チコの花咲く丘―ノベルの小屋―

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「ロストジェネレーション」第2章 不安への旅立ち その26

2009-12-28 23:09:51 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
そんなヒカルの様子に、親が心配を募らせるのは
当然だろう。

「やっぱり、職場で何かあるんじゃないの?」
毎日、突かれるようになってきた。
職場で困ってる事?

事務室の人は、大体親切だし、
仕事にもそれなりに適応していると思うし・・・。
やっぱり、Aさんなのだろうか?

でも、Aさんもあくまで仕事の指導として
しているわけで、
新人なのだから、まだまだ教わる身。
きつく言われたりするぐらい、辛抱しないと。

「お先に失礼します。」
事務室を出るヒカル。
傘を開いて建物を出て行く。
天気予報によると、今日から梅雨入りらしい。

カウンセリングの時間を待っている間に、
口にする備え付けのコーヒーから、
立ち上る湯気に、どこかほっとしている。

カウンセリングは、定刻通り始まった。
「こんばんわ。」
「はい、こんばんわ。」

互いに気心が知れてきて、
最近はこんな軽い感じで始まる。

椅子にかけると、前回に引き続き、
ヒカルは卒業した中学校の
悪口を並べ立て始めた。
「・・・でね、先生なんかすぐに殴るしさ。」

いじめばかりでなく、
どうして当時の校則の話まで出てくるのか。
とっくに卒業した今、
そんなものは、とっくに関係ないはずなのに。

だけど、あの頃の先生や親の関わり方も、
私を確実に傷つけている。
せめて、大人の態度さえ、もう少し違ったものならば・・・。

管理主義教育と言われたあの時代、
どこの学校もあんな感じだったのかもしれないけど、
刑務所顔負けの毎日なんて、あまりにもひどすぎる。

「今の子供は辛抱が足りない。」って
私の周りの大人が良く言っていたけど。
私だって、行きたくもない進学塾や学校へ行き、
その為にやりたい稽古事や遊びも皆諦めたわけで。

辛抱って何なのだろう?お金を使わないだけの事を、
指し示す言葉ではないだろうに。

思考がまとまらないままに、今日のカウンセリングが終わった。
「では、次回も来週この時間ね。」
「はい、よろしくお願いします。」
ヒカルは傘を広げ、クリニックを出た。

実は、中学時代の事を口にして出せるようになったのは、
このカウンセリングが初めてだった。
誰にも話せないぐらい辛かったあの時代を、
何一つ否定しないで聞いてくれる。

もう、来週が待ち遠しくて。
ヒカルは、このカウンセラーに
すっかり依存し始めていた。

















「ロストジェネレーション」第2章 不安への旅立ち その25

2009-12-25 21:49:10 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
Aさんに、気分の悪い思いをさせられながらも、
あれ以降、仕事には休まず行き、
表向きは平穏に過ごせている。

