宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(二)「自己意識」:「対象意識は自己意識である」とは、「私が机を意識する」こともじつは「自分を意識する」こととなるということか?

2024-05-21 20:49:18 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(二)「自己意識」(125-127頁)
(24)ヘーゲルの根本的テーゼは「実体は主体である」ということだ!
★「(A)意識」(対象意識)から「(B)自己意識」に移ったとき、ヘーゲルは「だからして我々はいまや自己意識とともに、真理の古里に踏み入ったわけである」と言っている。(125頁)
☆ヘーゲルにとって本来の境地は「(B)自己意識」の境地だ。「(A)意識」(対象意識)の段階はヘーゲルにとって本来の境地ではない。(125頁)

《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次。(333-336頁)
(A)意識:Ⅰ《感覚》感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ《知覚》真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ《悟性》力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)自己意識:Ⅳ自己確信の真理性
(C)(AA)理性:Ⅴ理性の確信と真理。(BB)精神:Ⅵ精神(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」、C「自己確信的精神、道徳性」)。(CC)宗教:Ⅶ宗教。(DD)絶対知:Ⅷ絶対知。

★ヘーゲルの根本的テーゼは「実体は主体である」ということだ。(125頁)
☆これまでにヘーゲルは、「実体的な考え方で、物を実在と考える」のは誤りであり、「実体はじつは主体である」ということを、「(A)意識」(対象意識)の段階で証明した。(125頁)
☆これはヘーゲルが「自分本来の考え」を「直接的に証明する」のでなく、「自分と反対の立場を一応許して、その考えが自分の考えに到達しなければならないことを明らかにする」というやり方で説いた。(125頁)

(24)-2 「対象意識は自己意識である」:「私が机を意識する」こともじつは「自分を意識する」こととなる?
★さきほど「対象意識は自己意識である」と言ったが、これではたとえば「私が机を意識する」こともじつは「自分を意識する」こととなるわけで、なんだかふにおちない。(125頁)
☆「いわゆる形而上学的なものをふくむのではないか」という疑惑が残る。(125-126頁)
☆この疑惑は「ヘーゲル哲学」に最後までつきまとうものだ。(126頁)
☆だが「(B)自己意識」の段階がヘーゲルにとって本来の境地であることを思うと、この疑惑もある程度まで解ける。(この点については追々、述べる:金子武蔵!)(126頁)

《参考1》「認識主観」と「認識客観」は「根柢において同一のもの」の表現であり、両者を超えた「統一」がある!「対象意識」の立場(「B」や「C」を「意識する」)が、「自己意識」(「自己Aを意識する」)にうつってゆく!(123頁)
《参考2》「悟性」は「物の内なるもの」をつかむが、その「内なるもの」とは「無限性」であり、しかして「無限性」とは「根柢の統一が対立分化し、その対立がまた統一にかえる」という「運動」だから、「悟性認識の対象」は「物の内なるもの」ではあっても、それは「主体としての、自己の内なるもの」とは別のものではない。「対象の内なるもの」と、「自己としての内なるもの」つまり「主体としての内なるもの」とは同じものだ。(123頁)
《参考3》このようにして「対象意識」は「自己意識」に転換してゆく。「対象意識」も真の本質からいうと「自己意識」だ。かくて「実体は主体である」というヘーゲルの根本テーゼが出てくる。(124 頁)

(24)-3  (B)「自己意識」:イ「生命あるいは欲望」個別性(Cf. 「感覚」)。ロ「主と奴」特殊性(Cf. 「知覚」)。ハ「自由」普遍性(Cf. 「悟性」)!
★(B)「自己意識」あるいはⅣ「自己確信の真理性」の段階の「全体的な見透し」について取り上げよう。この段階はA「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」の二段に分けられていて、他の場合のように三段に分かれていない。(126頁)

《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次。(333-336頁)
(A)「意識」(対象意識):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」(A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」)
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」(A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」・Ⅱ「啓蒙」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」(A「自然宗教」、B「芸術宗教」、C「啓示宗教」)、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

★金子武蔵氏は(B)「自己意識」も、(A)「対象意識」の3段階(1「感覚」、2「知覚」、3「悟性」)に対応させ、3段階にわける。(126-127頁)
☆(B)「自己意識」:イ「生命あるいは欲望」個別性(Cf. 「感覚」)。ロ「主と奴」特殊性(Cf. 「知覚」)。ハ「自由」普遍性(Cf. 「悟性」)。(126-127頁)

《参考2 》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次。
(一)「意識(対象意識)」
1「感覚」、
2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、
3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」
1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、
2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、
3「現代(あるいは絶対知)」
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