演目について 3つの物語

2009-01-31 18:05:58 | Weblog
大牟田の日本フイルのプログラム3曲についてお話します。
「スペイン奇想曲」スペインの強烈なリズムと強い日差し、太陽の光と影、それらをリムスキー・コルサコフは音楽で表現した。風土が持つ個性と営々と続いてきた民族の歴史はこの芸術家を強く刺激したに違いない。

ドヴォルザーク「チエロ協奏曲」チエロという楽器は弦楽器の中で、人間の声にもっとも近いといわれている。喜びや悲しみなど人間の感情を表すメロデイ楽器として多くの音楽家たちによって名曲が作られてきた。その中でもとりわけ、最高傑作と位置付けられてといっても過言ではないのがドヴォルザークのこの曲だ。
深みのあるチエロの独奏が静かに始まり、管弦楽が最初は静かに、そして徐々に大きくうねるように絡み合ってゆく。ドヴォルザーク特有の印象的な美しいメロデイがチエロのソロで、管弦楽で、と随所で聴かれ、曲全体をもりあげてゆく。

スメタナ「わが祖国」より
・ヴィシェフラド
高い城という意味だがチエコ民族の聖地、ボヘミアの国王が、かって住んでいたという大きな「城」が描かれた作品。吟遊詩人が古代王国の栄枯盛衰を歌う、という内容。
・モルダウ
単独で演奏されることも多いこの作品はもっとも知られた曲。ボヘミアを源流とする小さな流れがプラハを通ってエルベ河に合流するモルダウ河の風景を描いたもの。
この曲はチエコの全、作曲家の作品の中でも飛びぬけた有名な曲で、チエコ独立のメッセージが盛り込まれており、チエコ国民の誇り高い財産といえる。
・ボヘミアの森と草原から
 森の中での「狩」や「村の婚礼」などチエコの美しい自然の風景を描いている。スメタナは死後、生まれ故郷ヴィシェフラドに埋葬されたという。

チエコ国民にとっての祝祭記念とも言うべき「プラハの春音楽祭」で演奏するチエコフイルハーモニーは自国の人しか指揮をさせないといわれてきたが、小林研一郎氏は東洋人として指揮をした初めての人である。

マエストロ小林

2009-01-30 19:18:24 | Weblog
ずいぶんと年配のご婦人から「今年は小林研一郎ですね」と声をかけられた。この年代の方たちを含め、東京でも九州でもとにかくこの指揮者のフアンは多い。
大牟田では1987年文化会館のオープニングで小林研一郎氏が初登場した。10年後の1997年、炭鉱閉山の年もこの指揮者だった。
あの日はテレビも新聞も三井の歴史、石炭の歴史、そのおおきな歴史の閉幕を、繰り返し告げ、市民はみんな暗い気持ちになったものだ。閉山のニュース発表のその日が日本フイル公演当日。そんな情況の中だったがどう言うわけかこの日、会場は満席となった。
演奏が終わり振り向いた指揮者は、今日の大牟田は空席でがらがらだと思って来た。どんなに聴衆が少なくてもいい演奏で皆さんを励まそうと楽員と話しながら来ました、と挨拶し後は涙で言葉が詰まり、絶句。
その姿に会場からはどこからということなく自然発生的に拍手がおき、大きな波となって会場全体に広がっていった。 感動だった。
おそらくこんな場面が「人間小林研一郎」氏の最大の魅力だろう。

スメタナの「わが祖国」

2009-01-29 20:19:17 | Weblog
チケット申し込みや買いに来てくださる方が毎日、続いている。
その上、友人や知り合いなどに声をかけてくださる方、勧めてくださる方などもいて有難い限りだ。

