宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

中沢新一(1950生れ)「Ⅱ神話的思考」『芸術人類学』所収(2006年)

2015-12-18 22:27:09 | Weblog
Ⅱ 神話的思考

第1論文 『神話論理』前夜(2006年)
A レヴィ=ストロースの神話分析:1952年から開始。北米プエブロインディアンの神話分析。
A-2 神話の構造分析は、「不変項」を捜すことから始まる。数学者は「不変項」を、「対称性」と呼ぶ。
A-3 言語学者も「不変項」or「対称性」について発言してきた。

B 神話分析では、神話を「神話素」に分解する。
B-2 神話に、正本はなく、数多くの異文の連なりとして、群をなす。
B-3 様々の部族の「神話」の間に、「変換」の関係がある。
B-4 変換を行う主体は「無意識の思考」である。
《評者の感想》:ここで「無意識」とは、「自明性」の意味であり、「問題化」されていないことである。

C 神話の中に、つまり「神話素」間に、隠れた「対称性」を捜す。つまり交換可能な「同型性」をさがす。
C-2 例えば、ある図形を120度回転しても、同じ図形。
C-3 疑似数学的な神話分析。群論と変換群の概念を利用。

D 「オイディプス王」の神話では、スフィンクスの「謎々」と「近親相姦」の間に「対称性」がある。ともに「異常接近」という同型性を持つ。
D-2 「謎々」(言語論の軸)に変換がほどこされると、「近親相姦」(社会学の軸)が現れる。

E 隠れた「対称性」の原理に突き動かされ、神話が次々と変形する。全体としての神話の宇宙は一つの「群」をなす。
E-2 プエブロ族の創世神話の分析。
①「神話」の宇宙は閉じている。神話圏という領域あり。
②変換(対称性の発見)の手続きによって無数の神話が産出される。
③隠れた対称性によって、個々の神話を生み出す変換が起き、それら諸神話は群をなす。

F 神話の主題は常に同一であり、生と死の論理的矛盾の解決である。
《評者の感想》:生と死の論理的矛盾とは、「いずれ死ぬのに生きるのはなぜか?」である。

G 神話的思考は、生と死のように論理的に矛盾し合う項と項を仲立ちする第3の項を登場させる。
G-2 ピューリタンなら眉を顰めるトリックスター。
G-3 プエブロ族の創造神話群は、「きれいはきたない、きたないはきれい」というシェークスピア的なパラドックス論理を用いるトリックスターにより、世界の全体性を表現!
G-4 神話の世界認識は、「メビウスの環」的である。

H レヴィ=ストロースは神話内における変換規則を定式化した。これが神話の全体性、「メビウスの環」的性格を示す。
H-2 「a項がx機能をする時、b項はy機能をする。」それぞれの項・機能は対称性を持つことから、これが変換され「b項がx機能をする時、y機能はa-1機能 (“aを逆転させた項”の機能)である。」となる。
H-3 南アメリカのヒバロ族の神話を例にする。
①「ヨタカ(a項)が嫉妬(x機能)をする時、女(b項)が土器つくり(y機能)をする。」これが変換され②「女(b項)が嫉妬(x機能)をする時、土器つくり(機能y)は“ヨタカ(a項)を逆転させた”項(嫉妬しないカマドドリ)の機能となる。」
H-4 ヒバロ族の神話により近づけて言えば、「①原初の対称性がヨタカ的存在(a項)の嫉妬(x機能)によって破壊される時、①-2粘土が女のものとなり、女(b項)が土器つくり(y機能)をする。②粘土を失ったヨタカが悲しく鳴く。今や、女(b項)が嫉妬(x機能)をする時、②-2土器つくり(機能y)は、嫉妬しない鳥カマドドリ(“ヨタカ(a項)を逆転させた”項)の機能となる。つまり土器つくりは、嫉妬しないすばらしい者の行いである。」

I 「神話は無意識の思考」である。(レヴィ=ストロース)
I-2 神話は、「対称性」の原理によって動く。アリストテレス型論理と異なり、矛盾する項・機能の共存に無頓着。時間的秩序は消失し、部分と全体の区別はない。
《評者の感想》:「対称性」とは、置換可能性、同型性である。
J  なお、科学の知見によれば、自然は「対称性」の原理によって秩序を作り出す。