早いなぁ、今日から六月か。
就職して二カ月。
「おはようございます。」
つい三か月前まで学生だったのに、
もう、ずっと昔からこのデスクに
いたような気がする。

人間関係はさておき、仕事そのものについては、
誰に何を言ってもらっても、
自分に向いているとは思えないし、
正直なところ、何の満足感も充実感もない。

でも、あの一週間の静養以降、
お金のためと割り切る事で、やり過ごせるようにもなってきた。

「年休の届けです。」
「あ、そこに置いといて。」
係長と、スズキさんのやり取りが、
耳に飛び込んできた。

帰り際、そのスズキさんとロッカー前で
偶然顔を合わせた。
「スズキさん、お休みされるんですか?」

「え?ああ、明日ね。何と言って用事はないけど、
ちょっとリフレッシュよ。ねえ、ヒカルさん。
あなたも時々リフレッシュした方がいいわよ。」

スズキさんの言葉、物凄く衝撃的だった。

仕事は、休日を削ってでもやるべきもの。
簡単に休んだりするものではない。
そういう信条で、私は生きていたから。

精神科の女性医師に、その話をしたら、
「まあ、ヒカルさん。その職場のお姉さんみたいにした方が、
楽に生きられるわよ。あなたも真面目だからね。」

なるほど、そう言う考え方もありか。
ここまで来て、ヒカルはやっと納得した。

気がつけば衣替えもしてるし、
梅雨入りももうすぐかな?
ずいぶん蒸し暑くなってきた。

「ヒカル、今日はまっすぐ帰るの?」
出勤前、お母さんのお尋ね。
「ううん。カウンセリング。」

精神科の患者であり、しかも、カウンセリングまで
受けている。
普通なら、とても明るい気持ちになんて
なれないはずなのに。

ヒカルは、明るく答えた。








「ロストジェネレーション」第2章 不安への旅立ち その24

2009-12-21 22:33:32 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
「おかげさまで、やっと始めてのお給料がもらえました。」
女性医師には、就職が決まった時に一度あったけど、
カウンセラーさんには、こんな明るい報告をしたのは
初めてだ。

家でも、
「ヒカル、おめでとう。」
両親共に喜んでくれた。

交通費も含めて、入ったお金は
十二万円ほど。
とても自活する事は出来ないけど、
それでも、立派に働いて得たお金だ。

職場の方では、
気分の悪いAさんにおびえながら暮らす毎日。
先日の静養を心配したのだろうか。
主任さんから、
「ヒカルさん、席を変えようか?」
と、持ちかけられたけど、

「いえ、大丈夫です。」
結局、断った。
だって、ここは職場。嫌な人がいるぐらい、
辛抱しないと。

「あ、ヒカルさん、今いいかな?」
急に係長から声をかけられた。
「はい。」
「公用の自転車があるんだけど、
二台とも合鍵を作らないといけないんだ。
スズキさんと二人で、自転車屋まで行ってくれないかな?」

ヒカルは、スズキさんに鍵のありかを教わり、
一緒に自転車置き場に向かった。

じっとしてるのは性にあわないから、
一日中事務室に閉じ込められているのは、
苦痛でたまらない。
だけど今日は、仕事という名目で職場を離れられる。
ヒカルは嬉しくて、ワクワクしていた。

「裏門から行きましょうか。」
初夏の風の中を、
気持ちよく滑って行く二台の自転車。

「ねえ、仕事が終わったら、いつも何してるの?」
「まっすぐ家に帰っています。」
「そうなんだ。私は週三日は公務員試験の勉強に
通っているからね。あまり余裕がないわ。
ヒカルさん、夢とかないの?」

しっかりした人だと思ってたけど、スズキさんって、
こんな所あったんだ。

事務室にいる時間は、
とてもできない、何気ない心の交流を
ヒカルは楽しんでいた。

Aさんという苦の種もあるけど、
スズキさんもいるし、家に帰れば両親もいる。
精神科の女医さん、そして、カウンセラーさん。

そう、今の私には、たくさんの味方がいるのだ。
だから、大丈夫。
ヒカルはあやふやなりにも、ある種の自信を得た。








「ロストジェネレーション」第2章 不安への旅立ち その23

2009-12-18 21:58:55 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
別に仕事に行きたくないとか、
辞めたいとかいう事は、一つも言っていないのに。

一週間の勝手な休暇明け、
出かけ際に
「あなた、経理の仕事向いているわよ。がんばって行ってらっしゃい。」
と、お母さんに言われて、
ヒカルはさらに傷ついていた。

確かに、何もわかっていない学生のときには、
自分には事務職が合うって思ってたけどね。

でも、実際やってみると、
とてもじゃないけど、こんな仕事無理。

「おはようございます。」
一週間ぶりの事務室。皆、どんな反応をされるかと思ったけど、
「あ、おはよう。」
って、感じで。割と普通だった。

ロッカーに上着を入れようとした時、
たまたまスズキさんと居合わせて、
「おはよう。大丈夫だった?」
心配そうな声かけに
「はい、すみませんでした。まあ、五月病だったみたいで、
おかげさまで良くなりました。」

