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ひらがな5文字の「はたともこ」ブログ
少子化なのに過酷な産婦人科医!? 4月25日
4月24日開催された「医療体制に関する拡大検討委員会」の報告によると、全国の大学病院及び関連病院における常勤産婦人科医の数は、この2年余りで8.0%減少し、出産を取り扱う関連病院は、1,009施設から914施設と、9.4%も減少したそうだ。全体的な医師の数は、年々増加しているのに、何故、産婦人科や小児科の医師だけが不足する事態に陥るのか。当初言われていた「少子化」は、遠因ではあっても大きな要因ではない。当直や深夜の緊急呼び出しが多く、勤務環境が過酷で、医療訴訟を抱える割合も高いことが、産婦人科を目指す若い医師が激減する理由だ。
20年前の1986年に比較すると、2004年、医師の総数は2倍以上に増加している。中でも、内科医の数が圧倒的に多く、全体の28.7%を占め、第2位の外科9.1%に大きく水をあけている。その他の主な診療科の割合は、整形外科7.3%・小児科5.7%・眼科4.9%・精神科4.7%・産婦人科4.0%・耳鼻咽喉科3.5%・皮膚科3.0%。この2年間で大学病院とその関連病院の産婦人科医が8%減少したことを加味すると、現在の産婦人科医の医師総数に占める割合は、全体の3%以下ということになる。患者が増加傾向にある心療内科・アレルギー科・リウマチ科、あるいは利益率の高い美容外科などは、2002年から2004年までの増加率が極めて高いが、もともとの絶対数が少ないので、内科の隆盛の到底足もとにも及ばない。
少子化が加速度的に進行する一方で、何故、産婦人科医が突如として不足してきたのか。一つ興味深いデータがある。約30年前の1975年のデータと2004年のデータとを比較すると、産婦人科医の数は、11,963名(1975年)と10,163名(2004年)で、あまり変わらないのだ。1975年の出生数は約190万人、2004年の出生数は111万人。単純に計算すると、30年前の1975年当時のほうが、一人の産婦人科医がとりあげる赤ちゃんの数は、圧倒的に多い計算になるのだ。医療の地域間格差が拡がり、産婦人科医の偏在が顕著になってきているということだ。市内に一人も産婦人科医が居ない沖縄県名護市で今年1月行われた市長選挙では、応援にかけつけた小池百合子環境大臣が、「私が、防衛医大から産婦人科医を引っ張ってきます!」と演説したことが、与党候補の勝利に大きく貢献したと言われている。防衛医大の医官が1人ずつ1年交代で、4年間派遣されることが決まった。
ところで、産婦人科医でなければ赤ちゃんを取り上げられないわけではない。日本には伝統的なお産の形態として助産師による出産がある。ほぼ安全に出産できそうな妊婦に対しては、歴史をひも解けば室町時代からその名が残る「助産師」の活用を忘れてはならない。1992年の22,690人から2004年の25,257人まで、助産師の数はほぼ増加傾向にあるが、圧倒的に病院・診療所で産婦人科医の介助をする助産師が多く、肝心の助産院を開業している助産師の割合は、6.5%に留まっている。医師一人が取り上げる赤ちゃんの数からいって、助産院の数が減少したことが、産婦人科医の労働環境を悪化させているとも考えられる。医師以外に赤ちゃんを取り上げることの出来る助産師を養成していくことが、いかに重要な課題であるかがわかる。産婦人科医の不足を嘆く前に、信頼できる街角助産師の数を増やすことが先決なのだ。
診療科の偏在を解消するには、上級公務員の国家一種の試験が一つの参考となりはしないか。財務省・経産省・総務省・警察庁が、現在の若者に人気の省庁なのだそうだが、人気のない省庁にも毎年きちんと新人は配属される。省庁ごとに定員があるからだ。結果的に、人気の省庁に職員があふれることは、決してないのだ。医師の世界でも、国家試験の成績と適性試験によって、診療科に定員を設けることは、一部の診療科が医師不足に陥ることを解消する、合理的な手段になりはしないだろうか。開業医の子息の中には、親の診療科を引き継がなければならないと主張する医師も居るかもしれない。その場合には、診療科を変更するチャンスを用意すれば良いのだ。第二のチャンスでは、希望する診療科の医師として、その能力が問われることは勿論だ。
「医療体制に関する拡大検討委員会」にあたり、調査結果をまとめた日本産婦人科学会の検討委員会委員長である吉川裕之筑波大教授は、「産婦人科は当直が多く勤務時間も長いのに、待遇は他科と変わらない。臨床研修制度で大変さを見て、志願者が減っている。根本的な改革が必要だ。」との見解を述べた。それはつまり、比較的余裕のある他の診療科の診療報酬が、優遇されすぎていることの裏返しだ。例えば、人気の内科開業医が急増することは、国民にとってデメリットもある。一定の地域内での患者の争奪戦は、本当は治療の対象ではない人を、あえて「患者」にしてしまい、食事や生活習慣で軌道修正できるものを無理矢理薬漬けにしてしまうきらいがあるからだ。
