「嫌われる勇気」 (1)

2014年08月29日 09時30分00秒 | 生き方・人生観


この夏、ある一冊の本に出会い、はまってしまった!
「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健著(ダイヤモンド社)2013.12.12刊

『人は常に「変わらない」という決心をしている』48~52P

殆どの人は「人の性格や気質は変わらない」と思っています。
アドラー心理学では、性格や気質の事を「ライフスタイル」という言葉で説明する。人生における、思考や行動の傾向です。

その人が「世界」をどう見ているのか。「自分」の事をどう見ているのか。これらの「意味付けのあり方」を集約させた概念が、「ライフスタイル」なのだと考えて下さい。

狭義的には「性格」とする事も出来ます。もっと広く、その人の「世界観」や「人生観」まで含んだ言葉になります。=「私は悲観的な性格だ」と思い悩んでいる人は、「私は悲観的な“世界観”を持っている」と言い換えてみる。

問題は性格ではなく、自分の持っている世界観なのだと考える。世界観であれば変容させて行く事も可能だ。

ライフスタイルとは、「生き方」「人生のあり方」という意味です。

アドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選び取るものだと考えます。あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだ(10歳前後)のです。

ライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるなら、再び自分で選び直す事も可能なはずです。

あなたは変われないのではありません。人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。

あなたが変われないのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです

少しくらい不便で不自由なところがあっても、今のライフスタイルの方が使い易く、そのまま変えずにいる方が楽だと思っているのでしょう。いわば、乗り慣れた車を運転しているような状態です。

一方、新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分に何が起きるかも解らないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかも解りません。

未来が見通しづらくなるし、不安だらけの生活を送る事になり、もっと不幸な生活が待っているかも知れない。

つまり人は、色々と不満はあったとしても、「このままの私」でいる事の方が楽であり、安心なのです。

ライフスタイルを変えようとする時、我々は大きな“勇気”を試される。変わる事で生まれる「不安」と、変わらない事で付きまとう「不満」がある。

アドラー心理学は、勇気の心理学なのです。

※「アルフレッド・アドラー」(1870~1937年)フロイト、ユングと並ぶ「心理学の三大巨頭」とされ、世界の著名人に影響を与えた。現在のような不透明・不確実な時代だからこそ注目される「目的論の行動心理学」です。

「シニア人材活用事例セミナー」

2014年08月23日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<8月22日、12~14時「沖縄県立博物・美術館」で行われた「シニア人材活用事例セミナー」>

中小企業庁主催、「シニア人材活用事例セミナー」が、那覇市おもろまちの「県立博物・美術館」で行われた。

私は、以前行われた同じような「新現役チャレンジ支援事業」のコンサルをやった経験者として、パネルディスカッションのパネラーに呼ばれた。参加者は、「シニアコンサルタント希望者」が大半だった。

最初に、運営受託企業の「クオリティ・オブ・ライフ」の原代表から『シニアを活かす企業経営』のテーマで基調講演があった。

パネルディスカッションは、地元企業「ハマショク」の社長高津原氏、シニアコンサルタントの小林氏(大手電機メーカ出身沖縄移住5年)、と私で行った。

(1) パネラーの自己紹介(「乾燥モズク」メーカーの社長の高津原氏が冒頭3分のところ10分間くらい話したのには驚いた(笑)



(2) シニアコンサルタントから実績の話(小林氏は大変忙しく活動されている様子。私は、「新現役チャレンジ支援事業」で、9社面談して6社コンサルを引き受けた(販促系4社、人材育成2社)と話した。



(3) 中小企業支援のコツ、遣り甲斐(自分が経験した事を沖縄の企業に話して、その企業が良くなる状態を見る機会に遭遇出来る事は、「マズローの欲求の5段階」で言うところの【自己実現】に当り、最上級の生き甲斐だ。と個人的感想を述べた。



(4) 最後に、参加者から質問(「若手社員の定着に悩んでいます」に、対して私の持論である「中間管理職の教育の重要性)を述べ、それをしなければ、いくら新卒を採用しても、【ザルで水をすくっている状況は止まらない】と付け加えた)





沖縄地区のシニア人材の受付・フォローは、テンプスタッフとクオリティ・オブ・ライフが行い。沖縄の地元企業のマッチングはコザ信用金庫が受け持つ。


「シニア人材」とは、①概ね50歳以上 ②一つの分野で10年以上の職歴あり ③経験を活かして中小企業の経営戦に意欲がある ④退職者及び退職予定の人。活動事例や登録については、次のHPを参照されたし。http://www.senior-jinzai.com/