本当はそうじゃないんだけどね。
でも、まさかメンタル系の病気だとはいえないし、
ここはこうして、ごまかしておくしかない。

「ご迷惑おかけしました。申し訳ありません。」
荷物を置いた後、係長に謝りに行く。
「いやいや。どうだ?良く回復したか?
まあ、無理のないように、仕事はぼちぼちやってくれたらいい。」
と、非常に優しい返答だった。

今、それほど忙しい様子はないし、
一週間休んだ事に、
それほど罪悪感を持たなくてもいいのかもしれない。

「ヒカルさん、休んでる間の伝票はこちらで処理したから。
で、昨日の夕方来た分は机に・・・」
と、主任さん。
なるほど、デスクの上には、伝票の束が置かれている。

椅子に座ると、とたんに
隣の席で仕事をしているAさんが、キッと睨みつけてきた。
とたんに、背筋に冷たいものが走る。

でも、仕事を滞らせるわけにもいかないから、
ヒカルはシャーペンを取り出し、
先日Aさんに言われたように、伝票の日付の下書きを始めた。

自分で処理する前に、一度チェックを受けろって、
大体こんな事二度手間だし、
それに、物凄く馬鹿にされているみたいで。
屈辱的だけど、黙って従うより他ない。

「お仕事中失礼します。」
今度は給与係の非常勤職員の人が
事務室を巡回している。

「ヒカルさん、今月の給与の明細書です。」
彼女は、ヒカルに給与明細書を手渡して、
その見方に付いて詳しく説明してくれた。

そう、明日は初めての給料日なのだ。








「ロストジェネレーション」第2章 不安への旅立ち その22

2009-12-14 22:17:49 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
夜は明けて陽は昇り、
時間は淡々と流れていく。

お母さんは、ヒカルにとやかく言う気は
ないみたいけど、
仕事にも行かないで、ただゴロゴロしているのを
見られるのは、やはり辛い。

食事が済むと、速やかに自室に上がって行った。
子どもの頃から、リビングで生活するのが習慣になっているので、
寝る時以外自室にいる事は
ほとんどないのだけど。

明るい時間の自室は
何だか別世界みたい。
本棚には、少ないけれど漫画の単行本が並んでいる。
どれも、厳しい受験生活の合間をかいくぐって
買いに走ったもの。

ヒカルは、かなり久しぶりに
その中の一冊を手に取った。
これ、小学生の時に買ったんだっけ?

パラパラとめくると、
今の苦しい状況を抜け出して、
とたんにあの頃へタイムスリップしたような
錯覚に襲われた。

あの頃だって、受験ばかりに追われて、
決して楽しくはなかったはずなのに・・・。

病気だと言っても、
寝たきりになっているわけじゃないのだから、
働かなければならない。

非常勤職員だから、
収入も低いし、何時までも雇用が続かないから、
早い段階で次の仕事を探さなければならない事も。

わかってる。全てわかってる。
でも、駄目なりにも実際に働いてみて、
自分には事務系の仕事は向いていないし、
この精神状態では、普通に働いて行くのは
無理だと、体で感じている。

どうしたらいいんだろう?
何か、良い解決策は?
不安と焦りは、イレギュラーな受診に走らせ、
今日に至っては女性医師から
「あなた、今日は何しに来たの?」
と、言われてしまった。

どうしよう?
誰か助けて!助けてよ!

一週間という時間は、思う以上に早く過ぎ、
夜、いよいよ明日からどうするかを
決断しなければいけない時が来た。

「明日から、もう仕事行く自信ないよ・・・
事務的な仕事、やっぱり向いてないし。」

返答に困っているお母さん。時計を見ながら
「そろそろいいかしら?ヒカル、診察券貸して。」
先日の、女性医師との約束通り、
お母さんがクリニックに電話をかけた。

「はい・・・はい・・・わかりました。ありがとうございます。」
見えない相手にお辞儀しながら、電話を切るお母さん。

「ヒカル、ちょっとぐらいしんどくても、明日から出勤しなさい。
今、先生がおっしゃったのよ。親が仕事を続けさそうか、どうしようか、
揺れているからヒカルの気持ちも揺れてるんだって。」

