チェンマイひとり暮らし

物価の安いタイのチェンマイで貧乏暮らしをしています。
先物取引でリッチになって、日本に復帰したい。

青春18きっぷの旅(その5)

2007-03-14 19:05:52 | Weblog
3月10日、今日は萩に向かう。
松江7時発、東萩12時12分着の予定。午後、萩市内の散策の時間は十分である。

問題は、宿のブッフェ朝食は7時からなので食事が取れないこと。
松江7時発の電車を逃すと、東萩到着は14時22分となり2時間も違う。
朝食を逃すのが惜しくて観光を犠牲にするのは滑稽の極みだろう。

でも朝食にも少し未練がある。もしかしたら、7時前に食堂を開くかもしれない
という根拠なき望みをかけて、6時半にチェックアウトし、ロビーの片隅にすわり
物惜しげな視線を食堂に向ける。

6時35分ごろ、出張者と思しき宿泊客がチェックアウトし、食堂の前のソファー
に腰を掛けたので、7時前に食堂が開くような気がしてくる。

6時45分になったらあきらめるつもりであったが、6時40分に食堂が開く。
心の中で、やったー、と快哉を叫ぶ。

ご飯、納豆、海苔の佃煮、肉団子、キャベツ、味噌汁でのあわただしい朝食。

6時48分、まだ時間がある。
フルーツを皿に取り、コーヒーを飲む。

6時52分。
荷物を手に松江駅に向かう。
ホームに立ったのは6時55分。さすが駅前のホテル。たったの3分でホームの上だ。
コーヒーをお替りする時間があったなとつぶやく。

電車に乗り、しばらくしてふと後方を見ると、見覚えのある顔があった。
ナップザック、本のカバーにも見覚えがある。

3日前に東海道線で一緒だった人だ。
米原発姫路行きの快速列車に乗ったときまでは一緒だった。
その後、どこで降り、どういうルートを取って、いまこの電車に乗っている
のだろう。

松江で乗車したときは見かけなかったから、その後の駅から乗車してきたのか、
それとも、米子や松江から乗車し、車輌を移って来たのだろうか。

その人は出雲市駅で降りていった。
今日は、わずか30分ほどしか一緒ではなかった。

今日の宿は民営国民宿舎の萩浦荘。
東萩駅から近いのが魅力であった。

旅に出る前に、電話で、
「12時過ぎに東萩駅に着く。まず宿に行くので、荷物を預かってほしい」
と告げると、
12時から4時までは宿を閉める、という。

そこをなんとか、と言うと、12時半までなら待つと言う。

電話の受け答えの様子では、特段迷惑そうな感じは受けなかったものの、
昼間に宿を閉めるとは、サービスの悪さを予感させるのには十分。
素泊まりで予約したが、それで正解かもしれないと思った。

電車は予定どおり12時12分に東萩駅に到着。

宿に荷物を預けるとすぐに市内散策に向かう。

歩いていてまず気づいたのは、クルマが体の近くを走っていくこと。
萩の町の道路はさほど広いとは言えないが、道路に余裕があるのにかかわらず、
歩行者のそばぎりぎりをかすめていく。

歩行者としては、道路の道幅を考慮し、もし狭ければクルマへの注意を
払うし、十分道幅が広ければあまり気にする必要もないなと思いながら歩く。

ところが、萩の運転手は道幅にかかわらず歩行者の近くをかすめてクルマを
走らせるので怖かった。

次に感じたのは、観光案内の標識が不親切なこと。
美観を損ねるような場所とも思えない交差点に案内板がなかったり、
観光スポットへの矢印だけで距離や所要時間が書いていなかったりした。

また、観光案内所でもらった地図の表示が不正確だった。
その地図は即座に捨てて持参したガイドブックの地図を参照するようにした
のは言うまでも無い。





萩の城下町


萩城跡


指月公園・指月山より



藍場川の鯉

桂太郎旧宅は、藍場川に面して建っており、川から水を引き入れた池泉庭園も
ある。
その桂太郎旧宅で観光客の相手をしている女性(萩市から派遣)によると、
この藍場川の鯉は30年ほど前に近所の篤志家が放流したもので、
この川では自然繁殖しないので減る一方とのこと。

また、ある時期にその鯉の数が急減したことがあるが、あくまでうわさと念を
押したうえで、国際大学の某国留学生が食べるために盗んだとのうわさがある
そうである。

夕方5時になった。
春分の日が近くなり日は伸びているとはいえ、多くの観光施設は5時に門を
閉めるので、そろそろ今日の観光を切り上げる頃合である。

予定では、今日は、城下町、指月公園、そして鯉で有名な藍場川を散策し、
明朝、萩を発つ前の早朝を使って松陰神社、松下村塾等を回るつもりであった
ので、これで宿に戻っても不満はない。

しかし、藍場川から宿に戻る途中を少し寄り道すれば松陰神社等がある。
そこで、回れるだけ回ろうと思い、松陰神社に行く。

もう6時近くになりつつあるが、この時間にも団体の観光客がいた。
松下村塾では、外から部屋の中をのぞけるのだが、照明がなくてよく見えない
のに、ガイドさんが部屋のなかの構造を説明していた。


吉田松陰の墓


高杉晋作の墓

明日の朝に観光するつもりであった場所も、暗くなるまで頑張って
こなしたので、足は痛いが満足度は高い。

7時過ぎに宿に帰りチェックインの手続きをする。
ひと風呂浴びて、外出し食事をし、さらに風呂に浸かろうかと思ったのだが、
風呂の時間を聞いてびっくり。
風呂は9時半までだという。
しかも、朝は風呂は開けていないという。

予定変更。
すぐに外出。スーパーに行き、弁当を買って戻る。
そして風呂に向かう。弁当はその後。

風呂の入り口には、9時までと書いてあるところに、30分と手書き追加している。
当初は9時までだったのかもしれない。
観光宿泊施設で9時だとか9時半までしか風呂を使えないとは
どんな感覚なのだろう。

部屋にしても、冷蔵庫は無く、テレビはリモコンが無い古いタイプ。
空調はフロントで管理しているので、温度調整はいちいちフロントに
内線電話してお願いする。

9時ごろポットのお湯がなくなったので、フロントにもらいにいくと、
沸かさなくてはならないから、用意できたら部屋まで持って行きますよ、
と恩に着せるような対応。

安価で標準的なサービスと接客で客の心をつかむホテルがある一方で、
古い設備で顧客ニーズにも無関心なホテルもある。

萩のような国際観光地なら黙っていても客が来るから努力しないのであろう。

クルマの運転マナーの悪さは地域性なのかもしれないが、
観光案内の不親切さ、宿の殿様商法は、有名観光地に共通した病弊だろう。
この町にはもう行きたくないと思ったのは京都以来である。
 

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