鹿児島の夜、「天文館」と「かごっま屋台村」

2012年10月31日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<夕食は「天文館」へ>

10月26日の夜は、鹿児島中央駅前の「ソラリア西鉄ホテル」に宿泊した。

19時前に、チェックインし。少し休憩してから「天文館」へ行く。

一度、乗りたかった「トラム路面電車」に乗って行く。


▲<電車軌道に芝生が植えてあり美しい>

「天文館」で、下車して「グルメ通り」などを散策してから、七輪焼肉「遊々亭」に入る。






▲<どれも美味しかった!ビールのジョッキがステンレスで軽くて温まらない優れモノだった>


▲<「高見馬場」交叉点にあった「横山資紀と黒田清隆」の時標(トキシルベ)>
※「時標」=日本の近代史を創った鹿児島に関係する歴史上の人々を天文館付近に7カ所設置。近付くと音声が流れ歴史解説を聞く事が出来る。

帰りは、歩いてホテルまで帰る途中に、「かごっまふるさと屋台村」に遭遇。ひと回りしたら楽しくなって、その中の一軒に入り、突出しで「イモ焼酎」一杯だけ飲む。


▲<金曜の夜という事もあるだろうが、凄くたくさんの人達で活気があった>


▲<突出しを端から食べているだけで充分堪能。グラスを記念に購入した>


▲<左端下の「白金の露」を飲む>


▲<朝、チェクアウトする時にロビーの大きな窓の向こうに「桜島」が!>

「知覧武家屋敷」巡り

2012年10月30日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<10月26日の夕暮れに訪れた「知覧武家屋敷通り」>

10月26日「知覧特攻平和祈館」を見学した後、16時40分過ぎから旧市内にある「知覧武家屋敷通り」へ西側から入った。


▲<「平山克己氏邸」>


▲<植木の手入れも素晴らしい>


▲<道路右側下から、私の長い影が>




▲<夕焼けに染まって行く>






▲<東の端にある「森重堅氏邸」の立派な門構え>

もう少し早い時間があれば、中に入って「庭園」見学をしたかったが、今回は、通りを歩くだけの見学になった。素晴らしい武家屋敷通りだった(約20分くらい歩いたが、誰にも会わなかった)。


▲<県道23号線には、「鯉」が泳いでいる清流溝がある>


▲<「武家屋敷通り」の反対側住宅街で偶然見つけた「石敢当」ただし、刻銘は「石敢堂」だった>

県道には、「お茶屋さん」が数軒あり、「知覧茶」を購入して帰った。

知覧特攻平和会館

2012年10月29日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<知覧の旧市内から少し離れた丘の上にある「知覧特攻平和会館」>

10月26日、朝から沖縄を経ち鹿児島空港へ。目的は、「知覧特攻平和会館」へ。数年前から、知覧の特攻隊記念館を見学に行きたかったが、なかなか行く機会が取れずにいた。今回、決心して行く事にした。

鹿児島空港に、13:50過ぎに到着してレンタカーを借りて、スタート出来たのが14:30過ぎ、約2時間の道のりは遠かった。特に、「指宿スカイライン」は、曲り道が多く中々スピードが出せない。

16時過ぎに、「知覧特攻平和会館」に辿り着く。500円の入館料を支払い入館。修学旅行の女子高校生と一緒に見学した。特攻隊は、ほとんど18~20歳の若者。沖縄戦で特攻戦死した人数は、1,036名。家族に宛てた遺書を読むが、しっかりとした素晴らしい文に涙。20代前後の若者とは思えない考え方はあの時代だからか・・・。


▲<「記念館」の入り口前にある「石原慎太郎」の碑>


▲<「ホタル」の降旗康男監督の碑>




▲<「三角兵舎」特攻に行く前夜、集う場所>


▲<「三角兵舎の内部」>






あの狂ったような時代が来ない事を願いつつ、あの青年達に一礼をして、「知覧特攻平和会館」後にした。


▲<知覧の旧市内にあった、特攻隊員のお母さんと慕われた冨屋トミさんの「ホタル富屋食堂」。意外に基地から離れていたので少し驚く>

三原ほろ酔い散歩で、面白い店発見!