K レヴィ=ストロース『今日のトーテミズム』(1962)、『野生の思考』(1962)は、「構造主義」の嵐をもたらした。
K-2 しかし、レヴィ=ストロース自身は、「神話論理」の研究。
K-3 神話の宇宙は、「対称性」によって動いていく巨大な変換群である。
K-4 変換の行われる軸。①料理と食卓作法の体系。②婚姻の体系。③動物・植物の世界の分類法。④五感の捉える感覚。
K-5 どの神話を出発点に選んでも、神話の宇宙全体を動かす「無意識の思考」本体に合流していく。



第1-2論文 補論・神話公式ノート
A 神話の思考は「バイロジック(複論理)」である。「論理的思考」と「対称性の知性」が結合。
A-2 「対称性の知性」は①矛盾をはらむパラドックス的思考。「ねじれ」を含む。②主客の分離を行わない。
A-3 バイロジックの神話的思考は、「野生の思考」であり、今日でも生きている。Ex. 1) 贈与経済(※互酬、相互扶助)の長所を取り戻す運動。Ex. 2) 人間と自然の倫理的つながりの再発見。
A-4 「対称性の知性」は、表と裏、主体と客体、ある命題とその否定を、一つのグループでつなぐ多様体にたとえてよい。Ex. メビウスの帯、クラインの壺
A-5 「論理的思考」は表と裏、主体と客体、ある命題とその否定を、区別する。

B 「論理的思考」と「対称性の知性」が結合した「バイロジック」の思考は、エッシャーの絵のような「ねじれ」を含む。
B-2 神話は「バイロジック」な思考空間を動く。

C レヴィ=ストロースが示した「神話の弁証法」を示す式によれば、「a項がx機能をする時、b項はy機能をする。」これが変換され「b項がx機能をする時、y機能はa-1機能 (“aを逆転させた項”の機能)である。」となる。

D この式を、ピエール・マランダに従って読む。「悪玉aが悪(x機能)をする時、善を守る人bが悪をただす(y機能)。」これが変換され「善を守る人bが悪(x機能)を行う時、悪をただすこと(y機能)が“悪玉aを逆転させた者”の機能となる。」
D-2 この場合、善を守る人bは、同時に悪(x機能)を行うので、トリックスターbとなる。トリックスターは、矛盾する項、つまり悪(x機能)と悪をただすこと(y機能)という分離された項を結合する。そして悪をただすこと(y機能)が、“悪玉aを逆転させた者”(=ここではトリックスターb)の機能となる。つまりトリックスターbが、ハッピーエンドをもたらす。
D-3 トリックスター(ここではb)は、論理的に分離された世界(Ex. 善と悪)を、流動化する。「カオスモス」機能。トリックスターは、分離された項を、矛盾を恐れず結び合わせる。

E トリックスター:①死の領域で近い場所で活動する。Ex. 1) 死肉を食べるコヨーテ、Ex. 2) 死の領域への入り口である竈の灰を浴びるシンデレラ。②トリックスターは「対称性の知性」を呼び起こす。③昼間の活動の「正常な思考」では熊は敵。夜になると「対称性の知性」が可能となり、「バイロジック」の思考が出現。④トリックスターは「バイロジック」の活動を呼び起こすメディエーター。⑤トリックスターは善悪の彼岸にいる。



第2論文 公共とねじれ(2005年):伝統の広場(=公共空間)はトポロジー的「ねじれ」(「メビウスの環」)を組み込むが、近代の広場は中心が空虚なままの「トーラス」である
A 聖所としての教会は、古代ローマ・中世には広場の中心にない。
A-2 これら伝統の広場においては、公共空間=広場の中心には、何も、作られない。
A-3 聖所(異界との接点)が脇にある。

B 広場のトポロジー:「トーラス」と「メビウスの環」の接合。ラカンはこれを「十字帽」(「僧帽」)型と呼ぶ。
①中心は、ドーナツ状の「トーラス」。②その1部分に、この世とあの世を同一平面につなぐ「ネメビウスの環」が接合する。
B-2 ①言葉は、全体性を、捉えられず、次々と語られても、言葉の秩序は、充填されない空虚を残す。この世の秩序が持つ空虚。みんなが認める社会的な言葉が語られるギリシア的合理的思考の世界としてのこの世。この世の秩序=社会性は、トポロジー的には、「トーラス」である。
B-3 ②だが広場は、宇宙的公共性への通路を必要とする。「聖所」としての岩、樹、あるいは教会。聖所は、あの世とこの世が同一平面にある。トポロジー的には「メビウスの環」である。
B-4 伝統の広場(=公共空間)はトポロジー的「ねじれ」(「メビウスの環」)を組み込むが、これに対し、近代の広場は中心が空虚な「トーラス」である。

