雲の気まぐれブログに来られる方には、スピリチュアリズムに興味を持っている方がかなり
いらっしゃると思うので、注意しておくべき重要事項を書いておきましょう。
日本会議はスピリチュアリズムのバックの巨大組織だという事を認識しておかねばなりません。
「なんとか教」という宗教でもなんでもない危険なカルトの大集合体でもあると同時に、
明治に逆行するように見えながら、実質は違うという非常に解りにくい、
日本を名乗りつつ、その実日本ではなく在日の、訳の解らない危険な組織です。
聖地とパワースポットを巧みに結びつけ、宗教と占いや魔術などをごちゃごちゃに混ぜて、
ただでさえ解りにくいものが、更に解りにくくしてあります。
首相夫婦がスピリチュアリズムに嵌っているのも、この観点から見れば、政府が日本会議の
支配下にある現状では、当然と言えば当然という事になる訳です。
政府はスピリチュアリストを政治的に利用してきたし、
今の政権が続く限り、この傾向が強まる傾向にある事を、肝に命じておいてください。
60年代からアメリカで起きたスピリチュアリズムが日本に入り、日本化する中で、
日本の神々をうまく取り込んできていることを、きちんと認識しておきましょう。
宗教界に紛れている、いかがわしさ怪しさも、この動きに連動しているように見えます。
興味を持っている方は、特に気をつけてください。
明治の国家神道は一神教に似ていますが、注意すべきは、日本は本来多神教だという基本です。
以下は2016年の記事ですが、ご参考まで。
以下一部転載
http://www.mag2.com/p/money/12814
「天皇制国家」と日本会議~現代日本人を虜にする国家神道的メンタリティ=高島康司
スピリチュアリズムを利用するであろう安倍政権と日本会議
そしていま、このような日本版スピリチュアリズムがつながる先は、「ハイアーセルフ」や「高次元存在」のような普遍的な存在ではなく、日本の神々へと急速にシフトしている。
このシフトにともなって、日本を神国「ヤマト」として崇め奉り、その国の一員としての国民を神の子孫である天皇の「赤子」とする心的傾向がかなり強くなっている。
日本人は神の「赤子」なのだから、世界のどの民族からも隔絶した特殊な存在であるというわけだ。これが孤立し生き方に迷う人々のプライドの根拠となる。
さて、現在の安倍政権とその背後にいる「日本会議」は、憲法改正を急いでいる。それは戦争放棄をうたった9条の改正に限定されるものではない。個人の存在を国家に優先させた主権在民の現行憲法を、神聖な天皇制国家に国民を臣民として組み込む自民党憲法草案の方向での全面的な改憲を最終目標にしている。
しかし、先に書いたように、現代日本の市民社会は、国民を越えた国家の神聖性などという概念を受け入れる素地はほとんどない。いまだにこの概念は戦前の過去の遺物として見られている。
だがいま、古代の日本の神々とつながり啓示を得る方法がスピリチュアリズムの主流になりつつあるとき、天皇制国家の神聖性は自明のものになる。
その神聖性は、記紀神話を感じることを通して、直接的に体験できるものになりつつある。
おそらく憲法改正を急ぐ安倍政権と「日本会議」は、現代の日本のこうしたスピリチュアリズムを全面的に利用し、政権基盤の一部として取り込むことだろう。
これは宗教の取り込みではない
しかし、間違ってはならないのはこれは「宗教の取り込み」ではないということだ。
「日本会議」には多くの宗教団体が結集しているので、右翼系の宗教団体の取り込みはすでに行われている。
スピリチュアリズムはいわゆる宗教団体ではない。
神秘体験を信奉する膨大な数の人々が、組織されずに存在しているのである。
その数は宗教団体を圧倒するはずだ。
いまからはじまるスピリチュアリズムの政治的な取り込みは、
こうした層を対象にすることで、
天皇制国家の神聖性を自明のこととして実感する人々を増やし、