2012年10月27日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<店の中は、どんな感じなんだろうと想像してしまう・・・>

「お魚ちゃん」から、ゆいレール「牧志駅」まで歩いて帰る。途中、楽しそうな店をたくさん発見した。今度、「安里の栄町」に行った時にでも、三原地区を探索したい。


▲<「年金族」の横には、「カラオケ100円」も>

※三原がある「真和志地区」は、首里と那覇の中間に位置し、1945年頃は那覇市の中心地になると言われるくらいに発展した地区です。政治・実業・教育界の人材をたくさん輩出。現在では、ゆいレール「安里駅」からも、幹線道路330号線からも離れており静かな住宅街になっている。

「お魚ちゃん」②

2012年10月26日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<三原1-1にある小さな店「お魚ちゃん」>

10月20日「ナハテラス」で結婚披露パーティーに参加した帰り、三原の「お魚ちゃん」でお魚パーティーがあると聞いたので立ち寄った(最寄駅は、ゆいレール「安里駅」)。


▲<「マグロの刺身」500円が見える>



本日の魚は、「ツムグリ」(ブリ系の魚とか)とのこと。




▲<「ツムグリ」の塩焼き>


▲<今夜も、地元客でいっぱい>

もう少し仲間が来る予定だったが、来なかったので1時間くらい居て出た。又吉さんに、この後「天井座敷」で、「模合」があるので参加しないかと誘われたが、3次会になるので欠席した。


歯医者に行く

2012年10月25日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


10月23日の夜、床に就こうかと思っていたら、急に「奥歯」が痛んできた。
寝れなくなりそうなので、痛み止めの薬を探すが、薬箱には見当たらない。
「正露丸」を一粒飲んでみるが、効き目は直ぐに出ない。
痛みは少しずつ増してくるが、どうしょうもない。
冷凍室に入っている、お菓子の中に入っていた「保冷材」を出して、それを当てて寝る。
二つ目を当てていたら痛みは治まり、眠りに入った。

翌朝、掛かり付けの「宮城歯科」に、電話をして治療の予約をする。
インプラントだと思っていたら、一番奥の金属をかぶせている歯だった。

夕方、ゆいレールに乗って「県庁前」まで出て治療を受けに行く。


▲<昨年、私の「インプラント」が、緩み締めてもらうために探した「宮城歯科」>

金属のかぶせの下を開けると大層になるので、今回は、しみない薬を塗って終える。念のために、痛み止めを「3錠」貰って帰る。

その夜は、痛みも出なかったので、このまま様子を見る事にする。

60歳を過ぎると、「目」や「歯」から、壊れて来る。元気に、「酒」が飲めるのも健康である事を実感する年齢。

【病は気から】いつまでも、「人間」に興味を持ち、行く朝起きる事を「ワクワク」するような生活姿勢がとても重要だ。

「小禄~赤嶺」ほろ酔い散歩

2012年10月24日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


10月18日の夜、ひょんな縁の仲間が「小禄」に集まり、飲み会を催した。首謀者は、「沖縄キリス教学院」キャリア開発部キャリア開発課の上原さん。

上原さんの声掛けで、株式会社SFCの吉田課長、塩田、池間さんが参加。

場所は、小禄で良いと言われたので、地元の私が「KO菜YA」を予約。

今回は食べ放題ではなく、「もんじゃ焼き」「広島お好み焼き」「関西お好み焼き」「ホルモン焼き」「オム焼そば」等々、5名で10種類以上の料理を食べた(飲代を含めても一人3000円)。

上原さんが地元という事で一緒に帰る。ゆいレール「赤嶺駅」近くの、「新町」にいい店があると言うので行ってみた。




▲<なんと、この店は23時開店という事で入れなかった!>

それではという事で、私が移住して6年目になるが、気になっている店で、一度も入っていない店に二人で入った。


▲<若い男性がやっている店と思っていたら、「大城美佐子」風のママが一人でやっていた>


▲<6年間、入りたく入れなかった店でしたと、ママと握手>

・・・こうして、夜は更けて行ったが家に帰ったら、まだ23時前だった。

「沖縄の結婚式」その③

2012年10月20日 21時30分00秒 | 沖縄の生活

▲<やはり、入場は、「琉球王朝」装束>

10月20日の午後、「おもろまち」にある、ザ・ナハテラスで「披露宴」があり、出席した。

9月下旬に横浜のホテルで老舗ホテルで結婚式を行ったお二人だが、新婦が沖縄出身だったのと、新郎の現在の仕事場が那覇市だったので、親族を除き友人向けに、お披露目パーティーを行った。私は、彼が今所属している、親会社の縁で招待された。


▲<新郎の会社の同僚が、「博多式のお祝儀式」を行った>



彼の会社は九州福岡市にあり社長以下、昨夜から那覇に入り、社内旅行のような感じでたくさんの参列だった。


▲<そこで顧問をしている同期のO君に、久し振りに会う>


▲<現役半分OB半分の我らのテーブル>


▲<沖縄も10月下旬の18時は、すっかり夕暮れ。「ザ・ナハテラス」もシルエットです>

※滝澤夫妻に、幸多かれ!!

