「もやし炒め」が、絶品でした。

2016年10月30日 13時00分05秒 | 沖縄の生活

▲<久し振りに食べた「眠眠のもやし炒め」に感動!>

10月26日~29日まで、「関西」に行っていた。

27日に、梅田で仕事があったのだが、夜は連日「飲み会」だった。

29日の14時20分「大阪(伊丹)空港」発だったので、「梅田」で途中下車して、10数年振りに「珉珉曽根崎支店」を覗いてみた。

「旭屋書店」があったビルが、立換えで綺麗なオフイスビルになっていた。

肉屋の角を曲がり「曽根崎商店街」に、抜ける路地に「珉珉曽根崎支店」がまだ残っていた!


▲<この路地は、雰囲気が全然変わっていない(店内は改装されて綺麗になっていた)>

先ず、席について「餃子二人前(640円)」と、「瓶ビール(590円)」を頼む。


▲<餃子の薄皮が素晴らしい!(隣の餃子が破れず綺麗に離れる)>

ビールを少し残して、「もやし炒め(430円)」を追加した。

久し振りに食べた「珉珉のもやし炒め」が、絶品で満足した。

ほんの少しの「豚肉」の千切りと、「極細もやし」、少々の「青ネギ」に、隠し味の「ニンニク」の微塵切を入れているだけのシンプルな料理だが、絶妙な炒め方で、もやしのシャキシャキ感を出しているのだ。

計1660円で、大満足の大阪での昼食でした。

「相手の防衛本能を外せ!」

2016年10月24日 00時05分00秒 | 仕事

▲<毎週月曜日9時~9時30分、沖縄本社から全国6支社に、同時中継して行う「朝礼」です>

10月17日、朝礼で月に一回ある「私の講話」を行った。

今期のテーマは、「他人力を鍛えて、好かれて仕事が出来る人になる」です。
第7回目は、【相手の防衛本能を外せ!】でした。

初めての人と話をする時。相手が話をしてくれない時があります。なぜ、相手は話なさないのでしょうか?

「忙しいから」「面倒くさいから」など、色んな理由がありますが、一番は【心を開いていない】(防衛本能が働いている)からです。


▲<パワーポイントを前に投射しながら話を進める>

この「防衛本能」は、色んなカタチで現れます。例えば「自分の内面的な事を話して、相手に馬鹿にされたり、軽蔑されたりしたらどうしよう・・・」。

さらに、「自分を出し過ぎたら、弱みに付け込まれたりする危険もあるのでは?」・・・。そのために、人はなかなか自分をさらけ出せないのです。

また、「うまく話せず、誤解されたらどうしよう・・・」と、不安も感じています。これも防衛本能の一種です。特に日本人は、この傾向が強く、「誤解されるくらいなら、黙っていた方がいい」と考える人が多いのです。

営業先の担当者が、話したがらないのは「この人は、私の敵か?味方か?」 「この人に余計な話をしたら、それに乗じて何か売り込まれるんじゃないか・・・」という不安を感じて「防衛本能」を働かせているからです。        

このように、防衛本能は、人の心にブレーキをかけます

だからこそ対話時には、なるべく相手を安心させて、「防衛本能」を抱かせないように、配慮する必要があるのです。

言わば、「心のブレーキを解除する」イメージです。では、「防衛本能」を抱かせないようにするには、どうすればいいのでしょうか?             

そんな時には、自分の方から「失敗した話」や「損をした話」をすると、相手は、自分よりも下ないし同レベルに観て「親近感」を感じるようになります。この事を【自己開示力の返報性】と言います。 

※「自己開示」とは、「私は、こういう人間です」と、相手に自分をさらけ出して伝える事です。

話す内容は、「意外性」や「本人のギャップがある話」がいいのです。「実は真面目に見えるのにユーモアがある」「細いのによく食べるなど」等々・・・。

そうすると、相手に魅力を感じて貰えます。

ただし、「失敗した話」にも、注意が必要です。「昨夜も飲み過ぎて二日酔いです(笑)」「遅刻ばかりして、会社から怒られています(笑)」「家族が病気で、今大変なんです・・・」