餃子でお祝い

2014年08月22日 08時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<8月21日、那覇市久茂地の友人宅で、久し振りに「餃子」を作った>

沖縄に来て8年目、沖縄で出会った夫婦の友人(6年目)の「お祝い会」に、招かれた。

妻は、「花とケーキ」を持参。

私は、「手作り餃子」を持参。

朝、10時に近所の「サンエー」に買い出しに行き、12時くらいには、仕込を終える。

今回の餃子は、女性に喜ばれる「春雨とゴボウ」を使った「ヘルシー餃子」。

18時に、友人宅に着き、さっそく60個を包み、ビールを飲みながら焼き始める・・・。


▲<私のために買ってくれた「業務用餃子焼き器」一度に25個焼ける>

19時頃から、友人が三々五々集まる(MAX12人位か?)。


▲<「スパーリングワイン」で乾杯!ワインの向こうに見える料理は友人ファミリーの手造り料理>


▲<沖縄では、10人くらい集まると、誰かが「三線」を弾いて歌ってくれる>


▲<友人が、テレビで見て作った。「焼き鳥」と「つくね」の「寒天?!」固め>


▲<参加者が、自宅で出来ていた「グアバ」と「ドランゴンフルーツ」を持参したものを「デザート」として頂く>

今回の餃子は、野菜をたくさん食べ、女性に受ける「春雨とゴボウの餃子」を考えたのだが、残念ながら「ゴボウ」のアジが強くて失敗だった(残念!)。


▲<那覇市内の自宅の一階に作られた「ゲストルーム&私の餃子店」>

朝礼での話

2014年08月19日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<冒頭に、私の「キャリア形成体験談」を話した>

月に一回、第3月曜日、顧問先企業の朝礼で話をしている。

8月18日は、第9回目だった。

若い人達に対して、「働く意味」「や「働くスタンス」を10分くらい話す。

8月は、「自分のキャリアは、あまり決め付けないで、“今、ここ”を真剣に生きよ!」だった。

私のビジネス人生を振り返って見ると、キャリア形成は「山登り」を意識したような感じだったが、振り返って見ると「川下り」の方がピッタリだ(当時は、そんな発想は無かった)。

当時は、「転勤」「異動」を言われるたびに、会社に反発をしていた。しかし、振り返れば結果的に成長していた・・・。

その後は、キャリア形成は、「自分自身で綿密に計画したものではなく、縁と機会から逃げ出さずに、与えられた目の前の課題から逃げずにやって来た」だけ。


▲<しいて言えば、こんなことを考えながら仕事をしていたと話した>

丁度、今読んでいる「嫌われる勇気」岸見一郎+古賀史健著にも、ピッタリの言葉があったので紹介した。

「人生を登山のように考えている人は、“人生”を“線”と捉えている」
「実は人生は、“点の連続”です。連続する、“今”で出来ている」


「人間は、“今、ここ”にしか生きる事が出来ない。だから、計画的な人生は、不可能なのです」 【刹那的に、流されてい生きよ!と、いう意味ではない】

「過去にどんなことがあったかなど、あなたの“今、ここ”には、何の関係もないし、未来がどうであるかなど、“今、ここ”で考える問題ではない。“今、ここ”を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない」

・・・60歳を過ぎたら、色んな理解出来る事がたくさん出て来る、今日この頃です。

「海洋堂フィギュアミュージアム」に感動

2014年08月15日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<玉手箱の様なトランクから100点以上のフィギアがいっぱい飛び出てくる>

7月26日~9月7日まで、「とまりん3階特設会場」で、「海洋堂開業50周年祭フィギュアミュージアム」が行われている。

8月12日の午後、会場へ足を運んだ。

海洋堂は、1964年大阪府守口市で開業した「町のプラモデル屋」だ。

先代の社長が、独創的なアイディアと卓越した技術力で、世界的なメーカーにした。







海洋堂の歩んだ、フィギアの黎明期から現在まで、4,000点以上の作品が一堂に展示されている。










▲<沖縄の貴重生物の小さなフィギア(300円のガチャガチャ商品)>


▲<このような棚の中にいっぱい展示されている>





沖縄の地で見る事が出来る事に感動をした。

「古民家食堂8月例会」

2014年08月13日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<昨日が十五夜で、今夜も月が美しい>

