皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

響けTrombone

2018-04-30 21:26:17 | 日記
明日から5月。ゴールデンウィーク真っ只中だか、勿論学校はある。あまり連休になるのもどうかと思う。
吹奏楽部に入った娘の楽器が決まった。トロンボーン!希望していた楽器ではなかったらしい。顧問の先生の方針だ。がっかりしていたかと思うと、すぐに切り替えて、取り組む気でいっぱいらしい。
良くある表現だが、スポンジが水を吸うように何でも吸収し、自分のものにしていく感じだ。切り替えたら前を向いて進むだけ。
5月の風に吹かれ、美しい音色を奏でる日がきっと来るだろ!

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万吉 氷川神社

2018-04-27 21:41:59 | 神社と歴史

 仕事で江南方面に行った帰りに、御正新田から万吉にかけて走る途中、氷川神社に参拝することができました。どちらの地名も歴史を感じるもので、万吉についてはすでに鎌倉期から見える郷名のようです。貞応三年(1224)の新田尼譲状の中に「春原庄内万吉郷」との表記があるそうです。由来については諸説あり、条里制に基づく牧津里から転じたもの、或は荒川に沿った曲がり地から転じたものなどがあるそうです。

『風土記稿』の万吉村の項には「氷川社、村の鎮守なり、一宮と唱える」とあり一宮はもちろん武蔵一宮を指し、この地を開拓した際に勧請されたと考えられます。明治期の神仏分離により見性院の管理を離れ、村社となり地域の無各社を合祀しているそうです。
参道入り口には古い幟立てがあり、かつては長い参道が伸びていたそうです。
七月に行われる天王様と呼ばれる祭は『万吉の暴れ神輿』の名で広く知られていたそうです。もちろん祭神の素戔嗚命が暴れ神としての神話にちなむものでしょう。
旧家の氏子には逸話が残り、昔買っていた栗毛の名馬を熊谷次郎直実が所望して譲り受け幾多の合戦を戦ったそうです。そして戦の帰りに三ツ木(江南)で亡くなり、そこで駒形明神として祀られたといわれています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新生活、こぎだせ!自転車

2018-04-26 22:18:02 | 物と人の流れ
新生活に必要な物は多く、物と金の動きも激しい。新年度、新学期となり早くも1ヶ月。四年生になる長男の自転車を買い換えた。まだ乗れると思うがやはり幼稚園から数えて6年。すっかり小さくなってしまった自転車。別れを惜しみながら近くのホームセンターへ。四月第一週に中学に上がった長女の自転車を買ったが、ともかく店は忙しそうだった。つい店員に販売状況をきいてしまう。春休みの二週間で300台を販売したらしい。防犯登録、受け渡し点検、不要自転車回収など、自転車の販売も手続きが煩雑だ。
とても対応しきれず、クレームになることもあったらしい。どんなに効率良くしても時間と人は限られている。
やはり人と同じ時期に動くことは混雑を生む。わかっちゃいるけど止められないと言った具合だ。

学校から帰ってくるなり、飛びのった新品の自転車だったが、ギア変則のときはペダルをこぎながらという原則がわからず、早速チェーンを外してしまう。カバーを外して直してやると、即座に乗り颯爽と走り出して行った。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小宮の森と相の道天神社

2018-04-26 21:27:57 | 神社と歴史 忍領行田

 忍城南側にかつて小宮の森と呼ばれる屋敷森がありました。小宮家に関する歴史については触れませんが、近年屋敷森は伐採されあっという間に住宅地として開発が進んでいます。屋敷はなくなりましたが向かいにある天神様は今なおその姿を留めています。
 明治期に合祀政策として多くの神社が統合されましたが、無各社にもかかわらず合祀を免れたと伝わります。

本殿脇に祀られる八幡神社は氏子小宮家の裏に祀ってあったものを戦後移したともいわれています。氏子区域はすぐそばの大宮神社と重なり、主要な祭事は大宮神社で行われているようです。
 合祀政策によって神社が移されても、その後祟りがあったとして戻されたり、氏子区域の総意として合祀を止めたりすることも多かったようです。神社は地域の鏡であり、鏡は三種の神器の一つであるように、村の宝として残したいとの願いは各地にあったのでしょう。
 御祭神は菅原道真公。ご神体として享保三年の天神座像を安置しているそうです。
氏子区域は駒形の一部と持田相之道とされ、おそらくこの区域が持田の一部であると知っている人は少ないのではないでしょうか。


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市民大学二年生に向けて

2018-04-20 15:33:44 | 生涯学習
行田市民大学に入学して一年。5月からはいよいよ二年生の講義がはじまります。新年度を前に、9期生歴史文化班の皆さんと食事会に行きました。
私よりも人生の先輩にあたる皆さんですが、いつも明るく郷土研究だけではなく様々なことに、興味をもって生活されていることを感じます。同じ時間を過ごすことができ、本当に良かったなと思います。
場所は行田市前谷にある、松風というお店でした。色々なお店を知っているなと感心します。市民大学の講義でも出ましたが、前谷は持田新田と呼ばれた場所で、以前は住宅も少なかったものですが、ここ数年でかなりの分譲住宅ができています。現在も開発が進む様子が良くわかります。

予約メニューにて、豪華な昼食となりました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする