「沖縄楽園生活」さよなら編 (10)「最終回」

2017年04月15日 18時00分00秒 | 沖縄の生活

※2017年4月15日早朝の6時30分、無事「大阪南港」に到着しました!

2006年4月15日「沖縄移住準備編」から始まった「沖縄楽園生活」も、奇しくも本日2017年4月15日、2103号をもって最終回になりました。

永く良く書けたなぁと、本人自身が驚いています。

毎日書いていた年もあり、今は亡き友人に感心されました(懐かしい思い出です)。

「沖縄病に罹り」大好きな沖縄へ、移住を計画するも訳あって、計画より2年遅れて「沖縄移住」が実現しました!

沖縄に来て、たくさんの新しい「縁」を頂きました(東京の原さんなど、たくさんの方にも応援して貰いました)。

前回も、書きましたが「観光移住」ではなく、若い仲間達との「仕事」や、「地元仲間との酒盛り」が、沖縄移住生活でした。

仕事も、たくさんさせて頂きました。

仕事には「守秘義務」があり、「ブログ」に書けない事がたくさんありました。「ブログ」では、毎日「飲んでばかり」になっていました(笑)。

沖縄でのご縁に「感謝感謝の嵐」です!


▲<大阪行きの「フェリー船室」で、「ブログ」を書く本人です>

皆様のご多幸とご健康を、大阪よりお祈り申し上げま~す!ありがとうございました!!

「沖縄楽園生活」さよなら編(9)「引っ越しの夜~フェリー乗船」

2017年04月13日 19時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<沖縄に移住した翌年、私の部屋のベランダに「イソヒヨドリ」が巣を造って4匹産んで一羽育った事もあった>

引っ越しの荷出し作業も深夜まで続く日々、4月12日、朝9時「ヤマト運輸」搬出スタッフ4名で作業が始まり、手際よく進み15時に終わった(過去のケースに比べ随分速かった)。

コンテナ2つの長いトレーラーをマンションのベランダから見送る(マンションの駐車場から、細い道路に一発で出た時は、あまりも上手で感動した!)。


▲<ある日、駐車場から見上げたら、ベランダに「シロクマ」がたたずんでいた!(クマのぬいぐるみが干してあったのだ、笑)>

少しだけ掃除をして、16時過ぎに、小禄駅前の「チャビラホテル」に、チェックイン(二人で、8420円。これで充分です)。

最後の夜は、ご近所の高良さんに声を掛け、ホテル近くの以前行けなかった「居酒屋」に行ってみた(おもしろい店だった)。


▲<おもしろい経営をしているようだ。今夜は、国場に2号店を出し、若い男女が2人だけで運営していた>

翌13日は、家人が6時くらいから部屋の掃除に行く(昨日、荷を出した後、台所の下に忘れ物を見つけショクを受けていた・・・)。

私は交代で、朝9時から11時過ぎまで清掃をする(大掃除にもやらなかったくらい磨き上げた)。

10時過ぎ不動産会社の立会確認を終え、部屋の鍵を返却した。家人と合流し車に荷物詰めが終わり、任して「沖縄最後」の散髪に行く(最初から一軒で終えた)。

14時、「沖縄そばの定食」を食べて那覇新港へ。

15時に「那覇新港」で受け付けをして、フェリーに乗船。16時定刻に出航した(沖縄の夫婦友達、久茂地の「たかちゃん夫婦」が、自転車に乗って那覇新港まで、見送りに来てくれた(感謝!)


