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気まぐれフォトダイアリー

富士山、風景、身近な花の写真ブログです。読んだ本の感想も載せています。
最近は回想ブログが多くなりました。

恵林寺(武田信玄公菩提寺)~甲州市①(回想)

2017年03月13日 17時38分44秒 | 名所・史跡
NHK大河ドラマ「武田信玄」が終盤に近づいています。

信玄公の菩提寺である恵林寺に行った時のブログです。




2011年7月25日(月)

甲州市塩山にある恵林寺(えりんじ)に行って来ました。

恵林寺は武田信玄公の菩提寺になっています。


住所 山梨県甲州市塩山小屋敷


恵林寺地図




↑クリックで拡大します。

国重要文化財 四脚門です。






四脚門の説明がありました。






今日は今のところあまり観光客が来ていなくて静かです。

けれど、そのうちに団体さんがやって来ました。







↑クリックで拡大します。

恵林寺の説明が書かれていました。






境内を歩いていると、松の木に小鳥が止まっていました。

どうもキジバトのようです。







↑クリックで拡大します。

県文化財 三門です。




安 禅 不 必 須 山 水 (あんぜん かならずしも さんすいをもちいず)  

滅 却 心 頭 火 自 涼 (しんとう めっきゃくすれば ひもおのずからすずし)




天正十年(1582)快川和尚(かいせんおしょう)、壮絶な火定(かじょう)を遂げた際の一句


武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者たちを引き渡すよう快川和尚に命じたが拒否され、怒った信長が三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶らを封じ込め火を放った。


※パンフレットより


織田信長の武田への攻め方は、すさまじいものがあったようです。

それだけ武田が怖かったのだと思います。







↑クリックで拡大します。

二つの門の説明がありました。







↑クリックで拡大します。

本堂です。






境内の様子です。







↑クリックで拡大します。

武田信玄公訓書が書かれていました。




「軍勝は5分を以て上となし、7分を中となし、十分を以て下となす。」




五分の勝ちは励みを生じ、

七分の勝ちは怠けを生じ、

十分はおごりを生ずるので、次には必ず敗れる

戦に限らず世の中の事は、この心がけが肝要なり


と言う意味の事が書かれているのだと思います。


この信玄公の訓言は、実に身に染みるような気がします。。。






拝観料を支払って中を見せてもらいました。

拝観料は300円でした。

入ってすぐの所に飾ってあった屏風です






庭園です。

後ろから何人も団体さんが来ました。

騒々しいです。












写真を撮ったりいろいろ話をしています。

私は後から行く事にしました。





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恵林寺(武田信玄公菩提寺)~甲州市②に続きます。




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松姫さまのお寺・信松院~八王子市②(回想)

