宮崎駿監督と「鞆の浦」:映画「崖の上のポニョ」からのメッセージ

宮崎駿監督の映画「崖の上のポニョ」を鑑賞しました。私の故郷である福山の名勝「鞆の浦」を舞台とする(と私は思います)この映画の公開を、楽しみにしていました。「お魚でも半魚人でも人間でもいい、ポニョが大好き」と、すなおに感情を吐露する5歳の少年と、それに応えるポニョとの無条件の純粋愛は、現代人が忘れかけていたものを強烈に思い出させてくれ、映画は期待以上の名作でした。♪♪ポーニョポニョポニョさかなの子・・・♪♪主題歌のフレーズが、いつまでたっても頭から離れません。

それにしても、あらためて思うのは、宮崎駿という人が、いかに優れた人物かということです。この時期、鞆の浦を舞台にこれほどの作品を世に送り出す宮崎駿監督の能力と人間力には、心底感服します。平安時代には最澄や空海がこの地に開山したほど歴史のある鞆町は、数々の名勝を誇り、風光明媚な景勝から世界遺産に値するとも言われており、宮崎駿監督が鞆町に魅せられるのは必然です。しかし、宮崎駿監督は、そんな理由で鞆町を「崖の上のポニョ」の舞台に選んだわけではありません。ストリーからはあえてはずしていますが、この映画には、宮崎駿監督の重大なメッセージが込められていると私は思います。

実は、世界に冠たる自然遺産と引き換えに、鞆町の住民は多大な不便を強いられています。江戸時代から続く道路は、通勤時間帯には渋滞を招き日々住民を悩ませ、時には救急車両をも阻んでいます。早急なインフラ整備の必要性は、自他共に認めるところまできています。そこで福山市が打ち出した策が、鞆の浦の一部を埋め立てて架橋するという計画です。湾を横断させる架橋は、技術的には極めて明快な計画ですが、ひとえに鞆の浦の自然環境を破壊し、世界遺産とも言われる景観をぶち壊すものであることは自明の理です。宮崎駿監督は、この架橋計画は、鞆の浦が選択すべき道ではないと判断し、この地を映画「崖の上のポニョ」の舞台に選んだのです。

一部の地元住民を原告とする埋立免許差し止め訴訟は、広島地裁により却下され、広島県は、福山市が提出した埋立免許申請を適切とみなし、2008年6月、国に認可申請を行いました。鞆の浦は瀬戸内海国立公園の一部だからです。

破壊することは容易でも、再び自然環境と文化遺産をもとに戻すことは、限りなく不可能です。住民の利益を守ることは行政の責任ですが、世界遺産に値するとも言われている鞆の浦の自然環境を壊すことなくインフラを整備することが、行政が住民に示す真の責任です。北部山側にトンネルをつくるという代替案もありますが、地元住民の利便性がどれほど向上するかは疑問です。山側に、トンネルではなく、住民利益に資する道路を建設するか、地下道路を建設する方法を探るしかありません。たとえそれがどんなに困難であったとしても、長い眼で見たとき、自然環境との共生こそが地域住民にとって良い選択であることを、行政は住民に説かなければならないのです。

類を見ない鞆の浦の自然環境を守る方法を住民に示すことが、福山市が果たすべき唯一無二の役割です。地元住民は、鞆の浦の歴史と文化に誇りを持ち、行政は、真の住民利益とは何かを示し、はかなくも雄大な鞆の浦の自然遺産を、福山市民自らの手で守り抜かなければならないのです。環境問題における社会正義が、いま問われているのです。そのことを宮崎駿監督は、「崖の上のポニョ」を通して、広く国民に訴えているのだと、私は思います。映画「崖の上のポニョ」は、ポニョと少年との純粋愛と同時に、海と生命、そしてそこに広がる愛と責任を強く訴えています。遠く武蔵野の地で暮らす宮崎駿監督だからこそ、見えることかもしれません。福山が故郷である私も、宮崎駿監督と同じ気持ちです。現代日本人の叡知を、発揮するときです。この問題は、いよいよ国マターとなりました。私も、環境省にはたらきかけていきたいと思います。
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