宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」(その1):「無限性」の立場では「自己が対象を意識する」ことは、じつは「自己が自己を意識する」ことだ!

2024-05-22 14:01:06 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」(その1)(128-129頁)
(25)「無限性」の立場では「自己が『対象』を意識する」ことは、じつは「自己が『自己』を意識する」ことだ!「自我は自我である」ことが(B)「自己意識」の段階の原理である!
★(B)「自己意識」(Cf. (A)「意識or対象意識」)の段階で基本的に重要な意義をもってくるのは「無限性」の概念だ。(128頁)
☆(B)「自己意識」の段階は、(A)「意識(対象意識)」のⅢ「悟性」の段階の終わりでえられた「無限性」の概念を展開していくものにほかならない。(128頁)

★ところでこの「無限性」の立場では「自己が『対象』を意識する」ことは、じつは「自己が『自己』を意識する」ことだということになる。(128頁)
☆だから「自我は自我である」ことが(B)「自己意識」の段階の原理である。(128頁)

《参考1》ヘーゲル『精神現象学』の目次。(333-336頁)
(A)「意識」(対象意識):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」(A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」)
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」(A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」・Ⅱ「啓蒙」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」(A「自然宗教」、B「芸術宗教」、C「啓示宗教」)、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

《参考2 》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次。
(一)「意識(対象意識)」
1「感覚」、
2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、
3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」
1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、
2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、
3「現代(あるいは絶対知)」

(25)-2 「自我は自我である」といっても「無限性」の概念は、「固定」したものでなく「運動」だ!「他者」(Cf. 「対象」)といっても「自己」(自我)と全然別のものでなく、本質的には「自己」(自我)(※超越論的主観性?)と同じものだ!
★しかし「自我は自我である」といっても、「無限性」の概念は決して「固定」したものでなくむしろ「運動」だ。(128頁)
☆言いかえると「自我は自我である」といっても、「自我と『非自我』(Cf. 『対象』)(Cf. さらに『他我or他己』)の区別」を含まないというのではなく、やはりその区別はあり、ただその区別が止揚されて「自我が自我である」ということが成り立つところの「運動」が「無限性」だ。(128頁)
☆つまり(B)「自己意識」の段階でも、(A)「意識(対象意識)」のⅠ「感覚」・Ⅱ「知覚」・Ⅲ「悟性」はやはりあるのだから「自己」が「他者」(Cf. 「対象」)を意識することが残るわけだが、そうかといって、ここではすでに「無限性」の立場がとられているから、「他者」(Cf. 「対象」)といっても「自己」と全然別のものでなく、本質的には「自己」(※超越論的主観性?)と同じものだ。(128頁)
☆すなわち「対象」は、「現象」においては「他者」であるが、つまり「他者」であるかのごとき「現象」を呈するが、しかし「対象」は、「自己」あるいは「自我」と本質的には同じものであるということになる。

《感想》ヘーゲルにおける「自己」(「主観性」)概念は、〈主観‐客観〉関係を構成する「超越論的主観性」なのか、〈主観‐客観〉関係を前提にした(「生活世界」内の)「主観性」なのか?

(25)-3 (B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」!
★現在の段階((B)「自己意識」の段階)でも、「自己」は「他者」(対象)を意識しているが、それは「他者」(対象)にとどまらず、根柢においては「自己」(※超越論的主観性としての「自己」?)と同じだという確信を持つ。これがヘーゲル『精神現象学』の目次で、(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」とあるゆえんだ。(128-129頁)
☆つまり(B)「自己意識」は、「対象」が単なる「他者」ではなく、「自分自身」(「自己」)であるという「確信」を持つが、この「確信」が単なる「主観的確信」ではなく、「客観的真理性」をそなえることができるようにするのがこの段階((B)「自己意識」の段階)の目的である。(129頁)

《参考1》ヘーゲル『精神現象学』の目次では、(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」(A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」)である。

《参考2》金子武蔵氏は(B)「自己意識」も3段階にわける。(B)「自己意識」:イ「生命あるいは欲望」個別性(Cf. 「感覚」)。ロ「主と奴」特殊性(Cf. 「知覚」)。ハ「自由」普遍性(Cf. 「悟性」)。(126-127頁)
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