▲<純粋な「輸送フエリー」です。食堂はありません!今回乗用車での乗船は、4台でした>

私達といえば、一昨日からの忘れ物や出て来た荷物で「天手古舞」が続いている。車に積め込めたが、船の客室に持ち込む物と車に置いて行くものの整理が追い付かず、「港の岸壁」で整理していたら持ち込む保冷物の発砲スチロールの蓋が海に飛ばされた!?(涙)。

乗船し車を固定した後、部屋に入って、忘れ物に気づき、あわてて取りに行く始末(相当疲れがピークに来ていた)。

16時定刻に「那覇新港」の岸壁を離れ、9年10カ月の『沖縄楽園生活』も終わったと感慨にふけっていたら。

横で、家人が「乗船チケット」が無いと大騒ぎ!少したって客室サービス係に、確認したら「ハイ頂いてますよ」との事(笑)。


▲<「伊江島」を過ぎた頃から、夕焼けなった(客船ではないので、窓が開かずデッキにも出る事は出来ない)>

次の停泊港は、20時「与論港」らしい・・・。

海の上で、「ブログ」が書けるとは思わなかった(スマホは、偉い!!ただし、港や島に近い所のみ)

【移住成功の秘訣】沖縄移住のポイントは、風景ではない。一番おもしろいのは、地元の人です。夕陽を見ていても一年で飽きるが、沖縄の人は、面白い。


「沖縄楽園生活」さよなら編(8)「沖縄のまつりに参加」

2017年04月11日 11時00分00秒 | 仕事

▲<「那覇大綱曳き」の始まる直前、久茂地交差点で那覇の旗頭が、すべてが集まって「旗頭ガーエー」が行われる>

我が家の引っ越し荷物詰めも佳境です!
「沖縄の祭り」は、たくさんあり「参加型」も多いです。
一番有名なのは、「那覇の大綱曳き」。私も初めて参加した時、綱(細い手綱を引く)を引いた時、感動した。大さは世界ギネス認定で、国道58号線の分離帯を外して、交通を一昼夜遮断して行われる(途中から、米軍関係者が多くなり過ぎて決着がつかなくなり、観にも行かなくなった)。


▲<ゆいレール「赤嶺駅」前の「赤嶺団地」でも行われている「夏まつり」。「獅子舞」中に入っていたのは、中学生男子だった>

各町にも、「綱引き」の儀式があります(「五穀豊穣」「家内安全」など)。「糸満」「与那原」「真栄里」など、書ききれないくらいあります(特に、「真栄里」は、本気の喧嘩になるほど真剣です)。

ほかに、「ハリー」。代表は、「那覇ハレー」ですが、「糸満」「奥武島」など各地に、いっぱいあります。沖縄の各港毎に、今も伝統的に続けられている。漕ぎ手は、数か月前から練習を重ね、字(あざ)対抗で盛り上がります。


▲<「那覇ハリー」の最後は、「3字対抗ハリー」で最高潮になる(2年間「企業対抗ハリー」に出場した)漕ぐ時間は、あっという間だが、なかなか縦に漕げないし10数名の力が揃わない>

あと1つ紹介したいのは、「旗頭」です。旧盆に行われる「エイサー」と競うくらいだが、何しろカッコいい。各地区の青年団が、先輩から指導して貰い、夜に「持ち方」や「腰の入れ方」の練習積み重ねて、重たい柱を挙げる姿に、男の美学を感じます‼


▲<旗の下の一人が支えて上げている(数分ごとに交代する)。町内の「旗揚げ(ガーエー)」では、街角の空き地や駐車場などで行う。その時、町内の方々から「寸志」を頂く(その方のお名前を読み上げる係がいる)>


▲<午前中は町内を練り歩き、午後からは本番の「首里まつり」で首里城下を道ジュネ―する。一日で2万数千歩、歩いた>


▲<糸満の「旗頭行列」で撮影した、「チョンダラー」(先導役)左側は女性です(可愛い)>

私は、「首里久場川」の「旗頭行列」に加えてもらい。「首里まつりに」3年参加しました。いつも見ている側の人間が、観る側にまわる貴重な体験する事が出来ました(特に、初参加した年、久場川が首里地区から選ばれて「国際通り」で行われる「琉球時代まつり行列」に参加出来た!(十年に一度の当番でした)。県庁前~牧志駅まで、「道ジュネ―」した時は、最高に気分が良かった!