C かつて、公共性の空間概念としての広場は、人間の「無意識」の全体性を体現し、トポロジー的「ねじれ」、この世と続くあの世、つまり生と同一平面にある死を組み込んでいた。
C-2 歴史の過程で、「公共性」のトポロジーの全体構造(伝統の広場)が分解する。
C-3 近代の広場は、中心部に、公共の建物、政治指導者の彫像・肖像画を置く。近代の広場では、「権力としての公」が、社会的言葉が生み出す空虚を埋めようと、中心にそそり立つ。

D 近代とは「メビウスの環」的な「アジール(聖所)としての公」を、広場(=公共性)から追放した。
D-2 近代とともに、「トーラス」的な合理的思考が、「メビウスの環」的な神話的思考を抑圧した。
D-3 10万年前の新人にさかのぼる心の「全体性」、それと親和的な「公共性」の再建が必要である。「トーラス」と「メビウスの環」の接合。合理的思考と対称性思考が接合した神話的思考の回復!



第3論文 十字架と鯨(2005年):「型」による「内発的」拘束の日本文化(鯨的なもの)と、「外から」の拘束のキリスト教文化(十字架的なもの)
A マシュー・バーニーの映画『拘束のドローイング・9』は、「自由」でなく「拘束」を主題にする。「内発的」拘束!
B ヨーロッパ文明の本質は、キリスト教的な「拘束」。動き変化しようとする「生命力」の動きを拘束し、同一性を作り出そうとする。「拘束」と「生命力」(=「自由」)の二つの力のせめぎあいが、ヨーロッパ文明。
B-2 「自由」な自然人のイエスを、木の棒に打ち付け「拘束」した十字架。

C 「異教」の世界は動きの世界。それをキリスト教は拘束し、同一性を与えようとする。
C-2 「異教」の文化は多中心。それを象徴するのが、二つの中心を持つ楕円。キリスト教は中心が一つ。円が象徴する。

D キリスト教的な創造的拘束は、「権力」と容易に結びつき、管理的拘束に変形する。

E 異教の芸術は、変容の神話的時空(対称性の時空)を動く。
F マシュー・バーニーは、流動化と固体化を繰返すワセリンのイメージを好む。ワセリン状にメタモルフォ―シスする異教的な民衆思考。
F-2 諸存在の壁を乗り越えるトランスの原理。
G 日本の「もののあはれ」は、同一性が長持ちせず、消えていく有様に、感銘する。
G-2 ヨーロッパ的、キリスト教的な同一性の思考の対極。

H 日本文化は「型」による拘束の文化。
H-2 キリスト教的拘束は「外から」抑え込む。日本は野生の思考が生きていて、拘束は「内発的に」起こる。
H-3 流動性が具象(=現象)となる直前(=「機前」)の、その抽象的「かたち」そのものを、デザイン感覚で取り出したものが「型」である。

I 鯨は、ヨーロッパ的伝統では、絶対的抽象(神)とギリギリのところで触れ合う物質的生命。ワセリン状の流動体、同一性を持たない巨大なものとしての鯨。
I-2 そのワセリン状の存在が内発的に「拘束」され、取り出さるべき「型」が発生する。
I-3 マシュー・バーニーの鯨は、愛と死の極限に出現する自由の象徴。

J 中沢新一が作った「鯨の神が歌ったユーカラ」。(動物の視点から人間とのかかわりを描く。)それをマシュー・バーニーに贈る。
J-2 神話をつらぬく対称性の思考。動物と人間が、また生と死が自由に入れ替わる。その表現としてのユーカラ。

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中沢新一(1950生れ)「はじめに」「Ⅰ芸術人類学」『芸術人類学』所収(2006年)

2015-12-12 22:33:50 | Weblog
はじめに(2006年):基礎としての対称性人類学
A 対称性人類学を基礎に、芸術人類学を構想する。
A-2 対称性人類学:「論理的矛盾を飲み込み、全体的に作動する『対称性』という知性の働きが、心の働きのおおもとである」とする見方に立つ人類学。
A-3 人類の心の基体部分は、対称性の原理に基づき作動。
《評者の感想》
(1)神話的思考を支配する「対称性」の原理は、生と死をともに取り込む。
(2)近代的合理主義的思考を支配する「非対称性」の原理は、「生」中心で「死」を排除、また「人間」中心で「動物」など他の生き物を排除。

