こころラボ

楽しく幸せなこころを育てる実験

夢も希望も理想も投げ捨てて:容姿編

2020-10-31 10:38:40 | 日記
美塾のいろんなタイプの魅力の人が集うZoom交流会に参加しました。

萌、艶、清、凛という4つの魅力があるのだけれど
美塾の講師、受講生の方ばかりだったので
それぞれ「まさに」その魅力の雰囲気なんです。
もう全然違う。そして素敵。

いろんなプログラムがあった中でハッとしたのは
まず、各魅力グループに分かれて1名をモデルに他のメンバーがアドバイスをして魅力をアップさせるというもの。
ちょっとしたことで雰囲気がガラッと変わってました。
もうひとつは、講師の先生方が自分の魅力を消すメイクや髪形や服装をするというもの。
それまでキラキラオーラ全開だった先生方が、5分余りで残念な人になってたんです。
この2つを見て思ったのは、わたしは自分で自分の魅力をつぶしていたのかもしれないということ。

自分の容姿が好きではなかったから
なにか別物になろうとして
いろんなものを付け足そうとして
結局自分をダサくしてたのかもしれない。

といってこれから何をどうしたらいいのかはよくわからないけれど
今回気づいたことを頭の片隅に入れておこうと思った。
容姿も今のまま(というか本来の魅力のまま)でいいってことですね。
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夢も希望も理想も投げ捨てて:SNS編

2020-10-25 12:33:21 | 日記
人と比べてしまう。
いや、比べてもいい。
ってか、比べてこそ「ここはこうしたいな」と思えるわけで。
ただそれを使って「自分はどうしてできないんだろう」って責めるのがよくない。

心屋でバンジー跳んで、真逆をやっていい感じに変わった人を見ると
「自分の現実は変わらないなあ…」って思っちゃう(地味に変わってはいるんだろうけど)。
で、「逆をやったのに、損したのにいい感じにならんやん!」って本末転倒になる。
下心満載じゃないですか。

心屋系の長期講座を受けて、受講者同士のやり取りの場で、いい感じに気づいてる他のメンバーの投稿なんかを見てもやっとする。
「なんで自分の現実は変わらないんだろう」
「何か間違ってるのか?」
って思っちゃう。

SNS(特にFacebook)で誰かのリア充が流れてくると、微妙にモヤモヤする。
「ああ、やっぱりわたしはひとり…」
と被害者モードになる(見なきゃいいのに)。

あああ、わたしはいい感じに変わってる人がうらやましいんだ。
いい感じに(自分が思うように)変わってない自分が嫌で、じたばたしてるんだ。

いかん、SNS見てると他人と比較して自分を責め続ける。
今のままの自分でいいとか思えなくなる。
ということでFacebookは極力見ないことにしました。

他人が何してようと動じないのがいいんだけど、人間ができてないのですぐ心が揺らぐ。
だから元から断つ。
心がざわざわするようなものは遠ざける。

そしたら、まあ 平和

いくつかコミュニティーに参加してFacebook見るようになってたけど
もともとはアカウント持ってるだけで自分から投稿もしてなかったし
誰かの投稿にも反応してなかったし
元に戻っただけだったー。

SNSを断ったら人との交わりがさらに減ってしまう気がしてたけど
もともと読む専門だし、積極的に交流しているわけでもないし
もうこの際、怖がらずにひとりを極めてもいいんじゃないか。
それでこれまでの交流関係が切れてしまっても
どこかで新しく気の合う人と関係を築けばいいのではないか。
よしんばずっとひとりだとしても
そんな自分もよしとする。

そう、それも自分。
他の誰でもない自分。
他の人になろうたってなれない唯一無二の自分をやっていこう。
比べてできてないと責めなくてもいいんだよ。
ずっとずっと頑張る教で過ごしてきたからなかなかゆるめどころがわからないけど
少しずつ、少しずつ自分に「マル」を出していこう。
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夢も希望も理想も投げ捨てて:語学編

2020-10-21 10:27:09 | 日記
英語は仕事の道具でもあるし
いろんな言語もはなせるようになったらいいなと独学してたから
好きなんだと思ってたけど
夢も希望も理想も投げ捨ててみたら
学習意欲があまり起こらなくなった。

いや、好きは好きなんだけど
飽きたというのが近いかな。
独仏西は初級レベルは大丈夫なのだけれど
語彙が少なくてなかなか中級に進めない。
単語もそんなに覚えられない。
今までなんとか頑張って続けてみたものの
さして上達しない。

やはりダメ出ししているんだろうな。
「こんなに長く勉強してるのに言いたいことをすらすら言えない」って。

ラジオ講座をテキストなしで聞いて書き取りしたり
単語を辞書で調べたり
いろんな本も買ったりしたけど上達しない。

勉強は続けられるけど、なんか楽しくないな~
勉強方法がよろしくないのかな?
と思ったので
もっと気楽に勉強しようと思った。

ネットでそれぞれの楽しそうな学習サイトを見つけたので
思いついたときにそれを見る、やる。
ストイックに勉強しない。
聞き流し、見流しでいい。
気になった単語があれば調べる。
わかんなくてもいい。無理に覚えようとしない。

こんな感じで主旨替えしてみます。
すぐに使う用事もないのだから
上達しなくてもいい~(言っててムズムズするけれど、きっと今までの自分が抵抗しているのでしょう…笑)。
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夢も希望も理想も投げ捨てて:楽器編

2020-10-18 10:15:37 | 日記
夢も希望も理想も投げ捨てて、やる気がなくなった中
なぜか続いてるのが楽器の練習。

少し前にどうして練習が続かないのだろうという問題と
そもそもなぜ楽器を弾きたいのかという動機の分析をして
好きな曲を自由に弾きたいのと美しい音を出したいという気持ちを自覚したせいか
練習したいと思うし
練習環境も整えたので楽器を手に取りやすい。

つまんない自分になっちゃったなと思いながらも
多少なりともやろうかなという気持ちがある限りは
楽器の練習をすることにしています。
そしてこれだけはどんよりした気持ちの中でも続けていられてます。
なぜだろう?
完全にひとりでやってて誰に聞かそうとも思っていないし
楽器に関しては完ぺき主義を早くに捨てたので
誰とも比べてないから純粋に楽しめるのかな。

うまくなりたいとかきれいな音を出したいという希望はあるのだけど
執着していないというか
できなくても悩まないで「少しずつやっていけばいいか」と思えるからかな。

う~ん、わたしこんなに音楽好きだったっけ?

