齢を重ね古希を過ぎてまだ生あるものとして労働には向き不向きがあるにせよ考えることは堂々巡りになる。つまるところは、脳年齢ののことになるが、年月を経て、刺激なく、日々の暮らしを眺めるようになれば、なにごとにもわかったようなことをつぶやいていることになる。ぼけ日記はまさに、ボケであるから、もっくぁ、木瓜としての記録である。この花が咲くころにまた、そのあでやかさはどうか知らないが、そっと花開く美しさをおもって、四季のめぐりを待つ。花言葉がおもしろかったので、ふんと鼻先で、いや、花の先で、そうありたいものだと思う。脳年齢と言えば、記憶は回路を閉じない限りは、いわば、新鮮である、いわゆる老人ボケにはならないから、とっかかりをもって記憶を戻せば、脳の新鮮な働きとして動き出すが、その時のことを実証するもの、ことがあるかないかの程度である。これが難しいのだが、それを脳年齢に合わせればますますご売りになるだろう。それでは堂々巡りは何かと言えば、脳神経の働きで、運動命令とでもいえばよいか。わかっていても動かない、動けない、動こうとしないのは、命令系統が働かないのである。身体のこともあれば、ここにはやはり認知のことがある、間違ってはいけない、認知は視神経、聴神経、蝕神経などの、覚醒神経のことであるから、五感の働きにいわゆる第六感だけが研ぎ澄まされた状態になるわけである。
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