B 神話では、人間と動物は兄弟。
B-2 ギリシャ的合理主義およびキリスト教では、時間が直線的に進む。神話では、時間は循環する。(例えば、太陽、月、季節の循環。)
B-3 対称性の思考は、「直線」の思考でなく、「環」の思考にフィットする。
B-4 神話は、①物事を輪の中で循環させる。(Cf. 近代は、拡大進歩をめざす社会。)②古いもの、弱いものを大切にする。③戦争よりも、平和を選ぶ。④他者への優越よりも、他者を歓待する精神。

C 対称性の思考は、歓待の精神のもとで、他の人間、動植物を受け入れる。今日のエコロジー思想との連続性。
C-2 近代は、左脳優位、非対称性思考(対称性思考と対立する論理的思考)優位。
C-3 対称性思考と、非対称性思考の「複論理」からなる神話的思考を回復すべきである。
C-4 「未開な」「遅れた」「貧しい」世界に、神話的思考は追いやられてしまった。
C-5 「複論理」(バイロジック)を回復すべき。「対称性」を回復すべき。
C-6 経済には、贈与論的思考の復活が必要。
《評者の感想》:贈与論的思考とは、マルクス的に言えば、交換価値でなく使用価値への注目。


Ⅰ 芸術人類学
第0論文 芸術人類学とは何か?(2006年):新人における「心の流動体」、「流動する心」の成立
A 10万年前にアフリカで発生したホモサピエンス・サピエンス。
A-2 4万年前のピレネー山脈の洞窟に見られる芸術。
A-3 洞窟は真っ暗闇な世界、「聖なる場所」、男たちの秘密結社。増殖儀礼、イニシエーション儀礼。

B 10万年前の新人は、旧人と違う。大脳内部のニューロンの構造の差。ニューロンの新たな接続回路の爆発的増大(「ニューロンの爆発的結合」)。「流動する心」と呼ばれる働きが発生。
B-2 「比喩」「象徴」など、異質なものの重なり合いが、可能となる。
B-3 どんな原始的生命体でも、すでに「心」が活動している。しかし新人以前では、「心」は自由な活動が出来なかった。
B-4 動物には、人間のような不自然な行動、妄想に基づく行動はない。環境世界への適応のためだけに、脳の構造は進化。
B-5 現生人類(新人)以外の生物は、妄想しない。現実世界と重なる行動のみ。
B-6 新人における「心の流動体」、「流動する心」の成立。

C 妄想とは、外の現実世界より、頭の中に発生するイメージや思考が過剰なこと。
《評者の感想》:ここで「外」とは何か?「頭の中」とは何か?「心」は「現実」と別であるとの立場を前提する。この場合、「心」は原理的に現実に触れることが出来ない。触れられた物は、「心」であって、「現実」ではない。だが、触れられた物は、当然、「現実」そのものではないのか?「外」と「頭の中」を区別した途端に、「心」は原理的に「現実」に触れることが出来ない。だから、“「心」は「現実」そのものに触れることが出来るのだ”との前提から出発しなければならない。この議論については、別の機会に、展開する。

C-2 中沢新一氏は言う。“「現実」と「心」は射影関係である”。
《評者の感想》:“出会うことが原理的にありえない「現実」と「心」”の間に、関係が成立することは、これまた原理的にありえない。射影「関係」が成立するのだとしたら、「外」と「頭の中」が連続する場、出会う場を探し出さねばならない。しかし、今、以下では、中沢新一氏の議論を追って行くこととする。

C-3 動物では「外の世界の現実」と「心の内面世界」がまっとうな対応関係を持つ。
C-4 現生人類だけが、外の現実に縛られない「自由な心の流動性」を得た。幻想界、妄想界を持つ。

D 現生人類(ホモサピエンス・サピエンス)の狂いやすい心を制御するのが言語である。
D-2 言語が、合理性や社会性(コミュニケーション可能性)を保障する。
D-3 例えば目の前の「紙」を、みんなが「紙」と認めなければ、コミュニケーションは不可能。

E 構造人類学は、言語学の視点を手助けとして、人類の「無意識」の構造を探ってきた。
《評者の感想》:ここで「無意識」とは、「自明性」と同義。つまり「主題化されていない」ということ。「無意識」の構造とは、「主題化されていない」構造のこと。それを探るとは、「主題化する」「問題化する」ことである。