少なくとも、研修医から数年間は、診療科ごとに定員を設けて、医師が極端に偏在しないような国家一種並みの環境づくりが必要ではないかと思うのだが、社会主義国家ではないのでなかなか難しいか。ただ、どの診療科に進むかが本人の自由である限り、多くの人は「楽して儲かる」ほうを選択する。街角助産師の充実強化と合わせて、診療科の割り振りが出来れば、産婦人科医の不足は解消できるのだ。弁護士の子息が、必ず弁護士になれるわけではない。内科開業医の子息が必ず内科医になれる保証を、国が与えてはならないのだ。近年の産婦人科医不足の問題は、「楽して儲かる」診療科への医師の流れを放置してきた厚労省にも、重大な責任があるのではないか。
20年前の1986年に比較すると、2004年、医師の総数は2倍以上に増加している。中でも、内科医の数が圧倒的に多く、全体の28.7%を占め、第2位の外科9.1%に大きく水をあけている。その他の主な診療科の割合は、整形外科7.3%・小児科5.7%・眼科4.9%・精神科4.7%・産婦人科4.0%・耳鼻咽喉科3.5%・皮膚科3.0%。この2年間で大学病院とその関連病院の産婦人科医が8%減少したことを加味すると、現在の産婦人科医の医師総数に占める割合は、全体の3%以下ということになる。患者が増加傾向にある心療内科・アレルギー科・リウマチ科、あるいは利益率の高い美容外科などは、2002年から2004年までの増加率が極めて高いが、もともとの絶対数が少ないので、内科の隆盛の到底足もとにも及ばない。
少子化が加速度的に進行する一方で、何故、産婦人科医が突如として不足してきたのか。一つ興味深いデータがある。約30年前の1975年のデータと2004年のデータとを比較すると、産婦人科医の数は、11,963名(1975年)と10,163名(2004年)で、あまり変わらないのだ。1975年の出生数は約190万人、2004年の出生数は111万人。単純に計算すると、30年前の1975年当時のほうが、一人の産婦人科医がとりあげる赤ちゃんの数は、圧倒的に多い計算になるのだ。医療の地域間格差が拡がり、産婦人科医の偏在が顕著になってきているということだ。市内に一人も産婦人科医が居ない沖縄県名護市で今年1月行われた市長選挙では、応援にかけつけた小池百合子環境大臣が、「私が、防衛医大から産婦人科医を引っ張ってきます!」と演説したことが、与党候補の勝利に大きく貢献したと言われている。防衛医大の医官が1人ずつ1年交代で、4年間派遣されることが決まった。
ところで、産婦人科医でなければ赤ちゃんを取り上げられないわけではない。日本には伝統的なお産の形態として助産師による出産がある。ほぼ安全に出産できそうな妊婦に対しては、歴史をひも解けば室町時代からその名が残る「助産師」の活用を忘れてはならない。1992年の22,690人から2004年の25,257人まで、助産師の数はほぼ増加傾向にあるが、圧倒的に病院・診療所で産婦人科医の介助をする助産師が多く、肝心の助産院を開業している助産師の割合は、6.5%に留まっている。医師一人が取り上げる赤ちゃんの数からいって、助産院の数が減少したことが、産婦人科医の労働環境を悪化させているとも考えられる。医師以外に赤ちゃんを取り上げることの出来る助産師を養成していくことが、いかに重要な課題であるかがわかる。産婦人科医の不足を嘆く前に、信頼できる街角助産師の数を増やすことが先決なのだ。
診療科の偏在を解消するには、上級公務員の国家一種の試験が一つの参考となりはしないか。財務省・経産省・総務省・警察庁が、現在の若者に人気の省庁なのだそうだが、人気のない省庁にも毎年きちんと新人は配属される。省庁ごとに定員があるからだ。結果的に、人気の省庁に職員があふれることは、決してないのだ。医師の世界でも、国家試験の成績と適性試験によって、診療科に定員を設けることは、一部の診療科が医師不足に陥ることを解消する、合理的な手段になりはしないだろうか。開業医の子息の中には、親の診療科を引き継がなければならないと主張する医師も居るかもしれない。その場合には、診療科を変更するチャンスを用意すれば良いのだ。第二のチャンスでは、希望する診療科の医師として、その能力が問われることは勿論だ。
「医療体制に関する拡大検討委員会」にあたり、調査結果をまとめた日本産婦人科学会の検討委員会委員長である吉川裕之筑波大教授は、「産婦人科は当直が多く勤務時間も長いのに、待遇は他科と変わらない。臨床研修制度で大変さを見て、志願者が減っている。根本的な改革が必要だ。」との見解を述べた。それはつまり、比較的余裕のある他の診療科の診療報酬が、優遇されすぎていることの裏返しだ。例えば、人気の内科開業医が急増することは、国民にとってデメリットもある。一定の地域内での患者の争奪戦は、本当は治療の対象ではない人を、あえて「患者」にしてしまい、食事や生活習慣で軌道修正できるものを無理矢理薬漬けにしてしまうきらいがあるからだ。
少なくとも、研修医から数年間は、診療科ごとに定員を設けて、医師が極端に偏在しないような国家一種並みの環境づくりが必要ではないかと思うのだが、社会主義国家ではないのでなかなか難しいか。ただ、どの診療科に進むかが本人の自由である限り、多くの人は「楽して儲かる」ほうを選択する。街角助産師の充実強化と合わせて、診療科の割り振りが出来れば、産婦人科医の不足は解消できるのだ。弁護士の子息が、必ず弁護士になれるわけではない。内科開業医の子息が必ず内科医になれる保証を、国が与えてはならないのだ。近年の産婦人科医不足の問題は、「楽して儲かる」診療科への医師の流れを放置してきた厚労省にも、重大な責任があるのではないか。
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