▲<「打上げ」は、数か所で「ガーエー」を終えてすべてが終わった後、「公民館」で、夜20時くらいから始まり朝まで続く・・・>

【移住成功の秘訣】地元の人だけが参加する飲み会に入れ。
 そこで地元の人と仲良くなれば、地元の人しか出れない「地域まつり」に参加出来、「打上げの飲み会」にも参加させてもらえる機会に巡り合える。

「沖縄楽園生活」さよなら編(7)沖縄の気候と自然遊び

2017年04月09日 00時05分00秒 | 仕事

▲<4月に入ってからのご近所の風景(このハイビスカスは、花弁の大きさが20cm以上もあった!)>

沖縄は、亜熱帯気候だから冬がないと思われているが、2年も住むと「20度」を切ると「少し寒い」と言い、「15度を切ると「寒くて風邪をひく」ようになる

私が、移住した6月は、「梅雨後半」だった。持って来た、「皮製品」や「式服」に、「カビが生えた」。それ以来、靴も含めて革製品は購入していない。驚いて電気屋に行って大きな「徐湿機」を購入した。数時稼働させたら「タンク」に水が2リットルくらい溜まったのを見て驚いた。


▲<小禄南公民館の駐車場に咲いていた「くちなしの花」>

台風の強さにも驚いた。初めての年が「台風の当たり年」みたいだった。先島(宮古・八重山)は、よく「台風の通り道」になるが、那覇は10年住んだが、当たり年は2回くらいだった。


▲<3月~4月の一斉に咲き始める「イッペー」最初は、葉が無いので良く目立つ>

台風が、那覇の上空を通る事はめったにないが、西海岸の近くを通過した時は、マンションの窓が風で割れるのではないかと思うくらい軋み、雨が隙間から吹き上がって来た。翌日、近所を歩いたら「信号機」は、風でゆがんでいいて「消えていたり点滅中」。幹が20cm以上の街路樹が、横に折れていた!(本州に上陸する台風と威力が桁違い!)。家人は、沖縄に来る前は「海辺で住みたい」と言っていたが、一切言わなくなった(笑)。


▲<こちらの白い小さな花は「シークワサー」ミツバチが必死に蜜を吸っていた>

沖縄では「キャンプ遊び」は、夏にやらず「冬」にする。その方が、夜「蚊」や「虫」が来ないし、たき火を焚きながら、飲む酒が美味しい事を、キャンプに命を懸けている「高良さん」に、教えてもらった。

夏は暑過ぎて、外を歩く気がしなくなる。その点、「秋や春」は、太陽や紫外線もやさしくて、過ごしやすい。泳がないならホテルが安くてすいている、この時期に沖縄に来た方がいいです(台風で足止めされる事もない)。


▲<猫は、沖縄では、冬も外で野たれ死ぬ事もなくノンビリと生きている>

膝くらいの遠浅の海に入って「手掴み」で、「モズク」を採ったり、沖縄での楽しい遊び方は、たくさんあるが、地元の人と付き合えば、教えてくれます。


▲<こんな渋い家が、那覇の住宅街にまだ健在です>

【移住成功の秘訣】自然の遊びは、地元の人に聞け!(スキューバーなどマリンスポーツは、県外者がはやらしたのでプロに聞く事がお勧め)。

「リーダーシップを身に付ければ、人生を自分で切り開いて行ける」

2017年04月07日 00時05分00秒 | 仕事


4月3日の夕方、那覇市久茂地「沖縄タイムスビルホール」で、顧問先企業の「18期キックオフ」があり、全国からメンバーが沖縄に集結した。

「前年度の業績報告」や「優秀パートナー表彰」が行われ、その後、社長と各グループMgrから、「今期の方針」が発表された。

キックオフの後半は、「パーティ」があった。

毎回、「乾杯音頭」は、私の仕事です。今回は、沖縄を離れるので、いつもより時間を頂いて「私の思い」を語った

先月の「人財委員会」で、昨今の若者傾向である、「リーダーを目指さない人が当社にも少なからずいる」と聞いて、ショックを受けたので、「リーダーシップを身に付ければ、人生を自分で切り開いて行ける」 をテーマで話した。