といったたぐいの「この人は大丈夫か?」と、思われるような相手が引くような話や深刻な身の上話は、NGです。

・・・この話をした後、この内容を事前に読ませた人に、前に出て話をしてもらった。


▲<課題Lesson(5)(4が3回あり5が正しい)>

彼は、「自己開示」を「失敗談」と理解した様子で、ラーメン屋に営業した時、店長が、「広告をするには、店の激辛ラーメンを7分以内で食べたらOKしてあげると、言われチャレンジしたが8分掛かってし失敗した」と、いう話をしてくれた。


▲<前に出て話してくれているところ>


▲<私達には、「面白い話だっかったが、お客様に君を自己開示する内容には、もう少し工夫が必要だったね」とコメントしているところ>

朝礼担当者に、話の内容のチェックを任したのだが、少し難しかったようだ・・・(残念!)。


「おじいは、泡盛のきき酒で酔っ払い。おばあは、孫と試食で腹いっぱい」

2016年10月22日 14時30分00秒 | 沖縄現地情報

▲<今年は、天候も良く真夏のような晴天32度でした>

10月21日~23日まで、「奥武山公園・沖縄県立武道館」で、第40回「沖縄産業まつり」が開催されている。

「沖縄産業まつり」は、沖縄県で行われる最大の商業イベントです

今年も、奥武山総合公園全体を使って、6会場に370以上のブース出店があった。

私は、21日の11時~13時まで観に行った。


▲<川沿いに並ぶ出店(64店舗)>



▲<オリオンビアガーデン(ここだけ、試飲もなければ安くもない)>

▲<人気が高い「市町村コーナー」「県産品(泡盛・コズメ・食べもの)」>

▲<沖縄県民は、何よりも「肉」が大好きだ>

▲<「西武門(にしんじょう)かまぼこ店」で試食も>

▲<「菊の露酒造」他、ほとんどのメーカーが、試飲をさせてくれる>

▲<毎年購入する「中身(ホルモン)焼」300円(300g)>

▲<家族連れが多く、購入した物をみんなで食べるのが楽しいのだ>

明日、23日の20時まで行われる。

九州社員旅行(4/4)

2016年10月20日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<伊勢の「二見ケ浦」と同じ風景の「桜井二見ケ浦」です>

社内旅行の最終日の午後は、福岡市西区の先にある「糸島市」に行った。唐津市の隣接で福岡市の最西端です。
島ではなく、糸島という地域なんです(玄界灘を望む「九州大学」のキャンパスがある丘陵地帯です)。

最初に、畑の中にある「伊都菜彩」(JA糸島産直市場)へ行く。日本でも有数の道の駅と言われるだけあり、地産の食材で創った加工品が凄く多かった(私は、「ひじき」「ピクルス」「貝」を購入した)。

田園風景の中、「桜井二見ケ浦」を目指していたら、「一蘭の森」という看板が目に入る(博多ラーメン「一蘭」の工場で見学が出来るらしい)。




▲<工場は建物の外(窓)から覗くだけ>


▲<博多ラーメンを720円で食べられるのだが、街中で食べるモノとの差はないので寄るメリットがない>

「桜井二見ケ浦」に行く途中に、「つまんでご卵ケーキ工房」の建物を見たが、帰りに寄る事にした。

「桜井二見ケ浦」周辺は、湘南を意識したような海岸沿いに「レストラン」や「喫茶店」が点在している。


▲<どこかで、この卵を摘まむ絵を見た事があったが、ここの事でした>

「つまんでご卵ケーキ工房」に入った。ここの卵は、「まんぽ鶏」(まんぽけい)と、呼ばれる一日一万歩以上歩かせた元気な鶏が売りです。

この卵を使った「卵かけごはん」は、230円でした。他にも「親子丼」あります(食べた人の感想は、凄く濃い味の卵だったと言っていた)。

「つまんでご卵ケーキ工房」で貰った。「手しごとサローネ」(NPOひとひとねっと作成冊子)には、たくさんの「工房」が載っていた。この地域には、若手の芸術家達がたくさんいるようです(時間があれば、何軒か訪ねてみたかった)。