18歳でチエコに留学し、バイオリニストとしてデビューした「黒沼ゆり子」氏はその後も住み続けたチエコの内側を 本で紹介している。
ドボルザークが生きた19世紀にはチエコ民族にとって“自分の国”が存在しなかった。「オーストリア・ハンガリー帝国」の一部だったのだが独立国として存在できないという悲劇の歴史を知る。 しかしスメタナやドボルザークは「祖国愛」を政治や革命以上のもの、「音楽」で残した。この国の演奏家たちが尊敬される存在であることを目のあたりにしてより一層友情を深めてゆく。
スメタナの「わが祖国」はチエコ以外の指揮者には演奏させないといわれてきたが東洋人としてはじめて小林研一郎氏が指揮をした。
2月12日日本フイルのコンサートはこの「わが祖国」を取り上げる。
沢山の方に聴いてほしい。
  
  黒沼ゆり子 「ヴァイオリン・愛はひるまない」  海竜社

嬉しいこと

2009-01-28 16:58:17 | Weblog
日本フイル存続の件で協力をお願いしてから、℡で申し込みをされたり、友人の分を買いに来た、といってくださったり事務局があわただしくなった。

「いつも沢山チケットの申し込みをしていたが家族が減ったのでもうやめようと思っていたけれど、はがきを見たので夫婦二人分だけど申し込みます」、とか「この数年ご無沙汰していましたがはがきを見たので思い立って申し込みします」とか、 「入院予定の身なので今年は無理だが来年は必ず行きます」、など電話を下さった方々にお礼を言いたい。
お一人、お一人のお声は何よりも心強く、大変勇気づけられる。本当に有難いことだ。
「はがきの文面から切々と窮状が伝わってきて放っておけないと思いましたので大牟田にいくことにしました。たった一人ですが、」と福岡の方から電話があった。
嬉しい申し出だが 今回は福岡も同じプログラムなのでわざわざ大牟田まで来ていただくのは気の毒である。その旨を伝えて福岡をご利用ください、と提案したのだがこちらに申し込みをしてくださった。
帰りの電車の時刻を調べて報告をしながら何度も御礼を申し上げた。本当に有難い。高齢の母親が若い頃からチエロが好きで、コンサートに行ってみたいというので申し込みます、と娘さんから電話があったのだが体調がかなり悪いという。
本人はもし行けない場合でも、「チケットが横にあるというだけで幸せ」だといっていますので、ということなので送ることにした。いろいろな方がさまざまな日本フイルとのかかわりを教えてくださることもこの公演を続けていてよかったと思うことのひとつである。 どなたにも感謝の気持ちでいっぱいだ。

ベースとピアノでジャズのコンサートをされた角先生が「第二弾」をしたいと申し込み。4月の気候のいい頃を予定した後、いろいろな話をした。魅力に満ちたジャズの世界をもっと、もっと、広げたいと熱っぽく語り、いろいろなアーチストとの予定もあるそうだ。

本番まで20日

2009-01-27 18:24:42 | Weblog
1月11日に福岡で日本フイルの記者会見が行われた。九州交演の出演者を代表して指揮者の小林研一郎氏が読売新聞の夕刊に取り上げられていた。在京オーケストラで九州ツアーを続けているのは唯一、日本フイルだけであること。そのうち小林氏は今年、10回目であること。ブタペストの国際指揮者コンクールで優勝、ハンガリー国立交響楽団の常任指揮者、チエコ・フイルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を努めるなど東欧とのゆかりが深く、2002年のプラハの春音楽祭オープニングではチエコ・フイルとスメタナの「わが祖国」を演奏して絶賛されたこと。「チエコ・フイルとは100回近いコンサートを行い、単に美しいだけでは片ずけられないモルダウ川に対する民族の思いを知り共感することが出来た」などのほか、九州交響楽団の主席客演指揮者も努め、「日本フイルも九饗もともに熱く燃え上がる」という点で共通点があることなどを語っていた。

