虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

声の欄にロマン・ロラン

2012-01-29 | 新聞・テレビから
朝日では、社説と声の欄が同じ紙面にある。声の欄は、考え方は違っても、その主張は短い文面ながら、わかりやすく伝わってくる。対して、社説、今日は、春闘についてだが、今日にかぎらず、いつの日も、何を言っているかわからない文面で、人に伝えるという文章の基本の姿でも、「声」に負けている。

さて、今日の声の欄に「今こそ読もうロランの小説」という投稿があった。
「年末から年始にかけて通読し、その素晴らしさの余韻にまだ浸っている。この傑作(ジャン・クリシトフ)が、より多くの人に読まれることを願う」という文面だ。58歳とある。なんと若々しいことか。

「ジャン・クリッストフ」は、よく若い頃なら読めるけど、あんな理想主義的な小説は、年取って経験を積むと、読めない、という人もいるようだ。

いや、ロマン・ロランだけでなく、ヘルマン・ヘッセや「チボー家の人々」なども、「昔、若い頃は感動した。あのころは若かった。でも、卒業した」という人もいる。特に文学通の人たちだろうか。今は、もっと難しいのを読んでいる。あんなものは、感傷的で、甘く、人生を知らぬ若い者だけが読める本だとでもいうのだろうか。こういう人たちとは友達にはなれない。

58歳になっても、「ジャン・クリストフ」に感動できる。年齢は関係ないだろう。読書の達人アランは晩年になって、「ジャン・クリストフ」を再読したが、感動は変わらなかった、といっていた。

それにしても、この時代に「ロマン・ロランを!」とは新鮮な驚きだった。こういう人も健在なのだ、とうれしくなった。

若い人は読んでくれるだろうか?なにしろ本屋さんに行ってもロマン・ロランの本を見つけるのも容易ではないのだから。これは、驚くべきことなのに。

言論、思想、出版の禁止なんて条例はどこにもないにもかかわらず、この国は自由な言論・思想・出版が消え、人々の精神の家畜化政策は大成功をおさめたのかもしれない。



映画「戦争と平和」

2012-01-28 | 映画・テレビ
地デジのテレビを買わされたけど、ほとんどテレビ見ていない。
画面は大きくきれいになったかもしれないが、どこ局まわしても、クイズかお笑いバラエティなど低予算手抜きの、国民を馬鹿にした番組ばかり。チャンネルふえったって、少しもいいことないぞ。

でも、今度、NHKBSでソ連版の「戦争と平和」をやるそうだ(30日だったか?)。
これは、録画しておく。

昔、高校生のころ、はじめて見た。「戦争と平和」がどういう話かも知らず、トルストイも読んだことがなかったので、ソ連の国家事業として作ったどうせ堅苦しい映画にちがいないと思っていた。ところが、意外におもしろかった。「戦争と平和」って、こんなに瑞々しい作品だったのか、と感じた覚えがある。青春映画ではないか、と。数年後、後編を見たけど、後編は戦争場面ばかりで、がっかりした。

アメリカ映画の「戦争と平和」よりは、原作の雰囲気が少し出ていて、よい。

ビデオも出てなく、DVDは高いし、なかなか見ることができなかった。
今度、何十年ぶりで見ることができるのがうれしい。しかし、今度はもう瑞々しさを感じることはできず、がっかりするだろうか。なんといっても、高校生の頃は何を見ても瑞々しく感じるのかもしれないから。



三菱電機 過大請求

2012-01-28 | 新聞・テレビから
防衛省から兵器などを受注している三菱電機は、防衛省に対して長期間にわたり、過大請求をしていた、との記事。内部告発で明らかになり、30日から特別調査をする、という。

国民の税金から過大請求していたわけだ。おそらく、三菱電機にも防衛省からの天下りがたくさんいるにちがいない。武器輸出解禁をせまり憲法の精神を無視してきたのも、おそらくこの企業だろう。

