虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

山形出身の作家とワッパ騒動

2011-02-17 | 一揆
山形県の「ワッパ騒動義民顕彰会」の人に教えてもらったのだが、芥川賞作家奥泉光氏と、同じく芥川賞作家でいまや文壇の大御所みたいな存在になっている丸谷才一も、ワッパ騒動の起きた土地の出身のようだ。
藤沢周平の場合は、よく知られているが、この二人は知らなかった。

奥泉 光(本名 康弘)は、「「我が輩は猫である」殺人事件」というミステリー作品が有名だ(わたしは、まだ1冊も読んでないけど)。

奥泉氏は、三川町横川の出身で、義民顕彰会では、「義民の子孫になるはず」という手紙を出したそうだ。この正月に帰省し、「大地動くよみがえる農魂」という昨年出版されたワッパ騒動の本を読み、庄内にこんな一揆があったことを初めて知り、大いに興味をおぼえた」という意味のメッセージがよせられたとのこと。

丸谷才一はの生家は、馬場町9番地で、ワッパ騒動を指導した本田氏の屋敷で、蜂起のきっかけになった地所。丸谷才一氏には、顕彰会は手紙を出していないようだが(どうも丸谷才一は一揆などには無縁の人のように思える)、あまり関心を持たないににちがいないと思ったのかもしれない(笑)。

さて、藤沢周平。歴史・時代小説の巨匠の中では百姓一揆をとりあげた珍しい作家(司馬遼太郎も海音寺潮五郎も吉川英治も子母沢寛も長谷川伸も一揆を描いていない)。

海坂藩ものの作品の中でも、背景にちらちらと百姓一揆が描かれ、百姓一揆を無視しない作家なのだが、この人がワッパ騒動については、ワの字も語っていないようなのだ。知らなかったわけではない。藤沢周平は、旧黄金村高坂の生まれで、高坂はワッパ騒動の激化地区のひとつだったそうだ。騒動で逮捕された仲間が釈放された時、村はずれの一本杉まで村中で迎えに出たのだが、藤沢周平氏の先祖はそのすぐ近くだから、先祖は「まちがいなく、迎えに出て、お祝いの赤飯を炊いたはず」と顕彰会の方はいっていた。

藤沢周平は、なぜワッパ騒動について語らなかったのか、藤沢周平も沈黙せざるをえなかった庄内・鶴岡の風土、空気とはなんなのか。それは、今後、ワッパ騒動義民顕彰会の方々が解明してくれると思うが、ひとつだけ、周平氏の高坂村の助役は、藤沢周平の生涯の恩師だったことをあげていた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。