F だが人間の論理は二つある。一方で、外の環境世界の構造に適応する論理、アリストテレス的論理。デカルト的合理主義的論理。つまり「非対称性論理」。「左脳」に特有。
F-2 他方で、「対称性論理」(「野生の思考」)「無時間的で、ものごとをしっかり分離してしまわない対称性の論理」。「右脳」に特有。①アリストテレス的論理が分離するものをくっつける。違う意味をくっつける。②時間の秩序からも自由。
F-3 人類史的には、合理的な非対称性の論理がまず、作られた。旧人(ネアンデルタール人)における石器製作、狩猟技術、植物学、社会制度の成立。
F-4 しかし宗教と芸術は、新人(ホモサピエンス・サピエンス)に固有である。宗教と芸術は、外の現実に縛られない「自由な心の流動性」(「心の流動体」、「流動する心」)を得て、幻想界、妄想界を持つ新人にのみ可能となった。

G 現生人類(新人)の心には、二つの思考システムが共存する。非対称性論理と対称性論理。つまり複論理=バイロジック!
G-2 構造人類学は、方法論を言語学にすえたので失敗した。
G-3 新しい人類学は、基礎を「流動する心」に据える。この領域は、「芸術」が探究してきた領域と同じ。「流動する心」に直接触れる体験としての「芸術」。
G-4 合理的な社会システム・経済システムに覆いつくされない「野生の思考」の沃野が私たちの心の内部にある。

H 芸術は、論理的な能力と、非論理的な「流動的な心」という二つの知性形態の統合である。
H-2 宗教的衝動とは、「バイロジック」さえも突き抜ける超越的な「心」の流動体へ向かう衝動である。

I 「バイロジック」で作動する「野生の思考」(対称性論理)を主題にしたレヴィ=ストロースの思想。
I-2 あらゆる思考を絶する非知の働きこそ現生人類の心の本質であり、宗教と芸術の起源だとするバタイユの思想。
I-3 対称性人類学=芸術人類学は、両者を結合する。


第0-2論文 芸術人類学への道(2006年):
(1)岡潔:論理的知性と情緒的知性
A 数学者の岡潔は、「情緒的な知性が、想像に決定的である」と述べる。情緒的な知性は、全体的な直観把握であり、全体を一気にとらえる。そこでは自分が思考しているのか、宇宙が思考しているのか見分けがつかない。
A-2 人間の心は、論理的知性と、直観的な全体性の思考としての情緒的知性の二つの部分からなる。

(2)仏教:「分別知」と「無分別知」
B 論理的知性は分離の作用を起こし、心の中にありもしない極端な像を描く。
B-2 情緒的知性は、論理的知性の極端を去った知恵。世界のありさまを一気に全体としてありありと知る。
C 仏教は、主体を周りの世界から分離する思考を「分別知」として否定。「分別知」は、主語と述語を分離し、主語の側だけに認識能力を与える。
C-2 原初的な心のおおもとは「無分別知」である。①時間軸にしばられない。②空間軸にしばられない。③主格の分離による限定もない。
C-3 政治・経済の「分別知」に対し、心の本質をなすのは「無分別知」だと。仏陀は主張。

(3)レヴィ=ストロースの構造主義:「野生の思考」の発見
D レヴィ=ストロースは、不完全で不正確で非科学的と思われる「野生の思考」が、完全な思想であると示した。(それは、農業が始まった新石器革命の下で生まれた。)
D-2 「野生の思考」は、「主客の合一、世界の全体性を、そのまま受け取る知性」である。
D-3 レヴィ=ストロースには、「構造主義とは仏教である」とのニュアンスがある。

(4)チベット仏教:「野生の思考」と「仏教」の結合
E  論理性の偏重に陥らない、「左脳」の機能をいたずらに発達させない「情緒性の文明」への展望は2方向ある。大地の方向では「野生の思考」。天空への方向では「仏教」。
F 構造主義が依拠する言語学の方法には限界がある。人間の心の内面深く踏み込む必要。
F-2 チベット仏教で修行し、心の内面から放たれる光の体験を得る。旧石器時代の洞窟の秘儀と同じ体験。
F-3 チベット仏教は、新石器的な象徴思考の体系、仏教哲学の体系も組み込む。
F-4 「野生の思考」と「仏教」の結合。