「早朝管理職研修会」in10月16日

2012年10月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


10月16日、7:30~8:30、浦添市の顧問先で月に一度行われる「早朝管理職研修会」の講師を行ってきた。



今回のテーマは、『見える化でメンバーの自立を促す』

事前にテキストを読み込み、レポートを提出させている。付け加えて、今回は各部署における「見える化」の実際例を出してもらった(同じ会社内でも、意外に他部署の成功事例が共有されていない事が多い)。



私からのメッセージは、「Mgrは、メンバーの生きる力を養う人だ」「メンバーが変わろうとしなくても、その人のモチベーションの源泉を探り、根気強く導く事」「職場ビジョンやメンバーとの個人面談をじっくりやる事が成功への近道」「メンバーの仕事に対する意識をどう上げて行けば良いか?」「Mgrが、結果に一喜一憂し過ぎていはいけない」「見える化は、アナログがいい」「ヤル気の法則を活用せよ」「メンバーにやらせて成功体験を積ませよ」・・・。



私からも、過去にやった「見える化」を少し披露した。





最後に、各部の成功事例の共有と意見交換をして終えた。

「沖縄の結婚式」

2012年10月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


10月13日(土曜日の夜)、沖縄に来て2度目の『沖縄式の結婚式』に参加する機会を得た。会場は、那覇市港町の「ホテルモーリアクラシック」4階(パルティール)でした。


▲<衣装は、「琉球王朝時代」のもの、お色直しは3回行っていた。>


▲<披露宴は、20テーブルで、約160名の出席。お祝金は一律一万円です。>


▲<新郎側主賓祝辞役を行う>


▲<「かぎやで風」から始まる。余興は、友人達からこんな芸も・・・>


▲<「エイサー」でお祝い>


▲<新郎の胴上げ>


▲<花束贈呈>

最後は、やっぱり参列者が舞台に上がりカチャーシーで閉めました。

若手社員向け早朝勉強会10月

2012年10月15日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


10月9日、3連休明けの8:30~9:00顧問先企業で「早朝勉強会」を行う。先月から始まり、月に一回(第二月曜日)に開催する「若手向ビジネス人生の基本」の講師。

第二回のテーマは、『挨拶が、あなたの人生を好転させる』。



会社とは、不特定多数の様々な価値観の異なる人間の集合体だ。好きな人や気が合う人ばかりではなく、いつも機嫌のいい人ばかりではない・・・。

そんな中で、どうすれば上手く生きて行く事が出来るのか?私の答えは、『朝から大きな声で挨拶をして会社を元気にせよ!』です。



「挨拶」は、【組織の潤滑】だからです。仕事のスキルが無い若手こそ、会社の潤滑油になり、朝から会社を元気にする事を仕事と思え。


▲<「あ」「い」「さ」「つ」とは?>

挨拶の本当の意味は、「今日も、よろしくお願いします」と、心を込めてするものです。

「挨拶の効用」を二つ話した。一つ目は、「先輩・上司やお客様から、元気で気持ちのいい人間と思われ自然と情報が集まるようになる」。二つ目は、以前勤めていた専門学校での挨拶を始めて変わった、生徒と教職員との関係を話した。



挨拶は、どんな立場の人でも気づいた方から先にするものです。新人時代だけでなく先輩になっても「挨拶」の習慣を止めないで欲しい。そうすれば、君達が管理職になった時に、凄く気持ちのいい会社を見る事が出来るはずだ。



帰る時にも、「今日も一日有難うございました。明日もよろしくお願いします」という気持ちを込めて、残っている人達に向かって一礼して退席しよう。

古民家食堂10月例会

2012年10月11日 17時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<「試作品」の“栗ご飯”>