すべての見学を終え、博多空港へ帰る。そして、19時10分に那覇空港に帰還した。

2泊3日の旅行だったが、レンタカーを使い地元に住んでいた人の情報をフル活用で来たので、大満足の旅でした。

一度に、100名くらいで行く大社員旅行もいいが、今回の企画のような小集団旅行もいいかも。

九州社員旅行(3/4)

2016年10月19日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「櫛田神社」は、博多のキングオブ神社です>

朝、「ワシントンホテル」のバイキングを食べ、9時30分に他のホテルに泊まっている(ワシントンホテルに6名は、泊まれなかった。博多もホテルは国内外の観光客で満室状態でした)。

車で数分の「中洲」の駐車場に車を止めて、商店街を抜けた所にある「櫛田神社」に皆で行った。

この神社は、「博多祇園山笠」のスタート地点になっている由緒ある神社らしい(博多で、数年住んでいた人が、今回のグループにいたので、地元情報に詳しくてgood!でした)。

敷地内には、本殿以外にたくさんの拝殿があり、ビックリした。




▲<「祇園祭の鉾」がありました(表裏です)>




▲<朝の10時から本殿内で「結婚式」が行われていた!その後も、もう一組が「人力車」に乗ってやって来た!>

珍しく「おみくじ」を引いた。「末吉」だったけど、結構いい内容だったので気が良かった。


▲<「櫛田神社」を出た所にあった「町屋保存館」の「博多塀」を眺める>

昼食は、中州の「吉塚うなぎ屋」(明治8年創業)で、「うな重」を食べた(開店11時開店に、50名以上並んでいた)。




▲<鰻は美味しかった!博多の醤油は甘いので、汁が私には甘過ぎた>

昼食後、少し時間があったので約1時間、日曜昼の「中州」を探索した




▲<今回、「博多餃子」を食べずじまいでした(残念!)>

午後からは、まったく想像つかない今人気のスポット「糸島?」を案内して貰った。(次号へ続く⇒)

九州社員旅行(2/4)

2016年10月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<午前中行われている「呼子の朝市」>

10月15日は、朝から「呼子の朝市」へ。
3大朝市と聞いていたが、想像以上に小規模だった(何を間違ったか?まだ一泊するのに、「イカの一夜干し」(大4枚1,000円+1枚サービス)を買ってしまった!)

約一時間朝市を楽しんだ後、午前中に長崎に入る。「出島」を簡単に見学した後、中華街で「長崎ちゃんぽん&皿うどん」を食べた。


▲<長崎の中華街は、いつ行っても楽しい>

13時50分発の、「軍艦島ツアー」に参加した。長崎港から40分の船旅(途中、三菱重工の世界遺産設備や日本最初の西洋式造船所跡を船から観ながら解説を聞いて行く)。海の状況が良く「船酔い」もせず渡れた。

「シーマン商会」の船に乗ったのだが、ガイドがNPO「軍艦島を世界遺産にする会」の理事長坂本氏(元島民)で、大変力の入ったガイドが聞けて、話の内容に圧倒された。


▲<遠くから見ると外観が「戦艦土佐」に似ている事から「軍艦島」と呼ばれるようになったらしい>


▲<右端7階建の「小中学校」、中央10階建の「鉱員社宅」>

「軍艦島」の正式名は「端島」。1810年佐賀藩が小規模な採炭の後、三菱が1890年に経営してから本格的に操業した。

1916年(大正5年)鉱員用の「日本初鉄筋コンクリートの高層アパート」が建設され、最盛期には島には5,300人が住んでいたらしい。


▲<世界遺産の「総合事務所跡」この建物には、炭鉱マンが服を着たまま入れる共同浴場があったらしい>


▲<世界遺産の「天川の護岸」(石灰と赤土を混ぜた天川と呼ばれる接着剤を用いた石組工法>

私が驚いたのは、地上の「軍艦島」(南北480m東西160m埋め立で3倍に)の大きさよりも、海の地下1km以上の深さ、範囲は南西2kmに採掘していた事だ。

当時、島の様子は詳細に報じられなかったが、1918年(大正7年)海底ケーブルによる電気送電で、早い時期にテレビや冷蔵庫・洗濯機が各家庭に備わっていたらしい(真水・ガスは、遅くて昭和30年代)。