大牟田日本フイルの会事務局会議
オーケストラの本番まで20日足らず。 大牟田・荒尾市内の協力店のチエック。当日の役割、担当を決める。  前日買い物。当日のチラシ挟み込み作業の開始時間、人数、のチエック。チラシ挟み込み作業は全員。役割  ・楽屋 ・当日券売り場 ・アナウンス ・名札 ・花束 ・ゲネプロ会場案内 ・ロビーコンサート  ・チケットもぎり ・ごみ持ち帰り・終演後の交流会会場への送迎 ・会場受付  ・司会進行  ・会計などを決める。 万一のためサブまで決める。
日本フイル九州公演には「特別会員制度」というのがある。一種のスポンサー制度のことだ。 オーケストラが遠隔地のため膨大な経費がかかる。 チケット料金を抑え、本公演を成功させるための諸経費に使われるがその中のひとつが各地で行われている訪問演奏、ミニコンサートである。一流の演奏家たちのコンサートを身近で楽しめるため各地で大変好評だ。この特別会員の方々によって九州各地でコンサートを楽しむことが出来るわけだが、昨今の世界的な経済不況はこのシステムにさえ影響を与えかねない。チケット販売の苦戦と同時にこのことを大変、心配していたのだが今年、大川、久留米を含め、大牟田が担当している地域と大牟田市内の特別会員は全員が継続支援してくださることになった。 大変有難く、深く感謝するのみだ。他の地域の事務局はどんな情況だろうか。

感謝

2009-01-26 16:53:53 | Weblog
今日もチケットの申し込みの電話を頂く。
“存続危機の手紙”がきたので行きたいのだが仕事の都合上、いけません。福岡にいきますがすみません、とわざわざ電話を下さった方がいた。なかにはチケットを協力したいが昼の公演でないと、と申し訳けなさそうにいって下さるかたもいる。どちらも男性だったがすまなさそうな感じが電話口から伝わってくる。今日は久留米、八女、福岡と市外からのチケットの注文があった。これには何かわけでもあるのだろうか。もうひとつ気付いたことがある。℡の申し込みに初めて、という方が多いことだ。”存続危機の手紙“を見た人は先日の「おくりびと」上映会と日本フイル会員の皆さんだけのはずなのだが。どこかで見てくださった方々なのだろう。

この一件で思い出したことがある。 随分前だが北海道の札幌交響楽団のニュースだ。 自治体が不採算部門のオーケストラを処分しようとした時、市民運動が起きたのだ。オーケストラの 経営危機に企業や商店、はもちろん個人の集まりがいっせいに応援をしたというのだが、なかでも今までオーケストラに縁のなかった人たちの活動は目覚しかったという。コンサートに足を運んだこともない人たちがビラ配りをしたり、声をかけたり、しっかりと下支えをしたのだが、その信念の源流になるものは「オーケストラは信頼の高い価値あるものである。」 「音楽は生きる、という根源の意識を高めていく文化である」。いう認識にあるという。 札幌市民の「価値あるもの」という共通の認識に立ちそこに住む市民がみんなで応援をした、というそのことに深く感動したことだった。

札幌交響楽団の経営危機を支えた市民の皆さんの活動ぶりはこの数日間の日本フイルの”存続危機“を危惧してくれる大牟田のみなさんとだぶってくる。かなりの数の高齢者からは「夜の公演」ということで敬遠されてしまったが東京日本フイルでは来年の九州公演の大牟田を2月27日(土曜日)と決めたようだ。 ただこの日、大ホールの申し込みが他にもあればくじ引きになる。くじ運が悪くてもし負けたら、また、平日になる可能性がある。 今年のように。