2か月振りに、10月10日の「古民家食堂の例会」に参加した。


▲<脂の乗った「サンマ」炭火焼で美味しい>

先月は欠席。もうひと月がたったのかと感じるくらいに、最近日が過ぎるのが早い。


▲<沖縄そばの「ソーメンチャンプル」>

今回は、私が株式会社農園計画(認定農業者)の水落さんをお招きした。別法人の株式会社アイランドファームが、「島ベジ」の名前で、沖縄の農産物をインターネット販売している人です。沖縄の農家&野菜事情を聞く。


▲<「島豆腐のステーキ」>

先月から参加している、「リッチモンドホテル那覇久茂地」支配人の山本さんにもお会いした。


▲<30分遅れ、1時間遅れ、1時間30分遅れと、参加者は沖縄時間で来るので、3度目に出た「煮込み」(テビチと豚のスペアリブ)。手は、一番遅れて来た“田村さん”のもの>


▲<定年が、一年延びてご機嫌に沖縄暮らしを満喫している“原川さん”>


▲<久米島出身の“知念さん”が、持参してくれた貴重な「米島酒造の泡盛」>


▲<「古民家食堂」のオーナーの川満さんが本日64歳の誕生日だったが、誰一人もプレゼントを持って来ていなかった(同い年の二人で乾杯!沖縄の64歳は元気だ)>

第43回 那覇大綱挽

2012年10月09日 12時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<「那覇大綱挽」の模様。10月8日琉球新報より>

10月7日、那覇市久茂地交叉点で、那覇三大祭りの中でも一番大きな祭りである「那覇大綱挽」が行われた。

全長200メートル、重さ43トンの大綱を、国道58号線上で東西に分かれ、制限時間一杯の30分間引き合った。

4年振りに決着が着き、西が勝利した(通算成績は、西13勝、東が12勝、14引き分け)。

主催者側の発表では、27万5000人が観戦したとの発表があった。

「那覇大綱挽」は、県下他の綱引きとは異なり、「幸福」と「平和」を願う行事です(10月10日は、那覇大空襲があった日です)。

地元住民以外の観光客など、誰でも参加出来る「市民参加型イベント」です。

昨今は、引き手の半数くらいが、沖縄在住米軍関係者と思えるくらいの超人気イベントです。

「家内安全」「商売繁盛」などの御利益がある手綱は、終了後、切り取って持ち帰れる。

「ミッキーとミニー」が国際通りをパレード

2012年10月07日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


10月6日、国際通りで行われた「那覇市民、演芸・民俗伝統芸能パレード」に、「ミッキーとミニー」が、東京ディズニーランドから急遽参加。

牧志「さいおんスクェア」をスタートして、県庁前の「パレット久茂地」まで、姉妹都市や第52回ミスインターナショナル世界大会参加者等とパレードした。

国際通りは、例年以上に「ミッキーとミニー」を一目見ようとした人達で、埋め尽くされた。

14:05、スタートしたパレードは、「ミッキーとミニー」が乗ったパレードカーが見えると大歓声に包まれた。









歩道は、見物人で動けない状況だが、「ミッキーとミニーのパレードカー」と共に見学者も大移動していた。






▲<「パレーッドカー」は、ミッキーのマークが入った専用車>



さすが、世界一有名な「ネズミのカップル!」。その人気を沖縄でも強烈に見せつけられ
た。




▲<牧志公設市場入口の「むつみ橋交叉点」の様子>

※パレードの参加者は、62団体2500人。沿道の見物人は、過去最高の12万5000人だったと、10月7日の琉球新報で報じていた。7日、11:30から「旗頭行列」。14:30から「第42回那覇大綱挽」が行われる。

地元の人達のお店「お魚ちゃん」

2012年10月06日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「お魚ちゃん」の主人下地さん>

10月4日、17時~那覇市寄宮在住「又吉」さんと、高校の同級生がやっている店に飲みに行く。那覇市三原一丁目の、「お魚ちゃん」です。

本日の「魚」は、沖縄近海で採れた「メバチマグロ」です。


▲<目の前でさばいてくれた「マグロの刺身」>


▲<名物「ニンニクじゃが」>


▲<珍味「血合い」(マグロの刺し身だが、味は見ため通り「レバー」でした)>


▲<名物「マッチ棒サラダ」(食材は、○○○イモ)>


▲<「腹ごう」の塩焼き>


▲<「煮付け」(マグロの醤油煮)大分の少し甘めの醤油で煮ている>

美味しい魚とお酒に満足して、19時過ぎに店を後にして「与儀交叉点」からバスに乗って帰った。