この言葉は、マッキンゼー日本法人で長年人事課長をした、伊賀泰代氏の著書「採用基準」に書かれている言葉です。

さらに、「リーダーシップはこれからの世界を生き抜く人達のパスポートです」とも述べています。


▲<こんな事も言っている>

▲<リーダーシップを目指す人は、間違いなく「日々成長している」

▲<仕事とは、銭を稼ぐだけではない!「仕事の報酬は、仕事だと勤めた会社で教わった」その後、「最高の報酬は人間の成長だ」と田坂広志の著書「仕事の思想」から教わった。私もそう思う>


▲<沖縄を離れるにあたり、「レンタルおじいのメール相談室」を紹介して締めくくった>

「古民家食堂4月例会」に参加

2017年04月05日 00時15分00秒 | 沖縄の生活

▲<4月4日の古民家食堂の夕景>
4月4日の夜、「古民家食堂4月例会」に参加した。いつもは第二週の定例会を私の都合で、今回は第一週にしてくれた。













▲<いつも渋い、友利さん>

例年4月から外で「BBQ」を行いますでも、今年4月の夜は寒い!(夕方16度)参加者みんなが厚着して震えていた(笑)。

私は、「古民家食堂例会」で、たくさんのいい縁を頂いました。

「古民家食堂」が出来た時の話を聞かせて貰った・・・。


▲<高良さんと又吉さん。ありがとうねー!!

ここを造った(創った)、「おやじ達」の活動は、NHKで「プロジェクトX」を創りたいくらいに凄くいい話だった。

「古民家食堂」づくりに参加した魅力的な人に逢えて、幸せだった!!

そして、ここ集まる人も、魅力的な人がたくさんいた。、「喜業会」の講師を依頼して刺激を頂いた。

そんな中でも、瀬崎君は、(喜業会メンバー)酒が飲めないのに「古民家食堂会」に、誘ったら喜んで参加してくれ、数年後には、実家(伊勢志摩)の牡蠣を沖縄に空輸してくれ、「古民家食堂蠣食べ放題」を実現してくれ、今では、「古民家食堂」の名物イベントになった。


▲<皆さん、一週間繰り上げの「古民家食堂会」。忙しい中、寒い中、来てくれて!!ありがとうーー!



「沖縄楽園生活」さよなら編(6)地元の仲間は、「公民館活動」から

2017年04月03日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<9回目、2017.2.5の「小禄南公民館舞台発表会」>

207年の6月に沖縄に移住した。一ヶ月あとに来た家人は、9月に公民館の「琉舞サークル」に入会した。私も負けじと、10月に「三線サークル」に入会した。

沖縄に永く住むつもりだったので、楽器経験がないのに、何か沖縄らしいものを身に付けたかった
三線は、牧志公設市場周辺にあった「三線製作所」に、飛び込んで、ワンセット25,000円くらいで購入した。

講師の小野さんは、宮城県出身で沖縄に移住して30年、三線歴も30年らしい。流派にとらわれず、古典・民謡・BEGINまで、日本語で歌う曲もあり馴染みやすかった。


▲<2017年の「舞台発表」前の記念撮影(初めてお揃いのTシャツを創った)>

生徒は、20名位いるが練習に出て来るのは10名程度。県外者と「うちなんちゅー」が半々、しかし、「うちなんちゅー」のおじいぃと、おばぁが、話出したら方言でまったく意味不明(笑)。


▲<2月22日の「舞台発表打上げ会」>

最初の頃は、弾く曲の順序が決まってなかったので言われた譜面も探せず、弾き方も解らず、先生のカスレ声も聞きとりにくく、最初の2カ月くらいは、ついて行くだけで、毎回泣きそうだった・・・。今でもそうだが、2時間の練習が終わって家に帰ると、ぐったりしていた(泣・・・)。


