宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

昼の生、夜の生(夢)、予感の生、それら生の多様さは、君の脈拍(生きた身体)によってのみ担保される! ベーア=ホフマン『ある夢の記憶』(1900)

2019-10-20 22:37:04 | Weblog
※リヒァルト・ベーア=ホフマン(Richard beer-Hofmann)(1866-1945)
※“ウィーン世紀末文学選”岩波文庫(1989)所収

(1)
「涼しい陽ざしの秋」とどこかで出会えないものかと願い、パウルは午後になるといつも出かけていった。
(2)
公園の池の畔(ホトリ)に二人の女(母娘)がいた。娘の腕がひどく細い。彼が気づくと、すで二人は去っていた。パウルは、再び別の池で、その二人の女と会う。しかし今度の池には、水がなかった。
(3)
パウルは、かつて亡くなった女が、細い腕と指をしていたことを思い出した。パウルは、その亡くなった女のために苦しんだ。だがそれは一度も生きたことのない(夢の中の)女だった。
(4)
もはや目覚めない夢がある。それは、夢のあとに現実の死が押し入り終わる夢だ。夢は、目覚めることができる限りで夢となる。(※目覚めない夢は、夢でない!)
(5)
青年ゲオルクは、そのような夢のまま死んだ。そのように死んだ者たちの夢は運命だ。彼はやわらかな髪と陽焼けした顔を持っていた。
(6)
数ヶ月前、ゲオルクが死んだ夏の夜に夢見た夢を、パウルは思い出した。すると突風がふき、あの二人の女が灰色のほこりの中に消えた。
(7)
パウルの人生に女たちもいたし、彼女たちを彼は愛した。だがパウルは、自分と遭遇する何であれ、そこに自分自身しか求めなかった。女たちの内には破壊されたものだけが残った。
(8)
パウルは「昼の生」をあこがれのうちに生きた。彼はまたより豊かでより甘美な「夜の夢の生」のうちで生きた。さらに第3に彼は「予感の生」を生きた。夕べの時間がパルに予感を与えた。
(9)
この夕べの時は、パウルの先祖たちの、あの血を教えてくれた。正義の神に仕えながら、先祖たちはさまよった。(※ベーア=ホフマンはユダヤ系である。)
(10)
パウルは、公園の最初の池のそばに立っていた。ゲオルクが死んだあの八月の夜に夢見た夢を、パウルは再び思いだした。そして彼は、亡くなる前の日に会ったゲオルグを思い出した。パウルはゲオルグを愛した。
(11)
パウルは今、疲れていた。しかし彼は重い疲れの中に、安らぎと確かさを感じていた。彼はそれを、みずからの血の動きをしるす脈拍のうちに感じていた。

《感想1》
著者は34歳。多くの女との恋を知り、また愛した女の死も知る。今、愛した青年ゲオルグの死も知る。彼はユダヤ教徒の先祖の苦難の生も知る。
《感想2》
彼は、昼の生、夜の生(夢)、予感の生(ユダヤ教徒の苦難の予感)を生きる。
《感想3》
だが彼は結局、みずからの血の動きをしるす脈拍に、安らぎと確かさを知る。脈拍だけが生の確かさだ。「昼の生」も、「夜の生」(夢)も、「予感の生」も、それら生の多様さは、君の脈拍(生きた身体)によってのみ担保される。
《感想4》
だがなんと儚(ハカナ)い生だろう。「一滴の毒薬」(パスカル)によって君は死ぬ。
《感想5》
だが「考える芦」は偉大か?「考える芦」(人間)は愚かだ。人間たちは「毒薬」(大量破壊兵器・通常兵器・内戦・悪意・憎悪)によって殺し合う。人間史は無意味な地獄だ。
《感想5-2》
人間史の唯一の救いは地獄に「飛び地」があることだ。全人類が死に絶えることなく、一部が「飛び地」に生き残る限り「偉大」な人間史は続きうる。
《感想5-3》
ベーア=ホフマンはオーストリアの作家。第1次世界大戦(1914-18、48-52歳)、第2次世界大戦(1939-45、73-79歳)を知る。1938年、アメリカ合衆国に亡命し、ニューヨークで死去。政治的にはシオニストの立場をとった。

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