全部捨てても残ったものが自分が本当に好きなものなのかな。
これまでの人生でアーティスティックなことはほぼしてこなかったので
これからはそれをしなさい、したいってことなのかな。

カメの歩みではあるけれど、ちょっとした上達も感じられているので今は楽しい。
これだけは純粋に楽しいと感じているようなので
できるところまでやってみます。


思い起こせば…

ドラムは2016年に始めた。
最初は甥っ子に教えてもらい、その後は教本で独学。
かれこれ4年で曲がりなりにもマスターしたのは3曲。遅っ!
オリジナルと同じ速度では叩けないけど、最後までやり通したことに意義がある(ことにする)。

キーボードはその翌年に始めた。
ヤマハの「ピアノ悠々塾」シリーズで独学。
「入門編」、「入門編:レパートリー集」を終えて今は「基礎編」。
「基礎編」が間もなく終わるので次は「基礎編:レパートリー集」かな。
それが終わるとまだ「初級編」と「初級編:レパートリー集」があるので練習素材には事欠かない。
楽譜を見ないで弾ける曲も短いのばかりだけど7曲ある。

バイオリンは高校生の時に3年間、長いブランクの後1年くらいレッスンを受けたかな。
その後は気が向いたときに弾いてたけどなかなかうまくならない。
レッスンでは第3ポジションまでの移動とビブラートの初歩くらいまで習った記憶がある。
あまりにブランクがあり過ぎてどうしたものか…だけど美しい音が出したい。
今は音階練習と重音(2本の弦を一度に弾く和音みたいなもの)の練習をしています。
重音は少し良くなった気もするけど、安定しないな~。
ディズニーの「美女と野獣」を弾きたくて、その中に重音があるんですよね。
なかなか制覇できない。
プロはなんで最初の音からあんなに美しいんだろう。
ほぼ毎日練習するようにはなったけど、練習にはもう少し工夫がいるかもしれない。

(エレキ)ギターは今年の5月から始めたからそろそろ6か月。
コードも少しずつ押さえ始めてます。
ネットである人の無料動画レッスンを受けてわかりやすかったので、有料の個人サポートを受けることにしました。
弾き語りサポートなので練習曲を自分で選ぶのです。
まだ始まったばかりだけど、うまくなりたい。好きな曲をきれいな音で弾きたい。

最近はどれも短時間だけど毎日のように練習している。
なかなかやるじゃん、わたし。
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夢も希望も理想も投げ捨てて:ダイヤモンド編

2020-10-14 10:49:03 | 日記
ダイヤモンドというのは「ナリ心理学」でいうところの「ダイヤモンド」です。

自尊心が薄いのを「カルピスが薄い」といいます。
それを脱して自分を大切に扱うのが「ジュエリー」。
でもずっと大切にし続けると自分はいつまでも弱い守らなければいけない人のまま。
そこを抜けると、自分は存在するだけで価値がある、なににも傷つかない「ダイヤモンド」になる。
どんな人でも初めからダイヤモンドなのだけれど、それを忘れてる人が多いそう。

自分は「ジュエリー」ゾーンに入った自覚はあったけれど
それから時間もたって
楽になったこともいくつかあって
夢も希望も理想も投げ捨てて「より良くなろうとしなくていい」ことにしたら
あれ、もしかして「ダイヤモンド」ゾーンに突入したのかなって思った。

心屋でも
「なにを選んでも、なにが起こっても大丈夫」とか
「今のままの自分でいい」とか
「自分のあり方は自分で決めるだけ」とか言ってる。

「愛されてる」って実感することはないし
感謝があふれるみたいなこともないし
現実が変わってきてるとも感じないし
相変わらずひとりで行動してるけど
「今の自分でいい」とまだ完全には納得してないけど
それもこれも全部ひっくるめて
「それでもいい」にしてみる。
それがわたし。

で、もしわたしがもうダイヤモンドであるならば
悩むことはない。
あとは人生を楽しむだけ。

そうならば、なにをしたい?
で、とりあえずしたいなと思えるのは楽器を弾くだった。
なんでこれが出てきたかわからないけれど…(謎)。
今はこれが楽しいとうっすら思える。

ナリ心理学の認定講師の三上みひろさんが以前ブログに書いてた。
 キャリーケースを買いたかった時、候補が2つあって値段も違ってた。
 気に入ったのは高い方だったけど、お金がなくて迷った。
 そんな時、なりたい自分を思ってみた。
 将来はしょっちゅう出張で出かける自分になりたいから
 それにふさわしい、値段は高いけど気に入った方のキャリーケースを選択した。
 そうしたらそれが現実化して、月に何度も出張であちこちへ出かける人になった。

わたしは好きな曲を自由に弾いて楽しむ生活がしたいから、練習する。
それがわたしの「ダイヤモンド」としての人生の楽しみ方のひとつなのかもしれない。
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