夕刊には、環境NGO「グリーンピース」が「地球に害を与え、人権を侵害した」企業を投票で選んだところ、日本の東電が世界第二位で総数8万8千票のうち2万4千票を集めた、とある。1位は、ブラジルの資源メジャーだが、1位との差はたった千票。世界の人が東電は無責任企業と見ている。

だが、国内ではどうか。大企業への批判の声は弱い。
東電の電気料金値上げにも、東電への税金投入にもあまり異議は耳に聞こえてこない。

幼稚園からの受験教育。一流大学へ、一流企業へ、という生き方、世の親よ、もういいかげんやめてはどうか。いいか、まちがえても大企業では働くな。いくら金と安全がほしいからといって、そこまで落ちぶれてくれるな、というべきではないか。

三菱電機や東電をはじめ、大企業の幹部はおそらく政府などの教育の審議会のメンバーになっているにちがいない。まさに世も末だね、まったく。

デイサービス

2012-01-27 | 日記
90歳の伯母、今週からデイサービスにいくことにした。
朝、迎えに来てくれ、夕方、送ってくれる。

なにしろ、田舎のがらっぱちの性分なので、お上品でおとなしいおばあさん方とうまくやっていけるだろうか心配だったが、帰って話を聞く限り、けっこう楽しそうだ。

今まで、家で留守番をしていたが、一人ぼんやりしていては、ぼけがすすむばかり。お医者さんからもデイサービスをすすめられていた。

ぼけてはいるのだが、明るいキャラクターの持ち主。

以前、トイレの使い方を注意したところ(なにしろ、田舎のぼっとん便所しか知らなかった)、「もういい、わたしゃ、外でケツまくってやるけん!」と言う人なのだ(笑)。

介護施設の人がそばに近寄ってきたので、「おっさん、なにすんねん、というてやった」とか。

お風呂。「他の人の裸、じっくり見てやったけど、見られたもんじゃないわ」。

今日は、男の人がお風呂で背中を流してくれたそうで、ちょっと興奮ぎみ。うれしかったようだ。

毎朝、洗顔したあと、化粧水をつけることだけは忘れない。90歳になっても、女性なんだ(当たり前か)。


マルクス・エンゲルス選集

2012-01-19 | 読書
古本の新潮社版マルクス・エンゲルス選集(全16冊)を入手した。
昭和48年版で16刷とあるが、カバーの背に少しヤケがあるものの、状態は悪くはない。以前の持ち主がいかにこの本を大切に保持してきたかがわかる。

いくつかの巻にはうすくえんぴつで線引きがしてあった。でも、その線引きも、実に紳士的で繊細。

わたしも、線引きをよくするが、わたしのはめったやたら、乱暴にページが破れるような勢いで線を引く。しかも、大事なところを線を引くというよりも、ただ線をひっぱってると、文章をかじってるという気がするからだ。頭だけでは理解できず、肉体の作業をしないと読めないからだ。

この古本は以前の持ち主の知性と性格を感じる。わたしとは大違い。きっと、全巻を静かに根気よく読んだにちがいない。どんな人物だろう。ボーナスをはたいて全巻を購入し、少しずつ読み通したのだろうか。わたしのようながさつな人間ではないのはたしかだ。

今頃になって、やっとマルクスを読んでみたくなった。
なによりも、その発想、視点が今の日本の言論界に欠けていると思うからだ。

かつて、40年ほど前は日本のマルクス研究は世界のトップレベルだといわれたことがある。
マルクス経済学者というのはどこの大学にもたくさんいたようだ。
しかし、かれらは、今、何を研究しているのだ?いったい、かれらは、何ものだったのだ?