2017年03月11日 22時28分26秒 | 名所・史跡


松姫さまのお墓に行ってみます。




ここがお墓です。




お墓の横には松が植えてありました。





↑クリックで拡大します。

松姫さまとお墓の説明がありました。





↑クリックで拡大します。

地図が書かれていました。





↑クリックで拡大します。





観音堂地階には、八王子七福神めぐりの布袋尊が安置されていました。




布袋様をアップで撮りました。

布袋様の大きなお腹をさすると福徳を授かると書かれていました。




境内にあった稲荷神社です。




神社の前には池がありました。


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信松院で買って来た絵ハガキです。

いい言葉ですね。



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松姫さまが甲斐の国を脱出して武蔵の国の八王子までの経路


☆新府城を出発

 天正10年(1582年)2月4日頃
 
 警護の者など十数名 松姫さま21才

 幼い姫三名を連れています。


☆古府中のつつじヶ崎館(武田神社)で一泊


☆翌日石和を経て、そこから東に進み、栗原郷(山梨市上栗原)の開桃寺に身を寄せる。


☆開桃寺から北に向かい、塩山上於曽の向嶽寺に身を寄せる。


☆勝頼主従が田野で討たれ、武田が滅亡した後10日程経った頃、向嶽寺を出て南に下り、甲州街道に沿うような形で、笹子峠に向かう。
峠を越えたところで一泊。


☆都留郡内領主の小山田信繁を考慮して、岩殿山の裏側(北側)の急峻な山里に入り、野宿同然の泊まりを重ねながら上野原に抜ける。


☆上野原から相模の国(神奈川県)との境を北上。
那須部から相模の下岩を経て、陣馬山麓の案下峠(和田峠)を越え、武蔵の国に入る。


☆3月21日に上恩方(八王子市恩方町)の「金照庵」に身を寄せる。


☆「金照庵」で約半年ほど過ごし、そこから一里半ほど(約6km)下った下恩方の「心源院」という曹洞宗のお寺に身を寄せる。

ここで仏門に入り、約八年間の禅の修行を積む。


☆御所水の里(八王子市台町)へ粗末な家を建て移り住む。

その後武田の旧臣から寄進された立派な草庵(現・信松院)で生涯を閉じる。



※松姫さまは甲斐の新府城を出立する時には、実兄・仁科盛信の姫「お督」と義兄・勝頼の姫「お貞」、

それに人質として預かっていた、都留郡内の領主・小山田信繁の姫「香具」を連れていました。

いずれも三・四歳の幼い姫ばかりでした。



松姫さまの逃避行のルートとして、他の説には、向嶽寺から先は大菩薩峠を経て、稜線「牛の寝通り」を東に向かい、今の松姫峠を過ぎて、その先の佐野峠から西原(上野原市西原)へ抜けたというものもあります。

確かに地図を眺めると、塩山の向嶽寺から武蔵の国を目指すには、この大菩薩峠越えの方が自然だと思えますが、春まだ早い千メートルを超える稜線を、幼い姫三人を連れての旅は無理があったのではないでしょうか。



※資料は従姉から送って貰ったものから抜粋しました。



 歴史さんぽ

武田信玄息女 松姫さま


山梨ことぶき勧学院・大学院作成




とても丁寧に書かれていました。ありがとうございます。



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これで「松姫さまのお寺・信松院~八王子市」を終わります。

ご覧いただきありがとうございます。


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松姫さまのお寺・信松院~八王子市①(回想)

2017年03月10日 19時10分33秒 | 名所・史跡
武田信玄公息女、松姫さまの記事を過去のブログから探してみました。



信松尼(松姫

Wikipediaより



2012年、1月29日(日)

八王子に用事があったので、以前から行ってみたかった信松院によって見ました。

信松院は武田信玄公息女の菩提寺です。

武田家が滅びた時に甲斐からこの八王子に逃れて来たそうです。





(11:09) 東京方面に向かって、左側に駐車場がありました。

ここにお寺があるのは、先日の地震の日の法事で、八王子から来ていた従姉のご主人に聞きました。

地震の日に、なんで法事がとか、ブログを見てくださる皆さまに愚痴を言ってしまいましたが、私にとってはいい事もありました。

この愚痴は法事の席上ではもちろん言いませんでした。。。


大月市には松姫峠があります。

甲斐から逃れて来た松姫さまが通ったと言われています。

私としては、松姫さまがどこからどのようにして八王子に逃れたのか以前からとても興味がありました。


この逃れたルートですが、もう一人の私の従姉が言うのには、知り合いがこの歴史を研究しているので、後でそのレポートを送ってくれると話してくれました。

良かったです♪

おばさんの法事、かなり収穫がありました。


あまり地震の文句ばかりも言えませんでした。


信松院地図




入り口です。




武田の家紋が付いていました。

八王子で武田の家紋を見て、なんだか嬉しくなってしまいました。




境内に入ってみます。




手洗い水です。




↑クリックで拡大します。

説明が書かれていました。







御所水観音 観音堂です。




少しづつ望遠で撮ってみました。




屋根にも武田菱が付いています。




↑クリックで拡大します。

観音堂と舎利殿の説明がありました。




屋根の上の金の龍です。


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…松姫さまは、武田一族の菩提を弔われる仏道精進の毎日でありましたが、その傍らには糸を紡ぎ、絹を織られたりして織物の技を里人に伝えられます。

