皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

神無月花手水と三方領知替二百年

2023-10-09 20:06:55 |  久伊豆大雷神社

十月が一週間が過ぎて急に気温が下がりました。秋を通り越して初冬の陽気となり、身体がついていかない方もたくさんいらっしゃることでしょう。気温と共に湿度が下がったことで空気感が全く変わったように感じます。皿尾城周辺の田んぼも稲刈りが進んでいます。
月初めは商工会と観光課が主催する行田花手水weakに当たり、ライトアップも含め社頭の花手水を改めております。どうぞご参拝の折にご覧ください。

今年は文政六年(1823)の三方領知替から二百年ということで、市内各所に幟がたてられています。
白河藩主松平定永の父定信が先祖ゆかりの地で肥沃な伊勢桑名への転封を希望し、阿部家は巻き添えを喰ったのだといいます。いつの時代もそうした政治の権力闘争はつきものなのでしょう。当時の阿部家当主正権は若くして病弱の上転封ご十七歳で病死しています。老中を輩出し続けた銘家阿部家は慶応二年(1866)白河から陸奥棚倉へ移され廃藩置県を迎えます。無念だったことでしょう。
転封後も阿部家は忍藩の神仏を崇敬し、刀剣などを奉納しています。その奉納品が当社に残っています。
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渋谷氷川神社

2023-10-09 19:27:17 | 神社と歴史

渋谷区東二丁目に鎮座する氷川神社。古くは氷川大明神と称し、旧渋谷村、下豊澤村の総鎮守であったといいます。
慶長十年(1605年)宝泉寺の住職実円が記した「氷川大明神縁起」によれば景行天皇の御代皇子日本武尊東征の時当地に素戔嗚尊を勧請したのが始まりと伝わります。

その後嵯峨天皇の弘仁年中(810~24)慈覚大師が宝泉寺を開祖し同寺が別当となりました。天明二年((1782)正月阿部備中守へ差し出した書類の中に別当宝泉寺の内裏から出火し炎上したことが記されていて、宝物等はこの時に失われたと考えられています。
神社の周囲は石器時代の土器や竪穴式住居が掘り出され、非常に古くからの文化部落の中心であったことから渋谷区最古の神社と呼ばれます。
昔は松杉が多く茂り昼なお暗く門前を渋谷川が流れていたことが「江戸名所図」などからうかがい知ることができます。
江戸名所図によれば御神木とされる古木があり「常盤松」と呼ばれ、常盤御前の手植えによるものとする伝承があるそうです。すでに枯れて古株が残っていたそうで「常盤松」と呼ばれるようになりました。
九月二十九日の例際にはかつて大相撲が開かれ「渋谷相撲」「金王の相撲」と呼ばれ将軍家でさえも見に来たとも伝わります。
昭和十三年建立の檜造りの社殿は空襲によっても罹災せず、都内有数の木造神社建築を誇ります。
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