▲<島内では、限られた見学場所をガイドさんの誘導で歩く>

1974年、国のエネルギー施策の変更により、閉山発表から3カ月で、持ち出せる荷物も限定され追われるようにして「端島」(故郷)を出た事は、今でも元島民にとって忘れられない辛い事だったようです(事実、故郷には数年間自由に入れず今は壊れ崩れて行くのをただ見るだけ)。

佐賀港に戻り、佐賀県から高速道路2時間で、博多市内のホテルに戻れたのには驚いた。

夜は、「大濠公園」近くの「鶏の水炊き」を食べ、キャナルシティ内「ワシントンホテル」近くの「屋台」で、おでんを食べてから寝た。

九州社員旅行(1/4)

2016年10月17日 14時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<「唐津城」と「高島」に渡る定期船>

10月14~16日、2泊3日の旅行をした。顧問先企業が毎年行う社員旅行の参加です。

全国約150人の従業員が、6~10名のグループに分かれ、自分達で企画して九州のどこかに2泊する

沖縄以外の4拠点勤務メンバーも、各グループに入って参加した。

我々のグループは、社長を含めて6名(沖縄本社4名+鹿児島1名+東京1名)。

私は10月14日の朝、那覇空港を経ち博多空港へ。

先に着いたメンバーが借りてくれた「ワゴン車のレンタカー」に乗り込み空港近くの店で「博多うどん」を食べた後、一日目の宿泊地の「唐津」を目指す。

通過した「虹の松原」が、凄かったので感動した。


▲<約50m以上もある奥行の「虹の松原」が、数キロ続く・・・>

若手は途中、最近有名になっている「唐津バーガー」をおやつに食べていた。


▲<移動店舗の「唐津バーガー」>


▲<偶然に見つけた「山頭火」の石碑>

唐津城下の港から出る連絡船に乗り「高島」へ。「高島」への船は、宝くじ当選祈願の客で満席(笑)。


▲<25年前に「島起こし」のために、名前を変えた「宝当神社」>


▲<村の氏神様の「塩谷神社」>


▲<左端の猫が、手を合わせて拝むらしい(岩合光昭さんの写真集に出ている)>

港近くにある「宝当神社」と、少し山手にある「塩谷神社」をお参りして、1時間後の船で戻った。

唐津城下で、唯一温泉を持つ「綿屋旅館」に宿泊した。
料理のメインは、「イカの活き造り」と「佐賀牛」のミニステーキ(いつも旅館の夕食は食べ切れない)。
夜は、メンバー達の部屋で深夜まで飲みながら会話を楽しんだ(社員旅行の楽しみ)。


▲<歴史を感じる「綿屋旅館」>

「古民家食堂10月例会」参加

2016年10月12日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<本日、餃子150個焼きました!>

10月11日の夜、「古民家食堂会」があった。

今月のメイン料理は、「餃子」と「広島風お好み焼き」でした。

「餃子」は、私の担当です

午前中、会社に出たので、帰り自宅近くのスパーサンエーで、材料を仕入れて帰る。

「餃子の皮150枚」「豚ミンチ760g」「白菜1/2」「ニンニク1個」「椎茸大8枚」。
「生姜」「ニラ」、味付け(鶏ガラ、ごま油、××、××・・・)は、自宅のものを活用。

仕込みは、正午から始めて15時に終了した。

「餡」を冷蔵庫に入れて冷やしておく。

18時、いつもの通り「高良さん」の車に乗せて頂いて古民家食堂へ。


▲<焼きます!(大きなホットプレートなので、一回で約50個くらい焼ける>


▲<ホットプレートだから、焦げず、安心して焼ける>

今回は、参加者が11名でした。

高良さんの「オイルフォンジュ」は、上手く行ったが、原川さんの欠席で「広島お好み焼き」が、「広島風」になった(笑)。






▲<今回も、沖縄の人達と「沖縄県人気質」や、「座間味島民宿経営者の悩み」を聞かせてもらっりして楽しかった!