憲法改正の追い風にしてゆく可能性が大きい。
いらっしゃると思うので、注意しておくべき重要事項を書いておきましょう。
日本会議はスピリチュアリズムのバックの巨大組織だという事を認識しておかねばなりません。
「なんとか教」という宗教でもなんでもない危険なカルトの大集合体でもあると同時に、
明治に逆行するように見えながら、実質は違うという非常に解りにくい、
日本を名乗りつつ、その実日本ではなく在日の、訳の解らない危険な組織です。
聖地とパワースポットを巧みに結びつけ、宗教と占いや魔術などをごちゃごちゃに混ぜて、
ただでさえ解りにくいものが、更に解りにくくしてあります。
首相夫婦がスピリチュアリズムに嵌っているのも、この観点から見れば、政府が日本会議の
支配下にある現状では、当然と言えば当然という事になる訳です。
政府はスピリチュアリストを政治的に利用してきたし、
今の政権が続く限り、この傾向が強まる傾向にある事を、肝に命じておいてください。
60年代からアメリカで起きたスピリチュアリズムが日本に入り、日本化する中で、
日本の神々をうまく取り込んできていることを、きちんと認識しておきましょう。
宗教界に紛れている、いかがわしさ怪しさも、この動きに連動しているように見えます。
興味を持っている方は、特に気をつけてください。
明治の国家神道は一神教に似ていますが、注意すべきは、日本は本来多神教だという基本です。
以下は2016年の記事ですが、ご参考まで。
以下一部転載
http://www.mag2.com/p/money/12814
「天皇制国家」と日本会議~現代日本人を虜にする国家神道的メンタリティ=高島康司
スピリチュアリズムを利用するであろう安倍政権と日本会議
そしていま、このような日本版スピリチュアリズムがつながる先は、「ハイアーセルフ」や「高次元存在」のような普遍的な存在ではなく、日本の神々へと急速にシフトしている。
このシフトにともなって、日本を神国「ヤマト」として崇め奉り、その国の一員としての国民を神の子孫である天皇の「赤子」とする心的傾向がかなり強くなっている。
日本人は神の「赤子」なのだから、世界のどの民族からも隔絶した特殊な存在であるというわけだ。これが孤立し生き方に迷う人々のプライドの根拠となる。
さて、現在の安倍政権とその背後にいる「日本会議」は、憲法改正を急いでいる。それは戦争放棄をうたった9条の改正に限定されるものではない。個人の存在を国家に優先させた主権在民の現行憲法を、神聖な天皇制国家に国民を臣民として組み込む自民党憲法草案の方向での全面的な改憲を最終目標にしている。
しかし、先に書いたように、現代日本の市民社会は、国民を越えた国家の神聖性などという概念を受け入れる素地はほとんどない。いまだにこの概念は戦前の過去の遺物として見られている。
だがいま、古代の日本の神々とつながり啓示を得る方法がスピリチュアリズムの主流になりつつあるとき、天皇制国家の神聖性は自明のものになる。
その神聖性は、記紀神話を感じることを通して、直接的に体験できるものになりつつある。
おそらく憲法改正を急ぐ安倍政権と「日本会議」は、現代の日本のこうしたスピリチュアリズムを全面的に利用し、政権基盤の一部として取り込むことだろう。
これは宗教の取り込みではない
しかし、間違ってはならないのはこれは「宗教の取り込み」ではないということだ。
「日本会議」には多くの宗教団体が結集しているので、右翼系の宗教団体の取り込みはすでに行われている。
スピリチュアリズムはいわゆる宗教団体ではない。
神秘体験を信奉する膨大な数の人々が、組織されずに存在しているのである。
その数は宗教団体を圧倒するはずだ。
いまからはじまるスピリチュアリズムの政治的な取り込みは、
こうした層を対象にすることで、
天皇制国家の神聖性を自明のこととして実感する人々を増やし、
憲法改正の追い風にしてゆく可能性が大きい。