遠い夜空にこだまする
竜の叫びを耳にして
中日球場詰めかけた
僕らをジインと痺れさす
いいぞ、頑張れドラゴンズ
燃えよドラゴンズ
一番 高木が塁に出て
二番 谷木が送りバント
三番 井之上タイムリー
四番 マーチンホームラン
いいぞ、頑張れドラゴンズ
燃えよドラゴンズ
『燃えよドラゴンズ』の初代バージョンです。
僕は別にドラゴンズファンではないのですが、この歌のここまでは、当時中学一年生だったあの頃から40年経った今でも、なぜか完璧に暗唱出来るのです。
僕は、工藤の血がそうさせるのか、子供の頃から反骨精神がやたらと旺盛で、権威や権力にはなぜか反抗したくなる悪い癖があって、プロ野球では特に
応援しているチームはありませんでしたが、一貫していたのは、アンチ巨人でした。
なので必然的に、いつの時代も、リーグ戦も日本シリーズも打倒巨人のチームを応援していました。
特に中日ファンでもなかった僕が、なぜ中日の応援歌を暗記しているかというと、この応援歌ができた年は、アンチ巨人派にとっては忘れられない年だったからです。
僕もあなたも願ってる
祈る気持ちで待っている
それは一言優勝だ
与那嶺監督の胴上げだ
いいぞ、頑張れドラゴンズ
燃えよドラゴンズ
巨人川上監督に追われるようにして巨人を去った、“ハワイから来た男”与那嶺投手は、その後中日の監督となって、“打倒川上巨人”を掲げ、“燃える男星野”をエースに擁して、V9邁進中のジャイアンツに当たっては砕け散っていたわけです。
そんななか、僕が中一の時なので多分1974年、ONを擁しV10の偉業をめざしていた当時最強の川上巨人の前に立ちはだかり、巨人V10を阻止してリーグ優勝を果たしたのが与那嶺中日ドラゴンズだったのです。
この年のドラゴンズ優勝は、様々な意味で球史に残るもので、常勝巨人のV10を阻止したばかりではなく、そのことが川上監督の引退と長島選手の引退に引導を渡し、巨人長島監督を誕生させました。
その年のシーズン中、ドラゴンズに優勝の可能性が見えはじめた頃、この『燃えよドラゴンズ』がラジオからよく聞かれるようになりました。
それまでの応援歌は、どのチームも軍歌調であまりイカシテなかったのですが、この『燃えよドラゴンズ』は軽快でテンポよい曲とカッコいい歌詞で、当時ラジオっ子だった僕はジ~ンと痺れてしまった訳です。
その『燃えよドラゴンズ』ですが、前の年に、ご存知ブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』が公開され大ヒットしていたので、多分にそれを意識した題名だったのかもしれません。
『燃えよドラゴンズ』の投手パートの歌詞は、最初の“星野仙一強気の勝負”しか覚えていないのですが、当時のドラゴンズのリーグ優勝を牽引した、強気の勝負師星野仙一投手が、40年経って新興球団楽天イーグルスの監督となり三年、昨夜、永遠の宿敵ジャイアンツを破って自身初の日本シリーズ優勝監督になった訳です。
星野監督率いる楽天イーグルスが日本一になった一週前には、川上哲治氏が亡くなっていました。
なにかしら因縁めいた今年の日本シリーズでしたが、いつまでも語り伝えられる球史に残る名勝負でしたね。
星野監督の優勝インタビューが全てでした。心に響く素晴らしいコメントでした。
当時、北海道にも東北にもフランチャイズ球団がありませんでした。関東以北の人々のほとんどが、ジャイアンツファンでした。
大学生活を過ごした札幌では、当時市民の皆がフランチャイズ球団を待ち望んでいました。
僕は当時、月寒というところに住んでいましたが、あの広大な工場跡がまさか、後にドーム球場になるとは思いもしませんでした。
札幌に日ハムが来て、そして仙台に楽天が来て、そのイーグルスは仙台楽天イーグルじゃなくて、東北楽天イーグルスとなって、東北人みんなの球団になりました。
東北楽天イーグルスの今回の日本一は、東北の人々皆が喜んでいることでしょう。
今朝、ふと『燃えよドラゴンズ』を口ずさんでいる自分に気づいて、40年前のあのワクワクを思い出し、東北の子供たちにも、忘れられない思い出になるのだろうな、とふと思いました。
自分には、特に応援してる野球チームはありません・・・
が、アンチ阪神にはなるまい!と、心しております!
そりゃ~あ~関西在住で日拝鎮魂法やってる身としてはねぇ~阪神タイガースの守り神が、あのお方ですし(汗)