マルクスに群がり、マルクスを奉じ、マルクスを解説する学者が姿を消したことは、しかし、いいことかもしれない。

余計な解説者なしに、それぞれが、直接にマルクスに向き合えるようになったのだから。
わたしなど、おそらく、10のうち、9も理解できないだろうけど、10のうちせめて1くらいは、なるほど、そうか、と納得できる部分もあると思う。それで十分だと思う。








年をとるということ

2012-01-19 | 日記
先日、朝日新聞の読書欄で、島崎藤村の「夜明け前」がテーマになっていて、読者かだれだか忘れたが、青山半蔵は認知症になっていたのではないか、という感想があったような気がする(よく覚えていないのだが)。

期待していた明治維新に裏切られ、そのために青山半蔵は狂気になったのだと思っていたが、なるほど、そういう考え方もあるかもしれない。いったい青山半蔵は何歳くらいから狂気になったか、小説では、その経緯についてどう書いているのか、もう1度、読んでみたくなった。青山半蔵が認知症になるのはちょっと早すぎる気もするが。

一緒に住んでいる90歳の伯母は、わたしがだれなのかわからないようだ。外に一人で出るのは危険なので、家に一人でいるときは、カギをかけている。座敷牢と同じかもしれない(一人で家にいることが苦にならない人だけど)。

年をとると、親しかった人の顔もわからなくなる。以前、あたりまえのように出来たことが出来なくなる、ということはきっとつらいことにちがいない。




洗脳

2012-01-14 | 新聞・テレビから
いつだったか、社説(朝日)で、国会議員の定数削減、国家公務員給与の削減が重要課題だ、てなことを書いてあった。いや、これは、新聞だけでなく、テレビでも、司会者や評論家たちが、耳にタコができるほどしゃべっている。まるで、当然で、だれでもが同意すべきことのように。それは、税の一体改革が当然だ、という口ぶりと同じだ。

しかし、他人の人々の給与を減らせ、とは、よくも言えるものだと思う。
公務員の給与は、民間に比べると高いということだが、いったい、その民間とはどんな基準なのか。公務員の給与は税金だから、税不足の今、公務員の給与を下げるべし、とはどこかおかしくないか。
公務員は原則として営利を目的としていないから、民間のように、利益があがれば給与が上がることもなく、景気に左右されることもなかった。

公務員の給与を下げるということは、民間の企業の大多数の人々の給与も低いままに据え置かれることになる。政府の財政担当者や大企業の経営者は公務員の給与削減を大歓迎するだろうけど、はたしてわたしたち労働者も同じように賛成していいものだろうか。これはいつもの国民の分断作戦ではないのか。

大阪の橋下市長は、公務員は一生、クビにならない、これはおかしい、なんて言っていたけど、そうだ、そうだ、と喝采してよいものだろうか。

民間でも公務員でも、労働者はクビにされたら困るのだ、生活するための当然の給与は必要なのだ。

賃金を上げる、首切り反対、これは、労働者が生活を守るための当然の願いだったのではないか。

いつのまにか、テレビも新聞も、まるで、国政担当者か企業経営者のような発想ばかり送り続ける。
赤字である。給与は下げる。あるいは、退職してもらう。ただし、税金は払うべし。

おかしくないか。公務員であろうと、民間の企業労働者であろうと、賃金を下げられたり、クビになることは死活問題なのだ。

「自殺者3万人」という記事もあった。14年間、連続して3万人を越えたらしい。10年間で、30万人、小さな市の人々が10年で自殺してしまったことになる。外国との比較がないけど、先進国の中ではトップではないのか?少なくとも日本史の中では明治以降、最高の数だろう。しかし、見出しは、「昨年も減少」と書き、自殺者が少し減ったことを書き、5月に異例に多かったことについて、「芸能人の自殺の影響を受けた」などとのんきなコメントを書いていた。

久しぶりにブログにむかったので、支離滅裂になってしまった。世の中、おかしい。いや、おれがおかしいのか?

再生の年始まる

2012-01-03 | 日記
野田首相は、今年を日本再生の年といっているそうだけど、日本崩壊の道を進めてきた政府やメディアにそんなことは言わせたくない。ただ、日本人の、国民の、そして、わたしの再生の年であることはたしかだ。


この5,6年、毎年、正月は、新聞の正月特集や社説をネタにしてブログを書いていたのだけど、今年は、特集記事も社説もネタにもできない。新聞のこの気力のなさ、停滞感は、大新聞社崩壊の予感さえする。

というわけで、今年、初詣でにいった能勢妙見山の星嶺の画像をのせます。

みなさん、本年もよろしくお願いします。