8月12日の夜、「古民家食堂8月例会」があったので、19時から参加した。





今月は、新しい仲間が参加して20人くらいだった。


▲<7時過ぎ、暗くなった夜空の下、風が心地よい>

メイン料理は、「焼肉」「焼き鳥」。

今回も、外の駐車場奥にあるスペースで行う、ガーデンパーティーです。


▲<参加者の原川さんと、高良さんが焼物を焼いてくれている・・・。私は、飲んで食べているだけ(感謝)>



途中から、「ヒラヤーチ」や「野菜炒め」も出て話が弾む・・・。


▲<パーマ屋の「ネイネイ」が、「ヒラヤーチ」を焼いてくれた>


▲<原川さんのご子息が遅れて参加。「古民家食堂会」も二世代の時代へ>




▲<奥に、「満月」が見える>


▲<途中少し雨がパラついたが、今夜もいい風が吹く夜空の下で、楽しい会話とお美味しい酒を飲めて満足>



夕方、「道ジュネー」の音が聞こえてくる・・・。

2014年08月08日 20時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<台風11号が沖縄を抜けた8月8日の夕方、わが町の「道ジュネー」>

8月8日~8月10日は、【沖縄の旧盆】です(旧暦の7月13日~15日)。

8月8日(旧暦7月13日)は、「ウンケー」(お迎え)「ウンケージュシー」(かやくご飯)、「お迎え火」。
8月9日(旧暦7月14日)は、「ナカヌヒー」(中の日)。
8月10日(旧暦7月15日)は、「ウークイ」(お送り)「打ち紙」(お札の代用)を焼く。

この期間は、沖縄本島の各所で青年団の「道ジュネー」(エイサー)が、行われる。

那覇市内の我が町でも、地元の青年団が、子供エイサーを引き連れて、町内を練り歩く「道ジュネー」を観る事が出来る。

プールのような「井泉」

2014年08月06日 01時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<糸満市にある「井泉」(湧水が溢れ出ている所)>

8月5日、朝からいい天気だ(台風11号の影響で、週末は雨マーク)。

夏休み中の子供達が「嘉手志川」で泳いでいるのが目に浮かんだ。

沖縄の「夏休み風景」を撮影したくなって、家を10時前に飛び出た。

10時20分くらいに着いたら、予想通り20人位の子供が、プールのような「井泉」で、楽しく水浴びをしていた。


▲<近所の子供達が父兄と水浴びに来ていた。手前の子供は「犬」と一緒に泳いでいる>


▲<奥の赤瓦屋根の下から湧く水は「プール」のような中に溜まり、そこで子供が泳ぐ。プールには「小さな魚(グッピー?)」や「蟹」も、子供達と一緒に泳いでいる>


▲<犬も嬉しそうに泳いでいる・・・>


▲<プールから流れる水は、二つの溝から流れて、村の田畑を潤す。>


▲<「嘉手志川」は、今も糸満市内の中で一番水量の多い「井泉」です>


▲<金属の柵で締められた「水源」には、綺麗な水がたくさん湧き出ている。中には、小さな魚がたくさんいるのが見える>

「嘉手志川」は、遥か昔、大干ばつで人々が苦しんでいる時に、水に濡れた犬が現れた。その犬の後を辿ったところ、この「嘉手志川」が発見されたという言い伝えがある。水道が整備されていな頃は、貴重な飲み水、食物を洗い、農機具の泥を落としたり、農作物の生産に活用していたのだろう。


台風12号が去った夕方、飲みに出る。

2014年08月02日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<友人が8月1日に、OPENした松山の店、「氷水の入ったカウンター」に、ビール・洋酒・ワインがどっさり・・・>

7月31日の夜から朝まで、台風がどこに?という感じだった・・・。
しかし、翌朝10時に凄い雨と風が【南側】から、叩きつけてきた(台風が沖縄本島を過ぎ奄美に抜けた事を意味する)。


午後1時過ぎ、雨が止んだので、公民館に「三線の部屋予約」を歩いて出し行く。


夕方から、友人の店がOPENだったのでお祝いに出掛ける。

シャワーを浴びて、17時に家を出て、ゆいレールに乗り「赤嶺」→「美栄橋」へ。

ゆいレール「美栄橋駅」から、徒いて10分くらい。

着いたら、すでに高良さんがいた。その後、我々の仲間が次々と入って来た。

今日は、特別に早くOPENしたが、本来は21時~5時の店らしい。


▲<この機器は、静かに出て来る「魔法の泡」を上から垂らすと「ビール」が、美味しくなる?!>

店は、松山周囲にある店の人達が、心を休めに来る店か?

少し居たら、オーナーの知り合いが続々と来られたので、私は席を空けるために、21時過ぎに店を出た・・・。


▲<ゆいレール「県庁前」に、歩いて帰る途中にあった「ブーゲンビレア満開」の店>

途中、久茂地交差点「沖縄タイムズビル」一階で、「泡盛ハイボールイベント」があったので、立寄って、一杯だけ飲んで帰った。