コンサートチケットの思い出

2009-01-25 12:15:13 | Weblog
以前から学校関係、先生や学生さんたちにもっとオーケストラを聴いてほしいと思っていたので今年になってまず、有明高専を訪問した。
吹奏学部の生徒さんには日本フイルのゲネプロも聞いてほしいと思う。高専恒例の定期演奏会は1月17日に行われる。ご父兄も沢山お見えになると言うことなのでその日に日本フイルのチラシを入れさせていただくことにした。
近々、帝京大学にもと予定しているがこの学校の名前を聞くと思い出す方がいる。 もう何年も前の話しだが。 デパートに買い物にこられた帰りに買い物袋をぶらさげたままよくコーヒーを飲みにくる方がいた。いつも一人、ゆっくりとコーヒーを飲み、新聞を広げ、静かにひとときを過ごすことを習慣にされていた。ご挨拶だけでお話をすることもなかったが 多分、大牟田の方ではないのだろう。誰とも話をされるのを見たことがなかった。 
ずいぶん時が経って、時たまケーキを作る私の作業を珍らしげに見たり、時には作り方を聞いたり、世間話をされるようにもなったがある年、日本フイルのチケットを買って下さった。 その時初めて、娘さんが音楽を仕事にしていること、今、ドイツにすんでいること、今年は新年をドイツにいる娘さんのところで過ごしてくる話などを聞いた。 そして新年を迎え、何気なく新聞を広げてびっくりした。
大牟田の帝京大学の学長がドイツで交通事故死とあり、顔写真がのっていた。あのお客様だった。信じられなかった。誰かに聞いてみることも、確認することも控えてそのまま2月になり、日本フイルのコンサート当日をむかえた。
いつものように買い物袋をぶら下げて、受付に来られるような気がしてそれとなく周囲を見回しお顔をさがしたが矢張り見えなかった。 
あわただしかったコンサートも過ぎ、落ち着いた頃、アンケートの整理をしていて思わず手が止まってしまった。 「先月、父親を外国で亡くしました。部屋の整理をしていると日本フイルのチケットが出て来ましたので今日、聴きに来ました。
父も多分、天国で一緒に聞いてくれただろうと思います。有難うございました。」とあった。氏名、のところを急ぎ、見たが署名はなかった。
学校に電話をして見たいという思いに駆られたが、止めた。聞いてみたいことがあったような気がするのだが、何だったのかどうしても思い出せないからだ。
ドイツで正月を一緒に過ごした娘さんのことだったのか、娘さんと音楽のことだったのか。
秋、日本フイルの準備を始める頃になるとあの時のことを思い出す。

聞こえてきたコーラス

2009-01-24 17:32:55 | Weblog
昨秋のおしゃべり・クラシックコンサートのこと。
開始直前、下のアーケドウから合唱曲が聞こえてきた。数日前、居住区域の中学校でコーラス部を指導している先生から提案があった。日曜日のコンサートのこの日、店の内側と外側とでコンサートしませんかと。コンサートに来られる方々にまず、聞いてほしいと思ったのだろう。
あまりに淋しくなった商店街に元気を出してほしいからという申し出に、すぐさまありがとうと返答した。先生と生徒は自分たちで出来ることが何か分からないがまず歌ってみよう、と話し合ったといい、それで歌ってくれているのだ。その気持ちが嬉しい。
やわらかく澄んだ歌声は店内にも入ってくるように窓を開いた。コーラスの終了後、引き続き中でコンサートが始まる。当日はピアノ、フルート、フアゴットのトリオコンサート。
特にファゴットは見る機会もあまりないし聞くことはもっと少ない。
ピアソラのリベルタンゴやモンテイのチャルダッシュなどファゴット独特の低音はなかなか魅力的だ。アンケートにもこの声が多かった。

フルートとファゴットのお二人は熊本の演奏家だが、熊本にはこんな形の身近でアットホームなコンサートはまずないという。場所が無いというのではなく「暖かく受け入れる」という人間的な温かみを感じないところだというのだ。
むしろ変な奴とばかりに冷たい視線が帰ってくるといい、大牟田のお客様は暖かい雰囲気をもっていますね、といわれたがこの表現は他の音楽家からも聞いたことがある。オーケストラのときの大ホールでも言われたことがあるので、これは人口の多い地域と違って大牟田特有の市民性ではないだろうか。
ご近所に買い物に行ったら声をかけられた。
「昨日、商店街から聞こえてきたコーラスに癒されましたよ」と。普段、この周囲でコーラスを聴くことなど先ずないのでとても新鮮だったようだ。
どこから聞こえるのだろうとアーケドウまで見に来たら、学生さんたちだった、とびっくりしたそうだ。
とてもよかった、と繰り返し言ってくれたのは嬉しかった。ここには事前に許可を申し出ていたが場所によってはゲリラ戦術でいきなり集まって歌いだすこともあるという。この話は面白いと思った。そんなとき、通行人の反応はどんな感じなのだろう。どんな表情をするのだろうか。この場所では自転車から降りて聞いた人、犬の散歩の途中、足を止めて
聞いた人、そのままとうり過ぎた人などだったが。このさりげなさがいい。
フランスだったか、ドイツだったか地下鉄の駅のホームで練習を兼ねたコンサートを
する人たちを紹介しているテレビ番組をみたことがある。雨、風がしのげて音響のいい駅のホームをステージに見立てて経験を積むには格好の場所だ。
音楽を勉強している学生はもちろん、演奏を楽しみたいあるいは聞いてほしいと思う人がそれぞれ好きなときに来て、好きな場所で楽器を取り出し演奏を始める。
バイオリンあり、フルートあり、アンサンブルをしているグループもあり一本のホームに幾人もの音楽家がいるのには驚いた。
列車の客はほとんどが気にする風もなく通りすぎるが、ときには取り囲んだり、拍手がおきたりしている。常連もいるのかもしれない。ホームのどこにいても音楽がきこえてくるというこの地下鉄は風物になっているらしい。

