皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

桜を待つ気持ち

2024-03-11 11:57:32 | 生活
勤務地が蓮田になって一年が経ちます。ちょうど桜が蕾の頃でした。西城沼公園の様子を見にきています。毎日のようにこの公園の脇を通りますが、歩く機会はなかなかありません。

市役所からほど近く、天気の良い日曜日には多くの市民が集う場所なのでしょう。
北埼玉と比べまだクビカアカミキリの被害が少ないようです。もう二週間もすれば色鮮やかな桜色が広がるようです。

花咲く時を待つ間、穏やかな日々を過ごします。卒業式を無事に迎えられれるように願っています。



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春が待っている

2024-01-23 23:12:17 | 生活

市内を歩くと所々梅の花が咲いています。ここは清善寺。大寒を過ぎて立春が近づいています。

春を待つ人の心は穏やかで、厳しい寒さを忘れさせます。空の青と花の色が対をなしていっそう際立つようです。

こちらは昨日訪れた横浜市緑区の梅の様子です。渋谷から三十分ですが田園都市線沿いの町並みは見る限り美しく、都会の印象を今でも受けます。
三十年ぶりに大学のたまプラーザキャンパスまで足を伸ばしました。外観が新しくなっていましたので当時の雰囲気とはまた違った印象ですが、1990年代バブルが終わったあとも団塊ジュニア世代がこぞって大学を目指した頃で多くの大学が埼玉千葉神奈川の東京郊外にキャンパスを増やしていました。

子供の数が減るとわかっていたのに大学の数を増やしていたのはなぜなのでしょう。やはり教育の産業化ということだったのでしょうか。
大学が社会的に必要とされるには適正な規模と適度な競争力を保ちながら、研究や教育的成果を発信していくことなのでしょう。
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朝顔の咲く暮らし

2023-09-22 22:23:01 | 生活

朝顔に つるべ取られて もらい水
井戸に水を汲みに行ったところ朝顔の蔓がつるべに巻き付いているので、とってしまうのはかわいそうななので、お隣まで水をもらいにいくことにしました。
江戸時代の俳人である加賀千代女の美しい俳句は日本人と朝顔の関係を表す名句として知られます。せっかく咲いた朝顔の花をあわれに思う気持ちが滲み出ています。私が子供の頃(昭和50年代)すでに水道が整備されていますが、井戸水も残っていて『水を汲む』ということがどういうことだか実際にわかります。

朝顔の種を日本に持ち込んだのは遣唐使だそうです。奈良時代末期のことですが、平安時代になってから入ったとも言われ、その場合朝顔と呼ばれていた花は桔梗を指すそうです。

夏の花の印象がありますが俳句の季語としては秋の季語になります。

毎年自宅と神社境内の境の垣根に朝顔の種を撒きますが、秋の彼岸を迎えて美しい花を咲かせています。残暑も厳しい中で、爽やかな朝顔の花が境内に咲くことで美しい彩りを与えているようです。
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十四節気 処暑

2023-08-24 21:20:08 | 生活

昼間の暑さはまだまだ厳しいものですが、朝晩の空気は涼やかで長かった暑さの峠も超えたように感じます。

「処」とは止まるといふ意味があり季節が入れ替わる頃を表します。

蓮の花の季節も終わりますが、「白光蓮」が最後の一輪を気高く花開かせていてその生命力に驚かされています。

稲穂も実り頭を垂れるまでになりましたが刈り入れまではもうしばらくかかりそうです。こうなってくると台風の到来がいよいよ恐い時期になります。毎年立春から数えて二百十日目と二百二十日目を農家の厄日として雑節として暦に記します。台風の特異日です。

当社においては末社の一つに風神社をお祀りします。御祭神は志那都比古命(しなつひこのみこと)。伊邪那岐、伊邪那美との間に生まれた風の神様です。ほかの末社には幣束を入れる社殿に扉がありますが、風神社にはありません。常に風を受けているのです。

 

 

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蓮始開(はすはじめてひらく)

2023-07-11 21:32:34 | 生活

小暑の次候にあたる「蓮始開」。仏教とともに渡来し蓮華とも呼ばれる蓮の花が開くころ。「泥(でい)より出でて泥に染まらず」と言われる通り蓮は古来より清らかさの象徴とされてきました。

蓮の花は深夜よに闇の中でひっそりと開き始め、完全に開くのは夜明けごろ。そして昼過ぎにはその花を閉じてしまいます。

また蓮の実の皮は厚く長期にわたって発芽能力を保ちます。

1951年に発見された弥生時代の蓮の実が二千年の時を超えて花を咲かせた「大賀ハス」は国内外で話題となりました。

1971年(昭和46年)行田市では小針地区にゴミ焼却場を建設するため造成工事を始めます。この時掘り起こされたのが地中深く眠っていた古代蓮の実であったそうです。1975年(昭和50年)の調査で行田の古代蓮は2500~3000年ほど前のものと判明したそうです。

ここ古代蓮の里が公園として開園したのは1995年(平成7年)のこと。わたしはここを高校時代に自転車で毎日走っていました。1988年(平成元年頃です)から1991年にかけて。まだ公園も整備されていない時代です。まさに一面の田んぼでした。

三十年後立派に整備され、日本一の田んぼアートの町となるとは夢にも思いませんでした。

多くの観光客が訪れる素晴らしい古代蓮の里を地元の住民として誇りに思います。

 

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