皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

筍箏生(たけのこしょうず) 立夏 末候

2023-05-23 22:35:46 | 生活

筍が顔を出す季節。春先に太く食べ応えある筍は「孟宗竹」という品種で三月中旬から出回るが、日本原産の「真竹」は五月の後半から旬を迎える。継ぎ目の輪が二本でやや細身が真竹。

継ぎ目が一本の輪で太いのが孟宗竹。

竹は生育が非常に早く一晩で一節伸びるとも。「筍の親優り」と言われ子供が親より優れていることわざもある。またこの時期雨も多くなり、次々と筍が生じる様を物事に例えて「雨後の竹の子」などと表現する。

竹はその根を地に張り巡らし、大地を鎮めると考えられることから地鎮祭の注連縄を張ることに用いられる。

写真は鴻巣の竹林公園。人の手が入らなければ「竹藪」となり美しく間引いて育てられれば「竹林」となる。何事も人の手間が大事なのだろう。

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菖蒲町 上栢間 神明神社

2023-05-19 21:35:02 | 神社と歴史

栢間は元荒川左岸の大地とそれに続く低地に位置する。菖蒲、久喜、桶川に隣接する場所で古くは武蔵七党野与党の本貫地であった場所で古くは「萱間」と書いた。当社参道の入り口の南西にある天王山塚古墳は埼玉県の指定史跡であり、行田市の「埼玉古墳群」に連なるものと考えられていて、武蔵国造笠原直使主(かさはらのあたいおみ)との関連があると推測されている。

社伝によれば当社は景行天皇の御代創建で「延喜式」神名帳に埼玉郡四座の一つとして記されている「宮目神社」は当社をさすとされる。古くは大宮目神、天照大神、豊受大神の三柱を御祭神としたが、天照、豊受の二柱と改め、伊勢神宮の分霊であるがため神明社と称するようになったという。

現在の本殿は文政元年(1818)建立で神明造の本殿が並立している。

特色ある神事として「鎮火祭」がある。風土記稿によれば「正月十四日筒粥の神事を行いて年の豊凶を占う」とある。

境内の松の巻束を用意し斎場にて点火。鎮火祭の祝詞を奏上する。祭典終了の後鉄鍋に米水を入れ、麻で結んだ葦を十八本米の上において斎場にて炊く。炊きあがった粥は翌日まで安置される。翌日に境内に若い衆が集まり、焚火を囲んで「ワッショイ、ワッショイ」ともみ合いながら火の周囲を回り、手締めを行う。その翌日宮司が大祓奏上して鍋を祓うと、鍋から葦を取り出し広げ中に入った米の割合で十七種の作物の吉凶を占うのだという。鍋に残った粥も万病に効くと近所の氏子がもらい受けるそうだ。

周りを囲む社叢は県の天然記念物にも指定されている。広大な社叢に守られながら古くからの神事を今に伝えている式内社である。

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書き入れ時

2023-05-13 22:05:04 | 心は言葉に包まれて

明日は母の日。多くの国々で母への感謝を表す日とされている。1870年アメリカの女性参政権活動家ジュリア・ウォード・ハウが家族を戦場へ送ることを拒否しようと「母の日」を宣言した。その契機となったのは負将兵の手当てを行いながら女性活動を行っていたアン・ジャービスというひとで、その娘アンナ・ジャービスが無き母を思い、母が教師をしていた協会で白いカーネーションを贈ったことに由来するという。

アメリカ文化圏では5月の第二日曜日を母の日と定めることが多いが、三月の春分に当てるアラブ諸国もあればベトナムなどは3月8日を当てている。3月8日は世界女性dayに当たる。天国の母には白い花を贈り、健在であれば赤いカーネーションを贈ることが多い。

生花業界にとっても書き入れ時で、多くの商品が店頭に並ぶ。卒業式、成人式、母の日が三大花需要日なのではないかと思っている。

「書き入れ時」とは江戸時代から使われていたことばで、当時の商売は得意客に「ツケ」で売るのが一般的であった。商売人は売る度に帳簿に書き入れていたため、繁盛すればその回数が増えたため「書き入れ時」といったとされる。このことばの背景には「忙しい」ということばを江戸っ子が嫌っていたことがあげられる。

「忙しい」とは心を亡くすということであり、「忙しい忙しい」といって商売するのは江戸っ子にとって「野暮」なことだったそうだ。

 

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蓮田市 貝塚神社

2023-05-10 20:50:18 | 神社と歴史

蓮田から白岡に抜ける途中、埼玉県指定史跡となっている綾瀬貝塚によることができた。大正11年に指定された古い史跡で縄文前期の貝塚と考えられている。(5500年前)西側を流れる元荒川沿いの貝塚としては最奥に位置するものだという。市内にはこのほか黒浜にも貝塚があり、白岡と含め縄文期にこの地が海の入り江であったことを示す重要な史跡であるという。

貝塚が多く地名としても残るが、風土記稿によれば元禄年間(1688-1704)に上潤戸村から分村したと伝わる。もとは稲荷神社であり境内地は高台に当たる貝塚の上に祀られている。古くから元荒川の氾濫による被害を幾度も受けてきたところで水害を避けてこの地鎮座地に選ばれたことを窺わせる。

年間の祭事の中で四月二十二日に「しっさま」と称する祭りがあるという。しっさまとは 「獅子様」のことで災害除けと秋の豊作を祈願する大事な祭りである。「お獅子様」を借りてくるところは騎西の玉敷神社とされる。かつては氏子の家をくまなく獅子様が祓って回ったそうだ。おそらく現在では獅子様を飾るだけだと思われる。

また村の辻払いも行われ。村境には辻札を立てていた。

本殿右には天満宮が残り、氏子の学業成就を祈念していた様子が残る。昭和三年奉納の石鳥居は現在もしっかりと建っている。

境内地の周辺に氏子宅が点在しているがどの程度祭事が残っているかは不明である。農耕地区として田園風景も残る地域である。

高度成長期までは稲作中心の農家が多かったようだが、平成から令和を迎え村の生活様式も大きく変化しているようだ。ただしこの地が古くは関東の海岸の入り江で縄文のころから人々が暮らしてきたことは確かである。

埼玉県の史跡であることは勿論、そうした歴史を神社の祭事とともに伝えていってほしいと願うばかりだ。

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立夏 初候 蛙始鳴 

2023-05-05 22:23:23 | 生活

朝晩の寒さも和らぎ蛙も鳴き声を上げる頃となります。暦の上では「夏」に入り田植えの準備として「苗代」の季節です。

当地区では例年五月の連休に苗代を行う農家が多いのですが、今年はまだ水が引かれていません。おそらく連休中の人手集めの関係だと勝手に思っていますが、無事に田植えまで進むことを祈っています。

御神前に蓮をご奉納いただき、毎日その様子を見守っているところですが、小さなカエルをよく目にします。蛙は必ず元の場所に戻る習性があることから「帰る」が語源とされています。

「お金が返る」「無事に帰る」といった縁起の良い対象として見られることも多いようです。

蛙が鳴き始める頃の眠くて仕方がない時期を「蛙の目借時」というそうです。「目借る」は「妻狩る」が転じたもので蛙がメスを求めて人の目を借りるからだといいます。

端午の節句に柏餅を食べるのはやはり縁起を担ぐためで、柏の木は新芽が出るまで葉が落ちないことに由来します。

旧暦五月は梅雨の湿気で伝染病の流行る時期だったといいます。

当社の疫神除の神事がこの時期に行われるのはそうした旧暦の行事であったことの名残なのでしょう。

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