ドヴォルザークのチエロ協奏曲

2009-01-23 20:26:13 | Weblog
今年の日フィルの演目でドヴォルザークのチエロ協奏曲は、「とても楽しみにしています」「長くまっていましたよ」と声をかけてくださる方がいる。チエロという地味目の楽器ながら名曲の地位を支える根強いフアンの存在を再認識。 モルダウもドヴォルザークと共に大変、人気のある曲だ。テレビドラマの主題曲にも使われていると教えてくれた方もいた。
二人ともチエコの作曲家だが共通しているのはそのあまりにも美しいメロデイだろう。日本人にはことのほかフアンが多い。九州公演の他の地域では、「ボレロ」や「新世界」を演奏するところもあるのだが「チエロ協奏曲」も、「モルダウ」も大牟田の方たちに是非、紹介したい、聴いてほしいと長年思い続けながらチャンスがなく回ってこなかった曲だ。
この曲をよく知っている方はもちろん、はじめて今度聴く方にも喜んでいただけたらこんな嬉しいことはない。

薔薇の名まえ

2009-01-22 20:28:48 | Weblog
お客様の中に趣味でバラ園を栽培している方がいる。いろいろな種類のバラを届けてくださるのでお店の中で居ながらにしてその素晴らしさを充分、堪能している。
バラのとげが養分や空気を吸うためにあることも知った。人の手に痛くないようにとげをそいで、販売している花屋さんはバラにとって酷なことをしているわけだ。
濃い赤のばらにマリア・カラスというのがあってびっくりした。ビゼーの名曲、
カルメンのイメージだろうか。白のバラで千羽鶴と言うのや黄色の秋月。
オレンジとピンクの中間色が蜜集して咲く珊瑚礁。日本風な名前も素敵だ。
イエローシンプルテイというばらは萩色の濃い一重。一番好きな色だ。
ピンクのか細い一重のバラはマチルダ、人の名前のようだ。
一本からいくつも花をつけた小さい白バラはスノー・クリエイト、
高さはあまりないが次々とつぼみがひらいてゆき、なかなか日もちがする。
黒バラ・黒真珠というのもある。日中はやや薄めだが冷え込みが強いと黒色が増すという。
そういえば北海道に咲いている”黒ゆり“を写真で見たことがある。
寒さが厳しい環境のせいか、どの写真を見ても黒い色をしている。実際はどちらも
濃い紫色だが花の色素にはない黒の名をつけたくなるようなイメージがあるのだろう。
それにしてもバラの名前はどうやってつけるのだろう。コーヒーは栽培している国、地方名、出荷する港の名前がつけられているが。バラ園の持ち主は約400種類ほどあるバラの名前を全部知っているそうだ。沢山の水をほしがるもの、そうでないもの。強い日差しにも強いもの、弱いもの。害虫に弱いもの、さほどでもないもの。同じバラでも特徴は一様ではないため、管理がむつかしく将来は10種類ほどにまとめたいという。当人でないと分からない問題や悩みが沢山ありそうだ。
いろいろとお話を聞いていると楽しませていただくばかりで申し訳ない気がしてきた。美しいバラの創造神とバラ園の持ち主に深く感謝。