『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

宝寿院の本堂(護摩堂)

2013年01月15日 | 「宮島地区」ぶらり


真言宗宝寿院の本堂であるが天保13年(1842)の厳島図会の絵図には護摩堂とあり、堂宇内は護摩堂として建立されているようである。
旧本堂が客殿に改修されてから以降に護摩堂が本堂にされたようである。

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宝寿院の客殿(本堂)

2013年01月13日 | 「宮島地区」ぶらり


真言宗の瀧上山西方寺堂宝寿院の客殿と庫裡の一部で、かつて瓦葺であったものとみられるが現在画像のような状態である。
天保13年(1842)の厳島図会の絵図には本堂とあるがそれ以降に客殿として改修されたようである。

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旧宮島町役場庁舎・現廿日市市宮島支所庁舎

2013年01月12日 | 「宮島地区」ぶらり


上画像は旧宮島町役場庁舎で現在は周囲にフェンス柵が設置してあり全く使用されていないようである。
下画像は現在の廿日市市宮島支所庁舎で旧広島銀行宮島支店跡を利用したこじんまりとした庁舎である。旧役場庁舎は宮島競艇全盛期の財政の潤っていた頃に建築されたものであるが・・・

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中間谷の地蔵堂

2013年01月11日 | 「宮島地区」ぶらり


昨日紹介した樅谷川のトンネル脇に祀られている地蔵堂で、厳島図会の中間谷の絵図に地蔵がみられるのでこの地蔵堂であろう。
ここの谷は江戸期には中間谷といわれ町並みは中間町といわれていたが、昭和49年(1974)の住宅個別地図では桜町となっている。

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樅谷川トンネル

2013年01月10日 | 「宮島地区」ぶらり


桜町地区を流れる樅谷川でこの川も土石流危険渓流と表示してありトンネル奥には3ケ所の砂防堰堤が設けられている。
かつてトンネル奥で水道用水を取水していたようであり、現在でも別の施設から取水されているが何に使用されているのかは不明である。このトンネルは自動車の周回道路のために設けられたようである。

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称明庵跡の小堂

2013年01月09日 | 「宮島地区」ぶらり


昨日紹介した北之神社のすぐ下にある広場奥に小堂が祀られており、この地は天明3年(1783)の絵図では称明庵とあり、天保13年(1842)の厳島図会には北薬師堂と称明庵の絵図が掲載されている。
称明庵の詳細については明らかでないが、昭和49年(1974)の住宅個別地図には無量院(称明庵)と記されており、この頃まで存続していたものとみられる。

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北之神社

2013年01月08日 | 「宮島地区」ぶらり


魚之棚地区の最奥部に祀られている北之神社で、地元の人達だけに知られているような分かりにくい場所にある。
天明3年(1783)の絵図ではこの地に薬師社とあり、天保13年(1842)の厳島図会でも北薬師堂とあるので、明治期の廃仏毀釈後に北之神社となったものと思われる。

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華隆山以八寺光明院

2013年01月04日 | 「宮島地区」ぶらり


旧宮島町役場庁舎裏側にある浄土宗、華隆山以八寺光明院で開山は以八上人である。
天文頃に奥州磐城の兄弟僧であった以八、袋中があり、弟の袋中は京都に居り兄以八は繁華な地をさけて厳島に渡り岡の庵といわれる草庵を結んだのが今の光明院であった。

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蔵飾り-飛鶴

2013年01月03日 | 「宮島地区」ぶらり


大町地区にある土蔵ケラバの蔵飾りで飛鶴を表した漆喰鏝細工が施されている。
ケラバ蔵飾りの小屋根頂部下端に小さく設けられているので良く見ないと見落としそうな飛鶴である。

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大御堂

2012年12月30日 | 「宮島地区」ぶらり


西蓮町にある大御堂でかつて大仏(おおぼとけ)と言われていた。この大御堂は厳島神社の鬼門の鎮護のために設けられたようである。
本尊は阿弥陀如来で脇士は不動明王と毘沙門天像が祀られているようである。

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松枯れ防止樹幹注入済標識

2012年12月27日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島の各所で松枯れの木が伐採されているのがみられ、健在の松の木の多くに松枯れ防止樹幹注入済の標識が取付けられている。
標識によるとマツノザイセンチュウに良く効くショットワン・ツー液剤が注入されているようである。

※昨日、当ブログを開設してからトータル閲覧数170万PVと多くの方々に閲覧をして頂きました。老化防止のために何とか更新している面白くもなく万人向きでない当ブログですが、まだまだ頑張りますのでお暇な時にご来訪ください。

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ドンドン川

2012年12月26日 | 「宮島地区」ぶらり


上西蓮地区を流れる珍しい川名でドンドン川とあり土石流危険渓流と表示してある。
常時はわずかの水しか流れていないが急傾斜の渓流で大雨の時にはどうどうと音をたてて流れるのでこのような川名となったものと思われる。一書には呑呑川と漢字名で記されている。

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大束富くじ場跡碑

2012年12月25日 | 「宮島地区」ぶらり


新町にある大束富くじ場跡碑で江戸期この付近に大束入札場所があった。
富座で求めた諸口の合鑑(相鑑)紙と木駒に同一の番号、口名や思い思いの文句を書いて、合鑑紙は加入者が保管しており、木駒は桶に入れて指定期日に桶の小穴より木駒を突いて当り籤を決定していた。宮島では焚き木の大束が特産品であり、これを入札するという形で富籤が行われていたようである。

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池浦岩鼻のトンネル

2012年12月24日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島桟橋待合所前広場の前にある潜龍門を過ぎると池浦で、池浦と長浜との間の岩鼻にもトンネルが掘られているが名称などについては不明である。
このトンネルも大正時代に長浜方面への道として築造されたものとみられる。現在トンネルの先である長浜側は侵食されて道路の痕跡も残っておらず断崖となっている。

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要害山岩鼻の潜龍門

2012年12月23日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島桟橋待合所前広場の前面に潜龍門という小さなトンネルが見られる。要害山の岩鼻に設けられたもので手前は池浦、向う側は小浦で昭和40年代に地先海岸が埋め立てられ現在のようになった。
明治末期の絵図には要害山岩鼻には潜龍門はみられず、大正12年(1923)の絵図には潜龍門がみられるので大正時代に長浜方面への道が築造されたものとみられる。

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