現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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文節、句

2018-02-19 | 日本語文章
節について、主語を文要素とするかどうか、その立場で議論をする。文における主節、従属節の分析になる。それはまた翻訳文法の概念であるから、接続詞の類によって、文を表す主語をどのように認めるかというふうに、等位、従属などの捉えかたになる。日本語ではその分類をすることはないから、接続の関係には、国語で接続助詞、接続詞、さらには接続語の単位をもって析出することができる。しかし、この国語の考え方は節と句の境界を持たないものとなる。句に同様にして、従属句、接続の句の働きを語と語との連合で認める。先の節が主語を要素とする立場であるから、句はその前提において、節に主語がない場合に、句の単位となるというものである。これは議論としてわかりよいことであるから、その点で、句と節の違いを述べることは可能である。そこでまた、文の要素には主語があるとする視点に、国語は必須要素であるかどうかの議論があって、必ずしもそうではないことから、節が文であり、句がまた文の単位であるかどうか、その境界を持たないことになる。 . . . 本文を読む

惚ける

2018-02-19 | 木瓜日記
ボケを書くことでボケるのはいかがなものかと思いつづる。いずれ木瓜の花が咲く。ぼけは自らのものと、まわりからしからしむるものと、そのふたつを捉え、病的症状をいかに自覚するか、惚けるか、暈けるか、その本来の意味だとするのが、記憶能力が鈍ることであったり、頭の回転が悪くなることであったりする。脳の命令が滞る、身体活動に疲れが残る、胸にある古傷が痛みだすなかで、退休、隠居しての日常は、毎日何をするかという思いから始まっている。終活、断捨離の非日常は先が見えない、終わりがないし、すべてを失っていくことはさきが老い先と見えて、計画にはなりえない。散歩など身体運動を含め、リズムある生活をすることと、趣味やボランティアなどのことが目的化してしまって、それが循環することが始まる。身の置き所を求めるようなことである。こうして書いていて、ああ、嘆息してボケの不足を感じる。 . . . 本文を読む