▲<二度目の焼きです!(3回目の8個は、瀬崎家の「お持ち帰り用」になりました(嬉しい)>


▲<最後の〆は、やっぱり古民家食堂名物「氷ぜんざい」でした!>

「サガリバナ」咲いてくれてありがとう!

2016年10月09日 10時20分00秒 | 沖縄の生活

▲<延べ10日くらい咲き続けた「サバリバナ」(10月7日の夜)>

台風18号が襲来した、10月2日から咲き始めた「サガリバナ」は、10月9日終わりに近づいた・・・。

2房に、約40個以上の「蕾」が付いた。


▲<上から下に順序良く咲いて行く(10月9日の朝)>

10月5日、夜咲いた「花弁」は、朝日を浴びると落下するはずなのだが、一日落ちないで咲き続けた!?

「開花」した(「サガリバナ」は、夜バニラに似た強い香りを放つ)。

その匂いを求めて、どこから来たのか「二匹のミツバチ」が、「蜜」を吸いに連日来てくれた!


▲<玄関に置かれた「サガリバナ」(両サイドに2房下がっているのが見える)>

ミツバチが、「受粉」をしてくれたので、今年は初めて「実」(種)が、出来そうだ

8年前「漫湖公園」河岸清掃ボランティアに参加して、帰りに「苗」を貰った。

それから育てて8年、初めて「種」が取れる事を楽しみにしている。


▲<右上に「ミツバチ」が必死に蜜を吸っている>

台風18号と「サガリバナ」

2016年10月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<やっと自宅に帰った「サガリバナ」10月5日19時>

台風18号が、沖縄本島に近づきつつある10月2日。

風が強くなってきたので午後から「ベランダの植物」は、リビングへ。「玄関外の植物」は、玄関の内側に取り入れた。

「サガリバナ」だけは、昨年は玄関内側に入ったのだが、今年は大きくなり過ぎて「玄関の内側」に、入らなくなっていた。

丁度、「蕾」が開花し始めていたので、このままでは「花弁」も「葉」も、風で飛んで行きそうだったので、マンションのエントランスに避難さてもらった。

ご近所さんに、台車を借りて降ろそうとしたら、「葉」が茂り過ぎで、エレベータに入らなかったので少し切った。

3日の朝、新聞を取りに行った時、一番に咲いた「花弁」が、下に落ちていたので拾って持ち帰った。

台風が、一番近づいた3日の夜は、安心して眠る事が出来た。


▲<10月4日の夜、マンションのエントランスで、次々と咲き始めた>

4日の夜から、両方の房からたくさん咲き始めた・・・。




▲<しかし、開花状態が悪い・・・>

外気に触れないのと太陽に当たらないのが原因か?「花弁」の開き具合が良くない。

5日は、まだ風は少し吹いていたが、夕方に我が家の玄関前に戻す事にした。

寝る前に、開花状態を見たら生き生きとし始めて「開花」の数も驚くほど増えた!


