虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

藩命か愛か 「小川の辺」をネタに

2011-07-14 | 映画・テレビ
今、公開中の映画「小川の辺」はまだ見ていない。例によってビデオ屋さんでDVDが出たら見るつもりだ。
愚作「十七人の刺客」よりは、ましだと思う。

以前、新聞に映画「小川の辺」の広告が出ていた。映画の広告はよく見る。
映画の広告に「藩命か、愛か」とあった。藩命による上意討ちの相手は、自分の親友。しかも、その妻は自分の妹。親友は、百姓のことを考えて主君に藩政改革を訴えて脱藩したという。

「藩命か、愛か」と問われたら、当然、即、愛をとるだろう。
親友の方に義がある。藩命はただ藩命というだけで、なんの正義もない。

最後はどうなるのだ?親友を斬るのか?どんな結末なんだ?
原作は読んでないので、気になって「小川の辺」を読んでみた(新潮文庫{闇の穴」所収)。

原作は、親友のことはあまり書いていない。親友との決闘場面も省略していた。原作は、兄妹の関係と妹と奉公人の関係に焦点をあてて書いていて、「藩命か愛か」のテーマではないように感じた。


人物としては、藩政改革の上書を出し、謹慎させられ、上意討ちの危険が迫ってくると、脱藩した親友の方が断然、魅力的なはずだ。

主人公は、藩命に従わないと家族にも迷惑がかかると、やむをえず藩命にしたがうという、どちらかといえば、運命に耐え、組織に生きる男で、過激なところや、突拍子もないことをしでかす男ではない。藤沢周平はけっこう、こうした平凡で穏当な武士を描くことが多い。わたしは、脱藩した親友のような生き方を描いたような作品ももっと書いてほしかったのだが、長編では、雲井達雄を描いた「雲奔る」とご存じ清河八郎を描いた「回天の門」二作くらいしか知らない。

藤沢周平の短編は短編として別に問題はない。
ここからは、藤沢周平からはなれ、こっちの勝手で話をすすめる。

親友の上意討ちを命じられた主人公、藩命に従うしかなかったのだろうか?
あなたならどうする?と考えた。

方法はいくらでもある。
親友が脱藩や上意討ちになる前に藩内でそれをなんとか止める行動をする方法もあった。上意討ちを命じられても、仮病を使う、という手もある。剣が使えないという故障をいいたててもいい。いや、断る、という手もある。断って、親友と妹夫婦をひそかに逃亡させる手もある。藩命に従わなかったらお咎めをくらうかもしれないが、まずは、断ってみるべきだ。どうしても断れなかったら、藩命に従い、親友を討つ旅に出るが、けっきょく逃げられてしまって行方不明でーす、という帰朝報告をする(笑)。

江戸時代の封建時代は、そういう環境、時代ではなかったのだ、という人もいるが、いや、江戸時代に藩命に従わずに浪人になったり、脱藩した武士はけっこういる。江戸時代の大坂の町などは、そうした武士がまぎれこんで町人になった人も少なくない。

幕末になると、続々と藩命に従わない武士が出た。坂本竜馬しかり。藩命おそれずにたらず、だ。


映画の内容はどんなのかわからないけど、「凜とした日本人」という感想が広告にあったが、もし、藩命にしたがって、親友を斬る運命に黙々と従った男を「凜としている」というなら、少しちがうだろう。

「藩命」という言葉から、つい「国家の命」、「会社の命」、「社長命令」なんて言葉が頭に浮かんだので、つい、ながながと無駄話してしまったよ(笑)。

「藩命か、愛か」。愛に決まってる。

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