あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

神の国の旅 3

2015-11-08 | 
鉄道で北海道へ渡り、北海道では富良野の辺りを拠点として車で回った。
一ヶ月ほど北海道に滞在したのだが、その間に訪れた神社の数、ゼロ。
本州では出雲大社や戸隠のように自分からそれが目的で行ったものもあれば、町を散歩していて小さな神社を見つけ立ち寄って手を合わせる、なんてこともあったのだが、北海道へ渡ってからは全く巡り合わない。
町をぶらぶら散歩しても神社がない。
いや、神社はどこかにはあるのだろうが、僕のブラブラ歩きのコース上にない。
なんだろうなこれは、と思っていたら巫女さんの家系の人が教えてくれた。
北海道には神社はあるがその中に神様はいない、建物だけで中はからっぽだと。
なるほどねえ、どうりで引き寄せられないわけだ。



ガイドの山小屋という兄弟分の男がいて、そいつと道東を巡る旅をした。
オヤジ二人で辺境の地をさまよう様は、それはそれで面白かったのだし感ずることも多くあった。
旭川方面から大雪山の北側を抜けオホーツク海へ向かう途中、道を間違えて引き返すことになった。
そこは夏ならば遊歩道がある場所だが、春の訪れが遅い北海道ではまだ雪に閉ざされている。
何の変哲も無い笹におおわれた山道なのだが、そこでやはり手がピリピリと震えた。
「ああ、ここに何かいるな」それは原生林の中などで気が高い所で僕が感じるもので、ニュージーランドの山でもよくある。
目には見えないが、もののけ姫に出てくる木霊のようなものかと思っている。
その後、車で本道に戻り、北見峠という見晴らしの良い場所で一休みをした。
その時に、僕は不意に感じた。
神があそこにいる。
あの山だ。
ピンポイントでそれを感じた。
そこはさっき道を間違えて引き返す時に、何かを感じたその先にある山だった。
ああ、なるほど、こういうことか。
これがアイヌの神なんだな。
僕がポイントしたその山へは登山道はなく、笹に覆われ簡単に行ける所ではない。
ニュージーランドで感じるのと似たような感覚の山の神に、僕は手を合わせ拝んだ。





サロマ湖、網走、知床、摩周湖、屈斜路湖、釧路、帯広、襟裳岬と名前だけ聞いたことがある場所を巡る。
行くとこ行くとこで自然を満喫し、自然の中にいる神の存在を感じた。
屈斜路湖では三香温泉という所に泊まった。
この温泉宿が最高でロケーション、温泉、建物、宿のオヤジ、どれも申し分ない。
露天風呂から木立の向こうに湖が見える。
朝湯に浸かった後で、歩いてみた。
距離にすれば100mぐらいなんだが、辺りは沼地のような湿地帯でズブズブと膝ぐらいまでもぐってしまう。
人の手が入っていない場所とはこういうものなのだな。
それでもなんとか湖畔まで出てみると湖に突き出した半島が見えた。
妙にその半島に心が惹かれる。
あそこには何があるのだろうか。
旅館を発ち、車で5分ぐらいで半島の付け根の駐車場に着いた。
和琴半島というらしく、半島一周を歩くコースがあるので山小屋と二人で歩いてみた。
歩き始めて15分ほど、半島の先端近くに来ると僕の手が反応した。
ああ、きたきた、この感覚。ここでもアイヌの神がいるのか。
あるポイントで僕は強い『気』を感じたのだが、それは湖の向こう側から来るようだった。
ここだな。手のピリピリ感が最高になった場所で僕は湖に、『気』が来る方向に手を合わせ拝んだ。
さっき温泉からこの半島を見て心が惹かれたが、この場所に呼ばれていたのだろうか。
そこから歩き始めるとすぐにその『気』は感じられなくなる。
実に分かりやすく面白い。
そうやってあちこちで『気』を感じるところで拝むのだが、同行した山小屋曰く「オマエが拝む所では行者ニンニク(アイヌネギ)が生えている」と喜んでいた。
いやはや、人間の食い気とは何にも勝るものなのである。



アイヌという人達のことを僕は何も知らなかったが、マオリと遠い親戚のようなものという話を聞いたことがある。
成り行きでアイヌの人との交流があるかと思ったが、唯一あったのが屈斜路湖のアイヌコタンでお土産屋のおばちゃんと話をして、神とは自然であり自分達もその一部である、というマオリの言葉で繋がった。
アイヌの民族資料館にも行ったが、やはり本州の大和民族のものとは全く違う文化と生活があり、倭人に邪魔をされずに生活をしていた頃は平和だっただろうなと思った。
トーマスが教えてくれた言葉だが「世界で一番優遇、保護されている民族はマオリであり、世界で一番虐げられている民族はアイヌだ」と。
その虐げられた現場のニ風谷へも行った。
そこはアイヌの聖地だったのだが、日本政府はダムを作り村を湖に沈めた。
治水が目的のダムだと言うがそんなのは強者、権力者の理論。
少数民族の精神性の高さを怖れる権力者が、民族自体を力でねじ伏せるのは古今東西どこにでもある話だ。
ニ風谷に着く少し前に、相棒の山小屋が車の中で言いにくそうに僕に言った。
「あのさあ、できればでいいんだけど、迷惑でなければ、あのマオリの歌をあそこの場所で唄ってくれんかの?」
マオリの歌とは、僕がライブでいつもやる天の神に捧げる歌のことだ。
全くこいつはまわりくどい言い方をするヤツだ。
「できればでいいなんて言うなよ、水くさいなあ。喜んで演らせてもらうぜ、兄弟よ」
「そうか、そう言ってもらうと助かる」
北海道に住んでるヤツにはヤツなりの思いいれがあるのだろうか。
僕らは湖の湖畔へ行き、大きな石の上に座った。
繁忙期から外れた平日の午後、僕と山小屋以外は誰もいない。
穏やかな水面の下に存在したアイヌの文化、そこに心を馳せて僕はマオリの神の歌を唄った。
僕の歌は風に乗って山の向こうへ消えていった。
哀しかった。
こんな哀しい想いでこの歌を唄ったのは初めてだ。
唄い終わると涙がとめどなく溢れてきて僕の頬を濡らした。
「せつないな」
「ああ、せつないわ」
先祖の供養のような気分とでも言うのか、踏みにじられた民族の痛みなのか、穏やかの春の日差しとはうらはらに物悲しさが僕達の心に残った。





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2 コメント

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Unknown (かつみ)
2015-11-12 08:16:45
僕も9月に三香温泉に泊まりましたよ。和琴半島も歩きました。聖さんの足跡に呼ばれたのでしょうかね(^.^)
Re:Unknown (hijiri_1968)
2015-11-14 23:05:15
かつみさん 偶然は必然なり。こういう繋がりも嬉しいね。

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