▲<10月5日23時の開花(満開)状況!>

今年は、もう咲かないと思っていた「サガリバナ」の開花を観る事が出来て、とても幸せな気分になれた。

4~5日になって、「久米島」の被害状況がTVで報告され始めた。風速60mのパワーを思い知らされる。

那覇市内は、花の心配をしていられる状態で感謝!(台風被害にあわれた方々に、お見舞い申し上げます!)。

台風18号

2016年10月04日 09時30分00秒 | 仕事

▲<台風18号が近づく10月2日の夜玄関に置いてある「サガリバナ」が一つ咲いた!>

10月2日の夕方、台風の強風を避けるため、マンションロビーに「サガリバナ」を避難させた。


▲<自宅で置いている時は、大きく感じたがロービーに置いたら小さく見えた(左の房が鉢に届くくらいに伸びた)>

10月3日は、朝から公立学校は休校。昼から公共交通が運休した。NHKテレビは、夜から特別番組に変更になった。

昼過ぎから、携帯の「特別警報」が、何度も大きな音を立て始める

那覇市への「大雨・暴風・波浪・高潮特別警報」は、10年に一度の災害が予想されるとした最大級の警戒らしい。那覇市内全域に避難警報発令、怖い❗

中心気圧905hpa、中心の最大風速60m、最大瞬間風速85m。なんじゃ‼これ、過去最高の台風です❗

台風18号は、那覇市を暴風避難地域にして、久米島付近へ北上(久米島を中心に、被害が出ると報じている)。

TVには、沖縄本島と周辺離島の避難勧告地区が、次々と映し出されてます・・・。

10月4日の1~3時頃、風が一番強く南側窓の隙間風が、大きく音を立てて鳴っていた・・・。

朝6時に、沖縄の警報が解除されたが、久米島で56.9mの風が観測されたらしい(ワンボックスカーが風で横転し乗っている人は閉じ込められたが直ぐに救助された)。

那覇市内は、久米島から約100km離れているので、今回大きな被害は出ていない模様


▲<10月3日の朝、観に行ったら「サガリバナ」の花弁が既に落ちていたので自宅に持ち帰りコーヒーカップに入れて鑑賞>

退職者をどう減らすか?

2016年10月02日 00時05分00秒 | 仕事

▲<9月30日の「豊崎美らSANビーチ」>

9月30日、顧問先の「人財委員会」に、参加した(社長以下グループMgr全員参加)。

今月のテーマは、「退職者について」だった。

この3カ月間で、一カ月ギリギリに退職を言い出す事が数件あったので、出来れば3か月くらい前に言って貰えるにはどうすればいいか?を議論した。

最後に、私からグループMgrに対して、若年層定着率UPの心得を話した。



【会社で確認しておく事】
1)入社3年以内の退職率?vs20代後半の退職率?
a.新卒3年目の退職率(沖縄43.1%、全国40%)新卒1年目の退職率(沖縄29.2%、全国19%)
b.新卒は、3年で40~50%辞めるものだ、これを上回らないように努力と工夫が必要。
c.20代後半に、転職を考え始めるので、当社で30代の展望を見えるようにしておく。

2)30代以降の「キャリアや将来展望」が見えるか?
a.入社時レベルの仕事を3年以上やるような仕事の仕方・体系は、先が見えにくく不安を覚え退職に繋がりやすい。
b.各業務で、仕事内容が3年区切りくらいでレベルUPを要望される事を可視化する。

3)「出来るからやらせる」より「出来そうだからやらせる」へ、チャレンジ人事があるか?
a.当社の規模であれば、大企業よりも早くMgrやプロジェクトリーダーになれるようでないとメンバーを引き留められない。
b.チャレンジ人事は、人を早く成長させるので取り入れるべき。

4)社内に「お互いに関心を持ち」「協力し合う」「教え合う」風土があるか?
当社の仕事内容ば、一人を賞賛するのもいいが、チームを賞賛する方法も有効だ。

5)司と普段から「無駄話」が出来る雰囲気があるか?
普段から雑談を行え、業績確認の話だけでなく、パートナーの「モチベーションの根源」「悩み」「結婚」「転職」の動向に関心を持ち、パートナーの心の動きを図れ。

6)「良く学び」「良く遊べ」の仕掛けがあるか?
日頃から「自己成長」と「リクリエーション」に、時間と費用を使っているか。

どの会社でも、新人や第二新卒を引き受けるMgrが、「最近の若い奴は、甘えやワガママで良く辞める」と、考えているのだったら若手社員の退職率は改善しない。

転職の情報がネットにあふれる現在。特に若手社員には、「社会人になって最低3年くらい仕事をしないと見えて来ない事がある」「社会人の基礎を丁寧に教え・仕事の楽しさを理解させる」事に取り組まなければ、突然の退職は収まらない。

「社会人の基礎を丁寧に教え・仕事の楽しさを理解させたら」退職率が下がると同時に、働く意欲が沸くので、会社の業績も良くなる。

Mgrは、「一時間の全体会議より10分間の一対一面談」の有効価値を認識し、有効活用すべきだ


▲<10月1日の夕陽>

この会議終了後、「上期達成会」に参加して、大いに飲み語った。