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倫理学

2017-08-20 | 日本・日本人

倫理を問うとは人の生き方を明らかにすることである。その生き方は、人として正しい生き方持ことであり、それを問うとは何かを目指して正しく生きることであるから、その何かを設定してそれに向けた人間の行為を明らかにすることになる。道徳が実践にあるなら、倫理はそれを跡付けた、やだしい生き方の行為の論理となる。しかし多くは、議論を通してこれからを見据えようとするので、その目標によって、人倫についての基本、それが人間性とも呼ばれ、人権ともとらえられる。人間が正しく生きることは倫理に添うことであるが、それを主張することは人間としての義務であるから、その権利を据えることにまる。生き方の目標は何に在るのだろうか。思い起こせば、倫理としての実践に哲学的思索を始めて、君たちはどう生きるか、というのを、読みあさったのは思春期の入り口にあったころである。10代になって中学生のころ、おなじく、ラジオ放送の倫理学入門の話に耳を傾け、いまいうところの生涯学習の講座には公民館に出かけて青い坊主頭をみせていたし、読む本は禅の名言集だったりして、座禅を組む真似をしては兄弟をあきれせた。その志向は高校生になっても変わることなく、参禅を試み、哲学書を求め、文学書を読んでは、真理探究に目標をおいたことをなにがしか行っていた。思索に瞑想がくわわり、考える公式の方法を編み出すのに集中していた。そのころの青春時代に倫理学が教えたことは善行である。



倫理学概論(2017年度版・大阪市立大学文学部専門教育科目)
講義ノート
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/ethics_outline/outline1/lec1_intro.html
> 倫理学というのは、規範の根拠について考える学問です。
 規範とは「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」といった文で表現されることがらであり、規則、ルール、戒め、金言、法律、倫理、道徳などの内容をなしています。また、それは「権利」「義務」「責任」などの言葉によって表現されることもあります。
 規範の根拠について考えるとは、どうして「〜はわるい」のか、なぜ「〜はよい」のか、どうして「〜してはいけない」のか、なんで「〜してもよい」のか、なぜ「〜すべき」なのか、なんで「〜すべきではない」のか、というようなことを考えることです。

>規範命題と事実命題の区別
 ところで、「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」といった文(命題*)で表現される規範は、「〜である」「〜となる」といった文で表されることがらと区別する必要があります。このことは非常に重要で、この区別をしっかり理解することが、本科目の主要な目的の一つです。

*論理学用語では、言いたい内容を端的に表現した文を「命題」と呼びます。

「〜である」とか「〜となる」といったような文で表現されることがらは、規範と区別したときには「事実」と呼び、その文のことを「事実命題」と呼びます。事実命題とは、この社会や世界や宇宙で過去に生じたか、現に生じているか、または将来生じるであろうことを、端的に記述した命題です。いいかえれば、この社会や世界や宇宙で生じる「現象」を記述するのが、事実命題です。事実命題には、こうでなければならないとか、こうあるべきだとか、こんなことは起こってはならなかったというような意味は全く含まれていません。過去に起こったとか、現に起こっているとか、将来起こるに違いないことを、客観的に記述したのが事実命題です。
 これに対して「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」といった規範命題は、単に事実を記述するのではなく、そうなること・そうすることのよしあしや、それらに対する願望、禁止、命令などの意味(これを専門用語で「指図性」といいます。「指令性」ということもあります)を含んでいます。こうした「指図性」をもつという点で、規範命題は事実命題と異なっています。
 また、事実命題は、いわば観察者の目で客観的に記述されているのに対し、規範命題は「指図性」を含むことからもわかるように、発言する者はその規範命題を自分の発言として引き受け、コミット[関与]しなければならず、観察者のような立場に立つことはできません。これも、規範命題が事実命題と大きく異なる点です。
 事実命題によって記述されることがら、すなわち社会や世界や宇宙の現象について探究するのが、いわゆる「科学」です。科学は、観察者の立場から客観的な記述を行うので「客観科学」と呼ばれることもあります。客観科学は、自然が引き起こす現象を記述する「自然科学」と、人間が引き起こす現象を記述する「社会科学」に大きく分けられます。

http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/ethics_outline/outline2/lec2_theories.html

ところで、今日一般に「倫理学理論」(3)とされているものには、義務論 deontology、帰結主義 consequentialism(利己主義 egoism、功利主義 utilitarianismなどを含む)、共同体主義 communitarianism、徳倫理学 virtue ethics、ケア倫理学 care ethics、決疑論 casuistry などがある。これらは、倫理学の概説書などでは横並びにして解説されることが多いが、筆者は、これらの理論を「主にどのような問い(要請、課題)に応えようとして生まれ彫琢されてきたか」に着目して整理すれば、それぞれの特徴と役割が明確になると考える。その問いとは、
 (1) どうやって「正しい」行為を見出すか?(発見の方法)
 (2)「正しい」とされる行為は、なぜ「正しい」といえるのか?(「正当化」)
 (3)「正しい」ということはどのようにして生じるのか?(起源の説明)
 (4) どうやって「正しい」行為をするよう[な人]にするか?(動機付け、教育)
 (5)「正しい」行為を実際の場面でどのように実行すべきか?(実践上の注意)
の5つである


日本人の倫理性

倫理は倫理学を基にする。道徳は道徳学を持つか、必ずしもそうではない。道徳は道徳であって、道徳論を成立するも、さまざまな場合による。倫理学は道徳哲学を意味する。>倫理学(希: Ηθι......




倫理は倫理学を基にする。道徳は道徳学を持つか、必ずしもそうではない。道徳は道徳であって、道徳論を成立するも、さまざまな場合による。倫理学は道徳哲学を意味する。>倫理学(希: Ηθική、羅: ethica、英: ethics)あるいは道徳哲学(英: moral philosophy)とは一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域の一つである。ウイキペディアより 倫理性は道徳性と異なるか。ともに人間の行為を対象として、その規範をとらえようとする。日本倫理思想を、

>日本倫理思想は日本に古くからある倫理的な思想・哲学を研究する倫理学の分野である。考察の対象は仏教思想、儒教(朱子学・陽明学・古学)思想、神道思想、国学から物語や民話にまで至る。日本倫理思想の源流は和辻哲郎による和辻倫理学である。新しい分野だけにこの学問のカバーする範囲はやたらに広い。
また、脳死問題など新しい倫理問題において日本人固有の倫理的判断や価値観が問題となる場面では応用倫理学とオーバーラップする部分もある。同上  

とみると、日本人の倫理性は思想におよぶ。


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