それは、ヒカルの予想とはちょっと違った内容だった。
返答に困っているところに、お母さんが追い打ちをかけるように言った。
「あなた、仕事辞めさせてもらえると思っていたでしょ。
それは甘いわよ。皆辛抱してるんだから。
明日からきちんと行きなさい。」

いかにも私が怠け者で、いい加減な気持ちでいるかみたいな言い方!
ヒカルは馬鹿にされたみたいでカチンときた。
働きたくないなんて、一言も言っていないのに!
同時に、言い表しようのない悔しさがこみ上げてきた。




「ロストジェネレーション」第2章 不安への旅立ち その21

2009-12-11 21:56:35 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
こうして、一週間の静養が始まった。
お父さんの出勤時に、顔を合わせないようにしながら起きだして、
朝ごはんを何とか飲みこんだら、
リビングでごろごろと、何をするわけでもない。

こんな状況を目の前で見ている、お母さんも
辛いだろうと思う。

皆、バリバリ働いているのに、
自分だけが取り残されているみたいで。
私だって罪悪感があるけれど、
これが、少しでも体調を良くする方法なら。

家の中で隠れるように過ごしているけれど、
今日はカウンセリング。これだけは行かなくちゃ。

クリニックで、カウンセラーの顔を見て
どう言う感想を持ったのか、自分でもわからないけど、
「今日から一週間、仕事を休むことになりました。」
とりあえず、現状の報告。

「そうだってね。私もドクターから聞いているわ。」
何だ。伝わってるんだ。そう思いながらも、ヒカルは、
自分の現状について話を続けた。

「そう、ドクターとはそんな話になっているのね。
でもね、ここで診察と同じ話をしてもらっても仕方ないの。」
だけど・・・。

ここに来たのは、過去の解決を図るため。
でも、今日ばかりは、今置かれている状況が
最優先課題。

ヒカルは、カウンセラーの制止を振り切って
話を続けた。

経済的にも、精神的にも、将来的にも
現在の状況を続けていくのは
絶対に無理がある。

でも、今の仕事を辞めて、どこへ行くのか。
それこそもっと考えられない。

カウンセラーは、やれやれという感じで、
今日は耳を傾けてくれていたけど・・・。

結局、何も見いだせないまま、時間が過ぎて行った。

親は相談相手にならない。
今、頼りに出来るのは、女性医師と
このカウンセラーぐらい。
何とかここで、解決策を見出さないと。

ヒカルは、来週のカウンセリングの予約を入れて、
クリニックを出ると、すぐにバス停に向かった。

早く家に帰って横になろう。
一分、一秒でも、時間があれば
眠っていたい。
そんな異常な疲労に、ヒカルは悩まされていた。






「ロストジェネレーション」第2章 不安への旅立ち その20

2009-12-07 22:14:03 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
「ヒカル、どうだったの?」

ヒカルは、家に上がるなり、そのまま
リビングへ進み、
床の上に倒れこんだ。

「・・・・・・。」
心配して出迎える、お母さんの声が
聞こえないわけではなかったけど、
返事をする気力があるわけでもない。

でも、何時までも無視し続けたらどうなるか。
良く分かっているし、
それ以上に、今日は何としても伝えないといけない事がある。
ヒカルは気力を振り絞って顔をあげた。

「一週間、仕事休めって。」

平日なのだから、仕事があるのだけど、
昨日の夜から、極端に憂鬱な気分になって。
休みを取って、クリニックに行ってきたのだ。

「・・・・・。」
診察室で、女性医師の言葉かけに何も答えないまま。
硬い表情を心配したのか、
「また、憂鬱な気分?ここに初めて来たときみたいな感じがするの?」
と、ずいぶん具体的な質問に切り替えてきた。

「もう、とっても仕事なんて行けませんよ。
どうしたらいいのか・・・。」
連休もあったはずなのに、状態が良くならないなんて。
我ながら情けないとは思っている。
仕事をやめるわけにはいかないという事も。
でも・・・。

