青空世界

ようこそ「雲のサロン」へ。
創作物語、日々の面白い出来事や、私の考えなどなど。

内村鑑三「無教会主義」

2017年03月11日 | Weblog
キリスト教に限らず、本来救いを求めて行ったはずの場所で、

      心に傷を負う人が出るならば、

それこそが罪と言わずして、何が罪でしょう・・・・・


内村鑑三の「無教会主義」は、今こそ、その眩しい真理の光を放っているように見えます。


それは、21世紀の今日、再び注目されるべき思想、哲学であり、

宗教全般へのメッセージとも取れるものではないでしょうか?



http://www.geocities.jp/ytpht168/koenkaihokoku.html
「福音の前進と無教会」講演会報告

以下一部転載させていただきます。


教文館版『内村鑑三全集』

①根本理解として

「キリスト教は制度ではない。教会ではない。それはまた信仰箇条ではない。教義ではない。神学ではない。

それはまた書物ではない。聖書ではない。キリストのことばでもない。

キリスト教は人である。生きたる人である。

きのうも、きょうも、永遠(いつまで)も変わらざる主イエス・キリストである。」

(「キリスト教は何であるか」信15巻52頁)


②「無教会主義のキリスト教」

「無教会主義とは、教会はあってはならぬということでない。

有るも可なり無きも可なりということである。

神の生命たるキリスト教が制度でありオルガニゼーション(組織体)であるべきはずがない・・・

信者は教会員ではない。

彼は神の風に吹かれて霊によりて生まれたる者である。

彼が無形たるや言うまでもない。・・・

そして形が神を圧する時に、神は生きんがために形にそむき、これと離れ、これを捨てざるを得ない。

無教会主義はかかる場合に起こる主義である。」

(「無教会主義について」信8巻36頁)


洗礼・聖餐に関しては「われらは信仰によりて救わる。

行為(おこない―儀式的)によりて救わるるにあらず。

これにあずかるはよし。あずからざるもよし。

要は、十字架につけられし神の子の贖罪を信ずるにあり。

その他のことは細事のみ。」

(「洗礼・聖餐廃止論」信14巻201頁)


③「日本的キリスト教」

「ひとりの日本人が真に独立にキリストを信じるとき、彼は日本的クリスチャンであり、

彼のキリスト教は日本的キリスト教である。・・・

日本人クリスチャンは全キリスト教を私するわけではないし、

クリスチャンになることによって新しいキリスト教をつくるわけでもない。

彼は日本人であり、かつクリスチャンである。それゆえ、彼は日本人クリスチャンである。」

(「日本的キリスト教」『内村鑑三英文論説翻訳篇下』306頁)



   無教会の集会を持っておられる方々は、今もいらっしゃるのですね(^^)









東日本大震災のレクイエム

2017年03月11日 | Weblog
「久米宏のラジオなんですけど」TBSラジオ で特集された、

東日本大震災の心霊現象の数々は、雲などは「それはそうでしょう」と納得できるものばかりで、

「人間だもの、そういうものですよね。死者は強い思いを知らせるのですよね。」と素直に信じられるので、

「ばかばかしい」と嗤う者たちの鈍感さの方が、かえって信じられないのですよ。


いきなり断ち切られた命。でも、魂は存在を知らせていたのだ。

これは作り話ではなく事実、最も個人的な体験としての事実なのだ。


今だに海の底の魂は「私はここにいるよ」と今も呼んでいる。

「とても安らかになんか眠れない」と、今も家族を呼んでいる。


だから私達は死者を悼み、残された方々に真心を尽くすしかないのだと思う。

突然震災に襲われて、いきなり命を絶ち切られて、

今は青空世界にいらっしゃる方々の無念を、けっして忘れたりしないで・・・・・・・


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170228-00043849-nhonz-life
『魂でもいいから、そばにいて 3.11後の霊体験を聞く』忘却へのジレンマが、それぞれの物語を生み出す


一部転載
数年前から被災地で、まことしやかに囁かれてきた不思議な体験の数々。多くの人にとってかけがえのないものでありながら、「誰も信じてくれないから」と胸に秘められてきたのは、大切な「亡き人との再会」ともいえる体験談であった。偶然の一言では片付けられない話ばかりが、次々と飛び出してくる。

中でも圧倒的に多いのは、亡くなった家族が夢に現れるという現象である。夢とは思えないほどリアリティに溢れ、当人と言葉を交わすようなケースも多い。その次に多いのが、「お知らせ」というものだ。亡くなった時間に、お別れの挨拶に来たという証言する人は少なくない。また、携帯電話を通しての不思議な現象も散見された。