※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第1編 現存在の準備的な基礎分析」「第6章 現存在の存在としての関心(Sorge、気遣い)」「第44節 現存在、開示態および真理性」(b)「真理性の根源的現象と伝統的真理概念の派生的性格」(その4)
(b)「真理性の根源的現象と伝統的真理概念(※真理は「認識と対象との合致」だ!)の派生的性格」(219頁-)(その4)
(7)アリストテレス:「アイステーシス(感覚)と『理念』の視見(ノエーシス)との『真理性』は、根源的な発見である」!
R アリストテレスは、「真理の根源的な『ありか』は判断である」というテーゼを提唱していない。(226頁)
R-2 彼は、「ロゴスは現存在の存在様相であって、それが発見的あるいは隠蔽的でありうる」と告げる。(226頁)
R-3 彼は「ロゴスの真理概念を純粋なノエイン(思考すること)にまで『拡張』する」こともしなかった。(226頁)
S つまり「アイステーシス(感覚)と『理念』の視見(ノエーシス)との『真理性』は、根源的な発見である。」(226頁)
S-2 そして「ノエーシス(視見)が第一義的に発見的であるからこそ、ロゴスもディアノエイン(思考)として発見機能をもつことができる」。(226頁)
(b)「真理性の根源的現象と伝統的真理概念(※真理は「認識と対象との合致」だ!)の派生的性格」(219頁-)(その4)
(7)アリストテレス:「アイステーシス(感覚)と『理念』の視見(ノエーシス)との『真理性』は、根源的な発見である」!
R アリストテレスは、「真理の根源的な『ありか』は判断である」というテーゼを提唱していない。(226頁)
R-2 彼は、「ロゴスは現存在の存在様相であって、それが発見的あるいは隠蔽的でありうる」と告げる。(226頁)
R-3 彼は「ロゴスの真理概念を純粋なノエイン(思考すること)にまで『拡張』する」こともしなかった。(226頁)
S つまり「アイステーシス(感覚)と『理念』の視見(ノエーシス)との『真理性』は、根源的な発見である。」(226頁)
S-2 そして「ノエーシス(視見)が第一義的に発見的であるからこそ、ロゴスもディアノエイン(思考)として発見機能をもつことができる」。(226頁)