虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

吉見九郎右衛門の密訴

2007-02-19 | 歴史
2月19日暁(午前4時ころ)、西町奉行堀伊賀守の屋敷に吉見英太郎(16歳)と河合八十次郎(18歳)が大塩の檄文と東組同心で大塩の同志であり、血判にも署名していた吉見九郎右衛門(47歳)の訴状をもって駆け込む。

17日の平山助次郎の密訴は、口頭で、計画や日時、一味の名前をのべただけだが、今回は、檄文という物的証拠があり、大塩の計画はここに明らかになる。堀は、すぐに東組の跡部に知らせ、2月19日の長い1日が始まることになる。

この吉見や平山は、大塩党からは裏切り者ということになるけど、大塩の行動はだれが見ても狂気じみているので、それを阻止せんとするのは、常識人としての健全な行動なのかもしれない。しかし、この吉見の場合は、武士としてどうか。だいいち、本人が出訴すべきなのに、子どもに行かせている。大塩の檄文を盗み、それを西町奉行に持っていくように命じたのも吉見。

訴状の中で、同志の中には大塩の計画にみんなびっくりしたが、だれも大塩に意見することができず、渡辺良左衛門や河合郷左衛門も何度か意見をしたが、聞き入れなかった、と書いている。

河合郷左衛門という東組同心は、1月27日に白子である三男を連れて出奔している。また、河合は、大塩と何か話をしたとき、大塩に杖かなにかで激しく打たれたこともあったらしい。河合の心中はわかる。もし、乱に参加したら、家督はもちろんなくなるし、家族にも刑罰が及ぶ、そのとき、当時、周囲から忌避されている白子の息子はどう生きていけばよいか。子のために黙って出奔したのはわかる。

大塩の同志は30人くらいだが、半分くらいは、大塩の大胆な計画はまさか実行はしまい、そのうち、考えを変えるだろうと思っていたかもしれない。あと、半分は、実行にむけて大塩をけしかけたかもしれない。しかし、いったん計画し、血判に署名したら、もうあとにはひけない。

平山も吉見も小普請入りで、家督は守られた、密訴した2少年には褒美まで与えられた。

吉見は、この訴状で、大塩の家庭生活まで暴露する。大塩の養子格之助の妻を自分の妾にし、子どもまで作った、という。これを幕府は大きく取り上げ、大塩の判決書に書き、大塩を道徳的に貶めるネタにする。

徳富蘇峰も、「いかに吉見の品性の、武士の風上にもおくべきものでないことがわかる」といっている。こんな事があるはずがないのだから。

しかし、もし、わたしが大塩の門弟であり、大塩から計画をうちあけられたらどうするだろうか。河合のように逃げるか、平山のように密訴するか、渡辺のように、これも運命だと大塩に従うか、きっと、どうしていいかわからないにちがいない。
武士としてまっとうなのは、大塩を諫止することだろう。死を覚悟しなければならない。





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