女性医師は、カルテをパラパラとめくっていた。
何を考えているのか、全然わからないけれど。
「ご両親とは、お話しできない?」
今度は、意外な事を切りだしてきた。

「話はしています。でも、どこまで私の体調とかは、
全然わかってはいないと思うんです。」
そう、半年ほど前、実際こんな病気になった時だって、
精神科に行く事になった時点では、
それなりに観念していたみたいけど、

薬を飲めば、普通に暮らせるとでも思っていたのだろうか。
卒業する事だけで精いっぱいという状況を、
何一つわかってくれていなかったのだ。

今の自分の体調を、具体的に説明せよ、
って言われても、なんて言っていいかわからないし。
親も子も、始めて直面する病。
その残酷さにヒカルは震えていた。

「うん、ではね、ここは少し休んで見る事にしましょうか。」
え?どんな風に?休職は出来ないのに?
「とりあえずね、一週間。診断書も出すわ。職場にもそう伝えて。」

なるほど。そういう手もあるか。ヒカルは妙に納得した。
その間に、これから仕事をどうしていくか、親とも相談すればいい。
納得した顔のヒカルに、女性医師は続けた。

「でね、一つ、約束してくれるかな?休みが終わる日の晩に、親御さんから
お電話いただける?」
何故、親に電話をさせるのか?わからないけど、ここは、
「わかりました。ありがとうございます。」
と、答えて、クリニックを出た。

職場にも電話して、これで
思いがけない休養に入る事になった。
この休みで、来月の収入が減るのは確定だけど、
自分がどんな風に変わるのか。
良い方向に向かっていけるという希望に、
賭けていくしかなかった。




「ロストジェネレーション」第2章 不安への旅立ち その19

2009-12-04 20:34:44 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
今日もAさんは、私が処理した伝票を
チェックしながら、
「おい!何回言わせるんだ!」
と、怒鳴り散らした。

教えられたとおり、きちんとやったのに、
一体何が間違っているというの?
聞き返したいけど、それを許さない威圧感を感じさせながら、

Aさんは、
「これからしばらく、俺がエンピツ書きで日付を入れてから、
君が処理する事にしよう、な。」
と、温厚に言い切った。

新入りだから、仕方がない事なのかもしれないけど、
何だか馬鹿にされているみたいで腹が立つ。
でも、ここは、言われるようにしておくしかない。

職場でのヒカルの状況・・・
両親も当然心配しているわけで。
家に帰っても
「仕事はどうなの?」
と、突かれる。

親の気持ちはわかるけど、
ここまで言われると、家にも居場所を失ってしまう。

今日はカウンセリングの日。
仕事を耐え抜いて、頭の中はフラフラ。
そんな状態でも、クリニックに行くという目的で
バスに揺られていると、何となく安心する。

「こんばんわ。」
連休で一回飛んだから、二週間ぶりのカウンセリング。
相変わらず、中学時代にあった、
事実ばかりを並べ立てているけど、

このカウンセラーさんに対する、漠然とした
信頼感みたいなものも生まれて、

「ねえ、子どもいるの?」
最近は、タメ口とまでは行かなくても、
ちょっと生意気な小学生みたいな、
甘えた口のきき方をしている。

「もう、今そんな事どうでもいいでしょ?あなた自身の話をしなさいよ。」
呆れた、という感じでヒカルに答えるカウンセラー。

そうだよ。私は大人しい人間じゃない。
そういうふりをしていただけ。
その返答が、ヒカルが期待していたようなものでなくても、
ある種の自分らしさみたいなものを表質出来る事が、
何となくうれしく思えてきた。

無駄なやり取りを通して、
このカウンセラーが、ある程度安心して良いと思える人間だとも
思えるようにもなり、
それはそれで有意味なものと思えた。

とにかく、ここでの秘密は絶対に守られる。
その中で本当の自分をさらけ出せるのなら、
これほどに安心な事はない。

現実生活の厳しさとの間で、
ヒカルが心のバランスを崩壊させるまで、
そう時間はかからなかった。