(5)言語は現実世界を合理的に理解する:チョムスキーの生成文法&デカルト派の合理主義的な言語学
G 言語は、外の現実世界とアナログ的に対応する。
G-2  チョムスキーは、言語が、S+V(主語+述語)という構造を分岐させながら自分を生成していくことを明らかにした。(チョムスキーの生成文法)
G-3  S+V(主語+述語)で世界を理解することは、現実世界を合理的に理解することである。かよわい哺乳類の人間が生き抜くための人類の言語。進化の過程で鍛えられた。
G-4 デカルト派の合理主義的な言語学は、この側面を強調。
G-5 現実世界を、合理的に理解する点は、動物たちも、新人に劣らない。
《評者の感想》:中沢氏の「合理的」の語は、“プラグマティック”あるいは“環境適応的”と、同義である。

(6)言語は比喩でできている:ロマン・ヤコブソン
H 他方で新人は幻想・妄想を抱くことによって、現実とアナログな対応を持たない思考を生み出した。宗教や芸術の発生。
I ロマン・ヤコブソンの構造言語学は、言語が比喩でできていると述べる。
I-2 語彙の圧倒的多数は比喩である。
I-3 人間の言語の最大の特徴は、すべてが、比喩の組み合わせとしてできていること。
J 比喩性こそ、新人の言語の最も重要な特徴。
J-2 人間の自然言語を記号化し、完全な論理言語を創ろうとしても、不完全さが生じる。
《評者の感想》:数字は存在者一般を「1」としそこから「多」を発生させるというように展開するので、その「合理性」は、“プラグマティック”あるいは“環境適応的”という意味でない。 

(6)-2 人類学の鍵は「構造」でなく「比喩」である:「比喩の能力」が新人類の「流動的知性」の出現で爆発的に拡大!
K レヴィ=ストロースは神話を巨大な「比喩の森」とみなす。
K-2 私たち、ホモ・サピエンスの心の本質を示すのは、言語が「比喩」の組み合わせとして出来ていること。
K-3 構造人類学は、この方向を推し進めるべきだった。鍵は「構造」でなく「比喩」!
L 「比喩」は、一つの意味を別の意味に重ね、新しい意味を発生させることであり、流動性を持った心の動きが必要。
M 仏教は「比喩」の組み合わせで心を解明。比喩の能力を、言語の論理能力を超えた「無分別知」に高めた。
N 新人は、「比喩の能力」をもち、ものごとを別のことで表現する「象徴」を生み出した。
N-2 認知考古学は、新人の脳が、ネアンデルタール人より容量が小さいことを明らかにした。新人の脳の小型化は、新しいニューロン組織の中を縦横無尽に駆け巡る流動的な知性の出現による。この「流動的知性」が比喩の能力を生み出した。
《評者の感想》
(1)新人の「流動的知性」が、比喩、象徴、神話、芸術、宗教を生み出したと、中沢氏は述べる。
(2)意味とは、重ねられた自己・他者の複数の体験のことである。言葉は、それらの諸体験と等価となる。つまり言葉は、諸体験の比喩である。言語は、記号・象徴であり、比喩の能力を必要とする。言語は、すでに「対称性の知性」を前提する。
(3)言語は、発生の前提として、比喩の能力を必要とする。つまり比喩の能力は 第1に、言語を発生させる能力である。さらに中沢氏が述べるように、比喩の能力は、第2に、成立した言語内で、合理的な論理能力とは異なる方向に、言語を展開させる、つまり神話、芸術、宗教を生み出すように世界認識を方向付ける。
(4)新人におけるニューロン間の接続回路の爆発的増大(「ニューロンの爆発的結合」)、「流動する心」の誕生は、基本的には言語能力の爆発的発展である。そして、それは比喩の能力の爆発的拡張であり、神話・宗教・芸術の象徴体系を発展させた。

O 中沢氏によれば、「違うと思われていた二つのものを交換してみても、ちっとも変化が起きない場合、二つのものの間には、対称性があると言う。」
O-2 比喩を本質とする神話では、思考の中で対称性が、実現される。Ex. 人間と熊が同等として扱われる。
P 精神医学においてマッテ・ブランコが、「対称性の論理」を統合失調症のクライアントの考え方から抽出。①時間秩序の無視。②論理矛盾の無視。③部分を宇宙全体と等価とする。
P-2 マッテ・ブランコ:「対称性の知性」こそ「人間のしるし」である。
Q 「言語のもつ構造性」でなく「心の本質である流動的な知性」を出発点にする人類学が構想されなければならない。(中沢氏)
Q-2 「対称性の知性」を基体に据える対称性人類学(=芸術人類学)!(中沢氏)それこそが、構造人類学を内側から超出する。

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