦根、姫路のわずか4城です。
※平成27年(2015)7月8日に新たに松江城が国宝に指定されたので、現在は5城になっています。
彦根城天守
かねてより国宝に指定されている城(天守)はすべて見たいと考えていました。すでに犬山、松本の2城を見たので、残りは彦根と姫路の2城です。私たちの今回の旅では、京都の観光もさることながら、お隣の県の滋賀県にある彦根城の見学は最大の目的です。
そんなことで京都から7時1分のJR京都線の新快速に乗り、彦根城のある彦根へと向かいました。(所要54分)
途中、山科、大津、石山、草津、近江八幡などゆっくり見て回りたい地名が次から次へと出てきます。
ちなみに今回は彦根から京都に戻る途中に、近江八幡で下車して市内散策と近江牛を食べることを予定しました。
列車は7時55分に彦根駅に到着しました。地方都市といった小ぢんまりとした印象の駅前です。駅前のロータリーには彦根藩初代藩主の井伊直政公の騎馬像が置かれており、さすが彦根藩35万石の雄藩を標榜しているといった感じです。
とはいえ現在の彦根城下はそれほど発展しているとは思えないのですが、駅前からほぼ一直線の道筋はこれから向かうお城へと延びています。それらしい商店や居酒屋などは駅前のほんの一区画に集中しているだけで、これを過ぎると道筋は閑散となり、右手に彦根市役所が現れます。
駅からおよそ530mほどの距離を歩くと、T字路となる護国神社前の信号交差点にさしかかります。ここまでくるとお城は目と鼻の先です。この信号交差点で左折すると、右手に彦根観光センターと大型バス専用の駐車場が現れます。
彦根城マップ
さあ!ここから登城とまいりましょう。
お城へとつづく一直線の道筋の左側は掘割(中堀)になっていて、その堀に沿って美しい松並木がつづきます。この松並木は「いろは松」と呼ばれています。かつて47本あったことからこう名付けられたといいますが、現在は34本が残っています。中堀の向こうに長くつづく石垣と若干色づいた木々の葉が美しい光景を描き出しています。
さて、この彦根城ですが現在の場所に築城されたのは井伊家二代藩主である直継公の時代の慶長11年(1606)の頃です。これ以降、彦根藩は藩主が入れ替わることなく、幕末まで17人の藩主が彦根藩を治めていました。
そんな藩主の中で、とりわけ歴史に名を残したのが御存じ16代藩主の井伊直弼でしょう。
嘉永3年(1850)、直弼は兄直亮の死去によりはからずも藩主となった。そして13代将軍徳川家定の将軍継嗣問題で南紀派に属し、一橋慶喜ら一橋派と対立し、家茂の14代将軍就任に多大なる貢献をしたのです。
そして安政5年(1858)に大老に就き、勅許を得ず日米修好通商条約に調印してしまいす。これを口実として詰問に出た旧一橋派要人を隠居させ、併せて言論人への死罪等を含む安政の大獄といわれる強権の発動を行ったことは世に知られています。その結果、攘夷派からの反発を招き、万延元年(1860)に桜田門外で水戸藩脱藩浪士たちに暗殺されたのです。
良くも悪くも幕末の歴史の一頁を飾った井伊家(直弼)ですが、彦根ではまさしく名君としていまでも慕われているようです。
中堀にて
左側の中堀が途切れるあたりが、かつて城門があった佐和口です。ここからは二の丸佐和口多門櫓を間近に見ることができます。
佐和口多門櫓
そして右手には中堀と長く続く白壁と石垣が美しい多門櫓を見ることができます。
佐和口の城門を入ると、左右に石垣がつづき、すぐ右手にもう一つの櫓が現れます。
道筋はこの先でT字路となり、内堀へとでてきます。T字路を左折すると、左側はかつての馬屋の建物です。私たちが訪れた時は修復中で建物の全貌を見ることができませんでした。
さあ!お城の表門橋に到着しました。
表門橋付近で
表門橋にて
表門橋の上から
表門橋を渡ると広場が現れ、これを進むと左手に管理事務所があります。ここで入場料を支払います。
表門橋を渡ったところ
それでは天守へと向かうことにします。
天守への道筋はすぐになだらかな坂道になります。これが表門山道と呼ばれているものです。彦根城は山城なので、天守は彦根山のてっぺんに置かれています。このため天守への道のりは当然坂道、石段がつづくことになります。
表門山道にて
私たちは朝一番の登城なので、観光客はほとんどいません。独り占めといったところです。晩秋の朝、快晴の下ですが空気が冷たく感じます。
そんな坂道を進んで行くと、木々の間から一つの櫓が見えてきます。
櫓
櫓
さらに坂道を登っていくと、橋が架けられた櫓が現れます。この橋は非常時には落とし橋になるものですが、この橋を中心にして左右対称に櫓がつけられています。まるで天秤のような形をしていることで「天秤櫓」と呼ばれています。
天秤櫓前にて
天秤櫓
天秤櫓前にて
天秤櫓をくぐり、次の坂道を登っていくと左手に鐘楼堂が現れます。「時報鐘(じほうしょう)」と呼ばれるもので、今でも定時に鐘がつかれ、「日本の音風景百選」に選ばれています。
時報鐘
この鐘は幕末の頃の12代藩主であった直亮の時に、より美しい音色にしようと鋳造の折、大量の小判が投入されたと言われています。
さあ!天守にいたる最後の坂道をのぼると、太鼓門櫓です。
太鼓門櫓
太鼓門櫓をくぐると、いよいよ正面に美しい天守が現れます。
彦根城天守
彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正な佇まいを見せます。逆に南、北の面はどっしりと幅が広く安定した面もちです。また、一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。
本丸跡にて
本丸跡にて
彦根城天守
彦根城天守
それでは国宝天守へと入ります。平日の朝早い時間帯ということもあり、ここまでの道筋を辿ってきても誰一人あいません。
ということは天守も独り占めということになります。
入口で靴を脱いで天守内部へと進みます。天守内も晩秋の空気に満ちて、ひやっとしています。スリッパもないので床の冷たさが足元から伝わってきます。
いつも思うのですが、これまで多くの復元天守に登ってきましたが、そのほとんどは靴を脱ぐことなく内部を観覧することができました。というのも復元ですから内部は現代の建築工法で出来上がっているので、木材を多用することはありません。
そのため天守を支える太い柱や梁などは復元天守では見ることができません。
しかしこれまで見てきた犬山、松本の城はオリジナルのままの天守であることから、その内部は当然のことながら各層の床は木材であり、柱や梁は当時のままの太い木材が残っています。
そんな創建時の姿を残す国宝天守のよさは、使われている木材の古さと温かみではないでしょうか。
そしてかつて兵どもが甲冑を見に纏い、急こう配の階段を上り下りをした時代に思いをめぐらすことができるのが国宝天守なのです。
天守最上階にて
天守最上階からは35万石の藩主が眺めたであろう同じ景色が眼下に広がります。晩秋の青空の下、遠く琵琶湖の湖面が一望できます。
天守からの眺め
天守からの眺め
琵琶湖から吹き込む晩秋の冷気を肌で感じながら、最後に「ひこにゃん」と記念撮影をして、後ろ髪を引かれる思いで下城することにしました。
ひこにゃんと
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