又、近隣の子供たちには手習いを教えられたりして、土地の人々から大変に慕われ敬われて平和な日々を送られます。

この時に松姫さまが伝えられた織物が、後世八王子織物として発展していく事となったのです。


※パンフレットの一部を抜粋しました。


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松姫さまのお寺・信松院~八王子市②に続きます。


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小田原城~神奈川県④終

2017年03月03日 11時40分51秒 | 名所・史跡


刀剣が飾ってありました。







刀剣です。












花鳥図です。

↑の説明が書かれていました。






一番上に来ました。

外が見えます。

遠くに駿河湾が見えます。

















真鶴、伊豆半島方面です。












三浦半島方面です。




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これで「小田原城~神奈川県」を終わります。

ご覧いただきありがとうございます。


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小田原城~神奈川県③

2017年03月02日 09時53分34秒 | 名所・史跡


時代の衣装を来た若い二人に写真を撮らせてもらいました。

衣装を貸してくれるのだそうです。







これから天守閣に登ってみます。


入場券は500円です。







天守閣です。







初代 北条早雲。







二代 北条氏綱。







三代 北条氏康。







武田と北条と今川が三国同盟を結んだ時の婚姻相関図です。







四代 北条氏政。
















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小田原城~神奈川県④終に続きます。


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小田原城~神奈川県②

2017年03月01日 12時03分34秒 | 名所・史跡


お城の庭に入って来ました。

珍しい古い木が生えています。







名前が書かれていました。

小田原城跡のビャクシンだそうです。












小田原城と小田原合戦攻防図が書かれていました。













説明の部分を拡大しました。







時代の衣装を来た人がいました。







天守閣です。







小田原城案内図がありました。




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小田原城~神奈川県③に続きます。


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小田原城~神奈川県①

2017年02月28日 11時26分43秒 | 名所・史跡


(12:16)


2017年2月21日(火)

松田山ハーブガーデンから小田原城に来ました。


小田原城には高校時代に2度ほど来た記憶があります。

それが何の時来たのか良く思い出せません。

天守閣に登ったことはうっすらと覚えています。



それ以来来たことがないので、懐かしく思いました。

実際来てみて、大きなお城だったんだなと思いました。








お堀です。







ユリカモメだと思いますが、たくさんいました。

海の近くだからですね。

私の方では全く見かけない鳥です。


























大きな門です。






門をアップで撮影しました。







銅門(あかがねもん)と言うのだそうです。




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小田原城~神奈川県②に続きます。


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北口本宮富士浅間神社

2017年02月26日 12時52分35秒 | 名所・史跡


(13:28)

2017年2月11日

北口本宮富士浅間神社にお参りに行って来ました。

お正月に寄れなかったので、今頃のお参りになりました。


境内に袴をはいた若い女性の家族がいました。

大学の卒業なのでしょうか?













手水舎です。












富士太郎杉です。



















今日は建国記念日なので、日の丸の旗が立ててありました。







富士夫婦桧です。


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伊豆山神社~熱海市(回想)

2017年02月08日 11時37分09秒 | 名所・史跡


(13:58)


2013年2月24日(日)

来宮(きのみや)神社に参拝した後で、伊豆山神社に参拝に行きました。


※伊豆山神社 Wikipediaより一部を抜粋しました。

源頼朝は平治の乱の後伊豆国に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願した。

この間有力豪族の伊東祐親に追われて当社に身を寄せたり、小豪族の娘であった北条政子との逢瀬の場にするなど関わりが深く、後に鎌倉幕府を開くと当社を「関八州鎮護」として多くの社領を寄進した。

南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有したとされる。
頼朝と政子の恋の舞台であったため、現在も縁結びや恋愛成就の神社として人気がある。






長い階段になっていました。







境内に着きました。

意外と静かでした。






手水舎です。






紅白の龍が並んでいました。

この紅白の龍は伊豆山神社のシンボルだそうです。






本殿です。













お札を売っている近くに書かれていました。







下には相模湾が見えました。


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来宮(きのみや)神社~熱海市(回想)

2017年02月07日 15時36分45秒 | 名所・史跡


(12:14)