▲<2月22日、打上げ後の「カラオケ」>

翌年の2月に「公民館まつり(舞台発表)」があり、3カ月で舞台に上げられた(初舞台)。「渡りぞう滝落とし」は、何とか弾く事が出来たが、「ひやみかち節」は、まったく弾けず(今も上手く弾けない)、三線を手から離して、歌だけで参加した。

練習日に、仕事が入った日は休んだが、引っ越すまで、辞めず9年続けた。一昨年度は、「会計&広報」を担当し、昨年度は「会長」を担当した。今回3月末、沖縄を離れるにあたり卒業した。


▲<3月25日の「大送別会」(今年にの春は、私を含めて4名の県外引越者が出た)>

ご近所の人と、同じ趣味で席を同じくして、上も下もない付き合いが出来た(20代後半~95歳まで)

私の提案で、年に一度の「飲み会&カラオケ会」を始めた(三線好きは、カラオケも好き。特に、沖縄の人は、昭和歌謡が大好きです)。

今年は、2月22日に「舞台発表打上げ会」を行い。3月27日に「4名の送別会」と、2カ月連続の「飲み会&カラオケ会」があった(今までになく、イベントが多い)。


▲<3月25日の「大送別会」後の「カラオケ」。私は、一曲歌って寝てしまい。終了時までの記憶がない(笑)>

【移住成功の秘訣】近所付き合いを始めるなら、公民館のサークルに入れ!そうすれば、ご近所の同じ趣味仲間と知り合える(地域の伝統芸能が狙い目だ)。

琉球料理の店「心花(ここはな)」で送別会

2017年04月02日 12時00分00秒 | 仕事

▲<メイン料理の数々(男性でも十分の量です)>

4月1日のお昼、北中城にある琉球料理の店「心花(ここはな)」で送別会をして頂きました。

住宅街の高台にあり、窓の外には「泡瀬」の海が観えます(沖縄本島の東海岸です)。



事前予約すれば、沖縄の家庭料理が1,500円で食べられます。


▲<「前菜」です>

4家族の夫婦で美味しい料理を頂きながら、会話を楽しみました。


▲<「龍泉洞」を運営している㈱南都が造っている「地ビール」を頂きました>

実を言うと、この店はわれらの「高良さん」の奥様のお姉さんが、一日一組予約客限定で開く店なのです。

隠れ家的な店で、こんな料金で大丈夫かと思われる「品数」と「クオリティ」の料理は、女性に大うけするのは間違いない。



「主婦の女子会」向きの店です。



※「心花」北中城村字仲順54-2 TEL/FAX 098-935-0187

「肉御殿」(イオンタウン豊見城)

2017年04月01日 00時05分00秒 | 沖縄グルメ


3月30日の夜、大人7人で「肉御殿」へ行って来ました。

この店は、われらの仲間の高良さんが、ここ数カ月リューアルOPENに、取り組んでいた店です。
店の仕上がりは、以前の店よりもデラックスになっていた(「古民家食堂」の仲間3名の仕事です)。

オープン記念期間で、「食べ放題90分」のメニューもあったが、われわれは単品のコースを選んだ。
以下、肉のオンパレードです(一部)。















「食べ放題90分」のメニュー(飲み物別料金)は、以下の通り。

(1)「50品目満腹プラン」中学生以上2,430円(税込み)
(2)「65品目牛庵プラン」中学生以上2,862円(税込み)
(3)「80品目プレミアムプラン」中学生以上4,2980円(税込み)


すべて柔らかい肉で、美味しかったが私には、「肩ハラミ」が一番気に入った。

私は、ビール飲み放題くらい飲み。他の人はワイン2本飲み干して、一人5,000円でした。


▲<「那覇空港」から10分くらい。高速道路空港線の入り口手前左折「イオンタウン豊見城」が目印。100人近く入る大きな店です>