2013年2月24日

熱海市の来宮(きのみや)神社へ参拝に行きました。

糸川にあたみ桜を見た帰りに寄りました。

私たちと同じような目的の参拝者が多かったようです。


大椚(おおくぬぎ)が有名なようです。



↑の写真は鳥居です。






本殿です。

参拝者がたくさんいました。






中の様子です。






天然記念物の大椚(くぬぎ)の周りをまわってきます。













説明がありました。


















木の中は空洞になっていました。







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身延山へ参拝に行きました。②

2016年08月01日 15時21分39秒 | 名所・史跡


身延山の続きです。

ハスの花が咲いていました。

近くに行けないので望遠で撮っています。






祖師堂です。







ハスの花を近くで撮影しようと思い、外に出て来ました。







近くで撮影したハスの花です。







五重塔と鐘楼です。







池です。







鯉が泳いでいました。







竹の緑がきれいでした。






モミジの緑です。

これもきれいでした。






鐘楼です。







鐘の説明がありました。




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これで「身延山へ参拝に行きました。」を終わります。

ご覧いただきありがとうございました。


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身延山へ参拝に行きました。①

2016年07月31日 12時43分35秒 | 名所・史跡


(11:19)

2016年7月27日(水)

この日は身延山に参拝に行って来ました。


↑三門です。







鉢植えのハスです。







境内に飾られていた額です。

第九十世日勇上人のお言葉だそうです。







本堂です。

今日は参拝者が少ないです。







珍しく静かでした。











天井に書かれていた龍の絵です。





























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身延山へ参拝に行きました。②に続きます。


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天城山隧道(ずいどう)~河津町

2016年03月08日 14時12分37秒 | 名所・史跡


(15:30)


2016年2月22日

河津桜を見ての帰り、旧天城トンネル(天城山隧道)を通ってみました。

天城山隧道までの道は狭くて、長くて、対向車が来たらどうしようと思うような道でした。



以前一度反対側から通ったことがありますが、これほど長い道だとは思いませんでした。

途中で、来たことを後悔しました。


対向車が何台か来ましたが、なんとかすれ違うことが出来ました。



↑やっとトンネルの入り口に着きました。


入り口には軽自動車が一台停まっていましたが、付近に人のいる気配はありませんでした。

どこにいるのだろうと見まわしたのですが、見当たりません。



そのうち、トンネルの中で何か声が聞こえたような気がしました。



「あまぎ~ご~え」



この後、トンネルを越えて、向こう側の入り口でわかったのですが、大学生くらいの男性が3人でトンネルの入り口で記念撮影をしていました。


この若い男性たちが、トンネルの中を歩きながら歌を歌っていたようでした。



その男性達はまたトンネルを越えて向こうに行きながら、トンネルの中で「天城越え」の歌を大きな声で歌っていました。


トンネルの向こうから来た車が、中で止まったようでした。


それはそうでしょうね。

この暗いトンネルの中を人が歌を歌って歩いているのですから。







河津町側の隧道入り口です。

中に電気がついています。







踊り子歩道の地図がありました。








今度は車でトンネルを抜けて、反対の伊豆市側に来ました。








地図がありました。







天城山隧道の説明です。








重要文化財になっているそうです。








向こうから車が一台、トンネルを越えて来るところでした。




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涅槃堂(ねはんどう)~ 河津町沢田②

2016年02月29日 10時43分02秒 | 名所・史跡


上に桜見晴台があるそうなので、登ってみます。







こんな感じの歩きやすい道でした。







広場になっていました。






下に河津桜が見えます。







見晴らし台に植えてあった河津桜です。

メジロがいました。

今日、初めて見たメジロです。





















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これで「涅槃堂(ねはんどう)~ 河津町沢田」を終わります。

河津桜関係はこれで終わります。

長い間お付き合いいただきありがとうございました。


次は稲取の吊るし雛を見に行きました。

それが河津駅までの道路が混んでものすごい渋滞しました。


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涅槃堂(ねはんどう)~ 河津町沢田①

2016年02月28日 14時35分10秒 | 名所・史跡


(11:16)


駐車場は涅槃堂でした。

涅槃堂が近くだそうなので行ってみました。

日本三大寝釈迦霊場だそうです。







本堂です。














入口です。







説明がカセットで流れ、そのあとで写真撮影をしても良いですよと言われました。

釈迦如来涅槃像 「桧一本造り 漆箔 全長2.5m (8尺)」


説明によると2月15日がお釈迦様の命日で、その日に涅槃会を行うそうです。

今は河津桜まつりの期間なので、特別公開しているのだそうです。

















お釈迦様に向かって、右側の群像。





お釈迦様に向かって、左側の群像です。





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涅槃堂(ねはんどう)~ 河津町沢田②に続きます。



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